2016年11月03日

【勝手句帳】033 28-10-28 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2016/11/03

|紅葉の谷の要の滝の白         富士市・富士かりがね句会

|滝紅葉 赤を縫ひ落つ白き筋


 滝紅葉で画像検索

 ‥旅に出歩かないから、こんな視点もあるのかと思うことしばし
 じゃ、「滝紅葉」だなと思い検索‥出るわ出るわの見事な風景。
 で、サクッと整いましたとさ。(御馳走様でしたm(_ _)m)



1-7)1

|ひと山を駆けゆく風や竹の春      富士市・富士かりがね句会


 ‥来ました来ました、「ひと山」の使い所が早速やって来ました。(はや☆)
 しかししかし、何かがおかしいのです。


> ちなみに、「竹の春」とは‥
> 秋になると竹の葉が青々とすることからそう言われているそうです。(へぇ、知らねぇや)


 ‥もう少し丁寧に説明すると
 竹は地下茎で辺り一帯が繋がっています。
 春先の筍の時節になると、その地下茎から新芽が生え出します。
 竹林全体で、成長を促す為に新芽(筍)に養分を送り込みます。
 ‥その反動のようなもので、竹林全体で青々さを失い黄色く変色します。
 筍が若竹へと育つと、その分の光合成の勢いが増すことで、青々さを取り戻すということのようです。

 ‥ということはなんですか?

 春に竹を切ると筍の味が落ちるということになります。
 つまり、竹取物語の翁が、かぐや姫を見つけたのは秋という事で、よろしいでしょうか?


|ひと山を駆けゆく芒 風一陣
|山さやか若さ青々竹の春
|あちこちの佇み摘んで茸汁


 「ひと山を駆けゆく」と「駆け抜く」よりは、やんわり風に詠んだつもりでも、
 ひと山を駆けてくる、駆けていく風の印象はどうしたって強めの風なのです。
 (風速にして8〜12mぐらいはあるかと思われます。とても微風とは思えません)

 ‥夏とは違うわけですから、それを風情とはとてもとても
 無駄に上着が欲しくなるばかりです。しかも竹林ともなればただの蔭藪です。尚更にさざ寒い。
 でもまぁ、このような「ひと山」の使い方は有りです。


> ‥なるほど、それで調子こいて


ひと山を駆けゆく紅葉に夕日染む

 という具合にやらかしてしまうと‥
 ハイキングにあれば、せいぜいひと山です。「自分の見たままに詠んで何がおかしいのか??」
 でも実際の紅葉の風景は、ひと山に句切られるものではありません。

山肌を駆けゆく紅葉に夕日染む

 ‥という風合いにトーンを変えて整えるのが、普遍さを奏でるコツです。
 そこで芒です。芒は、広がっていてもせいぜいがひと山が区切り‥野生の花畑もそうです。
 そもそも、草だけでひと山を覆うということがありません。そこに違いがあったと言うことです。


> 余段ですが、「竹の春」の検索で、「永田竹の春」なる俳人を知りました。
> なかなか馬が合いそうな詠みっぷりに、思わずもっと詠んでみてぇと思いました。
> 今ならキンドルで無料で読めるようですが、登録する気にはなりません。
> 立ち読み分だけを読んでみたところ、結構ムラがあるようで、勢いは振るわなかったようです。



1-7)2

|鬼灯の嚢鳴らせし子らも老い      掛川市・南郷桔梗句会


 ※ 鬼灯(ほおずき)、嚢(ふくろ)

 使わない季語だなと思いつつ、じゃ、詠んでみるかと考えること一晩。
 大体、ほおずきの句なんて‥どれも似たのばかりです。
 だからとて、ピシッと格好良くなるのかというと、誰もそこまでのイメージなんて無いのでしょう。


|珍しくほおずき眺むスーパー棚
|見るほどにほおずきよりはまず野菜
|色だけは見事ほおずきやはり無用
|ほおずきは無駄遣いなり知らぬまま


 で、ベタに思っていたことを並べてみたところ、これもまたピシッとしてるのかなと‥(お財布に)
 (‥ほぼ玩具なんすから、その手の売り場に置いて、説明書を添えるべきかと)




|朝の陽を浴びて草木の露光る      静岡市・デイサービス小平野句会


 「露」、これまた詠まない季語だなと、じゃ、詠んでみるかと考えること二晩。

 ‥「露」だけでは詠みづらい‥

 露は光るのかとまず疑い、ググっても反応無し。
 どうしてかを考えること
 露が降りる程なんだから秋の明け方は曇りがちなんですよ。
 ‥そう思えば、昼間だって、鰯雲が出て来たりと変化に富んでいます。

 露が光る頃合いには、すっかり露自体が消えているという事なのでしょう。
 ‥季語として成り立つ程に、露が光るというイメージを持ち合わせていないという事になります。


|露を食むブラックばかり牛の群れ

|露しゃぶるブラックばかり低賃金
|霜しゃぶるシロアリばかり財務省

|野ざらしが露を知らずと泣き崩る
|温度差がもたらす露や問う格差
|露払うそれが努力と日が過ぎる
|露しのぐどうにも無理ゲー社会像


 「ブラックばかり牛の群れ」のフレーズがえらく気に入り、多少スイッチが入りました。
 和牛の黒のイメージから、霜降り肉に引っ張り、さらに格差社会に引っ張りました。


> 「野ざらしが」


 ‥始めはこれが出てきました。
 ここでの野ざらしとは、夏山登山です。
 昔風情のテントは水はけも悪く、ナイロンのような軽さなんてありません。
 クジ運が悪く、その昔ながらのテントを背負うことになり、山岳部で白馬を行ったわけですが、
 その重いこと重いこと、自分の装備を合わせて20キロ。
 食料担当の奴らが日々軽くなる中、こっちは朝露を吸うことでさらに重くなるのです。
 その食料担当だった友人との付き合いも長く、彼が就職して早速に車を買ったんです。
 そしてこう問い掛けてきたんです。
 「駐車スペースに屋根の無い方だけ露に濡れるんだけどどうしてかな?」
 ‥思わずプチッと切れました。
 自分は糞重いテントがさらに重くなる理屈を北アルプスの山道を凌ぎつつ考えていたのに
 友人は、理系の頭も使わずに聞くだけです。

 「屋根がない分大気中の水分の厚みに晒されるから‥濡れるのは当然!」
 ‥テントに露除けを重ねて張るのも同じ理由からです。

 「なにも怒るように言わなくても良いのに‥」友人は呟きました。
 人は楽をしてしまった分、なぜかその分だけ考えることを見落としたままだという事を知りました。
 ‥立場が逆なら、同じだったかと思わざるを得ません。



1-7)3

|舳先さす海坂までの月の道       藤枝市・桑の実俳句会

|舳先さす秋富士高し桜えび


 ※ 舳先(へさき)

 ‥「月の道」という季語にはどうにも賛同できません。
 どうしてかを語るとおかしな話になりますが、
 「川が流れる」を引き合いに出すなら、流れているのは水でしょう‥のツッコミに近いのです。

 さらに、「月の道」とは、自分の見ている方向だけの光のことです。

 光は誰の下にもとどくのに、
 「月の道」と記せば、吾が世の春と云わんばかりに自分の見ているだけの方向を語るのです。
 ‥斯様な表現には、一切感心できませんね。




|地にまろぶもの追いかく椋鳥の群    藤枝市・桑の実俳句会
|萩の花風吹くままにこぼれ落ち     静岡市・デイサービス小平野句会


 ※ 転ぶ(まろぶ)

 椋鳥は、地面をほじくり返して、ミミズなどを捕らえて食します。
 でもグルメなのか‥殺してからいただくのです。生きたまま丸呑みをしないようです。

 自然の装いを知り難き、自然乏しきご時世に育ってしまったともなると
 そこの分かる詠みはとても有り難く助かるところですが、
 ‥なまじ俳句も通にありますと、当たり前として、すっ飛ばしがちにあるようです。

 それはそれで、どうなんだろうなと思わざるを得ません。
 ベタであろうとなんだろうと、まずは、あるがままを詠み説いて見せるのが心構えだと思います。

 季語に沿うように当てはめて詠めば、とりあえず整う風潮もあると思いますが、
 ‥実像を掴まぬまま知らぬままというもどうかと思うところです。



1-7)4

|車窓よりふと見上げれば秋の空     掛川市・南郷桔梗句会

|追いかけても追いかけても秋の空


 ‥どうして、「ふと見上げれば」なのでしょうか?
 まず思い浮かぶのが読書です。次ぎにおしゃべり、今時ならスマホでしょうか。
 景色を眺める気が二の次のくせに、ちょこっと空を囓っただけの詠み気配がとても不満なのです。

 ということで‥山頭火ばりのツッコミを入れときました。




|百合の種神に運ばれ地にくだる     静岡市・デイサービス小平野句会
|○○の種 風に運ばれ地にくだる



 なにやら「神」とか‥勢い余っておるようですが、
 べつに百合に限らず、植物には運んで貰うための工夫が様々に備わるのです。
 ○○の中に何が入ろうととりあえず同じになってしまうのです。

 ‥とはいえ、まずは百合の種についてググってみると

 百合は、同じ場所に咲き続けると病気になりがちという事のようです。
 その都合から、風に飛ばされやすいように種に工夫が備わっています。
 ‥なまじ「てっぽうゆり」というわけでもないということのようです。




|国原に朝靄立ちて鶉なく        静岡市・静岡花鳥会
|靄鶉、鳴き声上げるゆとりかな     ボケ



 ※ 国原(国土のこと)、鶉(うずら)、靄鶉(もやうずら)

 ‥これなんかも、「国原に朝靄」なんて、その辺に転がっている感じです。
 鶉との係わりが今ひとつ掴めません。その上‥
 「なく」をツッコめば、「無く」なのかい?、じゃ、何が居るんだよと問いたくなってしまいます。
 「鳴く」としっかり記すべき所です。

 それとも、鶉の卵が無かったのでしょうか??

 ちなみに、「霞」が春の季語、「靄」と「霧」は秋の季語。「鶉」も秋の季語。


> 野鳥を詠もうとしても隠れがちなので、どうしても霞・霧・靄がセットになるかと思います。


 いわゆる、月と花のセットに準じた情景です。
 ‥まぁそこはあれこれ言ってもどうにもなりません。
 ‥という所で、靄鶉ととぼけてみました。(うずらなんて卵ぐらいしか見たことねぇし)
 ‥○○の種に続いて、靄○として、雉でもなんでも良いわけです。



1-7)5

|秋雨に素振りの音をくり返す      静岡市・静岡花鳥会




|泥まみれ勝利の校歌に笑顔あり     静岡市・デイサービス小平野句会
泥ユニフォーム勝利の校歌に泣き笑い  手直し



 かなり字余りになりますが、手直しの方がすっきりしているかと思います。




|肩車の父子に秋の風さやか       藤枝市・桑の実俳句会


 ‥肩車をするのは、どうしたって親子です。
 兄弟・兄妹でもあるかも知れませんが、すでに昔の光景でしょう。
 父子と無理に断りを記す意味合いも薄いかと思います。


|肩車に下駄の音が夜店行く
|下駄が鳴る秋風さやかお祭りだ
|肩車代わりばんこの秋祭り


 「夜店」が夏の季語ということで、季節感が繋がりません。(チッ‥宿題にしとこう)



1-7)6

|初盆や写真の友は微笑みぬ       静岡市・デイサービス小平野句会

|初盆や写真の友微笑みぬ       参考1
|初盆や写真の友は微笑ぬ       参考2



 「微笑みぬ」では、微笑んだの意になります。
 微笑んだように思えたのなら、「友は」ではなく「友が」の方が、判りやすいかと思います。
 一方で、微笑まない方の嘆きを言わんとするなら「微笑まぬ・微笑まず」になります。




|心眼の句集開けば秋の声        富士市・富士かりがね句会
|真贋を問ひつお宝秋の声        ツッコミ



 お気に入りの句集を開いて読んでいると、何気ない日常の中にも折々の秋があるものだなあ。

 ‥なんとも、旅っけに乏しい詠みですね。
 というところで、似たような「秋の声」を拾い上げてみました。

 何かお宝は無いかと骨董屋を覗いていたら、
 なんとも見事な秋の風情を模している品を見つけたよ。これはきっとお値打ちに違いない。

 ‥ツッコミは、なにやら真贋なだけに、「秋の声」も怪しく響かんばかりです。
 そう考えると、「心眼の句集」は、言いすぎでもなさそうです。




|千年の仏を守り稲を刈る        富士市・富士かりがね句会

|千代に垂る先祖を誇り稲を刈る



 「千年の仏」‥勢いはあって良いと思いますが、稲刈りと結びつけるのはどうかと思います。
 先祖の先祖の先祖の・・・は仏を頼りにしたかも知れませんが、


> 千年も続いたとなれば、斯様な先祖や里の歩みを誇っても良いのでは?


 ‥まぁ基本は神頼みの部分もあるのが農作ですが
 仏を守るの意で問うなら、そこは違うと思います。それはどうしたって坊さんの仕事です。
 百姓として代々続いたのは、どうしたって自力の方が大きいと思います。

 誇りに思うのと自慢するのとは少し違いますし、
 何しろ先祖の連綿としたつながりを語るのであれば、そこには礼が付いて回ります。
 ‥その稲を刈るという次第に絞っての詠みならば、細かいことは抜きにして胸を張るべき所です。


> それとも是は、田畑を有する住職の詠みなんでしょうかね??(なら失敬)



1-7)7

|母の里一会の雁の渡りけり       富士市・富士かりがね句会




|赤とんぼ一気に秋を連れてきた     静岡市・サロン川柳句会
うちの子が一気に秋を連れて来た    ボケ


 この「赤とんぼ」の気持ちは分かりますが、句としてどうかというと別の話です。
 ‥そこで、ボケにも詠んで並べてみました。


> さて、ここの「うちの子」をどう解釈するかで随分と違ってきます。


 できちゃった結婚あたりが思い浮かびますが、それがワンちゃんならどうでしょうかね。
 ‥まぁそんな風にボケを含めるのも有りの空気が、この「赤とんぼ」の風合いということになります。




|善悪のけじめ薄れた真人間       静岡市・サロン川柳句会


 ‥「真人間」なる言葉自体が空々しいのですが、皮肉を込めているのでしょうか??
 句に皮肉を込めようとして、単語自体を隠語風に用いては、返って逆効果になりかねません。

 この場合は、割合丁度良いバランスを醸しだしていますが、それにしてもどこか落ち着きません。
 まぁそこが皮肉という性質の為せる所業です。


|凸凹の道往くうちに真人間
|DQNらを育て上げしやアスファルト
|イケイケやスピード出せやハイウェイ
|車てびかえて人間性回帰


 ‥なかなかに面白い形に並びました。
 こう考えると、車離れもなるほどと思わざるを得ませんね。

 とはいえ、地域によっては、車必須になってますからね。
 されど、そのような地域の道路事情はそれほどに整ってはおらずボロボロしていたりすると‥

 東名工事の保安で見ていると、工事している片側の横で剥げていきますからね。
 都会でくり返し工事をしないで居たとしたら、二年以降には途端にボロボロでしょうね。
 無駄無駄無駄と声を荒げてみても、
 二年置き工事なんて、想像するだけで却って非効率だろうと思わざるを得ません。
 それぐらいに交通量が多いと破損も激しくなるものです。


> つまり、乗らなきゃ良いというのも確かな選択肢の一つです。


 ‥そして、そこの塩梅を試算されることはまずありません。
 それはつまり所有台数の制限という形にならざるを得ないからです。
 まぁそれならそれで、一人辺りに所有確保権が割り振られているとして、
 その権限を売買するということになるでしょう。

 下らない話に聞こえても、公平に考えるとそんな具合です。

 手放すのが嫌なら、バス会社なりタクシー会社に貸し出せば良いという形もありえます。
 でも、それは一人一台という形にはならないでしょう。
 ‥三人で一台の割合でしょうか。新車を買うのも売るのも相談‥まぁそういうのもよろしいのでは。


 (一度権利を手放しては、買い戻すことはほぼ不可能です。随分とお高く値が付くかと思います)
 (政治が、格差是正を演出する一時凌ぎに程度有効かどうかもまぁ金額次第かなと)
 (さすがに自動車産業としては壊滅的ですからね、新しい乗り物への誘導が前提かと)
 (売って得たカネで、それを買うわけですね。ベーシックインカムの一つの在り方かと)
 (となると従来車の所有は概ねコレクションなわけですから自動車税も廃止しないと)
 (廃止する理由として、道路整備を簡素にできるからという裏付けも必要です)
 (‥道路屋には大打撃でしょうけどね)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:42 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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