2016年10月11日

【勝手句帳】025 28-10-7/10-8 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2016/10/11

|辻堂の古き仏尊緑濃し        浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所 10-8


 ‥道端に見る祠もどきを辻堂と云うそうで、知りませんでしたね。

 「それにしても、古き仏尊ってなにが言いたんですか?」‥もっすこし具体的に記すべきです。


|古里や緑濃しに添ふ道祖神  (2016/11/03)

 常念道祖神で画像検索 場所は安曇野です。

 (実に住んでみたくなります。日本一の道祖神なんじゃないかと‥)


|手を合わす苔むす地蔵三千院

 苔むす地蔵三千院で画像検索 ほんと、良い空気だしてます。

 (自分としては、招き猫より、これらのレプリカアイテムが欲しいでーす。京都土産に是非)




|秋暑しだらだら坂をゆくほかなし   静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷ俳句のひろば」10-7


 なにやら近頃の残暑を「秋暑し」と表現し始めとるようです。
 「‥はぁ??」それもだらだらするほどだそうで‥
 そんなに暑いなら、夏本番はタレパンダだったんどすな。


|もはやダメ暑すぎる日々たれぱんだ なりて籠もるも夏空ゆかば



1-7)1

|雲焼けてつばめ賑わう夏の夕     浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所 10-8


 なにやらぎこちない詠みにムラムラとツッコミたくなりまして
 いろいろと考えてみたところ
 「雲焼けて」の気持ちはわかりますが
 もはや「夕焼け」に淘汰されてしまっていることに気がつかされます。

 ‥たまには、どこか夕日の方じゃなくて、雲の染まり具合の方を詠みたくなるわけですよ。

 でもこの句の場合、主役はツバメです。そこに季語が三つ並ぶのです。
 ‥ツバメは微妙に、初夏を境に前後する扱いですので、どうにもわかりづらいのです。


> これは「夕日を詠みたいのか燕を詠みたいのかハッキリせい」‥と言われるのが相場です。


 ‥それにしてもここでのツバメは「若燕」ですよね。
 そこで、閃きました。「夕燕」と言ったら夏の季語でええやんけと。


雲灼くる息止まるよう色づいて
|夕焼けや息止まるよう色づいて


 「さて、どちらの方がわかりやすいですか?」
 ‥つまりそういうことですわ
 所詮、夕暮れの主役は夕日であって、色づく雲には成り得ないと。(しかもどこか詠みにくい)


|夕燕 夕餉の狩りに賑わいて 夕日を見ずに巣に帰るかな


 夏の夕暮れはとても日ながです。
 若燕が遊び惚けていても、昏くなる前に食事をすますことが可能です。
 まぁそんな夕げの狩りの様子をそうとも知らずに「賑やか」とだけ表したのでしょう。

 洞窟に住むツバメも居ることから、ツバメがどれ程に鳥目かは知りませんが
 暗くなりすぎると方向感覚に困るのが現代の建築模様・電線&交通事情です。
 ‥ツバメにしても、そこをわきまえていて、夕日に見とれている暇も無く
 食事が済んだらサッサと帰るんでしょうかね。



1-7)2

|山国を貫く大河天高し        富士宮市・今沢オレンジ句会 10-7

|山河やゆるりゆるりと天高し 旅路の空気のなんとうまい


 ‥どことなく詠んだような気になってる感じの詠みですね。
 「天高し」の目の付け所は悪くないと思いますが、よくよく考えると、
 「長い河がいくつかの国境を貫いています、ああ秋の空ですよね」
 ‥詩になってないでしょ。(中間のつなぎが置いてきぼりで空っぽ)

 そもそも国境をいくつ貫こうが、そんなのは人の側が勝手に設けた話です。
 ‥それに「天高し」なんて取って付けるのは、勘違いも甚だしい使い回しです。


> そりゃね


 戦国大名が、自分の嫡男あたりに攻めさせて、地域一帯の大河流域を手中にしたって戦の鬨に
 この句をその嫡男が口にしたとすれば
 「お見事です殿、本当にやりましたなぁ」‥なんて口を合わせれば、粋かも知れませんけどね。

 ‥そんな時代でもあるまいし、何をそんなに中二病になっていらっしゃる?


> それにしても「ゆるり」は秋のイメージだったんですね。
> 春だとばかり思ってました。(‥秋生まれなんで構いませんけど)




|衰えて駅の階段ドキドキと      湖西市・あらい川柳倶楽部 10-7
どうきする駅の階段と歳の数     ツッコミ



 ‥「動悸」と「同期」を引っかけてみました。
 この程度の引っかけはすぐに思い浮かべて欲しいところです。
 それ以外にこれの着眼を、面白可笑しく整えられる手立ては無いものと思われます。



1-7)3

|お邪魔してますこの地球のなんと良い月     浜松市・自由律俳句「槇の会」 10-7
|お邪魔してますこの青い星になんと良き衛星   手直し



 ‥まるで宇宙人が地球にやって来て宣っているかのような詠みですね。
 それならそれで、自分たち側が地球を何と呼んでいるかでもあります。
 また、それは月にも当てはまってくるのでこうなるかと。

 ‥味も素っ気もないって!?

 そりゃそうだよ、お客さん気分なんてそんなもんさ。




|生かされて八十路辿りぬ鰯雲     三島市・三島市民俳句会 10-8
せかされて八十路辿りぬ鰯雲     手直し



 生まれてから八十路になるまでの間、日々生かされてある感謝に包まれていたわけでもありますまい。
 「気がついてみたら、もう八十路‥漸くにして鰯雲何ぞをのんびりと眺めております」
 ‥てな具合なんでしょうから、「せかされて」の方が、落ち着いているかと思われます。

 (それにしたって、立派にやって来ていないとこうは詠めない空気が漂います)




|潮騒の海霧に浮き立ち神の島     浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所 10-8
引潮の海霧に浮き立つ神の島     手直し



 どの辺りの神の島を詠んだのか分かりません。できれば名称で示すべき所です。

 「海霧」が発生しているのに、「潮騒」ではおかしいのです。
 「潮騒」の響きにはどうしたって、鳥の声も含まれているわけです。
 ‥霧の中を好んで飛ぶ鳥はまずいないかと。

 海霧の発生する時間が朝ばかりとも限りませんが
 朝の確率はまぁそこそこ高いわけですし、そうするとタイミングとしても引潮です。


> マンガやアニメの場面としても、そんな感じに演出してあると思います。
> 厳島にしてみても同様です。考えることは同じという事です。


 詠みの流れとしてもそんな風体なんですから、引潮の方がよろしいかと。



1-7)4

|手足出て蛙の子だと気付かされ    藤枝市・川柳番茶会 10-8
|足が出て身の丈覚ゆ現金派      ツッコミ



 ‥どうでも良い着想ですが
 「蛙の子は蛙」の着想に、さらに所詮庶民というツッコミを思い浮かべまして
 かような次第になったところです。(自分の詠みは、やんわりよりズバリですから)




|雨戸操る台風一過の青空に      清水町・清流句会 10-8

|雨戸とる台風一過の青空に ハッと間も無きニュースかな



 「雨戸操る」の操るは、そのままに「あやつる」と詠むのでしょうか?
 ‥「とる」でええやん。十分意味通じるやろ。


> 今時、有名人でこんな程度で詠み終えてたら、炎上しかねない‥
> 自分は下座のままだから大丈夫とか‥その程度に詠んでては上手には成り得ません。



1-7)5

|ビリビリと孫等はしゃがせ障子貼る  清水町・清流句会 10-8
|彼岸花そこは治水の薩摩土手     静岡市・虹の環句会 10-8


 最近、「はしゃぐ」の詠みがちらほらと見られるようになりました。
 良い傾向かと思います。

 彼岸花の詠みは、手慣れている詠みっぷりが、かなりニクいです。
 ‥これの彼岸花も一つの出会いなんでしょうね。


 出会いあっての旅、詠むだけで好いなら、お籠もりでもできると。
 出会いあっての人生、儲かるだけで好いという発想だから、お籠もりでも稼げる時代になったと。

 出会いの遠ざかるような社会に賛同して来たのも、すべて人類の選択です。

 ‥それで、孤独とか淋しいとか、言ってるのは矛盾しているとしか思えませんな。
 孤高に生きたいわけでも無いのに
 お籠もりに生きられるような社会性に賛同するのは、おバカとしかいいようがありません。

 ‥よくありますね、富裕層の静か好き。
 あっちに合わせていては、どんなに頑張っても幸せなんか遠のくばかりです。
 やかましいのを放置しておいても同じなんですけどね。肝心なのは塩梅です。


|強い奴ほど孤独好き、弱い奴ほど寂しがり屋
|孤独好きほど道具好き、人恋しい奴ほど道具音痴
|できる事ほど自分の時間が愉しい、できない事ほど群れてる時間がうれしい
|平気で搾取する奴ほど人でなし、奪い取らない奴ほど仏



1-7)6

|平凡な女に戻り秋刀魚焼く      三島市・三島市民俳句会 10-8
|月明かり美人となれり一寸の間    三島市・三島市民俳句会 10-8


 それにしても、自己評価の低い詠みですよね。

 秋刀魚の焼けない上流と、秋刀魚の焼ける程ほどと、どこに差があるというのですか?
 焼けないより焼けた方が良いですよね。
 程ほどより上流のが良いですよね。
 両方揃ってると、もっと素敵ですよね。

 ‥はぁ?、全部があるのは宇宙だけ。あなたは宇宙になりたいのですか?

 完璧な美とか暮らし向きに憧れて、そう思い込んでるだけで、本質的に人並みの発想なんですよね。
 そこにある宇宙、完璧と思しき宇宙の本質とは如何に?


> 宇宙にしたって、その様に見えるのは、本の一瞬です。
> 宇宙レベルで見れば、普通の出来事に変わりないのも私たちの日常と変わりません。


 宇宙にしてみても、なんともまぁ、自己評価の低きそのままの有り様です。
 ‥真理を読み解いておいて、なぜ、すねたように完璧性に憧れたままなんですか?




|パール富士空に右手を上げてみる   藤枝市・川柳番茶会 10-8


 ‥ダイアモンドではなくパールで攻めている。
 その手の届きそうな視界のもってき方がよろしいかと。

 このように、せいぜい格好良く見えているのは、組み合わせの妙と言わざるを得ません。
 自分をどこに当てはめるべきなのか?
 そこを知りたいがゆえの日々の駄々ということを自覚して、肝に添えおくべきかと。


> すると、手始めに、他人のそれが自分と同じ癖に見えてきます。


 その時、好いわ好いわと思えば改善はなされず、逆に、古い自分からの脱皮を思い抱けば
 人より一歩先に行くだけのよすがぐらいは得られたとなりますね。
 ‥とりあえず、そこに気がつけるかどうかの差が大きいのです。(踏む込むのはもっと苦労)



1-7)7

|朝夕のつづくメダルのいいニュース  焼津市・焼津川柳同好会 10-8
|朝夕つづくメダルのいいニュース  手直し



 どうして「朝夕の」なんですか?
 その「の」はニュースにしか掛からんでしょ。
 メダルに掛かるべきなら、「朝夕と」です。


|私とは他人振り能面可能性浴こそ真の顔


 では参考までにこの句の「の」の機能性を見てみましょう。


 まず、「私とは‥‥真の顔」と哲学的に何か私という単位について言いたげです。

 「他人の振りの能面」の意として
 「能面のよう」無表情なさま。顔の端麗なさま。‥を思わせます。
 転じて、馬鹿を相手にする気にはないし、端麗な顔立ちの方が良いに決まっている。てな感じです。
 
 「能面の可能性浴」の意として
 能面を付け替えるように、切り替えの用とチャレンジの用を示唆しているかのようです。


> では、「他人の振りの能面の可能性浴」とは何でしょうか?


 世の中、色々あった方が何かと都合が良いというか、多様性が伴います。
 「お互いに、人それぞれのそういう部分も見てみたいし、そんな私が居るのも確かです。」
 「そこを味わうにしても、まずは他人の振りからのスタートです」
 ‥とした意味合いを醸しだしています。

 ところが、その後に「こそ真の顔」と続きます。

 これは、「他人の振りの能面」が掛かっているようにも見えますし
 「可能性浴」の方を強調しているようにも見えます。
 ‥どちらを真の顔と言わんとしているのかが、実に曖昧です。

 そうです。その通りのままに、曖昧な選択がそのままあなたの顔になってしまいますよ。
 ‥との、意としても受け取れるのです。


> つまり


 私とは、まずは、他人の振りから始まります。
 お互いを他人として見やればこそ、馬鹿な目に遭うのは嫌だし
 馬鹿を相手にする気にはないし、端麗な世界の方が良いに決まっています。
 そんな私から始めるのがこの世で言う世間という奴ですが、
 それにしても、それぞれに抱く憧れに飛び込んでみようとして、様々な顔を見せようとも
 いつの間にか、それら可能性への向き合い方自体があなた自身の顔になってしまうのですよ。

 ‥と迫るのです。


> とまぁ


 言葉の接続も、他人から見ると前後斜横と縦横無尽に引っかけて読み取るという次第があるのです。
 何を自分が一番に詠まむとしているのかを、まずはその都度確認して向き合うべきかと存じます。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:29 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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