2016年10月22日

【勝手句帳】028 28-10-15 静岡新聞掲載分から

↓3)向宜詠吟.2016/10/22

|竹林の風さやさやとほととぎす鳴き渡る声頭上に降り来   焼津市・さつき短歌会

|竹林に鳴き渡る風ほととぎす 佇まふ青かげさやさやと



> ‥よく詠めています。大した詠みです。


 ほととぎすの鳴き声を主役にして、概ね竹林の外からの光景が見えてきます。
 ‥しかしながら、詠み手がどの位置から句作したのかは曖昧です。

 竹林が道沿いの上にあるのかも知れませんし、
 丁度、竹林の入り口に差し掛かって、ほととぎすの鳴き声が涼しげに聞こえ来たのかも知れません。
 ‥どうせなら、竹林の小径を歩いている情景を以て、堪能したいのです。(暑いんですから)


 それこそ、ほととぎすの鳴き声に誘われたからとしてもおかしくありません。




|道添ひに連なり咲けるたんぽぽの風にほどけて旅立つ冠毛    静岡市・城東短歌会

|たんぽぽや連なりほどけ風になる 見送りてもう青空何処



 「道沿い」が「道添い」なっとります。(文字化けですか?)
 短歌の場合、どっちでもいい所もありますが、
 ‥どちらがより妥当かは「たんぽぽ」に聞いてみるよりほかありません。

 とはいえ

 たんぽぽが道に寄り添ったように擬人化されてるだけに、
 それは同時に、道の方もまた擬人化の扱いになってしまってもいるんですよね。
 ‥それはそれでどうかという話です。(やり過ぎかと思います)


> あと気になったのが「冠毛【かんもう】」です。


 先に「たんぽぽ」と提示があるのだから「種」でも十分に通じます。
 ‥流れとしても、お堅い音読みでくくっては、せっかくの訓読み調子が台無しです。
 (ここで二音浮きます。)

 さらにツッコみますと「咲ける」です。
 ‥咲くの活用は、「咲かる、咲きける‥」ですので
 活用がそもそも変です。ここは「咲くる」です。

 又、たんぽぽの花部が一様にまっ白とは限りませんが、種の状態を「咲いている」とは考え所です。
 前に「連なる」と表していますからそれで十分です。複合動詞にする必要は必ずしもございません。
 (併せて五音浮くわけです。)

|道沿いに連なるたんぽぽの風にほどけて旅立つ種ら

 まぁこれだけでも一行詩としては、まずまず整ってます。
 ‥短歌としてここから先を埋めるには、詠み手自身の気持ちを乗せなければ届かないのです。
 ‥自身がその光景を見てどう思ったかです。あらすじだけでは句作は完成致しません。

 尤も

 ベタにこう思いましたと言い切る必要もありませんから
 いつの間にやら、言葉に、ちぐはぐが付いて回ってドツボに嵌まることになるわけです。



1-3)1

|先日も笑顔で「サヨナラ」あの方の旅立ち聞いて面影はなれず  静岡市・笑桜短歌クラブ

|サヨナラや忘れ得ぬ人天高し○○○○○○○○○○○○○○



 「あの方」とありますから、有名人を指しているのでしょうか‥
 「面影はなれず」ともなれば、テレビによく見かける感じでしょうか‥

 でもどうせなら、その面影の部分を具体的に置きにくれば、よりニュアンスが伝わります。

 例文の○○○‥の中に、こんなことをしていましたと入れてみればバッチリです。
 (季語として機能する「天高し」は死期によっては、変えた方が好いでしょう)

 「片足高く魔球を投げり」‥と詠めば、星飛雄馬です。
 「空飛ぶ虎縞大好きだっちゃ」‥と詠めば、うる星やつらのラムです。

 (‥おっと、この例では「人」ではなく「キャラ」ですね、失敬)




|庭垣の茂る葉間に空蝉の数ますつゆ明け蝉しぐれの中      焼津市・さつき短歌会

|庭垣の木の葉に空蝉増すばかり 吾が庭蝉のゆりかごなりや



 「葉間」‥何と読むべきかも定かになき見かけぬ言葉です。
 ググってみますと、葉間胸水(ようかんきょうすい)と出てきます。
 医学用語で使われていると言うことになります。こういう場合は避けて詠んだ方が無難です。

 こうなると、どこかを削って調整しないことには整いません。

 まぁ「つゆ明け」でしょうかね。それとも「蝉しぐれ」でしょうかね。
 空蝉を詠もうというのに、どうしてバラバラと時間も空間も飛びまくるのでしょうか?

 空蝉はそこから動くことが無いという印象が大きいのですから、
 ‥大きくカメラをパンするような映像観は望ましく思えません。



1-3)2

|暑き日もあと少しかな明け方に庭草あたり蟋蟀の声       静岡市・城東短歌会

|明け方やこおろぎ聞こゆ庭の草 聞けば聞くほど二度寝とばかり



 ※ 「蟋蟀」には、読み方が二つあるようです。
 「こおろぎ」と「きりぎりす」になります。格好つけずに仮名でお願いします。

 ‥え、今回、上の句を俳句に置き直しつつ手直ししておりますが
 「庭の草」は勉強になりました。たしかに庭の草の中に居るのでしょう。
 そちらの方向に草しかないなら尚更になりますよね。そりゃ、庭の草と置くだけで整います。

 まるで、生け花で言うところの剣山を隠しましょう‥な感覚です。

 (私的には、軽く‥してやられた感を味わいました。)
 (それにしても剣山だって花器の一部なんですから、工夫すればいくらでもデザイン可能です)
 (剥き出しでも好いようにデザインすれば良いと思います。命そのものをなんだと思ってんだよ)
 (花器の底自体に剣山ピッタリの窪みを設けるというのも考え方の一つです)
 (花器の縁が、大きく波打っていても好いかと思います。花器がシンメトリーである意味とは?)


 「暑き日もあと少しかな」‥この詠み手の感想を先に置きに来るというのが
 私としても「ああ、ありだよな」と思いました。
 ‥短歌の詠みに、まず俳句を頭に置くのが新しいなんて思っていた矢先です。
 (軽く一本取られた感じで、程ほどの勢いにしておこうと思いました。)




|網戸より忍びくる風心地よくついうとうとと居寝りをする    浜松市・アカシャ短歌会

|網戸よりうとうと誘う余韻かな とおのく心地まかせゆくまま



 「居寝りをする」‥半端な響きです。
 句作にこのような半端な響きはよろしくありません。
 かようなやっつけ気味の言葉選びに甘んじていては上達致しません。
 そもそも、漢字の意味にヨイショしただけの響きです。


> 「大和言葉としてどうか?」の視界を常に振り返るべきかと存じます。


 「網戸」も季語です。(すっかり忘れてました)
 ここでの「余韻」は、とくに風鈴の音を指しますが、網戸から入ってくる風も絡んでます。
 ‥季語を信じろとは、まぁこういうことですね。



1-3)3

|窓を明け涼しき風の入り来るもちぎり絵の紙舞い上がりたり   静岡市・城東短歌会

|もちぎり絵 紙舞い上がり秋の風 窓開け来たりおおあわてなり



 ※ 「窓を明け」??‥窓を開けでしょう。
 それとも、徹夜明けにもカーテンあけて窓を開けましたって意味でしょうか?
 でも、あとすぐに「涼しき」ですからね、その線はなしと。(文字化けですか?)


 「もちぎり絵」とは、
 適当に紙を選んで、イメージに添うように千切って絵に仕上げる画法のことです。
 イメージに適った紙がなければ、自分でサッサと欲しい色の組み合わせで紙に濃淡を描き、
 それを敢えて千切って貼っていくのが、テクニックらしいです。


> パソコンでもできそうなアバウトさが「へぇ〜」な画法です。


 選んだ画像をランダムに分解してくれて、それを並べるグラフィックツールがあれば
 幼児もお気楽にパソコンでお絵かきできますよね。
 (分解フィルターを用意すれば、様々に狙った大きさや形・回転にできる仕組みになります)

 ‥絵心を学ばせるにも、画期的な画材になるように思います。
 (おれもそんなの欲しいぜ、どんだけネットに画像が転がってると思ってんだよ)




|日常のほんの小さな幸せをしあわせと感じられる幸せ      浜松市・アカシャ短歌会

|しあわせの小さな春の手を握る ふるさと廻るこの空の下



 ‥なんともまぁ、「小さな幸せ」に季語を宛がってみれば驚きです。
 どう考えても吾が子と散歩、行楽、を楽しんでいる光景です。
 けっして恋人と歩いているなんて映像にはならないように思います。


> つまり


 今時の幸福感とは、地味だろうと大きくなりすぎてしまい
 「小さな幸せ」が、気持ちからして追いやられてしまっていると‥

 むしろ、そこを地味として高を括ってしまい、味わえなくなってしまっていると‥

 まぁそうなりますかな。
 ‥とくに女子の肉食化には、そんな空気が漂ってるんでしょうな。

 (そんな社会になってしまったのも‥そりゃ、欧米化です)
 (大和撫子がどうやって脱欧米化していくのか‥そこが一厘です)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:17 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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