2016年08月09日

【珍説】高尾山古墳解釈

記稿.2016/08/09

 沼津には大岡という地名がある
 そこはかつて海であり、地殻変動で川が流れるようになり
 今にはすっかり隆起し、そのままに岡形状に占められている。


> さて、時間経過を考えてみよう。


 大岡が海 → 川 → 岡の順に次第に隆起したというのなら
 どこか他にも岡と呼ばれる箇所があるはずだ。それが辻褄である。

 丁度、高尾山古墳に向かって、金岡という地名が残っている。

 ジオパークさながらに、かつては金属が採れたということだろうか‥
 もしその名残として、金岡と呼ぶに至ったなら、

 ‥高尾山古墳とは
 墓でも何でも無く、冶金施設を有していたと見ても悪くはない。
 そこで鍵となるのが、その当時の川の流れと言うことになる。
 何はともあれ、水がないとお話にならんだろうしな‥


> そういう見方をしていくと


 古墳とはつまり、なんらかの工場施設群として用いられた地形‥なんてな。

 当然、それを管理する有力者の名前が付いて回ることになる。
 各地に出土する銅剣・銅鐸が、輸入じゃなしに、自前の生産だとしたら
 宗教都市国家さながらの陣容を構えていたと想像を膨らませてもおかしくない。

 (となると、銅剣・銅鐸を海外に輸出していたのが、実は日本だったという逆説にもなりそうだな)

 (逆説というか、海外製より優秀だったから、海外産が廃れてしまったとかな)
 (何はともあれ、それが日本の土地柄だったりするからな)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:33 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする
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