2016年12月10日

【勝手句帳】052 28-12-2 其の1静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2016/12/10

行く秋の火点し頃の鐘一つ        掛川市・いちご俳句会

|山里の釣瓶落としに鐘一つ 又一つと黄昏のはざま


 ‥地域差でしょうかね?、昔を思い出してなんでしょうかね?
 「火点し頃」と言うのが‥今ひとつ馴染みが無いのでよく分かりません。

 「鐘一つ」鳴るという光景にしても、都会ではもはや薄れてしまっています。
 ‥そこを思うに、山里の光景だろうと踏み、斯様なまとまりになりました。


> 「釣瓶落とし」が上手に使えましたぜ(うほぉ♪、ごっちゃんです)




|静寂を受けとめている青い海       伊豆市・川柳ともしび吟社

|静寂を受けとめけるや月の海 照れる波間に伸びたる光


 ‥詩情としては、「何かな?」と思わせるのですが
 「青い海」より「月の海」としたほうが、より受けとめている感じが出るかなと思い
 月の道な感じに引っぱってみました。


> ‥なんと静寂に包まれた月夜なのだろうか‥
> 海も又その満月の静寂さを受け入れているかのようだ
> その静かな波間に照り出されて伸びる月の道がまたなんとも言い難い



1-6)1

|秋惜しむ狭庭色づくきのうけふ      静岡市・潮音木曜句会 

|秋夕の庭ぞ色濃ききのうけふ 惜しむを待たず星の訪れ


 *狭庭(さにわ)‥意味は当て字の如くらしい。(酷い当て字を考えたモノだ最悪だ!)

 ‥「さにわ」と言ったら、神降ろしを意図する言葉です。
 そこでピンと来ました。中国には「さにわ」たる降霊のよすがが無かった。
 無かったからこそ漢字一文字に表されていないのだと‥

 (徐福集団がやって来て、多少の和製漢字がそれとなく作られはしたものの)
 (さすがに自分たちの文化もとい信仰に反する風習を漢字にすることは無かった)
 (と言うことは、「さにわ」は日本古来よりの習わしなのでーす)
 (と言うことは、「さにわ」を理解する民族としない民族がはじめから位置づけられていたと)


> ‥まぁそう言えるんでしょうな。


 ‥それにしても、「秋惜しむ庭の色づくきのうけふ」でとりあえず整ってると思うんですけどね
 どうしてまた狭さにこだわったんでしょうかね、まったくわかりません。

 そんな所に神経を注ぐぐらいなら、もっと周りの変化に気を配れってね。そう思います。

 そもそも「きのうけふ」で秋が終わるわけではありません。
 日々の経過や思い返しを意味させようにもパンチが弱いのは、それが具体的に無いからです。
 そこにまた選んだ季語が「秋惜しむ」です。ますます以て、庭の印象が不明慮です。

 (あんたの所の庭なんて誰も知りませんよ)
 (誤解の無いように「だから狭いんですよね」‥って、それは詩情ではありません。ギャグの趣です)


> 「色づくきのうけふ」は詩情としてはなかなかなので、そこを活かすようにやりくりすべきです。
> ‥では「きのうけふ」を活かせる光景とはなんだろうか?


 そこで再び、「秋夕(あきゆ)濃き」の光景を思いつきましたが、そのままに使わずに
 秋夕(しゅうせき)として分けて用いました。さらにせっかくなので、「惜しむ」を盛りました。

 ‥昭和のウルトラマンが放映されていた頃は、そんな秋夕だったのが思い出されます。

 唄にもあるからね、「君にも見えるウルトラの星〜♪」
 まぁ星は星でも一番星でしたけどね。(たぶんあれは金星だったと思うがよく知らねぇ)
 ‥その代わり、夕日の印象はそんなに残ってないんだよね。ぼくの中の不思議っす。




|青いまま私の海を受け入れる       伊豆市・川柳ともしび吟社

|青いまま私の海を受け入れる ベターで始まる恋の細波


 ‥余韻としては面白いんですけどね、どうにも中途半端です
 ということで、恋の詠みに引っぱってみました。

 「ベターで」と横文字言葉を盛ってみましたが、
 ここで「よしなに」とか「好かれと」などを置いてみても、ピンと来ません。

 ‥それもそのはず、「私の」が邪魔してしまうからです。
 どうしたって、古風の意に添う趣に無いのは明らかです。




|野の花を活けて仏間に秋誘ふ       静岡市・あけぼの句会

|野の花を活けて仏間に秋誘ふ 本音はコスモスでも揺れてこそ


 ‥「生け花 コスモス」で画像検索してみたところ
 やっちゃってますな、ドツボにハマってる趣です。まさにそのまんまおつむ天然お花畑でーす。

 それにしても、ではどんな野の花を活けたのだろうかと思うところですが
 ‥まぁ、色々あるんでしょう。地域にも依ると思います。
 ‥その辺、すっとぼけていて正解ということなんでしょうな。(地域差もとい好みゆえに)



1-6)2

|里芋掘りに園児の声も田に響く      島田市・川根榾火俳句会

|芋掘りや園児ら起こす蔓の先 祭り興さむごとはしゃぎけり


 ‥「田に響く」がどうにも「他に響く」に読めていまい
 「ガキがうるせーぞ」と聞き及ぶ今時の空気を盛り込んでいるように思えるのがじつに煩わしいかと。

 でもまぁ、そのぐらい賑やかだったというのは分かります。
 と言うところで、+七七に引っぱってみました。




|ふる里に来ると濃くなる影法師      伊豆市・川柳ともしび吟社

|ふる里に来ると濃くなる影法師 人数まばらどこに行くにも
|ふる里に来ると濃くなる影法師 世間ぞ狭まるその加減の差


 ‥「影法師」それは誰の影法師なのかが曖昧です。
 見える人影なのか、それとも自分の心境なのか‥

 ということで、+七七を2つにしてみました。
 どちらにしても、その印象を人によっては、薄いと見る向きもあると思います。
 そういう意味では、人それぞれに付き合いの幅や考えというモノに差があって当然です。


> 俳句の着眼としては、どうしたって、無理が大きいのです。



1-6)3

|村まつり黄金の田ゆく笛太鼓       浜松市・浜松天竜川柳会

|村まつり刈田の夕日笛太鼓 感謝を捧ぐ明日ある暮らし


 ‥秋祭りってのは、稲刈りの後が当たり前かと
 夏祭りならまだまだ青田です。(どこを見て詠んだのかがとにかく不明です)

 で、直してみたところ

 「村まつり」×「笛太鼓」の盛り合わせは、好かったかと。
 現代社会の村社会偏見の勘違いから、「村祭り」などと口にしなくなっとりますが
 季語で言えば、夏とか秋を盛るところですが、風情としては盲点だったと知りました。

 ‥とはいえ、+七七に引っぱるには、やはりというか‥閉塞感を思わざるを得ません。

 ‥要するにそこに感じざるを得ない趣とは‥
 「弊社」「我が社」と頭に盛ってきて‥短歌を詠みはじめるようなものなんでしょうな。
 「わが家」ぐらいならさほど気にならないのに、

 詠みの対象が、一気に集団化し始めると陳腐に見えてしまうのは不思議です。

 個々の心情に、同感や共感を探すのが和歌の文化でも、団体のそれはお呼びで無いと。
 (どちらかというと批判ですからな、それもストレートに時の政に対してです)
 (それの意味で表すなら、「共感主義群」と‥日本文化をそう呼称できるかと)


> 「共感主義群」‥それははじめから、「個の尊重」×「世のため」主義だったのでーす




|村まつり秋穂の中ゆく屋台かな      島田市・川根榾火俳句会

|稲刈ればくぐるごとに並ぶ屋台かな 早く食いたやあれもこれも


 ‥まぁ要するに
 境内の両脇にならぶ祭り屋台を、稲刈り時の稲穂のくぐり抜けに掛けた着眼です。
 無理があるというのか、なんというのか‥挑戦しすぎです。



1-6)4

|茅葺きの燻蒸にほふ時雨かな       静岡市・潮音木曜句会

|燻蒸す時雨に放つ囲炉裏前 茅葺き守る虫よけの知恵


 ‥茅葺きの燻蒸に、いつやらなければとした季節感は無いと思います
 ここでは、やろうと思っていた矢先に時雨とぶつかり、暇のついでにやっちまております‥
 という詠みになると思います。

 それにしても、バルサンさながらです。もくもくとしてものすごい‥
 今時の女子からすると、晴天の霹靂そのものです。
 古民家暮らしの本質を垣間見た思いです。







|秋葉道千古の歴史たどり見て       島田市・川根榾火俳句会

|信州へ千古の塩や秋葉道 見やるねぎらい眺めたる尾根


 *千古(せんこ)‥遠い昔。おおむかし。太古。

 ‥「秋葉道」、正式には「秋葉街道」のようです。
 とはいえ、秋葉街道などと書いてもますます分からないんじゃないのかなと。
 尤も、電気街の方はもっぱら「アキバ」とカタカナが普通ですけどね。

 遠州から信州に続いた塩の道というのが、その昔にありまして、
 信長の野望天道で言えば、掛川城から高遠城に向かう最短の抜け道コース伝いになりまーす。


 ‥「千古の歴史たどり見て」どうにも発想が固まっちまっとりますな。

 手直ししようにも、行ったことも無いので、かなり知識偏重と想定で引っぱとりまーす。
 山好きの商人なら、春夏秋冬問わずに出向いたんじゃ無いでしょうかね?
 ‥それこそ、山国では、塩は金と同じ扱いだったわけですから。


> それにしても解せないのは、昔の人の健脚の度合いですよね




|鄙の地に月を友とし露天風呂       掛川市・いちご俳句会

|数々の柿を訪ねて露天風呂 流るる雲のたゆたう旅路


 *鄙(ひな)‥田舎。(ただし当時の役人らが僻地として馬鹿にした言い方らしい)

 ‥「月を友とし露天風呂」この辺は、洒落込んだなかなかの詠み筋ですが
 夜限定というのが、どうにも詠みにくくしてしまっている敗因です。
 (季語を頭に添えて、整ったふりもできません)

 そこで昼間の詠みにすべく発想を変えて、引っぱりました。
 ‥柿目当てなんて商人ぐらいです。健脚の楽しみと言えば、温泉です。
 ‥不思議なモノで、戦国の覇者が温泉をもてはやしたからこそ江戸時代に温泉文化が花開いたのです。


> +七七に引っぱった「たゆたう」は、良い湯だなハハハン♪の湯気を指してます。
> 露天風呂に浸かりながら、雲の流れる秋空を見上げて、そこに湯気もまた立ちこめている‥と
> それを楽しみしながら、秋には柿の行商なんぞをしておりますという下りです。


 ‥まぁそんな風に、タイムトラベルにも歌を詠み味わう向きが定着しているとは思いませんけどね。
 上の句だけなら、只の柿好きです。



1-6)5

|短日の工事現場に火の点る        掛川市・いちご俳句会

|火ぞはつる鋼を鍛う澄みし秋 弟子持ち学べわが身の不足


 ‥「短日の工事現場」掴みは悪くないのですが、どうにも詠みようがありすぎる嫌いです。
 どうにも発想を飛ばせるとしても、第三者にわかる範囲はとても狭いのです。

 で、「火の点る」‥「灯の点る」だと思いますが、文字化けでしょうか?、分かりません。
 (とりあえず、火気厳禁を気にするなら、火ではありません「灯」です)

 「短日」と綴ってますので、作業時間終了かなと思わなくもありません。
 残業または夜間作業前提なら、何も短日なんて書く意味も無いと思います。


> ということで、何らそこの現場のことなど知り得ないので、発想を鍛冶に飛ばしてみました。




|クレーン車冬青空を押し上ぐる      静岡市・潮音木曜句会

|ラフターや冬玉降ろし梁を組む 雪無きとして押したる工事    (2017/05/16)


 ‥「冬青空」言ってしまえば、「冬空」でええやんです。
 でもまぁ、現場の人の詠みになさそうです。

 (ちなみに「冬玉」とは、玉掛けの玉を冬に吊り上げてるとした季語もどきです)031参照


 最近の工事はとにかく重機前提です。

 重機が行き来するにしても、晴れ前提です。
 冬だからとて雪が降るなんてくそにも考慮されてません。(太平洋側なら尚更の歩調です)
 ‥ということは、それだけでも、人口が太平洋側に偏るのは目に見えてます。

 土木産業が潤うにしても、四季がある前提なら、人口格差は避けられないというのが流れになります。
 ‥雪かきがあるから仕事はあるだろうと思うのは軽率で、雪かきは成長産業には成り得ません。
 ‥暮らしを維持するのに、成長産業は必要条件では無いのでーす。
 ‥成長産業とは、豊かさを味わうためだけの十分条件にしか成り得てません。



1-6)6

|ひと駅を歩いて小さな秋見つけ      浜松市・浜松天竜川柳会

|ひと駅を歩いて小さな秋見つけ 飛び込み見やる懐かしのアレ


 ‥ネタだけですと、なんとも陳腐な着眼です。
 「その小さい秋ってなんだよ?」いつも思うのですが、そこは外せないと思います。

 ということで、シミュレーションしてみました。
 たまに珍しく途中下車して、歩くわけです。

 ‥まぁ今時の街並みの景観からすれば、
 秋と言えるような秋も手短に無いと思いますから(しかも小さい)、斯様な感じになりました。




|冬空や植木鋏の小気味よく        掛川市・いちご俳句会

|冬空や植木鋏の小気味よく 日向ぼっこに盆栽弄る


 ‥どうしたって盆栽です。平凡にも盆栽しか思い浮かびません。(冬ですから)
 ガラス張りの温室とか、そんなのはある意味‥反則です。

 それを断るかように、「冬空」と上五に置かれております。


> まぁそういう事なんで、小気味よく引っぱってみました。




|独り居の影もひとつや冬に入る      掛川市・いちご俳句会

|独り居の影もひとつや冬に入る すすれる白湯になりて味わう


 「冬に入る」は、立冬を意味する季語ですが
 ここでの用い方は、「すっかり冬のような」気持ちの方の向きになります。
 とくに、立冬に縛られるというほどにありません。


> では、なにがすっかり冬のような趣なのでしょうか?


 「影もひとつや」とあることから、
 別居か先立たれか、単に若者の一人暮らしかのどれかに思われます。
 そこで「独り居」の度合いとして、どうかになってきます。

 学生の失恋または遊びに来ていた誰かが帰った後なんてのが、読み筋かと。

 でもまぁそういう限定は面白くないので、只しんみりとしている趣で引っぱってみました。
 それが「すすれる白湯になりて」という次第です。


> 部屋には今私だけが居る
> その私の影が、冷たき風吹く時節の日に照らされて如何にも独り身に寂しげだ
> この冬ざれのような空白の気持ちに何を足して(白湯を)味わうべきだろうか‥
> いいや、今はこのままでも構うまい‥



> うた詠みおわります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:00 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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