2016年10月26日

【勝手句帳】030 28-10-21 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2016/10/26

眺め遣る棚田の傍やわれもかう      沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|蚯蚓泣く茶木の畑に日の落ちて      沼津市・千本プラザ「俳句教室」


 「われもかう」って何を「かう」っていうのでしょうか?
 ちっとも分かりません。
 ‥米なんでしょうけど、棚田を販売所扱いというのもどうなんでしょうね。

 蚯蚓(みみず)と読みます。
 「蚯蚓泣く」で季語のようですが、実は「螻蛄(けら)の声」なんだとさ。
 もはや感性が違いすぎて分かりません。
 (ちなみにケラの声は、電子ノイズのように一調子なだけで、ちっとも風流には思えません)


> どうにも納得の行かない二つの句ですが、(直しようがない)


 「眺め遣る」「日に落ちて」の響きに何やら感ずる所がありまして
 ↓‥こうなりましたとさ。


 tagoto no tsuki.jpg
 田毎の月(たごとのつき)

|水棚田 月を並べむ山の際
|みち行けば歴史を諭す青棚田
|少しでも多くしたくて棚田汗
|稔りしも姥捨てつらき夕棚田
|とと町さ草鞋を売りに雪棚田
|「お帰り」雪棚田を背に日の落ちて
|棚田畝 直すは苦労せずば心中
|眺めやる逆さふるさと水棚田
|早棚田一差し一差し唄ひつつ
|照棚田 まずはお日様つぎ代官



・水棚田【すいたなだ】‥田植えをする前の日の内に、注ぎ込んでおく為に水だけ引いた棚田。
 よく知らないのですが、段取りを想定し
 棚田ほど先に水を張っておかないと田植えのはかどらない地形もないかなと思いました。

・青棚田【あおたなだ】‥述べるまでもなく、青田の棚田バージョンの意。

・棚田汗【たなだあせ】‥棚田の場合は、平地の田んぼとは違う必死さが付きまといます。
 それでなくとも収量を上げたいと思えば、それこそ隙間にだって稲を差しておくほどだった話です。
 ‥昔話にあるんですよ。
 棚田の100枚目が見つからないから探していたら、なんと笠の下に隠れてたという落ち‥
 田んぼ自体が逃げたり盗まれたりするわけもないのに、無くなるなんてありえませんが、
 必死さの伝わってくる話です。

・夕棚田【ゆうたなだ】‥「夕田」の表現を見かけないように、別に季語の扱いに入りません。
 でも、夕日に映えてる棚田の様子ということです。

・雪棚田【ゆきたなだ】‥雪の積もった棚田です。
 冬に稲作はできずとも、風情としては十分に通じます。

・棚田畝【たなだうね】‥棚田の段差の頭の部分を「畝」と呼び、堰の役目の部分です。
 冬に雪が降り積もると崩れてしまうので、その度に春になると一から全部打ち直すのです。
 そりゃ、大変な労力です。
 これが季語に入ってこないというのが不思議で、
 やはり俳句と言えども都会の文化だったという落ちになるかと思います。

・早棚田【さたなだ】‥田植えが澄んだ棚田のしばらくまでの様子です。

・照棚田【でりたなだ】‥雨が降らない日々ならではの棚田への面持ちです。
 近年ではどこも、一旦水を止めて成長を遅らせて温暖化に対応しているように思えます。



1-6)1

|早稲熟れて故里の空輝かす        静岡市・のぼる句会

|早稲垂れてふるさと高く翔る夕
|早生掴みふるさとの秋にキッスかな


 早稲【わせ】‥早稲は、早い話が早場米と考えて良いと思います。
 収穫も当然早く、そこに現れる稲と空の光景もまた違ってきます。
 一方で、「早生」と書けば、野菜・果物などの旬より早く出回る状況を指します。
 この場合はとくに時期の基準など無く、季語としては扱われません。

 早生を掴んだのが店頭ならそれは秋でしょうが、農家ならまだ夏になります。
 それをどこまで「ふるさとの秋」とのたまえるかは定かにありません。(ノリです)
 ‥また、春でも夏でも良いのですが、秋の方がらしさが伝わります。(勢いです)


> というところで、「早稲稔る」と詠んでは、季重なりになってしまうので


 どうにも「熟れる」としたようですが、
 どうにも早生の意と重なってしまうのでよろしくありません。

 ここは「垂れる」で良いと思います。

 それにしたって、秋の空なんかではありません、精精が残暑の空です。
 ‥残暑の空では、まだまだ「天高し」の色合いには遠いかと思います。

 で、そこの所、昼の空なのか夕の空なのかがよく分かりませんが
 「輝かす」意で考えると夕かなと思い、「翔る夕」としました。まるで、スズメです。
 しかし、自分の住んでいる辺りで、秋夕の雀を見かけた記憶がさほどありません。
 渡り鳥の通り道になっていると雀も夜目が利かないと危険だろうし、寄りつかないのかも知れません。
 ‥あと、カラスや交通量の程度など、雀も気にしているのかも知れませんね。



1-6)2

|色鳥と共に目覚めぬ旅の宿        静岡市・のぼる句会
|色鳥と共に目覚め旅の宿        参考


|渡り鳥 明けを待たずにフルスロットル


 色鳥(いろどり)で季語になります。意味としては「小鳥来る」とほぼ同意です。
 ここでの扱いとして気になるのは、寝ていたわけで、
 季語としても色を前提にしているわけではありませんが、
 鳥の色なんて実際に見ていないわけです。声が聞こえればそれは、それでイメージにもなるにせよ
 半分寝惚けていては、どうしたって、見えてくる映像にエッジは感じられないのです。

 さらには、「目覚めぬ」の「ぬ」の使い方です。

 まぁ当人は「目覚めた」つもりなんでしょうが、「目覚めない」意もぼやっとしています。
 その頭に色なんて響きがあっては、連れが居るのか居ないのかもぼやっとしてしまっています。
 ここで、わざわざ完了の「ぬ」を使う意を感じません。「た」ですっきりしていると思います。

 ‥でもまぁそうすると
 句に見えてこないんでしょうね。つまり「ぬ」と付して詠んだ気になっているだけの寝惚けです。

 ‥というところで、着眼を変えてリスペクトしてみました。



1-6)3

|情報網いつも途切れて端に居る      湖西市・川柳今切れ


 ‥これってイジメですか?、それともダメな人ですか?
 「連絡網」とは書かれずに「情報網」です。
 単に住んでる地区の電波状況が悪いのでしょうか?

 つまり、「途切れて」の意も今ひとつ弱いと言うことです。

 「端に居る」のも、仕方なくなのか?、黙ったままなのか?
 その辺の意思や意欲についてもぼんやりしたままです。

 ‥句作に遠慮は要らないのですから、句の中で自由に意見を述べてみるべきかと思います。
 まぁその辺、漫才のノリに近い方が面白くなると思いますが、
 何をどう面白いと思うかも人それぞれです。

 意を通すにしても言葉次第の所が大きいのですから、まずは自分が何を言わんとしているかです。
 意外とそこも分からずに、黙りしてたり、愚痴だけが口を衝いていたりとしますからね。
 ‥それは偏に呼吸をせんとしているだけの自分にしかなっていないのです。


|深呼吸いつもそこから角を見る



1-6)4

|境内を掃き終えたとき秋の声       静岡市・のぼる句会
|境内を掃き終え見上ぐ秋の声       手直し



 「とき」と曖昧にせずに、何らかの動きを添えた方が良いと思います。
 ‥四コマ風の落ちで言えば、振り返ってみたら、また落葉がまだらになっていたのでしょう。
 ‥そこを呆れたように詠むのか、風流に思うのかだと思います。




|天高し流れる雲の速さかな        静岡市・のぼる句会
|天高し思えば雲の流れ去り        手直し



 秋雲の場合、早さか、速さか‥
 かといって、仮名で書いても詩情には表れてきません。
 ‥というところで、速さなどと書きたいのをグッと堪えて、それの状況を振り返るべきです。




|盗作が頬かむりして受け狙う       湖西市・川柳今切れ
贋作が頬かむりして受け狙う       手直し



 なかなかに前向きな解釈です。ユニークです。
 ‥でもどちらかというと「贋作」ですよね。



1-6)5

|行列につくも楽しや富士の梨       沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|秋雨に濡れし朝刊投句読む        沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|若きらの和太鼓響き秋高し        沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|水瓶にすぢ雲よぎり赤トンボ       沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|山萩の枝垂れしだれて風まかせ      沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|曼珠沙華ふる里ひとつ持ち帰る      静岡市・のぼる句会
|浮き沈み流れて生きるくらげかな     静岡市・のぼる句会
|カブトムシ半値にされて夏終る      静岡市・のぼる句会
|葛の花這って狭まる古寺の径       静岡市・のぼる句会


 ‥小ぶりですが、筋は良いと思います。
 それにしても、なんとなく沼津勢の詠みが好くなっている気がしています。

 地元だけに共鳴でもしているのでしょうか??

 地元のそれらに参加する気は微塵たりともありませんが
 小説用のネタ探しも含めて、三年は続けてみようと思っています。
 (‥お陰でさまで、ちったぁ楽しめるようになりました)



1-6)6

|思ふまま生きて二人の栗の飯       沼津市・千本プラザ「俳句教室」
|栗のなにやら怪しエロ触手       ボケ


 ‥この句の解釈に悩みました。

 なにが思うままなのだろうか?

 「さんざん贅沢してきたけど今じゃ二人で栗飯です。健康には持って来いですね」
 「喧嘩が絶えない仲でしたが、今じゃ仲良く栗飯食べてます。」
 「何だかんだと落ちぶれて、栗飯を二人で分け合うのが今の贅沢です。」


> さっぱり分からないので、その辺は考えるのを止めました。


 まずは栗の花を見たことがなかったと思い、ググってみたところ
 如何にも怪しげな形に思い当たるところがあり、ボケてみました。

 アレの匂いと、アレのイメージ‥「ぷッ」

 80年代あたりから00年代あたりまでのアダルトアニメを見たことのない方には
 まず分からないかも知れません。最近ではめっきり廃れた演出で、良い傾向かと思ってます。
 ‥それにしてもそういう事だったとは、改めて爆笑です。


> それにしても、句またがりです‥


 この動詞と動詞で始まる読み方を、自分は想起して詠む傾向にないことに気がつきました。
 動詞動詞名詞‥なるほど、句またがりにするには、そういう単純な構成だったのか‥

 で、一句詠んでみたところ


|泣けてきてほほ笑む、秋ドラマ魅入る
|秋アニメキャラ立ちすぎて泣き笑ふ


 先が句またがりで、後が通常です。
 同じ「泣き+笑う」でもだいぶ違います。全く別の世界観です。
 そして、秋ドラマの方は、どうにも弄らない方がらしく思えます。(やはり‥女の詠み方だったと)
 翻って、秋アニメの方は、句またがりには似つかわしくない男汗臭さを感じます。

 ‥ほうほう、こんなにも違うものだったんですね。

 というところで、出た結論が、次のようになりました。


|席を外せば退社、身ごもる秋
|「生活」を捨て、小沢一郎だけ「自由」言い放つ秋
|担がれて乗り気、アベノミクスも冬
|散る散る楓、白紙領収書議員の晒し首
|台風が避けてよけて、ちょっと触って阿蘇噴火
|逃がした資金がまた遊び出して、日経平均秋の声
|欲しいのは「自由」になく、安心して越せる冬
|春が欲しいのではなく、のびのびとしての「生活」
|希望せし萌しが消え去り、まったくの更地
|煙草クサきに所詮清さ宿らず、木枯らしの国会


> 季節感を添えつつ、字数を気にせず手短に、二句に折って詠む。


 すると、今まで詠み難かった、政治が簡単に斬れるという大発見でーす。
 ‥要するに、自由句と俳句の中間です。長さとしては短歌より短め感が適当でしょう。

 (あとは政治がボケてくれるのを待つばかりになりました‥そういえば冬も近いですな。)


|ツッコんでみたく炬燵だす、はようボケだせ永田町
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:52 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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