2016年11月05日

【勝手句帳】034 28-10-29 静岡新聞掲載分から

↓9)向宜詠吟.2016/11/05

|蕎麦畑の花の盛りを雨叩く      富士宮市・裸子・玉藻句会
|蕎麦の花 見頃に雨の降りしきり   手直し



 蕎麦は種まきから収穫までの期間が短く、日本でも三毛作ぐらい余裕でできてしまう穀物です。
 なのにその季語は秋‥花も実も同じく秋??
 ‥よく見ると、花は初秋、実は晩秋〜初冬‥決して同時不可能ではないという曲者役者でした。orz

 でも季語に見られる、「新蕎麦」は出荷量も微妙な話で、

 現地に行かないとまず口にできない代物かなと‥
 普通にその秋に食する多くは、春に種を蒔いて夏に収穫した夏蕎麦なんだろうし‥
 実際の秋に収穫された蕎麦は、年越し蕎麦に出回れば‥そこそこに早い方なのだと思う。


 ということで、「花の盛りを雨叩く」では、どうにも詩情としては不満なのです。

 是こそが、蕎麦にとっての恵みの雨とも思えるわけです。
 開花の時期からずっと雨だったなら、そりゃ、実が付かないことにも成りかねないところですが‥
 この詠みだけではそこまでは推し量れません。

 ‥ここはやはり、残念な気持ちを粛々と詠んで整えるのが筋かなと。


|蕎麦の花 空を投げだすひと目ぼれ
|赤蕎麦の花はおなごの心意気
|佇まう山路の蕎麦屋 寄るも秋
|この蕎麦は澄む山すする馳走かな




|帆を揚げて船若衆の汗が散る     牧ノ原市・相良田沼塾俳句部

|帆を揚げて船若衆の汗ぞ風


 なかなかの目の付け所です。でも「汗が散る」では、どうにも捻りが足りて無いようです。
 ‥あれこれ思い廻らしてみたところ、ふと気がつきました。
 「風」が欲しい!、風が吹かなきゃ仕上がらないという事でしたとさ。



1-9)1

|日の匂い散らして稲穂刈られけり   牧ノ原市・相良田沼塾俳句部

|日の匂い味わう米かな稲架高し


 ※ 稲架(はさ、はざ、はせ、はぜ、はで)

 ‥稲刈りしたことが無いので、まぁこんな所かと。
 「日の匂い」と言えるって凄いことです。そこまでズバリとは気がつきませんでした。OTL




|潮満ちて汽水に遊ぶ渡り鳥      牧ノ原市・相良田沼塾俳句部
|潮満ちて汽水に憩う渡り鳥      参考



 ※ 汽水【きすい】‥海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水。内湾・河口部などの海水。

 潮が満ちてくるから、波間に浮かんで羽を休めることができるという事ですね。
 餌をついばんだり、じゃれたりしているのでしょう。汽水の付近はまさに打ってつけだと。

 人間で言えば、夕げの食卓を家族揃って囲んでる感じでしょうか。
 ‥そう思うと、「遊ぶ」ではなく「憩う」だと思います。(見物したことありませんので参考です)




|熱こもる月夜に響く笛太鼓      牧ノ原市・相良田沼塾俳句部
|熱こもる月夜に習う笛太鼓      参考



 「熱こもる」‥気持ちがこもるの意ではありますが、
 「籠もる」には、場所に留まる意もあるので、どこか部屋の中での練習を連想させてしまうのです。

 ‥そこの違いを出そうと思えば、「熱こもり」として
 何かをしている場面の継続の様を狙いたいところです。


|熱こもり月夜清めむ笛太鼓




1-9)2

|丹精の米寿夫婦やトマト熟れ     掛川市・句会あさかぜ
|丹精米寿夫婦トマト熟れ     手直し



 ‥まぁ、ぎこちない「や」の使い所になるようです。
 ここはどう考えても「丹精や」と切ってしまうのが、様になるかと思います。

 そもそも、「丹精の○○夫婦」とした表現自体に違和感が漂っています。
 「○○夫婦のトマト」の方に、日常の調べとしての馴れががあるわけです。

 そこはもう俳句の流れとして浮かんだなら、「丹精や」と切る所となれてしまうべきです。
 ‥また、そこからどのように捻り込むかは自由です。でも、基本は押さえておきましょう。




|蛍み茶会楽しむ夕べかな      掛川市・句会あさかぜ


 う〜ん、普通に詠めば、蛍を見た後に茶会をしたという事です。
 それがついつい、「て」か「つ」か‥なんて考えてしまう勝手からか‥
 「蛍を見ながらの茶会かよ‥ありえねぇ」なんて思っちまいました。

 まぁそう考えると、ここの「て」は、100%接続助詞ということになるかと。




|叱る子も泣く子もなくて茄子の花   掛川市・句会あさかぜ


 ‥なかなかの詠みです。
 確認しときますが、「茄子」若しくは「茄子の花」が好きなんですよね‥

 ええー、その辺少し気になるところです。

 たまたま茄子の花だったとか、それは勘弁していただきたい。
 それでは、「叱る子も泣く子もない」のもたまたまで、
 子等はみんなすっかり成長してしまい、今はこうして一人のんびりと畑いじりをしています‥
 という句になってきます。
 ‥なんか余裕ぶくみにも、むかむかって気分にさそわれます。


|叱る子も泣く子もなくて猫と冬
|叱る子も泣く子もなくて菊を愛で
|叱る子も泣く子もなくて稲を刈り


 こんな「猫」の塩梅ですと、まぁ説明も糞も要りません。猫にしても好き好きですから。
 (まぁ若干‥「子」がそのままに猫を指してしまう嫌いはありますが、想定内でしょう)

 ‥とまぁ、なまじ食べられる畑弄りの印象があると無いとでは、空気が異なります。
 かと思いきや、稲刈りに置き換えてみると、随分と物寂しさに誘われます。


> 固有名詞に対する印象は、明らかに各々で異なると言うことです。



1-9)3

|仏間まで来てひとまわり鬼やんま   牧ノ原市・相良田沼塾俳句部


 ‥何気ない詠みですが、他愛も無く、それは無いだろうと侮ってしまいがちな場面です。
 でも、なかなかどうして、実際に起こらないことには、思い浮かばない句だと思います。
 それがリアルだったなら尚更に、そんな場面を引き寄せた事自体に拍手したいところかなと。




|首塚の昼の闇より黒揚羽       掛川市・句会あさかぜ


 ‥なにやらシュールな雰囲気です。小説の一節のような面持ちです。
 なるほど‥主役は季語の「黒揚羽」なのに、「首塚」という脇役が要ることで随分と違うと。

 ‥まぁそう考えてみますと
 花鳥風月に向けられたイメージが和歌文化の主流を占めているんだなと思わざるを得ません。

 そんなこんなで、主役も脇役も花鳥風月に染めあげたい‥そこの隆盛はまさにお宝集めの劇団です。

 お化け屋敷があっても好いと‥なるほど、勉強になりました。





|ほうたるの向かうに淡く生活の灯   掛川市・句会あさかぜ

|片通り向こう田んぼの蛍見に


 ‥これは喝ですな。
 「ほうたる」とひらいて書いた上に、最後の括りが「生活の灯」では


> 主役は一体何だと言うのでしょうか!?


 対比から何かを言わんとしているのでしょうが、どっちつかずです。
 まるで、生活の灯の方が甘いぞとしか伝わりません。所詮、蛍は脇役と言わんばかりの整いです。

 ここはどうにも、「あ、蛍!見に行こう」ぐらいが無難です。

 また

 対比として、先に蛍を見せてしまっては、
 どうしても後は帰るだけが空気になりがちです。
 それが、身近だろうと、目まぐるしさに追われた現代の事情でもあります。
 (‥蛍を見ていて、生活の灯が気になると言うことは、そんな次第かと)



1-9)4

|藪影のどしり横たふ秋の暮      富士宮市・裸子・玉藻句会
大朽木どしり横たふ秋の暮      手直し



 ※ 大朽木(おおくちき)

 ‥「藪影の」とは、何を指してるんでしょうか?
 自分でしょうか、車でしょうか、それとも放置伐採??
 まぁ朽ちた大木辺りなら、画にはなると思います。


|秋風や どしり横たふ道路脇
|物乞いはせんと並ぶや秋行列
|順列に潔し顔冬隣
|炊き出しを拝むばかりやお正月


 お正月‥そこまでやってるかは知りません。ググってみると、公園利用不許可!?(複雑ですなぁ)
 どうしてわざわざ正月三が日の多くが、晴れであるという事実に気がつかないのでしょう??
 それは決して吾が世を謳歌させんが為ではありません。

 (三が日が晴れないと神社経営は火の車になりかねないわけですから、天は公平と言うことですよ)
 (それでなくとも、一年の中でも晴れる確率が一番に高いと思いますけどね)
 (そこを偶然にしか思えないのでは、世も末ですよ)


|人は汗のみに生くるに非ず




|秋天のように生きたし我余生     牧ノ原市・相良田沼塾俳句部

|秋天や「余生とは如何に?」待つ死など


 「秋天のように生きたし」‥それはすでにあゆまれているのでしょうか?
 それとも、あくまで秋空の来るのを待つが如く「待ち」の姿勢なんでしょうか?

 そもそも「余生」という概念自体が分かりません!!!

 秋天のように生きるとは、まさにそのようにあるかと存じます。

 「秋空を待ってるだけの秋桜なんてないん!!!」
 「秋桜はしかと秋桜として咲いてるだけや!!!」



1-9)5

|世をみつめ無言で生きた巨木槇    牧ノ原市・相良田沼塾俳句部

|無言とは、己に信念を生やし雑念を捨て置いた姿勢



 ‥う〜ん、没。
 本当に見つめて来た者が、その言葉を、その念いをどうして墓場まで持って行けるだろうか?
 無言で生き去っては、ダメだと思います。
 何かしら吐き出してなんぼだと思います。
 そんな方向性を選択しちまってるから苦しくなるんだと思います。

 よく詠めたように思えても、まぁ、偏屈の意地っ張りのツッパリですよね。

 仮にそれが大木からの印象だとしても、木が語りかけていなかったかというとそうは思いません。
 ‥それを無言と言い放っては、「何も見てこず」と告白したようなボケにあるだけです。


|世を知れば有言、己を知らば無言





|老農の無造作に拭く首の汗      掛川市・句会あさかぜ


 ‥和歌の隠れた真打ちといえば、稲作です。
 縄文人だけで、稲作が根付いたかどうかは怪しいところです。
 かといって、縄文人抜きに大和心が整ったかというとそこもまた怪しいところです。
 (‥大陸側の文化と比べても明らかです。)

 まぁそこに西洋からの科学がやって来て、只今混乱中にございます。といった所でしょう。
 ‥日本でさえ制御と理解がタイヘンだったんです。中国には無理と言うことです。

 (そこが縄文の血の為せる謎めいた所かと思います。)

 和歌を基準に据えて考えれば、すべて手作業だったのを楽にできているのが現代の農業です。
 改めて百姓路線に乗っかれば、なにをそんなに糞忙しく暮らす必要があるのかと
 ‥まぁそう思うわけですよ。ほどほどに身体を動かすのが長寿の秘訣なら尚更だと思います。


> どうして、デスクワーク最高なんて思考のままなんでしょうかね??


 その前提にあるのは、そもそもにして競争です。戦争です。経済戦争、競争経済です。
 そして、戦争経済に荷担してしまっているという矛盾を自覚すべきです。
 ‥私たちのしている今の暮らしは、自然界からしてみれば、戦争を仕向けられているも同然ですから。

 (そこをスパッと要らないとこだけ断捨離しちまえば良いんですけどね、どうにも逆です)



1-9)6

|この先を元気に生きる万歩計     静岡市・むなぎ川柳会
|この先を元気に生きたく万歩計    手直し



 「生きる万歩計」??
 ‥生きているのは己です、歩くのも己です、その励みに万歩計を求めたのも己です。
 ‥はい、字余り気にせずに「生きたく」と整えて下さい。

 (字余りを問いて、長生きと説く‥はみ出たって良いじゃないですか。まぁそんな感じです)




|あの事はもう時効です女房殿     静岡市・むなぎ川柳会
|あの事は時効に願います女房殿    手直し



 ‥なんと勝手な言い草でしょうか!?
 時効になるかどうかは、自身が決められることではありません。向こう様次第です。
 そうならば、お願いするのが筋というものです。

 「時効です」とは「何様ですか!?」‥そういうのを上から目線というのです。

 ‥上座に立てたそぶりで、上から目線
 ‥なるほどそういうのをタメ口と言うのですね。
 ‥否否、上に置かれてあるのが当然と思っていても、そうに聞こえてしまうと言う事になります。

 面白いですね、謝罪というのは被害者が上になるのです。
 どうしてそれが通るのかと言えば、そこにも公平の概念があるからです。


> ‥だったら始めから公平を重んじれば好いのに


 優勢・有利・優位という名のぬるま湯に浸かっていたいんでしょうね。
 まぁ凡人の欲望ですよ。そろそろ気がついても好いかと思います。

 良いですか、公平ゆえに事案・事件が訪れます。(訪れるものなんですよ)

 始めから公平を重んじた間柄なら、お互い様だとして笑い飛ばせるのです。
 そうで無いから、あん畜生になるんです。
 ‥徹底抗戦も辞さない空気が覗くのも、そこには、他人視があるからです。


> 基本的人権とは、他人視禁止でもあるはずですが、
> 誰しもは自由権などという空々しい響きにそそのかされてコロッと見失っています。
> 他人視禁止こそが基本的人権の本懐なのだという事実に、いい加減に目覚めましょう。



1-9)7

|何よりも嬉しい言葉元気でね     静岡市・むなぎ川柳会

|何よりも嬉しい言葉「気をつけて」  ツッコミ1
|何よりも嬉しい言葉「達者でのう」  ツッコミ2
|何よりも嬉しい言葉「息災で」    ツッコミ3


 ‥おっと、思わず並べてみました。
 カリカリしてると、「うぜえ」としか思わない言葉群です。
 自分は大丈夫‥なんて頭だと、ついつい素直には聞き入れない言葉です。
 良いとこ「元気?」と「そう」ぐらいで済ましていそうなのが今時代の空気です。


> でもまぁ、ここでは、爺婆に孫がそう言って見せたのでしょう。


 そりゃ、貰うもん貰えればご機嫌にもなるところですが、この辺たいへんに差が見られます。
 根っからの性格なのか、躾なのか、全然分かりません。
 ‥少なくとも、「うぜえ」と思ってしまうタイプなら、イエローカード一枚は端から確実に所有です。
 ‥人生が戦場にしか見えないなら、イエローカード二枚は確実です。


> でもまぁ、やすやすと与えてばかりいては、DQNにもなりやすくなるんだと思います。


 貰えない状況という次第を‥想定出来ない人間としてそれなりに出来上がっちまうのは確実です。
 ‥でもまぁそこにも個人差が広がっているので、常識として認知されてるんだと思います。
 ‥その常識を躾けるにせよ、想定内の暮らしぶりが求められてあるという事です。
 ‥健全都市宣言なんて掲げておきながら、そこが分かっていないのが今時の行政の向きにもあります。


> ここはどう考えたって、役人を担う側が、DQNに育っていたという落ちなのです。そう思います。
> 気がつくべきは、日本ではこの程度‥なら世界では如何に甚だしいかという実際です。
> ‥なのに、劣等感から、口達者なだけの西洋から学んでいるという風潮は糞としか思えません。
> 買い与えて来た物が、欧米化臭いものばかりだからそうなっちまってるんだと思います。




|ワンピースひまわりみたい風を待つ  静岡市・むなぎ川柳会


 ‥これぞまさにDQNもとい天然のノリですが、有りでしょう。
 個人的には趣味の範囲で想定内です。難を言えば‥「待ち」ですかい??


|夏鏡、ひまわり柄のワンピース
|夏おとめ、ひまわり柄のワンピース
|君が夏♥ひまわり柄のワンピース


 ‥ハイハイ、こういう流れを妄想しているわけですね。

 (まずはテメエで服を縫え!)
 (既製の服を着せてみせても、褒めてみせても、次もほぼ同じ繰り返しだからな‥すぐ飽きる)
 (その点、自分で縫ったとも成れば、「俺にもよろしく」と続くこともあるわけでして‥)
 (無言のままに'I need you.'を引き出していたのが昔の風景です)


> 似合っているのを褒めてもらいたいだけだなんて、ただの猿やん。


 ‥良いとこ、そんな褒め言葉を素直に吐けるのはデート初日だけやろう。
 ‥三回も言わしめたなら、相当だよね。(服・格好で好感度が変わるのは確実だからな)
 ‥その代わり、余りにも目立ちすぎると虫も寄ってくるからな、男としては考え所でもあるわけです。

 という裏事情も絡み、
 男としては、本能的に、既製の服見てにんまり&待ち風情の女は、恋DQNにしか見えとらんのです。
 「女だって、似たように男を品定めするんだろうが!」
 ただし男子の場合、見た目はあくまで建前でしかなく、
 それで心底自分の値打ちが決するとまでは考えていないのです。
 少なくともそれで競おうなんて考えている男は、単に服好き・派手好きなだけの少数派です。
 ‥その点、女子は、服は服として競うとした風潮にある。その割合はわりと高い。

 なら、女性が上に立てば、その辺もっと開放的になるのかというと、そんなことは無い。

 女は女で、その点においてライバル意識が男以上なわけでして、
 ライバルを叩かんとする空気は、男に劣らずにそれ以上かなと。
 ‥だからだろう、どうでも良いところに不公平感を叩き付けて前に進まないんだよ。

 ゆえに、幸福の追究の自由とは、
 私以上に幸福を作らせない・蔓延らせないための追究の自由でもある可能性が非常に高い。
 ‥まぁ言わずとも、上の上ぐらいまでそんな空気だからな。上の上の上はどうかは知らんけど。



1-9)8

|思いやりいつしか忘れ自己嫌悪    静岡市・むなぎ川柳会


 ‥ほうほう、思いやりよりも自己嫌悪ですか?
 なるほどなるほど、なるほどね。そこは考えたことが無い。

 そんなのは、思いやりの方向性に無理があるんだろうな。

 できる範囲でやるのが「思いやり」、それ以上になったら「使命」です。
 そこを「愛情」とか、思い違いしてれば、そりゃ自己嫌悪になるんじゃないのかな。
 ‥女子によく見られがちなパターンだな。(愛情と適性と不足と躾は別々のテーマ)


> まぁこれを詠んだのは「♂」なので、使命感のつまずきという事かな


 簡単に言えば、するべき使命感を筋違いしてるだけだろうな。

 何もできない自分をふがいなく思うわけにしろ、ゼロからやり直すのももどかしいのです。
 あと虎の巻さえあれば良いと思っているとそこにハマります。(すぐに外に頼るタイプです)
 その前提には、言われた仕事だけしてれば良いという目利きの弱さが上げられます。
 ‥男子によく見られるパターンかと思われます。(不勉強とも言います、否、無関心かな)

 自分をできる女子と思い込んだが最後、双方のパターンを抱え込んで「OUT!」
 ‥そりゃドロドロだ。(想像しただけでも傍には近寄りたくねぇ空気だぜ)




|親よりもインターネット頼る子等   静岡市・むなぎ川柳会
|遺伝子を無視して親は子に期待    静岡市・むなぎ川柳会



 親が子に期待してしまうのは、教え方が分からないという裏返しだと思います。
 むしろ教えられるモノではないとした自覚からかも知れませんね。
 実際その辺は、放置プレイですから、関与せずが自立の道とした解釈もあるのかと‥

 ‥ところが、関与しないでいるからDQNの傾向にあるのも流れかと‥

 関与しないから想定外が登場し、自分たちで想定外にはなりたくないと思えば
 なんとか外からの情報を得ようとしているのでしょう。
 ‥それはそれで、昭和の時代よりずっと積極的に情報を得ようとしているようには見えます。

 ただ、ネットの情報は画一的に流れやすいのが根っこにあるだけでなく
 気がついてみたら、古い情報のままに過ごしていたというぐらい回転が速いのも特徴です。

 ‥一方で、思わぬ出会いに近い発見もあるのでしょう。
 それはもう、新聞や市販の雑誌からでは得られない新鮮さを伴うところもあるはずです。
 その感覚は、もはや昭和世代には理解出来ない段階にあるかと思われます。


> その大きな違いは


 流派や派閥とした意見の割れを早い段階で目に留めやすい空気がある‥という点も見逃せません。
 それの流れかは知りませんが、スクールカーストなんて言葉はそこを物語るかのようです。
 (見方を変えれば、武家の一族会議、村社会さながらなのでしょう)

 それで、どう構えているのかと言えば

 まぁそこは、自らが放置プレイに晒されてあるのと同じ特徴かと思います。
 蛙の子は蛙であることをまざまざと思い知らされる時空間です。

 ‥考えられない‥分からない事には、「待ち」という奴ですな。

 考えが進むと素晴らしいことは理解出来ていても、賛同を得られないと自信を維持出来ないのです。

 放置プレイで育つせいか、無駄に裏付けに乏しい自信だけはあるにもかかわらず。
 裏付けを求められると、途端にまわりが気になるのです。
 ‥大抵の多くが、自分は理想家肌では無いと実感せざるを得ない瞬間です。


 理想家肌に無き者が、競争に勝つにはどうしたら良いかなど語るまでもありません。
 ‥先手必勝なんですな。攻めこそ最大の防御が相場でしょう。(恋にしてもそうだし)
 ‥そしてなによりも、リスクは避けて通りたい。(まぁそういう事のようです)


|理想を描けばがっぷり四つ、粘り腰だよ人生は




1-9)9

|欲のない汗はまっすぐ落ちつづけ   静岡市・むなぎ川柳会

|落ち続く汗と涙に待つ真我


 ‥欲が無いのではなく、ただただ無心にあるだけだと思います。

 覚醒を得るのに必要なのは、ただただ続ける事だと思います。

 釈迦に笑顔があったのかと問うなら、「否」と言わざるを得ないでしょう。
 釈迦に汗があったのかと問うなら、「否」と言わざるを得ないでしょう。
 釈迦に涙があったのかと問うなら、「?」と言わざるを得ないでしょう。

 ‥悲しみと涙は若干違うと言うことになるかと思います。

 覚醒を得るのに必要なのは、ただただ求め続けて、自分で答えを拾うことだと思います。
 まぁ仮に拾ったと思っても、それは切っ掛けにすぎず、
 ‥次から次へとまだまだであることに思い知らされるのです。


> 人に尋ねている内は、まだまだにあるのは明らかです。


 人に聞くのも当然と思っているうちはまだまだにせよ、人に語っている内もまだまだなのでしょう。
 さて、そんな息苦しさに「否!」と宣言できるかどうかもまた一つの有り様です。
 釈迦が如何なる覚醒をしたにせよ、私たちにできることは少なくても
 自身の生き様をまず決めるとした次第にぐらいにしか突破口は無きに思われます。

 ‥私たち人類は、クドいほどに笑顔が好きなどと抜かしておるわけですからね。
 ‥釈迦はそんな人類に向かって、笑顔なんてなくても全然OK宣言をして去ったも同然なんですよ。
 ‥見てご覧なさいよ、あの仏頂面を。女子にもてそうにない無表情のままに扱われんばかりです。




|感覚のズレは打算じゃ埋まらない   静岡市・むなぎ川柳会




|兵隊が整列してる冷蔵庫       静岡市・むなぎ川柳会
|兵隊や整列してる○○○


 ‥どうして冷蔵庫に兵隊萌えしてしまったのかは知り得ませんが
 今や人型ロボットが動き出している時代です。そこを考えるともう少し捻りが欲しいのですが
 ○○○で塞いでみても明らかですが、パターンは軍事色濃厚です。

 気になる点としては、このパターンの詠み手が軍人並びにその親族では無いという点です。

 ‥従軍カメラマン、軍医、看護士、基地の外に居る民間人、戦争映画の鑑賞中
 どうにも、リアルに戦場しか見えてきません。

 「あ☆!」‥そういうことか‥


|冷蔵庫、まずは数日分の必要の殺意かな
|生かさず傷めずごっそりと、どいつもこいつも冷蔵庫
|メタボ三段腹の冷蔵庫、汚物とばかり期限を流し
|喰らわずに眠る命や、果てなき人類分の冷蔵庫


 ‥なんでも「冷蔵庫」で季語だそうです。
 気がついたテーマでは、季語らしさは醸し出せませんな。(まぁしょうがないか)
 ということで「兵隊」‥どうにも鮮烈な血飛沫が見えてしまいましたね。(目の付け所が痛すぎる)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:22 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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