2016年08月16日

【命題】人口が増える大前提とは?

↓3)記稿.2016/08/16

> 産みたい女子の数×体力×社会環境=人口増加率=人口の増やせる程度


 ‥戦後昭和の女子になぜ産む気があったかと言えば
 是からの時代は良くなっていくという思い込みがあったからだ。そこは男子も同じだった。
 実際、その思い込みは娯楽もまだ少なかった時代のあと押しもあり、愚直に反映した。

 しかし

 時代が進み、教育を身につけた女子が増えだした結果
 そこにあった産みたい前提は、随分と低下した。女子にもやりたいことの選択肢が増えたのだ。
 まずは豊かになりたい。まぁそんな勘違いが横行した。
 ‥そんな流れの中、女子に追い抜かれる男子の数も又増え、男子の選択肢が内向きに変わりだした。


> 結果、人口の増える割合は、産みたい女子に依存する流れになった。


 ただし、産みたい女子に依存した状態という事実だけは、前後に於いて何ら変わってなどいない。
 ‥変わってしまったのは、是からの時代に希望が持てないとした流れだけだ。
 ‥その割りには、いろいろなやりたいも上昇している。
 ‥まぁそういう意味では豊かさは享受されているのだろう。


> しかし、いろいろなやりたい↑×時代に希望が持てない↓との矛盾は、そもそもにして怪しい
> 差し引きで言えば、ゼロだ。頑張った甲斐が無いとした空気である。


 ‥戦後昭和の遺産として
 {頑張った甲斐が無い}={頑張る必要なし}とした空気が均一に蔓延する。
 まぁそもそもにして、戦後昭和の十年間の汗=平成の一年間の汗ぐらいの勢いはあるからな。
 (この事実を理解できるのは、昭和生まれだけだ)

 しかし是には、アキレス腱がある。

 それこそが人口の減少だ。人口が減ってしまうと、経済的なうま味もそのままに低下する。
 誰でも理解できることだが、そうなると戦後昭和の遺産もからっきしに成りかねない。
 ‥なんとかしたいのが勝ち組の心理なのだろう。


> そこで少子化問題をでっち上げるのだ。


 前後の辻褄をよく吟味してみると、年配者比率が増大すると確かに風景としては地味になる。
 それはもう、地味だろう。だから子が欲しくもなる。
 でも、そこばかりは技術で何とかなるもんでもないし、

 仮に、できたとしても、そうまでして望むものだろうか?

 自然的な繁殖&増殖が一番、それも適切な感情を有した状態が望ましい。


 ‥と、皆で思っていれば、人口が昭和と同じ勢いに増える必要はまったく無い。
 そこは、すでに女子らが回答を示しているようなものだ。

 「成り立ちもせずものを、右肩上がりにねだってもしょうがないのだよ諸君!」



1-3)1

> 人口増殖する程度は、文明を熟成させようとすればするほどに一定の比率で低下する。


 なぜなら、熟成に進む文化ほど、その中身が細分化するゆえである。
 お馬鹿にも、自分の好きなジャンルで生きたいとしか思い込んでいないのなら
 そこにあるべき出会いが縮小するのもまた道理である。それがやりたいの多様化の性質にある。


> そうならば、そこを受け入れて進む姿勢こそが、人権の尊重としての姿勢だ。
> 少子化が悪いという事でも、産まないが拙いという事でもない。


 多様化ゆえに、問題沙汰も増えるのだ
 ‥ならば、人口が社会に混乱を招きかねないほどの勢いで増える必要はまったくない。

 (経済の形の方を改善した方が無理がない、どうして生きやすくしようとしないのかが不思議)
 (せっかく技術があるのだから、そこを維持して経済のルールを弄った方が無理がない)
 (それだけのことで、今後とも、戦後昭和の十年間の汗に後退せずに済むだろう)

 そもそも、人生の中に於いて、やり甲斐が見つからないような社会性の方が何の意味も無いのだ。
 ‥冷静に眺めると、それが女子の側の返答でもあるのだろう。



1-3)2

> 産みたい女子の比率=男子の子持ちになりたい願望の比率


 さて、男子はどうして親になりたいのだろうか?
 女子のやり甲斐に対して、それは意外すぎるほどにスローライフが好きだから
 ‥ということになるだろうか。
 (建前でとか、格好が付かないからとした、昔染みた感情はもはや通じるまい。)

 ところが、

 男子の考えるスローライフと女子の考えるスローライフは、大方すれ違っている。
 それは、男子の考える俺の城暮らしと、女子の考える私の城暮らしのすれ違いと云っても良いだろう。

 一緒に何かをしていくとしたスローライフと
 あんたが頑張れば良いとしたスローライフでは、そこから導き出される結果も異なる。

 前者は今時の田舎暮らし(成功型)で、後者は昭和の主婦の感覚だが、
 忙しすぎるビジネスマンほど実は後者で、老いてから前者を考える程度だ。
 ‥はじめから前者を希望する若者らに、競争社会はすでに乖離した社会観だ。

 これはそのままに、女子にも共通するはずだが

 なぜか、女子の選択肢には後者があるばかりに、はじめから前者を希望するだけの男子は弾かれる。

 内在する数は釣り合っているはずなのに、実際にはアンマッチが発生し、
 その結果、競争社会にカスタマイズされたままに色恋も進むことになる。否、足踏みか。
 ‥尤も、元々の多様化からその手の選択肢が少ないわけだから、少子化が加速するばかりだろう。


> で、社会的に向けられているのは


 スローライフの在り方の誤解と、競争支持の在り方の勘違いである。

 色々と頑張るにせよ、手に入れる為に頑張るのと
 先に手に入れてから頑張るのとの違いがそこにある。

 これは金融文化が示してきた考え方であるが、
 先に手に入る状態を加速させるのが、ベーシックインカムの方向であるのに
 なぜか、金融文化がそこを否定するのである。

 ‥それはそうだろう。金融文化がリセット&解体されるわけだからな。
 ‥そして誰しもが勘違いにも、働く必要がないと思い込んでいる。(情報操作の賜)
 ‥それもそうだろう。得たいという願望が動力だったならそうなるばかりだ。
 ‥でも実際、得たい形など、いくらでも姿形を変えて存続していくものだ。
 ‥そこが崩壊すると思っているのなら、とんだ誤解である。
 (考えても見ろ、富裕層の投資欲と強欲を、あれこそが良い証明だ。)

 ‥消費するだけの幸せを、幸せと勘違いした文化に帰属してきただけだったなら、ただの家畜である。
 ‥そこにある格差こそが、その上に立つ羊飼いこそが、正義と、自慢げにも言い放たんばかりだろう。
 ‥そんな連中が上に立つばかりにも固定された世界に、未来なんか無い!!!



1-3)3

> 条件として、無償で公平に先に手に入るべきを手に入れられる社会になると
> 才能の開花も公平になり、上に立つ連中の顔ぶれも随分と様変わることになる‥
> そこに訪れるだろう社会的な変革を未だ誰も想像できていない。


 女子の大半が、スローライフ願望であると同時に、暇と退屈に耐えられないのだ。
 ‥そこを十分に理解する者が少なすぎる。否、自覚か。

 女子がごっそり前線から退くと、嫌でも席が空くのだ。(やる気の無い男子も一緒にな)

 自分たちに必要なモノだけが残るだろう。そしてまた作り出されることになる。
 ‥暇と退屈には耐えがたいのは、何も女子ばかりではない。
 ‥でもまぁ、男子より女子の方がそういう意味では立ち上げが早そうだ。
 ‥だからこそ阿吽の呼吸で役に立てば良いだけだ。男子にも活躍どころは十分にある。
 ‥無駄に競争を強いられることも無い。する必要がない。そういう仕組みにすれば良いだけだ。
 ‥まぁ余りにもなさすぎるのも張り合いに欠くからな。決まり文句が程度成り立っても言い訳だよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:23 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする
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