2016年05月02日

【宇宙な?】カルマゼロの能力引き寄せ

1-5)記稿.2016/05/02

 世の中には引き寄せの法則を語る書籍がいっぱいある。
 しかし、そのどれにも能力の引き寄せについてはノンタッチだ。
 でも‥本当に引き寄せたいのは‥物ではない能力だ!


> そんなものがあるのか?‥普通に言えば努力だろう


 いやぁそれが、基本的な法則として存在するらしい。
 ‥というか、ある程度の実力を備えると実感せざるを得ない。
 ‥ただし、ねじ曲げて使うとカルマを背負うことになる。
 ‥そういう中身にあるそうだ。


 「聞きたいですか?、そりゃ、聞きたいですよねッ」



1-4)1

> まず、一番に説明しやすいのがドラゴンボールの元気玉だ。


 仮に、孫悟空が集めた元気玉で、手強い相手を倒す為以外にその力を使えたとして、使ったとしよう。
 例えば、チチに楽をさせてやろうとして、ゼニーと交換だ。
 交換の仕方はこうだ。
 「あんなスゲー奴を倒したんだから、賞金よこせよな‥と政府に迫ってみる」

 ‥全然、悟空らしくない。誰しもがそう思うだろう。それをやっちまうとカルマが発生する。
 ‥結果的に、悟空から純粋な何かが失われ始めるのだ。
 ‥カルマと言うよりは、別人だ。別の何かがだんだんと悟空の精神を塗り替えていくとも言える。
 ‥悟空に葛藤が無いようなら、そのまま別人と化するのも遠くない。


 (仮に、当人がそれをご希望ならカルマとは呼ばないだろうが、周りがどう思うかは別の話)



1-4)2

> では、日常の私たちではどうだろうか?


 元気玉に相当するのが、感謝とも人気とも呼べるそれである。
 誰しもみんながそれを欲しがる。それが、多ければ多いほど良いと思っている。
 ‥確かに、やる気になったり、その気になったり、自惚れたりと、調子づく。


 でも、実際は、それが何であるのかを誰も教えてくれない。


 ‥原理はこうだ。
 その人の行為した結果に対しての注目が集まる。
 例えば、それがAとした行為の結果生じた注目であるとしよう。

 そこに生じた活力は、そのAの継続に使われるべきである。

 そうしないとどうなるか‥次の段階で何らかのトラブルを抱え込むことになる。
 トラブルと言っても、Aの時に調子が出ないとか‥スランプとかまぁそんな感じからか‥
 ‥何とかしようと思っても原因はわからない。

 でも本当の理由は、Aから得た活力を再びAに注いで循環させるべきだったのに、
 そうではなく、BやCに注いでしまったりするとそうなる。

 ‥まぁ、実際、さほど細かく区別できるわけではない。
 ‥わきまえのある範囲でなら、色んな事をたしなみ程度に体験するぐらい好いはずだ。
 ‥一番の肝は、自分が生まれ出てくる時に、何を約束して来たのかが重要だ。


 最も極端にドツボに‥AからAに力を用いるばかりなら、A馬鹿に収まっていたりする。

 その反対に
 「あいつ変わったね‥」なんて感じなら、そいつはきっと色々としたトラブルを抱えているはずだ。



1-4)3

> さて、それはどれぐらいの威力を秘めているのだろうか?


 例えば、マザーテレサ。
 あのぐらいの人気ぶりに至ると、マジ‥手かざしで治療が成り立つという。
 しかし、それにしても、治す・癒やすという行為に身を置いていることが必要だ。
 そうで無い場合、それは、Bから得た力でAを行うという負荷が自分を襲うことになる。
 そのような場合、命を削る事にも成りかねない。

 「では、Aから集めてAにも注ぎ込まなかったら‥どうだろうか?」

 それもカルマになる。その人の中で、何かが崩壊を始めるのだ。
 マザーテレサは、そんな闇を心に抱えていたと聞く。つまり人気への執着って奴だ。


 しかし、根本的な問題が一つある。

 それは、元気玉と同じく人から集めた感謝や人気でどんなに力を得たとしても
 来る人来る人を手かざしで治癒していては、パワーのバランスが成り立たないということだ。

 これは、お金のやり繰りにして考えれば解りやすいだろう。
 手かざし一回当たりに消費されるパワーと、その都度人から集められる感謝や人気‥

 ‥どうしてそれが釣り合うだろうか?

 釣り合わなくなると、途端に人々からは疑念の声が持ち上がろう。
 あの子は治したのに、どうしてうちの子はできないのかという‥えこひいき呼ばわりだ。
 そうなれば、途端に感謝は遠ざかろう。まぁ結局は、何もしないという選択も悪くはない。
 ‥そういうときは、隠居すればいい。でも彼女はそういう区切りも付けなかった。
 ‥一日10人などとした区切りを設けても構わない。でもそういう訳にもなかなか通らない。
 ‥それほどに、マザーテレサのもとへと押し掛けてきた人々は溢れかえっていた。


> まぁそんな感じで、より多くから感謝パワーを集めることができたとしても


 事の次第によっては、厳しいところがある。
 ‥自身の器を越えて望んでも、それは、集まったエネルギーに支えられていると言うだけのことで
 ‥必ずしも当人の才覚・才能という事には成らない。
 ‥そこを勘違いし出すと落ちるのだ。お互いに。

 そして、集まる質も悩ましい。

 それは、自身の意識に呼応することになるからだ。
 テメエが薄っぺらで薄汚れていては、(それが良いのなら構わないが)
 その手のエネルギーが寄り集まることになる。それがどういうことになるかなど‥そりゃ恐ろしい。
 テメエの片寄った思考の中身が全部ぶちまけられるというものだ。
 ‥まぁ余計なことは口にしないのが賢明だろう。そこを心掛けるなら、集まるエネルギーもそうなる。



1-4)4

> どんなに人気を博そうともいずれ陰りはやって来る。


 それは世代が変わるからだ。いつまでも人の欲求を、自身に向けるように維持することなど適わない。
 それは、自分自身も変われば、方向性も変わるだろう。その前に歳を重ねている。
 そこにあるそれぞれの色彩を無視することはできない。お互いに。

 そして

 それぞれの色彩の時期に、己が知るべき事をせずに見過ごすというのも、
 Aから得たパワーをAに向けている次第にはならない。
 その辺の兼ね合いは、もはや経験と自覚による。


 ‥そこを意識せずに、急に商人風に吹かれてみても敵うわけもない。餅は餅屋なのだ。
 ‥そして人は、餅屋の看板を支持するに非ず、餅屋の腕を支持するのだ。
 ‥拝金主義&効率主義は、あまりにもそこを勘違いしすぎている。

 尤も

 貪る為の努力をしてきたのなら、貪らないのでは釣り合うまい。
 そのような輩を野放しにしていると、不思議と誰も退治しようなどとは至らない。
 それは、社会的な背景として、貪るのが当然とした支持層がそこかしこに根ざしてしまうからだ。


 ‥Aから得たパワーをAに向けている‥
 そこに純真なほどのお馬鹿がある程、Aを引き寄せ、Aを引き出すことになる。
 まさにAのみに生きてある。(ファンにしてみれば、それこそが本望だろうに)

 ただし、それが人間として、生命として、
 ‥おいしい暮らしにあるかどうかという話になるとまったく別。
 ‥だからこそ、自分らしい生き方に徹するにしても、方向づけの見直しも欠かせないのだ。



1-5)5

> 周りを気にしない人間が、どうして、周りから気にされるだろうか?
> 世間に関心の疎い人間が、どうして、誰よりも抜きん出て世間から注目されるなどとあろうか?
> ほめてもらいたいのに、ほめて貰えない輩の勘違いがそこにある。


 まぁそんな勘違いのドツボにハマってしまっていると
 普通に考えても、Aから得たパワーをAに向けることなどないであろう‥
 ‥恋愛にしても、家庭にしても、社会にしても同じこと。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:02 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする
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