2016年12月10日

【勝手句帳】053 28-12-2 其の2静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2016/12/10

|前を向け影で支える人がいる       伊豆市・川柳ともしび吟社

|前を向け影で支える人いる そこの格差に気がついて給れ


> ‥格差は格差でも、支えてくれる人の数の格差とは、一体全体なんでしょうな??


 そこに格差を感じると、応援する気にもならないのは、性格かも知れませんが、
 誰からも応援して貰えないのに、応援する気にはどうしたってなかなかならんでしょう。

 まぁだからといって、自暴自棄になるかどうかは、これも又性格ではあります。

 そのままほったらかにしておけば良いという意見が多数を占めていると
 格差問題が解決することなんてのは、まず有り得ません。
 そこにあるのは努力ではありません。明らかに支える気概があるかどうかです。
 ‥その気概をどうしたらお互いに引き出せるのかは、どうしたって気概しかないんですな。


> 世間一般には、そこを真っ直ぐ、誠実、責任、愛などと言っとりますが、


 それの多くは、自分を支えるのにやっとです。
 ‥自分に得になるようにしか考えられない気概など、否、
 斯様な社会状況にあるそれらを気概とは言わんのです。(簡単に流されますから)




|風の音雨の音にも秋深む         島田市・川根榾火俳句会

|秋の声風に雲に私に つつしんで清貧「いざ大坂」


 *私(わたくし)

 ‥ネタの詠み、なんか整っているように見えて、「あれ?」って詠みなんですな
 良く考えて下さい、凝縮した表現に「秋の声」があります。まさにそのひと言で済んでしまいます。

 でもまぁ、「風の音雨の音」という掴みが悪いというわけでもなく
 そこをなんとか活かそうと、+七七への引っ張りを考えている内に、
 ‥狙って詠もうとしてる訳では無いんですけど、またまた真田ネタになっとります。
 
 なんでも、この「いざ大坂」の時に始めて「幸村」を名乗るんです。


> ‥それにしても


 鐘銘事件 慶長 19年7月26日(家康がイチャモンを仕掛けた)
 大坂冬の陣 慶長19年10月2日(真田丸が出来上がっちまってる)
 この間なんと数ヶ月です。

 真田幸村が、真田丸を提案して、改めて作業に掛かるまでを考えると
 わずか一ヶ月足らずで仕上げないと、勘定が合わないほどの突貫工事です。
 ‥その上、抜け穴まで用立てていた勢いに思われます。

 ‥今の技術で考えても、足場づくりの組立(突貫)〜解体だけでも半月‥

 まさに一夜城の勢いで作らないと間に合いません。(目ん玉飛び出るぐらいの勢いです)
 真田丸を妄想にも‥CGできれいに描いてなんぞいるようですが
 とてもとても、斯様に華やかだったようには思えません。


> 昔の日本人はわりと小柄だったとの論もあります。(特定の武将は大型のようですが)
> 超能力のような術がマジで使えていたようにも思えてなりません。
> 上田城にも抜け穴があったとの話もありますし、ほんと謎です。



1-7)1

|開演の呼吸合わせる五秒前        伊豆市・川柳ともしび吟社

|開演の呼吸合わせる五秒前 われも吾もといざ勝負


 ‥MajiでKoiする5秒前なんて歌謡曲のタイトルがありましたが、それな詠みですね。

 ここで注意するべきは

 ‥呼吸を合わせるのが、個人であるか集団であるかです。
 「合わせる」と言うからには、集団として扱った方が含みが多くなります。
 一人だったなら、「深呼吸する」とでも綴れば良いだけの話です。




ピンボケの過去のレッテル張り替える   伊豆市・川柳ともしび吟社

雪辱やレッテルなんぞ裏返す これぞ私と表彰されり


 ‥「ピンボケ」??
 「雪辱」との言葉が昔からありますので、使いましょう。
 「雪辱」を「ピンボケ」と盛ってくる感性に目ん玉飛び出ちまいますが、まぁピンボケです。

 ‥じゃないと「表彰」の響きの方がピンボケてしまいます。

 それにしても、この手の人生観は達成さえすれば、ひときわに思えもしますが
 状況を常にどん底に置かないとエンジンが掛からない感は否めません。
 自分が根からそのようなタイプなのか、反骨につられるタイプなのか
 そこの判断を誤ると、気持ちのいざこざが始終絶えないだけに陥りかねません。


> 尤も、ノーチョイスの人生模様なら、そこに食らいつくしかありません
> ‥ですが、少しでも選択肢が他に見えたなら、それは単に性格の課題でしか無いように思われます。


 ‥そのような人生パターンを選んでしまう傾向として、基本的に通じていることは‥

 達成すると満足するという訳でも無いが、生活の必要に細かくないので、
 のんびりとしがちで、それ以上に競争なんてそれこそ眼中にありません。
 それが故に、新しきを求められるような状況に陥ると途端に元の木阿弥で
 一からやり直しに突き落とされています。

 まぁプライドだけはしっかりと隠れているので、そいつがまた起き上がってくることになるわけです。
 でも普段からそこの闘争本能をたたき起こしているタイプにありません。

 プライドでしか物事を見ていないというのか‥とかく見方の柔軟さに欠くのがこの手のタイプです。
 自分が細かきを必要と思う所に乏しいタイプとも言えます。
 大ざっぱにも、今が満足なら、刺激に乏しくても生きていけるという強みはあると思いますが
 でも競争というレールに、いざ乗せられると、無駄に負けず嫌いをもたげ出すのです。
 (そうするしかできない解釈の不自由性を抱えたままにあるのです)


 ‥管理する方からして見れば、扱いやすい口と思われている事でしょう。
 (この手のタイプを一次に就かせては、弱みと旨味が薄れるので、引きはがしておきたいわけです)




|正念場咳もくしゃみも我慢する      伊豆市・川柳ともしび吟社

|正念場咳もくしゃみも我慢する 最後の仕上げ穢すことなく


 ‥どうして咳やくしゃみを我慢しなければならないのかの状況を鑑みるに
 細かい手作業上での最後の仕上げなどが思い浮かびます。
 (面倒くさい性格の御仁との取引・付き合いなんてのもそうかも知れません)



1-7)2

冬立つやいつもの位置に電車待ち     静岡市・潮音木曜句会

|冬立つやいつもの位置に電車待ち 変わらぬ景気の足音に乗る


 ‥何気ない詩情にしかないのに、やたらと共感が湧いてきます
 何気ない暮らしをたんたんとこなしてゆく、それこそが詩情なんでしょうな。

 実際ですね、農家だったなら、耕作地の大きさ以上に収穫なんて得ようが無いんです。
 景気なんて横ばいが当然ですよ。
 値段が付いてるから、何を植えようとか考えることはできても、皆が同じことしか考えなかったら
 相場が下落するんです。横ばいどころか、瀕死するんです。

 その時、一番に重宝されていたのが穀物でした。(米とか麦とか豆とか)

 ところが

 しだいに二次・三次と儲けることしか頭に無くなって、
 のんびり暮らせれば良いとする流れが封じられました。(米価格の下落です)
 結果的に、子を売り、田畑を売り、どうにも行き詰まるのです。


> それもこれも、長者になりてぇなんて思い込んだからですよね。


 ‥自分だけ長者になれれば良いだなんて、それこそ村の田畑は全部俺のモノの発想です。
 ‥どうしてそうならないと気が済まないのでしょうか?
 ‥そこに多くが疑問を抱けなくなったら、社会に末路が訪れるのは当然です。


> 土地の有効利用・最適化はそれなりに工夫の余地はありますが、
> 人が好んで必要とする規模にさほどの拡大なんて無いんです。(娯楽が増えれば産まないし)
> ‥右肩上がりそのものが公平さを保てぬ幻想なんですな。(宣伝も過ぎては地元から離れるし)
> (飽きられれば終わりだし、誰しも若い方になびくし、近い世代層で固まってるし)




|冬空を覆ひ尽くせり楠大樹        静岡市・潮音木曜句会

|冬空を覆ひ尽くせり楠大樹 冬に茂れる手本か格差か


 ‥クスノキは常緑高木です。冬の空でも葉を茂らせています。
 その姿はまさにお手本と言えるのでしょうが、
 冬の間に多くの葉が落ちずに、そのままを茂らせていては、日溜まりは小さくなる一方です。

 それはつまり、日向ぼっこしたいのに出来る場所が減るということです。(良く出来ています)

 でも、木としては、そんなの関係なく、青々としていたいはずですよ。
 (‥まさに人間の願望のそれのように)


> 「覆ひ尽くせり」から斯様な印象を抱きました。(盲点です)
> 不景気なご時世への不可解を諭しているかのような、見事な着眼と言えるでしょう。


 ‥な〜んて、本人はそこまで考えずに、冬に生きるお手本として詠んだだけかもね。



1-7)3

|住み慣れし庭の老柿つつましく      島田市・川根榾火俳句会

|住み慣れし庭の老柿つつましく もがずんば振り込めらし鳥来る


 ‥「老柿つつましく」正直、擬人化にも程がある詠みに面食らいました
 でも、是はこれで面白いと思うので、+七七にひっぱてみた所‥「ぷっ」と噴き出しちゃいました。

 「鳥来る」は、取りに来るでもあります。(まさに、ドツボにハマっているかと)


> 高齢者が預金を貯め込んだままに、余裕顔にも、自宅の庭の柿を実らせたままにいると
> 鳥が啄みに来るように、振り込め詐欺が嗅ぎつけて、いつの間にか
> 尤もな顔をして、取りに来るご時世になりました
> (‥ほんとどうにかならないものですかね、安心して老後を暮らせません)




ひょっとこが似合った妻の秋祭り     伊豆市・川柳ともしび吟社

|ひょっとこが似合った妻の秋祭り 生まれ来る子の誰もかわいい


 ‥掴みは面白いのですが、+七七に引っぱろうとするとテーマを絞りきれません。
 思いついたままに盛ってみただけです。

 ‥分かるような‥すっきりしないような‥

 上の句は旦那の視点そのままです。ですが、
 子供が居るかどうかも不明だし、家族計画が進行中なのかも分かりません。
 まぁその辺が下の句として実に中途で、「ひょっとこ」の存在感が濃すぎるがゆえの流れかと。


 (国会に居るひょっとこは、日本人のアゴの開きには似合わないど太い葉巻を囓り続けて)
 (老いて筋肉がたるんどるのに尚吸うわけだから、負担が掛かりすぎてひょっとこに至ったと‥)
 (その辺の変化すら自覚できない御仁のそもそもの優先が、如何にご自分の快楽かという事です)
 (自分の顔がひん曲がってもやめられねぇてんだから、呆れちまいますわ)


ひょっとこに似て非なる国庫予算 誰がどう見たって葉巻優遇


 ‥この先、その顔のひん曲がりがどう朽ちていくのかが、生体影響因果としての一つの注目です。


> 「ひょとこに似て非なる」‥ひょっとこは愉快がモットーなのにそうに無いという意味です。
> おっと‥ネタの句の「ひょっとこ」には、斯様な着眼が込められていたと‥
> 母ちゃんが愉快にハマっていれば、そりゃ、家庭も明るそうですからな



1-7)4

|ころころと玉砂利弾む七五三       静岡市・あけぼの句会

|ころころと玉砂利踏める七五三 格差始めの何ぞ目出度や


 ‥「弾む」では幾分大げさな感じです。「踏める」の方が無邪気な雰囲気に思えます。
 記念に出向くような祝いの習わしですからね。その昔は子供の生存率が課題だったのです。

 という建前はさておき、今のご時世にハデハデ衣装を見ればみる程
 「当てつけかよ」と‥思わざるを得ませんな。

 本人様達にその様な因果などなくとも、そのように見えるという角度があるわけでーす。

 そして誰しもは、そんなことに着目することも無しに
 その習わしがいつまでも続くかの如く思い込んどるわけです。
 ‥続くかどうかなど、それこそ、当てつけに見えなくなるように社会を改善させてこそだと存じます。


> 今や、七五三に出向くなんてね、そこに誓いを立てに行くようなもんですな。
> なぜって、それだけ、有利な位置に生まれることが出来てるんですから
> ‥そこの責任を果たさなけりゃ、それこそ当てつけでーす。




|いたずらな目が可愛くて叱れない     浜松市・浜松天竜川柳会

|いたずらな目が可愛くて叱れない DQNに育ちぬ五秒前


 ‥何ともパターンです。容赦なくツッコんで下さいと言わんばかりです
 と言うことで、ツッコんでみました。

 (‥七五三の句のあとに並べた流れがとても好い感じかなと)


> ちなみにここでの「育ちぬ」の「ぬ」は、打ち消しでも完了でもありません。
> 強意です。(きっと〜・〜してしまう)の意になります。


 まぁぶっちゃけの所を申し上げるなら
 豊かに無いと生きて行けない個性というか、条件というか、
 組み合わせというか、段取りってのがあるわけです。

 その一つが是ですな。


> 運命を司る神々が、何を狙っているなどと、畏れ多くて述べない方が身のためでーす。


 逆を申せば、堪えられそうなら‥初期値の辛い方に飛ばされるんですな。
 それ程に余裕が無いのが真相だからです。(あの世にしてもノーチョイスに近かったようです)
 ‥誰がそうさせてきたかって、それは時世を担う人間の側でーす。

 (そんな感じに‥神々の世界では、地上を、人間を介して何やら競っておるようでーす)
 (まぁそこの所を日常に表現するなら、人類実験の権限の分捕り合いとも表現できそうですけどね)
 (‥分かち合いか?奪い合いか?、どちらかを選べってね)




子の帰省個々に手みやげ米野菜      浜松市・浜松天竜川柳会

|帰省したる子らに手みやげ米野菜 しっかり食って頑張れやと  (サ変訂正2016/12/13)


 ‥だから、それは
 子らが持ち帰ってきた土産なの?、それとも、帰りに持たせた土産なの?
 どうにもその辺の伝わり具合に無頓着な方が多いようです。
 (それだけ世の中には、語弊による言い争いが絶えないということでもあります)


 それにしても
 帰省のついでに、米野菜を持たせるって、今時なら宅配でと思うところです。
 車でやって来たんですかね?、それとも、配送料をケチってるんでしょうかね?
 ‥その辺、ちっとも分かりません。


 さしずめ、細々とやってる兼業農家の年子二人が大学生で、同じく帰省しました。
 ‥二人も行かせては厳しいので、現在配送料をケチってます‥と考えれば、頷ける所もありますが

 これが、新人社会人にも車を乗り回す段階ともなると、

 「勝手にやってろ!」てな気持ちにも誘われます。
 ‥どちらにせよ、時間的経過としてはいずれそうなるのです。



1-7)5

|病床の身に照り添ふや後の月       静岡市・あけぼの句会

|病床の身に照り添ふや後の月 なにげに厭ふそばにゐるだけ


 *後の月(のちのつき)‥十三夜。(十五夜のあとの満月の意)
 ‥「あとのつき」と詠んでいては、語弊が付きまとうので、そこを嫌って「のちのつき」らしい。

 で、是の「のち」の余韻を含めて解釈も可能という事のようです。

 「厭う」には、嫌う意と大事にする意の両方があるのですが、
 先に嫌っていました、後に大事に思うようになりました。(なんて意を込めるのも有りかと)


> こうして病床の身にも、月明かりに照らされていると言うだけなのに
> あれほど、只居るだけで頼りがいのない人だと思っていましたが
> 今思えば、それだけでも十分にありがたいことだったように思えてくるのです
> (ここのところ毎日のように見舞いに来てくれるのですよ)
> ‥月を見ていると、不思議とそう思えるのです。


 ‥やはりというか、俳句だけより+七七に引っぱった方が「深い」ぜ。
 それより深いのは、故人の言語センスだな。

 同じようにしか見えない世の貴族なのに、その辺は月とすっぽんなんすよね。不思議。
 ‥やっぱり欧米化なんて余計な回り道だったとしか思えません。(和歌的に)




朝の空庭に落葉の舞ひ落つる       静岡市・潮音木曜句会

|舞ふ風や朝の落葉を掃きあぐね そのまま吹けとまとまりを待つ


 ‥落ちてしまったから落葉です。落ちゆく狭間はまだ落葉にはありません。
 尤も、それの境に明確な仕切りは無いので、各々のセンスです。

 (‥紅葉とかイチョウとか、その辺地面に落ちてもきれいなところ四苦八苦するわけですが)
 (「落葉」に綴った途端に、季語としては、もっぱら冬の扱いになるのでその点注意が必要です)
 (ちなみに、文学上の解釈は、枝から切れた途端に落葉のようです)


 ネタの掴みでは、「朝の空」から‥と始まっているがゆえに
 どうにも、ぱらぱらと落ちている風情を誘います。
 ‥かと思えば、落葉が風にきりきり舞いにあるかのようです。

 そこをどう解釈するかです。

 落ちてから再び舞い上がるパターンをもありますが、
 ‥でもそれに「落つ」を再びは盛りません。(概ね意味無しに思います‥ダブるし、うるさいし)


> ところで、大抵の落葉は、夕方から夜にかけて散るモノです。
> 朝方に散っているのなんてそれほど多く見かける所に無いと思います。


 (遊園地の営業時間で言えば、花は別として、営業中に散ってる様をほとんど見かけません)
 (せいぜいが松葉が真っ昼間でも飛んでく程度だったように記憶しています)
 (‥真っ昼間から木枯らしが起ころうなら、安全運転を確保できかねます)

 ‥まぁそれでも朝も早い頃なら、風に舞ってる時もあります。
 それにしたって、無理に掃こうとせずとも、勝手にまとまってしまうモノです。
 (おっと、ネタにそこまでの言い含め‥もとい生活感はありませんでしたな)




|再会の言葉少なく秋惜しむ        静岡市・潮音木曜句会

|再会の言葉少なく秋惜しむ 隔たる時を向き合わせたり


 ‥どのような再会にしても、そこには時間の隔たりがあるばかりです。
 それは、その隔たりの時間同士を向き合わせているように思います。
 そこを季語で手繰ると「秋惜しむ」なんでしょうな。

 「同じ釜の飯を食った仲」それが「秋」に込められてあるという意味ですな。
 (豊作ばかりでなく、不作も含まれています。そこを分かち合った仲の意です)


> 今時の生活感で言えば、五年もすればすっかり昔です。(十年も経てば、概ね違う世界です)


 でも、直感的な好き嫌いはさほど変わりません。
 変わってしまう人も居るようですが、斯様な傾向は、よりお得を追いかけていたりすると
 何気にそうなってしまう向きがあるように思えます。

 そういう意味では、自分に素直な選択をし続けるべきかと思います。

 でも、相手は変わってなど居るわけもなく、自分の見方が足りなかっただけとも言えるでしょう。
 飽きたとも、呆れたとも、尽きたとも申し上げられるかと思います。
 お互いにそこを受けとめきれずのお互いがあるというだけに思います。
 ‥大抵のそれらは、「好き」の見方を限定的に捉えがちだからです。


 物事と言う奴は、知れば知る程に、限定的になど見ては居られないのです。
 子供の頃の視界にあった‥
 お花畑のまま観が広がっているわけでは無いということを思い知らされるのみです。

 ‥その辺の錯誤が起こらないように育てるのを躾と思うのですが‥

 親に、そこの立体感なりバランス感覚が伴っていなければ、どうにもお話になりません。
 親が人生観の浅いままなら、子もそんな空気を纏うことになります。
 それは人間関係にも及ぼすことになり、人生の壁が如何に人間関係であるかを思い知らされるのです。

 ‥人生観が変わると、昔の人間関係に対してさほど執着を持ちません。
 (そこが基本でして、あとは人柄です)人生観の変貌が好みを変えてしまうのです。
 かといって以前の自分の好みが死滅するわけでもなく、総じて時代のくぎりとして現れるのみです。


> 時間の経過を振り返る上でも、お互いの心境の変化の確認は欠かせないわけですが
> どうにもそれが競争社会であるがゆえに、いびつな形を持ち込むように思います。


 (どちらの方がお得だったとか、失敗してはそこでお終いとか、だから価値が無いとか)

 恋愛感情で言えば、相手がその後どうなったかを知る由もありません。
 それは、その後の経過を知る事で、やっかみも付きまとうからだと思いますが
 客観的に向き合うなら、それはそれで、自分の好んだ者らがその後どうなるのかという辻褄ほど
 人生の肥やしに成るモノも他に無いと思う次第です。
 ‥そちらの方が、自分の指針の傾向が自分だけを見比べるよりずっとハッキリとするからです。

 翻して申し上げれば

 自分の好むモノの経過に興味を抱くのは、自分の好奇心に責任を持つのと同義です。
 それはそのままに、自分の好奇心を枯らさずに保ち続ける上での秘訣でもあります。
 ‥それを長々と保ち続けられるなら、その者は概ね長生きの部類に入るでしょう。

 (自らの好奇心を如何にして保ち、育てるかなんぞそれ以外にありますまい)
 (‥礼において、礼に始まり礼に終わるが故に、礼を保ち続けるのです)
 (‥好奇心も又それに同質です。ならば、好まぬモノを無理に取り入れないことです)
 (‥まして生活の中心に据えようだなんて、それこそ狂気の沙汰です)


> ‥とは云え、知らなすぎるのも問題です
> どこで自分の人生の芽なり首が狙われているかなんて、分かったものにありませんからな


 知ってると知っていないとでは、振る舞いが違ってきます。
 知りすぎていては、まったく姿を見せないなどとした偏りも起こり得ますけどね。



1-7)6

つきまとう私の影も疲れ気味       浜松市・浜松天竜川柳会

|わが身体伸びたる影の疲れ気味 ニュースうなずく過労苦自殺


 ‥どうにもここの「つきまとう」は変です
 云いたいのは‥自分に付いてる影法師もまた疲れているように見える‥それぐらいに疲れている‥
 という事なんでしょうが、瞬間そうには思えません。

 ‥ストーカーも疲れるなぁ‥とか
 探偵か刑事かスパイか知りませんが、二十四時間の張り込みはしんどいな‥辺りかと

 ‥ということでその辺、世相を鑑みながら整えてみました。




|半分こ出来る相手のある小春       静岡市・あけぼの句会

|半分こ出来る相手のある小春 パトラッシュとネロの天つ空


 ‥ほのぼのとしたネタの句が、一気に激変しとります。
 (これだから、+七七は面白い)



1-7)7

|喜びのうねり広がる大きな輪      浜松市・浜松天竜川柳会

|喜びのうねり広がる大きな輪 ベーシックインカム始まれらむ


 今時考えられる大きな輪といえば、ベーシックインカムぐらいでしょう。
 ‥他なんて思いつきようもありません。


> 最近、おぼろに思い浮かんでいるのは


 評労はC幣のみの全体の平均値を意識できる仕組みにして、G幣に関しては、
 総決算時の平均マージンが多ければ、見なしトントンの幅を小さくしたり
 マージン平均が高いにもかかわらず赤字だったら、来年の戻り布はさほど自由にならず
 使える限度が制限されるなど、実的なリスクを背負わせれば良い。

 ‥と、思いつきました。

 基本的に、赤字のリスクとして、前年度の穂認予算を上限に25%減を限度とし下げ、
 見なしトントンで、毎年5%ずつの回復。ただし赤字を繰り返すと
 回復した予算額から、さらに25%減の限度下げを繰り返し、
 始めの赤字から黒字回復すること無く75%減に至った次点で倒産と見なす。
 このルールを鑑みるに、
 赤字から黒字に転換しても、穂認予算の上限がリセットされる前に、まずは、
 毎年の5%ずつの回復勘定が無用になる。続いて次の年も黒字なら、穂認予算がフリーになる。
 とした二段階になる方向で考えております。


> あと、生活穂の正規認証の方法です


 まず、生活穂カードに発信装置を埋め込みます。
 各家庭に、生活穂カードの発信をキャッチするだけの端末を置いときます。
 近くにある生活穂カードからの信号をキャッチすると、カードナンバーの存在だけを常時確認します。
 ‥常に何もしないそこにあるだけの端末がログオン状態な感じです。

 (プラスチックでも通電性を持つ素材があるのでそれを使えば良いと思います)
 (一年の使い捨てなので、乾電池でも十分保つと思います)

 それらを集計し、常にどこにあるかをディープに学習します。


> 生活穂を発行した自治体とは言え、発行したナンバーを控えているだけで
> ‥どこの誰がどのナンバーを所持しているかなど確認を取りません。(控えません)


 中央管理先でもそれは同じで、どこの誰がどの端末を所有してるかを知り得ません。
 端末に示されたナンバーは取り扱い上の仮のナンバーであり、
 実的に送信時に確認されるナンバーは、チップの方に刻まれている方になります。
 (若しくはSIMのようなカード式での割り振りが検討されるでしょう)
 このようにすべてをランダムに出来れば、情報流出時の個人特定が難しくなり
 ‥よりプライバシーを隠すことが可能になります。
 (仮に特定されるような事案が発生したとしても、端末等を変えることで、経過追跡を遮断できます)

 * 場合によっては、十年に一度は、総じて全端末を入れ替えるべきに思います。

 結果的に、各家庭に据え置かれることになるナンバーからの信号を各々の端末が受信することで
 ディープ学習にて、これはこの端末の家庭の所持、
 これらはこの端末の所持グループに属するとした具合に推し量ります。

 そこから外れた条件が発生した場合に、盗難なり偽造なりの状況が推測され
 持ち合わせの番号がどこの自治体からも発行されていない場合に、偽造が確定します。
 金額の方の偽造は、金慮にその都度集計される消費データからの合計値からになります。

 盗難・紛失の場合は、とくに本人が届け出ない限り意識されません。
 盗難・紛失したカードが仮に改造されても、位置情報に途切れが見られれば
 疑いは一時的に除かれます。(まぁ当人が改造するケースを否定できませんけどね)
 (これはあくまで生活穂の場合です)まぁ参考に。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:50 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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