2016年05月14日

【四憬句】お題「ばっかり」

向宜詠吟.2016/05/14

|大勢居ても他人ばっかり他人の振りばっかり
|権利だとか一番だとかそんなのにお熱ばっかり
|泣いてばっかりはダメだとか前を向けとかそんなのばっかり
|もう良いんだよ、笑うばっかりを奪い合う必要なんかないさ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

 ゾンビ崩壊アニメ「がっこうぐらし!」を見ていたら最後にこみ上げてきた。
 競争社会なんか、ゾンビ崩壊アニメの生き残りと同じにしか思えない。
 ‥どうしたって、ダブって見えてしまうのだ。


> 生きることが基本だから、そうだとしても


 生きる力の源を科学という理屈に頼り切ると、必然的に能力主義になる。
 ところがその能力は、いつの間にか、今や金銭に換算して査定されるのだ。

 「どちらの方が、いくら稼げるか?、稼げたか?」

 すると、

 能力主義で上に立った者は、損の切り捨てしか頭に無い。
 なぜなら、それが生き残り競争としての能力査定だからだ。

 そのように、能力を競い合って換金することでしか、能力を主張しないから

 誰もがそのルールに従って権限役に上り詰めようと必死になる。
 上に行きたい奴ほどそうだ。

 だから、権限役の選択・選別は、常にケチな枠しか用意されることがない。
 ‥枠を手広くして認めても、出る杭しか増えないからだ。
 ‥そういうものだって、なぜか看破できずに堂々巡りを繰り返す。


> 能力は競い合うもんなんかじゃない、必要だから目覚めるだけのことだ。


 何が必要か、どう関心があるのかに、各々に差があるだけだ。
 それは本来、競争することが目的なんかじゃない。
 やってみたければ‥責任を負うだけの話だ。(負わなければ目覚めることも無い)

 誰だってそうだろう。言い出しっぺに対して、最後まで責任を求めるだけのことなのだ。

 その責任を
 投資家が貸したから返せとか言い出すからおかしくなる。
 そうやって、責任の在り方をすり替えてしまうからおかしくなる。
 やり遂げさせるという意識も疎く、権限をかざしてすげ替えるのが当然と言わんばかりだ。

 ‥そんな考え方が、なぜだか、尤もな顔をして表を歩いてやがる。


> 仕向けられた競争は、決して、みんなで生きることを基本になんかしていない。


 ‥どうしたって、奪うばっかりだ。
 一度手にしたら自分の所有権利だとか本気で思い込んだままだ。
 命をあずかってそう思うばかりなら、程度の知れた治安&秩序しかもたらしゃしない。


 少なくとも、平穏を推奨なんかしてはいまい。


 はじめから、全部を生かす気があったら、公平にケチを振りまくだろう。
 そこの違いを理解できていない者が多すぎるのだ。
 (便利と快適を優先することに、今や誰も一歩もゆずる気なんかねぇ)

 だから、すり替わる。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:20 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする
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