2016年10月20日

【勝手句帳】027 28-10-14 静岡新聞掲載分から

↓4)向宜詠吟.2016/10/20

|国宝を池に映して秋澄めり      静岡市「宇宙」みなみ句会

|青に浮く金閣二つ秋高し
|まぼろしや奥まる銀閣 月の声


 「国宝を池に映して」の国宝とはなんぞや?

 はじめ‥「城」が思い浮かんだのですが、よくよく考えたら‥金閣銀閣あたりでしょうか‥

 金閣寺(鹿苑寺)の池を「鏡湖池(きょうこち)」
 銀閣寺(慈照寺)の池を「錦鏡池(きんきょうち)」‥とそれぞれ呼ぶそうです。


|城囲ふ堀にはゆ澄む天高し


 ‥大坂城完成当時の秀吉の心境はまさにこんな感じだったかと思われます。




|炎昼の地を叩きたる雨激し      沼津市・裸子駿河句会

|ゲリラ照り瀑雨ぶっかけさらに照る


 ※ 瀑雨【ばくう】‥瀑布に引っかけたドカ雨の表現。滝壺の飛沫のように激しく降る雨。
   ゲリラ照り‥殺人的に猛烈な暑さの真夏日。

 勢いに乗った詠みっぷりが良いと言えば好いのですが、
 「炎昼」と「雨」の係わりとしての「炎昼」がどこにもありません。
 
 雨のままに終わっては、なにが「炎昼」なのかがまったく情報として乗って来ないのです。
 「炎昼」を詠まんとしているのか、「雨の激しさ」を詠まんとしているのかが問われる次第です。


> どんなに元気よく詠もうとも、季語の意が置いてきぼりでは俳句としては戴けません



1-4)1

|月明かり空地に穂立つ薄かな      静岡市「宇宙」みなみ句会
|月雲やかげに脅かされむ薄     手直し


 「う〜ん」無理矢理に手直しを試みましたが、どうにも納得できません。

 なぜなら、すすきの一番に映えるのは、夕日に照らされた頃合いだと思うからです。

 夜の薄なんて、ライトアップでもしなきゃ「刈田」と同じで見栄えなんてありませんよ。
 (夕日の刈田は詠みたくなっても、夜の刈田を誰も詠もうとしないのと同じです)

 ‥という題材を選んでしまった上に
 見ている場所がさらに「空地」というのでは、なんともダメ押しです。
 ダメでしょう。季語がまったく生きてきません。
 月が脇役に回ることも成り立たないなんて、二重季語としても見苦しいだけです。


> ‥そこをどうにか‥やってみたわけですが、なんともかんともです。




|杯に月を浮かべる良夜かな       静岡市「宇宙」みなみ句会
|盃や月を浮かべて呷る酔ひ     手直し


 ‥「良夜」は「よきよ」と詠むのでしょうか??
 「月夜」の響きのあることを思えば、響きとしてはどうしたって弱いのです。
 そのせいかどうかはわかりませんが、どことなく自己満にも、独りで飲んでる感じに伝わります。

 読む側に、語りかける感じに誘うなら、
 「さかづきや」と上五に置いた方がずっとよろしいか思います。

 (‥少なくとも月と飲んでいるわけです。またその月が比喩という見方も含むのかも知れませんな)



1-4)2

|百日紅 音なく真昼過ぎゆけり     沼津市・裸子駿河句会


 ※百日紅(さるすべり)

 「音なく‥過ぎゆけり」の組み合わせが好いなぁと思ったのですが

 真昼に散ったという光景なのでしょうか?
 それとも、昼時に百日紅の前をただ通り過ぎたというだけだったのでしょうか?
 それとも、庭の百日紅を見ながら、風もしおしおの暑さを忘れるほどだったのでしょうか?

 ‥言ってしまえば

 主役は百日紅のはずなのに、真昼の方にインパクトが移動してしまっているという事です。
 直すにしても、くそ暑い日々が続いているとあっては、
 如何様にも、ここの流れに花を主役に立てるのは厳しいでしょう。
 ‥詠み手自身が、暑さに負けない着眼が求められるということです。




|天空に翻へりたる夏つばめ       焼津市・千草句会
|夏翔るつばめも昼げ吾もいざ    手直し


 まず「夏燕」と強調せんとしている燕とは、「若燕」かも知れませんよね。

 ‥燕への格好良さなり憧れを詠まんとしているのでしょうが
 もう少し平凡に見ないと、浮いてしまいがちなのは、私たちの暮らしも同じです。
 そんなにも人から浮き足立ったように見られたいのでしょうか?

 表面ばかり気にして自慢げでも、ちっとも格好良くありません。

 若燕が飛んでるにしても、少し考えれば、物見遊山か・腹ごしらえを追いかけているかです。
 ‥同じ生きものにあれば、そんなに変わりません。
 ‥羽振りが良すぎると思えば、心掛けなり裏があるものです。


> 詠みの格好良さとはつまり、平凡さに気持ちの切り替えを付け足すという事になります。
> ‥通常、其を「粋」と表現します。



1-4)3

|盆の僧信号待ちの中に佇ち      沼津市・裸子駿河句会
|笠姿、信号待つる盆の僧       手直し



 ※ 通常、佇む(ただずむ)としか読まれせんが、佇ち(たち)と詠むようです。

 ‥それにしても
 「‥中に佇ち」と言い回しては、ただずみの意がまったく活きてきません。
 「動かざる如し」がただずみの空気なんですから、どこに居ようとそうあるべきです。

 ‥ゆえに、青信号の前でも、微動だにしないでいたんですか?
 ‥信号待ちぐらいで、明鏡止水とか言いたかったんですか?(暑いですからね)


> そもそも‥「佇まい」に説明を足すとしたら、気持ちの方かと思います。


 されど今や、坊さんが道を行く光景はどうしたって余程でもありません。たまたま見た程度です。
 ‥とりあえず、道行く坊さんが何をどう思っているかなんて句作に必要ありません。
 ‥まず詠むべきは、その佇まいとしての様子です。その季節感です。

 仮に、くそ暑いのに

 袈裟懸けの人の格好がらしくなかったとしても、如何にもと詠むべきに思えばその様に、
 ウケを狙う着想ならそれらしく‥エッジが立つように詠み込むのが大事かと。




|未だ灯りともる隣家の秋簾      長泉町・ながいずみ俳句会
|未だ灯るや裏向こうの秋簾      手直し



 「はて?」隣家とはどちら側にあるのでしょうか?

 右だろうと左だろうと、まずは外に出ないことには秋簾すら確認できません。
 横窓同士の向き合いを想定するにせよ(そもそもの想定‥誰しも自宅まわりになりがち)

 横窓同士ならそれはそれで、「未だ灯る」意は、随分と変わらざるを得ません。

 「何しているのかなぁ?」ではなく‥
 「いつまでも灯り付けてねぇで、早く寝てほしいものだ」になってきます。
 ‥句作としてはただの愚痴でしかないという次第です。(*必ずしもそうとは限りません)


 では、手前の家でしょうか?(間取りにも依りますが)
 それにしても、秋になれば、北側に簾を掛けておく用は見あたりません。

 ‥そうなるとどうしたって、裏手の家として詠んだ方が無難ということになります。


> 夜な夜な、幾分はなれた所からの灯りを見やればこそ、
> 「何しているのかなぁ?」と他人事のように思えるのです。
> ‥ここでの詠みは、距離感の提示を外せません。(外せば、ただの愚痴にも見えて失敗です)


 当人が、深夜遅くになってから帰宅する日々の様子として受け取ることもできますが
 そこに「未だ」という気持ちが釣り合うかどうかです。
 ‥その場合なら(深夜に限らず、間取り等の状況に限らず)

|互いに灯るや隣家も秋簾

 「互いに」から詠み始めるのが、同意としての有りきかと思います。



1-4)4

|挫折など切りがないほど噛み締める  伊豆市・川柳ともしぶ吟社


|向き不向きまずはむきあう臭覚なり
|辞められて気づかぬ阿呆に明日の来ず
|選択の自由と思う無責任
|つまずきは自分の歩幅見てただけ
|お互いに歩幅を隠す化かし合い
|自分から歩幅を晒し合わせ寄れ
|いつか来る自分の歩幅で挑む日々
|全霊の歩幅に生きるばかりでも
|まるでダメ不向きばかりの差のみじめ
|ゆっくりに合わせる人のたくましさ


> 諦めて「挫折」では、諦めなければ何でしょうか?


 ‥まぁその辺、「見切り」を諦めとは言わないんでしょうね。
 「待つ」にしたって同じです。「耐える」「堪える」も同じでしょう。

 本当の意としての「諦め」とは、人生を放り投げて「死ぬ」という選択に思います。


> 未練がましく生きられる内は、まだまだ折れてなんてないぞと自覚するも大事かと。
> ならばそこに渦巻いて来るどうしようも無さとは何でしょうか?


 「依存」という事になるかと思います。
 どこかに「依存」を前提にしているから「挫折感」としてより強く感じてしまうのでしょう。
 ‥まぁそんな所だとしか推し量れません。

 ‥大体、あなた、貴方自身そんなにも、お人好しにただ同然に労を請け負うんですか?

 ‥自分から引き受ける気概もしおしおで尚且つ器も不足がちとなれば、
 ‥引き受けて貰えなかったなんて、ある意味釣り合ってるだけのことですよ。
 ‥当然の結果です。何をそんなに落ち込む必要があるというのでしょう。
 ‥わざわざ落ち込まざるを得ない選択に、わずかの期待を込めて足を突っ込にしても
 ‥そこにあるべきも、まずは自覚です。
 ‥この程度、その程度以上を望もうなら、己を磨かざるを得ません。
 ‥明らかにおかしいと思えば、口にして表現できてこそです。
 ‥するかしないかかがまた際ですが、つまりは自分の性格です。
 ‥自分の性格に挫折するとは申しません。それはそのままに「絶望」です。

 ‥絶望こそが最後の希望です。そこを手放しては「死」しか頭に浮かびませんよね。


|己に向き合わざる者に希望なし




|つまずかぬ人の話は眠くなる     伊豆市・川柳ともしぶ吟社


 さてさて、ドキッとする言葉です。
 著生の話はどのように映るのでしょうか?

 ‥ある意味
 負け惜しみにも、つまずかぬ人に映りたれば、しめたものという見方も成り立つ次第かと。

 成功体験せざる者の話に、成功を見せつけられるばかりに思えてしまったなら
 「屈辱」を思う浮かべる前に、成功の定義を疑ってみるべきでしょうね。
 ‥明らかにそこに違いがあるように存じます。


> 貴方が欲して来たのもたぶんそこですよ。




|撫子や素顔のままに生きて行く    焼津市・千草句会



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:49 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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