2016年12月11日

【勝手句帳】055 28-12-6 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2016/12/11

|落とし物拾うも今はドッコイショ   静岡市・小鹿川柳同好会(来てこ)

|ハンドルを握るも今はドッコイショ ブレーキたぐれるヨッコラショ!?


 ‥「どっこいしょ」は腰を下ろす時、「よっこらしょ」は腰を上げる時
 と言う風に思っていたのだが、ググってみるとそうでもないらしい。


> ネタの詠みの句のリズムをそのまま用いて時勢を詠んでみました


 ‥ブレーキを踏んだつもりが「ヨッコラショ」と
 踏んだ方も驚くが、襲われる方も悲鳴である。

 (こうなるとアレだな、脳波で判断する装置を付けるしかない)
 (緊急ブレーキの脳波をキャッチしたなら、とりあえず止まれに切り替わるような感じ)
 (記録として残るなら、意図的犯行かどうかの裏付けが取れる)

 (でもハッキリ言って、ハンドルにボタンでも付けた方が早いと思う)
 (アクセル全開気味に踏んでる状態で、クラクションを鳴らすと止まるとか‥)
 (アクセル増し続けながらのクラクションは通常ありえない。減速させるのが本則)
 (まぁ思うに、急ブレーキを嫌うなら、一度目は減速、二度目以降に停止ぐらいかと)




|昼食を忘れて本を読み耽ける     静岡市・小鹿川柳同好会(来てこ)

|恋愛を忘れて男子眺めやる 霜降り肉を諦めてサラダ
|恋愛を忘れておなご眺めやる お高い肉よりカップヌードル


 *耽る(ふける)が本則。他の「ふける」は「●ける」で通るが
 ‥どうしてか耽るだけは「け」を付さずに書くのである‥


> こちらも、ネタの詠みの句のリズムをそのまま用いて時勢を詠んどります


 ‥なるほど、豊かな社会になると江戸の将軍様からしてそうだったように
 ♂は庶民好みになる‥つまり、平たい向きのおなごの方が可愛く見えると‥

 乱世なら、自分のリスクを減らす理屈から言っても、強きのおなごがもてはやされるわけだが、
 そうになければ、萌えとばかりに多少馬鹿っぽくてもOKということか‥

 にしても現代社会は、半分乱世と変わらないわけで

 カネのある♂程、見た目良ければの萌えにハマり、できる仕事女なんか論外の選択肢。
 (生活上の豊かさゆえのお付き合いが絡むので、あまりにも非常識は×)
 カネのない♂程、どうしてか美味いもん食いたさにも、高嶺の花を望んでいると。
 (だが、頭ごなしに尻に敷かれても良いと思っている男子は少ない)

 一方で

 ‥豊かになるほど、シンデレラストーリーにハマるのが女子と
 ♀が頑張って上司に登り詰めれば詰める程、カネor顔に適わずの♂に魅力を失うのに比例して
 実は‥♂からも魅力を欠いていたと、これはこれは鏡似性たるようなご苦労様の流れですな。


> つまり、どうにも反比例だったわけである。
> 女子は頑張ろうとすればする程に、諦めるべきポイントを自覚すべきと云う事だ。


 (翻ってみれば、そんな仕事熱女子に愛想を尽かす♂にも似たような所がある)
 (♀の台詞としても「私or仕事?」と同じにある‥♂にも同類の奴が居ても不思議はない)
 (女ほど、夢と心中する気でないと良縁にはならないと‥色男なんざ捨て置けと)
 (でも、登り詰めたいタイプの♀ほど、尚更に面食いだったりするわけだ)

 そして、それは食生活の好みにも現れるが如しと
 ‥詠んで並べてみるに、なるほどと思っちまいました。



1-5)1

|朝は富士夜には満月よき人生     小山町・きさらぎ俳句会

|朝は富士夜には満月よき人生 時に待ちたる「待て」も良策


 ‥なんとも欲の無い詠みです。且つ少々大ざっぱです。
 大ざっぱには、大ざっぱに引っぱるより他ありません。




秋深む富士山の景日々あらた     小山町・きさらぎ俳句会

|秋空や富士山の景日々あらた 風撮るたびのそよぐ野の道


 *富士山(ふじさん、ふじやま)‥ここでは「ふじやま」が適当です。

 ‥個人的な見解として、「秋深む」は良く分かりません
 掴み所がないというか、深まる所を詠むのが筋であって、
 「深む」よりは「声」の方が自分の主張を乗せやすいのかなと思ってます。

 人生が深まったなんて口に出すこと自体おこがましいのです。まぁそんな感じです。

 そもそもここでの「深む」が富士の山を指しているにせよ、それが日々改まるというのなら
 深むも糞も無いように思います。使い所として変に思えるだけです。




|富士を背に秋桜揺れる散歩道     焼津市・千草句会

|富士を背に子安模にこり散歩道 手を引く吾子としばし楽園


 ‥ここの秋桜は「あきざくら」ではなく「コスモス」と読むのかなと
 まぁその辺とくに気にしない方ですが、散歩の句としてはよく整っていると思いますが
 捻りがまったく見られないのが惜しいかなと。


 *子安模(こすもす)‥コスモスのかわいらしさを子宝の良さに見立てた当て字。

 ‥まぁここはカタカナでべたに綴っても良いんですけど
 向こうからも何かが来たようにも思えるので遊んでみました。
 +七七に引っぱるにしても、先に笑っている様子が先行していると、あとで省略できるのでーす。


> とまぁ‥もう少し、欲張って詠む姿勢もまた欠かせないのでーす。



1-5)2

|風に揺れ黄金の稲穂刈るを待つ    焼津市・千草句会

|風に揺れ黄金の稲穂刈るを待つ かかれの朝の日和よろしく


 ‥「刈るを待つ」なにやら妙な閉じ方で下五をしめております。


> 「はぁ☆」‥これでどうやって+七七に引っぱりゃ良いんだよ??


 いろいろと悩むこと、メールで日取りを決める時などに
 決まり文句として使えそうな句に整いましたとさ。よろしく。




|稲刈りのママの長靴流行りもの    焼津市・千草句会

|昔の田植え皆民族衣装 をとこはどこへをとめの仕事


 ‥なるほどなるほど、(ここでは稲刈りですが)土仕事でもオシャレは止められないと
 それはそれとして、アジアの大陸の方では、
 その昔には、民族衣装に着飾ってをとめ達が田植えをしていたそうです。

 ‥今でも一部で斯様な光景が見られるようですが
 写真にはどうしたことか、をとこ衆が映ってませーん。

 もしかして、客寄せの為の見せかけの映像なんでしょうかね?
 それとも、その土地では、男と女で別れて田植えして来たんですかね?
 よくよく考えると変な光景だなと、思っちまいますが、
 をとこが田植えに参加をしない土地ならではの言葉として、「早乙女」があったとか!?


> じゃ、をとこは何をやっていたんだ?


 もしかして、用水路の補強ですか?&水を流す順番の取り決めですか?
 昔の土木ですからね、コンクリで固めてない分、それはあるかなと思わざるを得ません。

 ‥そうすると

 昭和辺りまで続いていた家族総出の田植えって
 かなり最近の文化だったんすかね??(かなり気になります)




|幼らも稲束はこぶ喜喜として     焼津市・千草句会

|幼らも稲束はこぶ喜喜として 手掛けることの有終を


 ‥幼らの年齢がかなりアバウトですが、ここでは何歳だろうと歩けりゃ好い感じですかね。
 まぁすっかり刈っちまった後の多少の残りをお手伝いでもありですからね。
 たぶん、刈田のかほりに誘われての事なんだと思います。
 さすがに、稲刈りのはじめは幼らは見ているだけだと思います。


> 「有終を見」の「見」は見たりのたりが省略されています。
> ‥というか省略しても通ることに気がついてしまいました。


 「喧嘩を見」「カップル見」「試合を見」‥そんな感じに応用が可能です。
 「見れば」「見ては」‥なんてクドいだけです。
 (省略できちゃうのでしてみましょう、ただし句切れの扱いに見られる向きもございまーす)



1-5)3

|晴れ着来て口慎ましく七五三     小山町・きさらぎ俳句会

|晴れ着くる口慎ましく七五三 七つに見せる成長ぶり


 ‥「晴れ着着て」ではさすがに芸がありません。
 だからといって、「来て」ってなんですか!?、そこは「来る」が筋です。

 「来て」では、着ての余韻が重なってしまうので
 どうしても、詠み手がどちら側なのかに混乱が生じる嫌いを抱えています。
 それをすっきり解消する意味で、「来る」と言い切ってしまう方が
 ‥向こう様の堂々ぶりが深まって見えて「くる」と言うものです。




|鰯雲園児晴れやか鼓笛隊       焼津市・千草句会

|鰯雲園児晴れやか鼓笛隊 海原越えむ大志の船出


 ‥どこかで見た覚えのある光景です。たしか港の付近だったな。(季節までは覚えに無い)
 園児にこだわらなければ、海自でいくらでもやってるな。

 ‥どうしたって、海が思い浮かんじまうんだよ。
 というところで、引っぱっとります。(無くても好い感じなのが‥OTL)


> 素直に、やられたぁw着眼でーす。




|不勉強ページ広げて舟をこぐ     静岡市・小鹿川柳同好会(来てこ)

|不勉強ページ広げて舟をこぐ 夢は大海気がつきゃ孤島


 ‥同じ素直にやられたの面白さでも、こちらは平凡です。
 平凡の空気の方が引っぱり甲斐があるんすよね。(どうしてか知らないけど)

 恋愛に例えて見れば納得感もありますが、それは楽しいというだけであって
 生活が組めるかどうかはまた別の問題です。
 生活が組めるようになれば楽しいのに、ならないから詰まらないが多くなると‥
 でも、それで楽しいと基準が不明確になるのは流れなんでしょうね。


> 不明確になっても困るので、仕込みがあると。


 自分のしたいことをやるのが基準になると、途端に
 「公平って何?」と言い出す始末だと思います。

 ‥「公平」とは、人として正しく暮らせるという意味です。

 人として正しくなれないのを「不公平」と言うのです。
 何事にも段取りと適切な時期というのがあります。
 そこをつぶし合っている様を「不公平」と言うのです。

 ‥そういう意味では
 人類はまだまだ無頓着のぼんやりさんばかりでーす。(それはもう‥憤慨に価する程の)



1-5)4

|群生の薄あかあか落暉かな      焼津市・千草句会

|群生の芒あかあか影の濃き 寄せくる闇をおそるるもなし


 *落暉(らっき)‥夕日。落日。
 *薄(すすき)‥その辺に生えてる感じ。芒(すすき)‥山に群生している感じ。(かなぁと)

 kage-susuki.png

 ‥「群生の薄あかあか」の着眼は良いと思うのですが
 「落暉」に「かな」と付けるぐらいなら使わない方がましかと。

 使う気があるなら「落暉たる」などとして上五に盛ってかかるべきに思うが
 どうにも馴染みがなさすぎるだけに、それだけで独り善がりになりかねない。
 まぁ季語でも無いんだし、使われる意図を推し量りかねます。


|落暉たる自民のポチ道枯れ芒 寄せくる闇を闇にも問えじ


 *ポチ道(ぽちどう)‥自分で責任を負わずに民衆の幸せとしてのアイデアなど考えること無く、
 過去の実績や定番、若しくは、時の覇者の顔色を覗いながら命令を懇願し続けるやっつけ上等主義。




|林檎売り津軽の香りわが町へ     小山町・きさらぎ俳句会

|林檎売り津軽の香りわが町へ 山から山に渡る雁が音


 ‥昭和の風景です。
 ダムがあちこちに建設されるようになり、
 電気の明かりが適度に日の目を見出した頃から、段々と産業の効率化が唸り始め、
 道路が拡大し始めると、徐々に消えていった行商の風情です。


> よく詠めてはいるのですが、どことなくキャッチコピーぽいかなと


 行商は地味な商売ですが、販売を牛耳る商売よりは顔信用第一です。
 ‥でも近年では、いきなり路上で売り始める姿は、どこの誰ともわからないのに
 ‥何を考えているのかな?と思わざるを得ません。
 (農家の顔ぐらい出せよ。二次元バーコードぐらい前に出せや。そういう時代です)

 (‥サイトにアクセスできたとしても、なりすましはいくらでも可能ですから)
 (フェイスブックなんてのが成り立つわけです)

 その顔信用すらも忘れ去ったのが平成の詐欺に釣られちゃう高齢者と言うことでして
 信用から入る人とネームバリューから入る人との二極化なんだなあと思わざるを得ません。
 (でも、この二つにしても、根っこはさほど変わらないんですよね)


> だからこそ、常に同じ所と取引をする。それが常道です。


 規制とかなんとか云っとりますが、昔はそこが自然だったのに 
 いつの間にやらインチキに取り憑かれて碌な事をしていないから、規制批判にも騒ぐわけです。
 ‥そしてインチキに誘われないところを潰すためのルール改正をやらかすと。

 本来的に規制も無く自由なら、拡大路線なんざ、それこそ安全の担保の為にも
 誰もなびくところが無いのが当たり前として考えるべき事なのです。
 ‥おなじみさんとの取引が前提。それ以上の何を望むのか?

 報道に見る効率化と自由化なんざ、実際の所なんの役にも立たねえ嘘八百にあるだけです。

 それこそ真っ直ぐに誠実を歩かないところとの取引なんて拡大するわけもなく、
 皆が一様にうなずいてそうなら、尚のこと競争なんて成り立つわけも無い。


> ‥何度も言いますが、自由を叫ぶ奴ほど手抜き前提です。それが競争賛歌の本質です。
> 生きる上での自由と、競争ゆえの自由は、意味がまったく違うのです!!!




もぎくれし林檎夜明けの香を放つ   小山町・きさらぎ俳句会

|もぎくれし林檎ぞ夜明けに香はなつ さぞや甘い夢の中かも


 *くれる‥あげる意の方言。

 ‥もいだのをくれてやった林檎も、今頃(夜明け)は、うちと同じに香りを放っているだろうさ

 これはそう‥お約束の農家の自慢したい系の句です。
 でも、くれた林檎の成り行きを思ってのことなので、そんなに嫌味にはならないですね。
 ‥句会の場所が場所だけに、
 林檎狩りしてきた林檎かなとも思いますが、それはそれでツテ絡みかなと思わざるを得ず。


> 林檎と言ったら紅玉さ♪


1-5)5

|散歩する紅葉一枚背につけて     小山町・きさらぎ俳句会

|散歩する乗れる帽子紅葉かな 玄関にて見るその落葉


 ‥「散歩」という微妙に詠みがたいところを上手にまとめています。
 「一枚」か「一葉」か‥は、さておき

 「背につけて」の解釈を目ざとくツッコみますと

 Tシャツの柄よろしくの何かかなぁと訝しげに見ることも出来てしまうのです。
 ‥と言うところで、リスペクトしてみました。


> 「散歩する乗れる帽子●紅葉かな」‥●にどの助動詞を放り込むかですが


 「に」「の」が‥浮かぶところですが
 「と」にした理由として、その紅葉を見たのが玄関だったからです。
 散歩をしていたのは私だけではなく、
 この帽子に乗っていた紅葉だったのだなあという気持ちが「と」と云う事です。
 (勿論、紅葉を見てきたという意での「紅葉かな」でもあります)

 *落葉(おちば、らくよう)‥ここでは「らくよう」と読みまーす。


> まぁ、俳句としてはやや完成しきれていない上の句である点は否めません。




|木枯一号シベリア訛背にとおす    小山町・きさらぎ俳句会

|木枯しやシベリア訛背を抜ける 振り返り仰げば‥冬将軍!?


 ‥それにしても「シベリヤ訛」とは、随分とぶしつけにも思い切った攻めです。
 「木枯一号」とこだわる意味が少々わかりません。
 「春一番」とは季語でも用いますが、木枯しの回数に関心のある人がどれだけ居るかです。


 2016/11/9(木枯し)、2016/11/21(関東初雪)
 ‥だったところを、+七七に引っぱってみました。

 まぁ実際には、天気図では、南から来た高気圧との谷間でどうたらとやってた覚えがあります。
 それを「冬将軍」では、字余りですし少々大げさですが、
 関東に初雪をもたらしたなら、関東的には十分に冬将軍たり得るかなと。




|ふと見ると炬燵布団に犬丸く     小山町・きさらぎ俳句会

|ふと見れば炬燵布団に犬丸く 猫に似るとは歌詞も変われり


 ペットに服を着せる時代ですからね、それに慣れちまったんでしょうかね。
 それにしても、感じとしては、座布団がわりに丸くなってるように思えます。

 猫ほどに潜り込むるようには思えないのですが、犬の大きさ次第ですかね。
 ‥それとも、猫と一緒に育つとそうなるんでしょうかね?
 ‥それにしても暑くないんでしょうかね。まぁ小山ですからね。(寒いに決まっとる)




|新聞の見出しで済ます週刊誌     静岡市・小鹿川柳同好会(来てこ)

|新聞の下欄で済ます週刊誌 ガチッと来ます冴えしコピー


 ‥ネタの詠みっぷりですと、何となくよくわかりません。
 でも、新聞の下欄広告にある週刊誌扉のコピーだけ見れば十分であるとの意に思われます。
 忙しいので、立ち読みの暇もないとした趣です。

 (季節的な忙しさに思われますが、どうにも川柳ですからね)
 (わかりすぎるコピーも、売上には繋がらない‥ご時勢なんだなぁと思わざるを得ません)


> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:10 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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