2016年07月28日

【プレバト】ひまわり畑、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/07/28

|黄の行進 ひまわりいっぱい笑顔かな
|遠くまでずっと向日葵 青い空
|見上げては隠れんばかりひまわり路
|夕暮れやヒマワリの背の道案内



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



手直し.2016/07/29

|空蝉に吹く風ひとつどこへゆく  大宮エリー
|空蝉のひとつは風に転がりぬ  手直し(夏井いつき)


 まず、「どこへいく」であるが、空蝉なのか風なのかどちらに掛かるのかがわかりにくい。
 そこで語順を変えればという話になった‥

 吹く風に空蝉ひとつどこへゆく‥ところが

 吹かない風があったら持って来い!とばかりに「吹く風」がばっさりと削られた。
 それゆえに、すでに転がったとしての完了の扱いに嵌まった。(相変わらずである)

 ‥転がったかどうかは、未だ定かではないところに、味わいがあるはずだ。
 そういう所が、まったくわかっていない手直しになってしまっている。

 まぁでも、「転がりぬ」の用い方は悪くない。(‥適切っちゃ適切)

↓‥そこでこうなった。


|風吹かば空蝉ひとつ転がりぬ


 「風吹かば」と頭に持ってくることで、「転がりぬ」の「ぬ」が強意の「ぬ」に様変わる。
 この違いはとても大きい。(古文の選択問題として使えそうだな)

 ‥言うまでもないが、こちらの方が、ぐっと抒情的に見えてくる。(空蝉→現身)

 「吹くが省略できて才能有りとか、凡人の視界だったな、よう先生」
 ‥まったく以て、詩作に混乱を与えるような言は慎むべきである。




|向日葵が波打ちだした草の海  佐野ひなこ
|つぎつぎに波打つ向日葵の海原  手直し(夏井いつき)


 ‥しかしまぁ、どうしてこうもエグい手直しになるんすかね!?
 例えるなら、炒め物料理の下手を勿体ないからと、常に、鍋にぶち込み直すような性分に思われる。

↓‥素直に手直しだけするなら、こうだろう。


|向日葵や波打ちだして海のよう


 鍋にぶち込むように、言葉をぐちゃぐちゃとかき混ぜる必要なんかまったくない。
 しかしまぁこれでは芸がない。平凡すぎる。
 ‥やっぱり無駄にも手を加えてみたくなるものだ。

 それは丁度、具材のパンチが足りない感じか。

 ならば、不足していると思しき具材を足すしかあるまい。


|地平線、ひまわり波立ち海のよう


 ‥とまぁ足りなかった具材の正体も見えた感じか。
 なにが「向日葵の海原」だよ、それにしても「海のよう」と表現するのも微妙だが‥

 他に言葉があるなら教えてくれ。

 そもそもにして、そこに海なんかない。
 だからといって、波だけを綴ってみても、そこに海の迫力は見えてこない。
 ‥この四音が削れないというのが、着眼の無理というものである。




|向日葵や眠るむくろに頭垂れ  東国原英夫
|向日葵や畜魂二十九万頭  手直し(夏井いつき)


 ‥宮崎県口蹄疫事件の時
 殺傷処分した牛、約二十九万頭の骸の上に、向日葵を植えたという経緯に鎮魂を込めたという。

 しかしまぁ、わかりにくすぎて、ざっくりと手直しされましたとさ。

 ‥畜魂、畜霊どっちかなっと。やっぱり、鎮魂の「魂」のイメージか。
 やれやれ、今まで滑ってましたジャンルを一気に挽回した感に、ほっとしたと言ったところか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:12 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。