2016年10月13日

【プレバト】秋の運動会、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/10/13

|空砲や快晴の朝 運動会

|新シューズこの日におろす運動会

|鰯雲 グランド行進はずむ足
|鰯雲 グランド溢るラジオ体操
|マーチ浴び次つぎ走る運動会
|運動会 転び遠のく赤リボン

|玉入れや投げても見えじなんぞ秋
|玉入れや一つ二つと数ふ秋
|玉入れや合戦なんだ覚ゆ秋
|紅白をへだてず念ひ天高し



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


稚草

 幼稚園だったか、小学校だったかそんなのは忘れたが、
 馬鹿の付く口数の少なき親に育つと、何事も空気というのがまずわからん。

 玉入れしてても、四方八方から飛んでくるから
 自分が投げた玉が入ったかなんてちっともわからない。
 ‥それのどこが楽しいのかと思ったものだ。

 籠に入ったそれを数えて勝敗を決める競技だとわかったのは
 練習中だったか本番だったかまぁ忘れたが、
 ‥その頃からすでに団体競技には向かない性格だったと思う。



手直しの手直し(6).2016/10/15(/16記事部訂正)

|秋の空わかっていてももうひとつ      石野真子
|秋空や笛鳴ってまだ投げる玉        手直し(夏井いつき)


 ‥器用に手直しをするもんだなぁと思うも
 これは三句切れという奴ではないのかなっと‥

 俺としてはどうでもいいんだけど、以前梅沢富美男の詠みにそんな風に噛みついてたよな。

 ‥秋澄むや蒼し肺ふのありどころ
 「蒼き肺ふ」なんてあるわけねぇんだけどそう詠まないと三句切れになるとか騒いだよな。
 「これもすべて貴方の責任です」ってテロップまで付いてたよな。
 同じじゃねぇか、テメエの指摘は何だったんだよ。

 ‥これって、三句切れなんざ、ここに於いてどうでもええやんって話なんだぞ。
 (国語の教師気取りの指摘も大概にしとけってか)


|笛や玉投げつづく子ら秋高し


 (始笛か終笛かわからない。まぁいいか)
 もっと図々しく投げ続けても問題なかったんだな、どうせ遊びだし。
 一生のうちそうそう無い瞬間でもあるんだからな。そんなこと思いもつきやしなかったぜ。

 大体だな、競技の時間が短すぎだろうといつも思ってたよ。

 先生たちが数えるのが面倒くさいと言わんばかりの時間程度しか玉入れの時間が無いと。
 (マンモス小学校になると一籠に50玉とか軽く入ってるわけよ)
 (数え終わるのを待ってる時間が非常に退屈になると‥)

 ‥どうせなら、普段から遊べるように用意しておけよ。そうすりゃ、ピタッと終えるよね。
 (籠に入った玉を戻すのに、ボタンを押すとダァーと落ちてくる。面白いから又投げると)
 (遊具のすっかり手控えられてる時代、有っても良いと思います)


 ※ イタズラで石とか缶とか投げとく馬鹿もいるだろうから、
 開籠前に中の玉をセンサーチェックしてから、異物混入なら音声で知らせるようにしとくべきだな。
 (ということは、玉にはセンサーチェックできる仕掛けが必要と)

 ‥まてよ、それなら、はじめからセンサーチェックできる籠と玉で競えば、数える手間が省けるな。
 (存分に飽きるまで投げてもらえば、先生たちも休息時間にできるってわけだ)
 (入れば投げる玉が減るから、ある程度までたまると自動で籠の底が開いて落ちてくると‥)
 (いやぁ楽チンだね、発明だね、デジタル集計だよ。21世紀の玉入れの光景になるよ‥たぶん)
 (同時に多色識別もできそうだが、電子機器扱いでもあるから管理コストに難が出そうだなと‥)




|赤とんぼ飛び交う紅白身をかわし      相楽 樹
|紅白の玉身をかわす赤とんぼ        手直し(夏井いつき)


 ‥「飛び交う」と「身をかわす」がどちらも赤とんぼの動きでしつこい感じとの指摘。

 まぁそうだな。しかし、実際に赤とんぼが飛んでいるわけでもない。
 その赤とんぼは一匹の迷い赤とんぼの想定だ。普通、一匹の光景を「赤とんぼ」とはなかなか詠まん。
 そう考えると「飛び交う」はまず要らないのだ。
 また、迷い赤とんぼにしろ、身をかわさなければならないほど接近したとも思えない。
 ‥せいぜいが投げてる子らの近くぐらいが好いところだろう。(玉を交わすなんて大げさすぎる)


|玉入れ交う空 ひるがえし赤とんぼ


 (‥ああ、残念。句またがりになっちまったぜ)
 でもまぁ、ここでの「赤とんぼ」は、まるで保健室児童にあるかのようだ。
 「ひるがえす」の意からしても、運動会に出たのか出なかったのかが微妙な空気。(怪我など)
 運動会ぐらい又は玉入れに出たかったかも知れない気持ちを、グッと堪えている感じにも思えてくる。


> こういうのを‥まさに詩情と言うんだよね。(びっくりだ)




|秋の声手と手が触れて恋心         キスマイ二階堂
|玉入れの手と手が触れてはにかみぬ     手直し(夏井いつき)


 玉入れを歳時記に入れてあるケースはほとんど無いとのこと。
 ‥ほうほう、そうだよな。運動会でさえ不可解だ。

 ちなみに「秋の声」とは秋の気配を誘う原風景からの「印象」ということで
 ‥人の側の暮らしや秋の行事・行楽等のはしゃぎを意味しないとのこと。


|玉入れや同じの掴みすごむ秋


 はじめから狙ってやれば、異性の手とぶつかるかも知れないが、どうしたってそうはならないだろう。
 ‥そうなると、サッサと別のを掴むのも手だが、時間が勿体ないので、威嚇するのも手っ取り早い。
 ‥まぁ年齢的にどうかという話にもなるが、競技の最中にニコニコというのもどうかなと思った。




|運動会、老い、甥追い「おーい!!」あ、人違い  千原ジュニア
|運動会甥見間違う我の老い           手直し(夏井いつき)


 これには「詩情がない!」と来たもんだ。
 ダジャレだって立派な詩心でしょうに‥(まるで川柳を格下に見た発言だな)
 ‥まぁその辺の好き好きはどうでも良いのだが、オマエの手直しだってそこは同じだろう。

 ‥何が違うんだよ、風景はどっちも同じだぞ。
 少しばかり達者に詠んだつもりでも、そのままの単語でしか詠めてないのは同じだぞ。
 それはそのままに、手直しにも詩情が無いと言わんばかりのどうしようもなさのままだ。
 その辺、どういうつもりなんだか‥そこまで頭が回ってないのは毒舌崩れとしか言いようがない。

 ‥素直に
 「面白いですね、でももう少し、スッキリと行きましょうか」‥ぐらいに抑えておけばいいのに。


> でもまぁ10点って付けちまってるからな、「腹立たしい」とも言ってるし
> ‥自分のボロが出るから腹立たしいんとちゃうの(好き嫌いの時点で破れてるからな)


 ‥そもそも、叩くべきポイントはそこじゃねぇ
 40代前半で「老い」とかおかしいだろう。文学表現として、その辺の拙さを叩くべきであった。


|運動会まちがう影やレンズ越し




|天高し玉が飛ぶたびわく歓声        市川猿之助
|天高し玉入れの玉飛ぶ歓声         手直し(夏井いつき)


 「歓声はわくものだから、『わく』は要らない」‥??
 そんなオマエの直しは、「飛ぶ歓声」‥??

 オマエの論で言ったら、歓声とは、沸くモノでもあり飛ぶモノでもあり浴びるモノでもあると
 それじゃ、その歓声はどこに向けられているの?
 その方向や度合いタイミングを表す言葉が、沸くだったり飛ぶだったり浴びるなんだよ。わかってる?


> 歓声は歓声のままにしかなく、どこに向かってあるかまでは示されていない。わかってる?
> オマエはチャッカリと、そこを諭さずにツンとしちゃってるけど、ずいぶんと乱暴な話だ。


 「玉入れの玉」と繰り返す手直しにしても
 尚更にオマエが「たび」「わく」が言葉の無駄と言い放つ口癖のままにしか思えない。
 (指摘を凌駕できていない)


|赤白と飛び舞う声や運動会


 市川猿之助曰く、「運動会ってすごく子供の声が印象にあったんで‥」
 ‥ずばりそんな詠みになったな。(びっくりだ☆)

 当人は、具体的な映像間を望んだようだが、
 季語そのものが乏しいお題にあるので、そこまで欲張るのは無理。




|ライン引き残してつるべ落としかな     梅沢富美男


 「ライン引き残して」と切ると、運動会の前の準備のイメージに。
 「ライン引き」で切ると、運動会の後のグランドに「ライン引き」の置かれたイメージに。

 なかなかダブルで頼もしい句に仕上がってますが
 ‥少しだけ気になるところが

 それは、風景としてのつるべ落としの似合うのは、運動会のシーズンが終わって間もない頃です。
 ‥大体10月の3週目以降です。(東と西で差はあると思います)

 まぁ「かな」と柔らかく据え置いているので、気にするほどではありませんが
 当人はそんなことには無頓着なんでしょうね。(しっかりと運動会後の風景だと言っとります)


> ならびに


 運動会の開催時期は、
 真っ暗の中を児童が帰るような事にならないように時節の配慮がされております。
 ‥そこを慮らずに「つるべ落とし」と、さらっと詠むのは、どうなんでしょうね。

 ということで

 「ライン引き残して」と切って、先生方の労を詠んだ句としておくのが適切な解釈です。

 そうなると、句またがりになってきます。そうとわかってか、夏井の顔つきも様変りし
 「二行に書いて貰えると良かったのに」のようなニュアンスを言っとります。
 ‥どうにも俳句を十七音の二行句にしたいらしい。

 (二行にしたいなら短歌詠め、アレもコレも無駄とか、ちったぁ直るだろう)


> 良いですか、いろんな言い回しになれるためにも、無駄なんてありません。
> まずはトコトンなれるべきです。まずは何であれ知るべきです。とことんツッコみましょう。
> そして次に自分の好き嫌いが最後の判断にあることに気がつきます。
> ‥そことどう向き合っていくのか‥その色合いを超えるためにもチャレンジがあると言えますね。


 ‥ただ嫌いをやっつければ好いとばかりに構えては、なにごとも素直には伸びませんぞ。


|ライン引き転がしてまで運動会
|黄昏やライン引き終え星月夜
|白線やスポーツマンシップの秋の空
|転んでも白線目指せ運動会



> ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:40 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする
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