2016年12月19日

【勝手句帳】060 28-12-16 静岡新聞掲載分から

↓9)向宜詠吟.2016/12/19

|白山に降る雨しとど地を見つめ頂めざして階を踏む        焼津市・さつき短歌会

|敗戦や降る雨しとど地を踏めるあの雨思う‥なれど天つ晴れ


 ‥「降る雨しとど地を見つめ」この余韻に、「雨の学徒出陣」映像を思い浮かべちまったす。
 特集等でなんどもお目に掛かるっすからね、そりゃもう、「終戦の玉音放送」とセットですわ。

 ‥ということで、「白山」うんたらなんてどうでも良くなりまして
 敗戦のその日の日本人の心境とやらを句に折ってみました。(by学徒兵視点)


 


> ‥我が国は負けたのか‥(薄々感じてはいたが)あの学徒出陣の雨を思えば
> すでに散っていった友も居るというのに、こうしておめおめと生き延びるというのでは
> どうしたって悔やんでも悔やみきれない‥それなのにどうだ!この青空は‥
> 負けたというのに、終わったという気持ちの方に半分ほっとしてしまっているのだ‥



1-9)1

|景品に小さな金魚貰ひたり藻にからまりて見え隠れする      掛川市・なでしこ短歌会

|藻に隠る金魚の臆病知恵のうち せせらぎと共に在らめ


 ‥なんだかすごい着眼ですが、そのままなだけで
 ちっとも捻りが無いのが、どうにも目に映るままにしか関心が無いように思います。


> まぁそういう事で、リスペクトしてみたところこうなりました。


 競争社会に放り込まれていると、なかなか、こうは思えない所です。
 「せせらぎ」からおびき出されて、餌食になっている姿が目に浮かぶばかりかと‥

 ‥皆で隠れてりゃ、敵も飢えて弱るんすよ。それは確かに知恵だった筈なんですが

 どうにも、甘い汁を吸わんとしてか、敵側に寝返っているような時代っす。
 尤も、お互いに敵を認識できていないわけですから
 (‥富裕層なんぞにしてみれば、特に「せせらぎ」にしか見えてないんでしょうな)


> 豊かな人らが頭ごなしに、この世は「せせらぎ」だなんて自信たっぷりに説くもんだから


 ‥それにすっかりその気になってるのが中間層‥下層から見れば嘘八百なのは明らかなのに
 中間層も弱ってる筈なのに、弱まるどころか、機械化ロボット化でその機能性だけが維持されると。
 そして
 誰もは、まともな食事は、富裕層しか口にできなく成りつつあることを理解しつつも
 全く抗おうともせず、農家もお得意先との喜びようにあるばかりです。
 斯様にも凡凡とした空気に染まっているのでーす。

 ‥誰だって「農家最強」という事実ぐらいわかっているのに

 一次産業は儲からねぇからと思い込み、就こうとする勢いは未だに小さいままです。
 いろいろとした因果関係も絡んで、そうにもなっとりますが、
 その辺の改善を、国会では碌に取り上げもせず、後回しなんです。(それでいて)


> 防衛準備、防衛うんぬんとしか問わないのを、アメリカ様の属州などと誇らしげです。


 良く考えて欲しいのは、日本が二次・三次産業の国際競争から撤退(技術鎖国)をすれば
 世界の貧富の基準は、途端に一次産業がウエートを示す時代に咲き返る筈です。

 ‥それら農地をどこの誰が管理しているのかを考えれば、途端に、嘘が発覚するばかりでしょう。

 銀行からカネを借りている農家が多ければ、資本の論理から云って、金融が支配しているのです。
 農家が自立できないように、作物相場を支配していれば、どうしたってそれは続くのです。

 ‥そして、それが続いてきた結果

 「安全な食べ物がどうにも少ない」×「病の増加」が並行するのです。
 そこを追って、疑うことが無いのでは、それこそ家畜と同類です。
 ‥資本の食い物にされている事実に気付くべきです。
 ‥少なくとも、いいわいいわでいては、そうにしかならないばかりでしょう。


> もっとも、そこから脱却するにしても
> 農作物を買うというのではなく自ら手掛けて作る方に意識を変えないのなら、
> どうしたって、物価に行き場は無いままです。(だからこその保障&保護政策です)


 でも、自らが食の栽培を手掛けるとなると、大半の者らがアレルギーを起こすのです。
 同じ食うにも、餅は餅屋と云わんばかりです。

 (米国の農業事業者は人口の2%)
 (アフリカの人口の半分は18歳以下、その80%は農業をやりたがらない)

 ‥それが嫌だとして、提案されているのがベーシックインカムとした流れかと。
 (そうでも無ければ、他に信頼に価する生産対価としての物々交換が成り立たないのですから)


 そこには、金融はなぜ金融たり得るのか?という‥問いが不足したままです。


 「どうして金融だけがカネを自由に出来ているのか?」‥のトリックに
 ‥公平性がまったく備わっていないという事実を問うべきです。
 ‥そこにこそ、改善が問われているということを識るべきです。



1-9)2

|年重ね気楽に生きる日々なれど残りの人生伸び代ありや      沼津市・萩の会

|歳重ね気楽に生きる冬木立 友は去ねども余生伸びつつ


 ‥「伸び代ありや」云いたきはどうにか伝わりますが
 如何ともし難い表現です。(句を嗜む高齢者でさえ、日本語が乱れとるようです)


 本を読めという程に、環境の側もさほど達筆に無くなってきているのも実際です。

 適当な言葉が見繕えないと、じゃ作れば好いというのもそうさせているのでしょう。
 ですが‥言葉が言葉だけで成り立っていると思うのは錯覚です。

 言葉は、集合意識に蓄えられた反映でもあります。
 お互いが意識し合わなくなれば、反映からのフィードバックも弱まり
 結果として、ろれつが回らないかのように、言葉が出て来なくなるのです。

 概ね、外国語を学ぶようになった結果‥

 フィードバックの色合いが変わりだし、それの最適化が間に合ってないと云う事です。
 (集合意識からの脳への変換‥是は、記憶が脳だけで処理されていない事を意味します)
 ‥これはたぶん、世界的に同時に発生している現象に思われます。
 ‥海外にしてみれば、日本語からの影響もあるということです。


> ‥ぼっちを恥じて気にする人は、まずは、こう考えるべきです


 よくよく考えてみれば、長生きする程に、ぼっちにならざるを得ないのです。
 若くして、長生きの境地を体験していると思えば、まったく問題なき状況です。

 それこそ、先に学習できていた方が何かと好都合でもあるわけです。
 ‥もしかして、ぼっち長生きが苦手だからこそ、世間はぼっちを理由に自死を問題視するのかなと。

 (斯様な性根に、長生きなんぞ宿ろうはずもありません)
 (プレアデスは1000歳程度、龍神は不老不死。それこそ意識の差なんでしょうな)
 (プレアデスはお花畑、龍神は働き好き屋。もはや、生き方&考え方の差があるばかりでしょう)
 (プレアデスは自由推奨、龍神は八百万の信頼分業。「やってみなはれ」の色合いの違いです)

 とは言え、若い頃からそこにドツボというのもどうかという風潮もまぁあるわけですが
 適性を否定しても仕方ありません。適性は適性なのです。

 ぼっちでもどうにかなるのなら、尚更に、長生きに構えてみるべきでしょう。
 ‥急ぐ必要がどこにあるのかという問いでもあります。
 ‥そこに解を得ている適性が有ると云うことです。(どう解釈つけて自覚するのかも才覚です)



1-9)3

|公園の枯葉を掃けば清々と一時間余りの清掃奉仕         静岡市・城東短歌会
|わが背丈低くなりしと思いつつズボンの裾を詰め直しおり     静岡市・城東短歌会


 ‥まぁこのぐらいに整っていれば、問題がないという事です。
 考え方の整いも又言語に反映されています。
 整っていないというのは、民族の本意(性質)から離れている様でもあるわけです。


> ‥斯様なことを言い始めると、何かと、火が付きそうですけどね


 そこに気がついているかどうかの差が、句を折る度に垣間見られるばかりでしょう。
 発想力などと無理せずとも、同調すりゃ良いと言うことです。(あとは慣れっす)

 ‥深く理解するためにも、物事を知ろうとする気概を持つことも大事な要素です。
 常々確認をする姿勢を保たないのでは、基本的に礼を欠いた有り様に繋がります。



1-9)4

|藍淡き桔梗の花のかげに見ゆ一芯二葉の小さき新芽        静岡市・城東短歌会


 ‥是は、ほんと勘弁してもらいたい詠み方をしてしまっております。

 まず、「一芯二葉」‥是は茶摘みの仕方の言葉です。
 桔梗の花となんの関係もありません。まして園芸にも関係ないはずです。
 なまじ、語句の意をそのままに受け取ってしまっている勘違いです。
 (慣用句の使い方が違うぐらいの勘違いなんですよ、是はどう見ても)

 上の句は桔梗の詠みなのに、下の句は茶摘みの詠みなのです。


> 桔梗の咲いてる影に、茶の新芽がぐあいよく出ていましたよ。


 ‥何を言いたいのやら、まったく不明です。
 言葉を勘違いにも使ってしまうから、そのように解釈されてしまうと云うことを推し量れない。
 (とはいえ、是の句は、指導者名乗っての選句の一つなんですな、そっちの方がさらに恥ずかしい)

 ‥なまじ下手というわけでも無いのに
 語句の使い方だけを誤っているのは、どうにも直しようがありません。

 (それにこちとら、植物なんてさほど知らねぇし、素直に欠落ジャンルっす)
 (まぁここは、「二葉の可愛い新芽」とか、そのぐらいに整えるのが普通っすよ!)


> 専門用語に関しては、まずは不器用を自覚すべきです。まどろっこしくなるだけでーす。
> 全体の着想において、何かあるはずだと思った時だけ、使ってみるぐらいが適当かと。
> ‥専門用語をネタにして、頭から句を折ろうとする姿勢は宜しくありません。



1-9)5

|猪も「無農薬野菜」好めるやわが菜園の足跡さはに        掛川市・なでしこ短歌会
|猪も無農薬野菜好みたる足跡多し「わが菜園が‥☆」       手直し



 ‥「さはに」は(たくさん)の意にありますが
 一般に接頭語として用いられる「さ」は、丁寧&好印象に用いられる形です。
 英語で言えば、"so good!"の'so'が、是に準じるかと思います。

 ちなみに‥'so'は女性が好んで使う言葉らしいのですが、
 グローバル視点から見るとそうでもなさそうに思います。

 ということなんで、農家の句としては、ありえなーい用い方をしてしまっておりまーす。


 (勘違いを解釈するとこうなります)
 ‥野生の猪も無農薬野菜が好きなようです。うちの菜園での足跡のなんと多き様にある事よ
 ‥おーほほほほほほ、それだけうちの野菜がうまいってことらー♪


> はいはい、そうじゃ無いのはわかります
> 自慢を詠み含めながら、腹立たしさを整えたいと‥(いやはや農家ってスゲーっすな)




|台風はこと無く過ぎて秋空に湧き出るごとくあきあかね飛ぶ    掛川市・なでしこ短歌会

|秋あかね台風一過や空さ飛ぶ 田畑見廻り腰下ろすかな


 ‥まぁ何が悪いって程でもありませんが、こちらが整えるとこうなるという参考です。
 主役だけでなく、脇役も映えるように置いてやるのが良いかなと思います。

 ここでの主役はどう見ても秋茜(赤トンボ)です。

 でも名脇役としての、自分の仕事ぶりがあるわけです。
 そこをさり気なく添えてやれば、
 いつの間にか、自身と秋茜がシンクロして腰を下ろす光景に見えるのでーす。




黄金田のひとところ深く窪みをり群れ鳥たちの仕業ならんか     掛川市・なでしこ短歌会

|あすこだけ‥窪む黄金田訝しき群れ鳥見やる誰の仕業と


 ‥でました!、自称「黄金田」。(いやはや‥さぞや自慢の秋の田なんでしょうな)
 できればもう少し、わかりやすく見た感じのままを伝えるのが良いと思います。

 頭で整えようとするんじゃ無くて、自分の見た順序をそのままに置いて行く感じです。
 (マンガのコマ割りと同じです)



1-9)6

草引く手止めて見上げる青柿の日々太りゆく枝撓ませて      掛川市・なでしこ短歌会

|青柿の日々太りゆく撓むかな 実りを思う草むしりつつ


 ‥方言なのかまぁわかりませんが、草むしりとは云わずに「草引く」を見かけます。
 でも、どうしたって動詞なので、使いにくいと思います。

 その辺の言語感覚の違いが、詠みに出るんでしょうかね??
 ‥どうにも、そうとしか思えない。ということは他の地域に行くとまた違ってくると。
 (じゃ、俺の詠みッぷりは、どこら辺になるのかなぁ‥)




|晩秋の田ん圃のひこばえ青々と昔ながらの稲叢のこす       沼津市・萩の会


 ※ 穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲である。
   いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。
   稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。
   穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、
   稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。

   穂の中身は、入っていないものも多いため
   二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれるが、
   過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代がある。(by ウィキペディア


 つまり

 寒い地方は、刈り取った後に、鋤き返して肥料にしておき
 南方ほど、稲刈り後のひこばえを気にせずにそのまま‥それだけの差があると。

 斯様にも住む場所によって、農法が異なるなら
 減反保障の金額にしたって、一律で公平になんか成るわけねぇっぺ。


> 資本政策では、一律保障なんて幻想でーす
> 民主政策としてのルール改善が求められまーす


 ‥ケチいこといわなきゃ、ルールなんざいくらでも検討の余地があるのでーす。
 自分たちに叶うようにあわせれば好いわけです。
 その自分たちの想定がそれぞれに違っているのに、皆勝手に多数決だと思い込んじまってまーす。

 自分たちの想定の折り合いを付けるのが民主社会(相互意識)
 勝ち組が自由にして好いと思い込んでるのが資本社会(隷属意識)

 ‥あとは、学者の論云々よりは、取りまとめ役の顔次第と。(顔じゃ無くて足なんすけどね)



1-9)7

|帯祭り馬上の若殿ゐねむりも侍従ら五人の神妙に支ふ       焼津市・さつき短歌会

|帯祭り若が馬上でゐねむりや 支ふるお付き神妙なり


 ‥このネタの字余り過ぎを、どうしても直したくなったっす

 ということで、考えた末
 「神妙に支ふ」の余韻を残して、「侍従ら五人」を削り「お付き」になりましたとさ。


> ちなみに


 ユーチューブからの動画を鑑賞する分から云うと
 お子様の若殿がいくつか通りすぎますが、「若殿」はどうにもスポンジの塊が扮している模様っす。
 そこを、居眠りとしているらしいです‥(それはそれで尚面白いかと)




熱のある我に代りて慣れぬ家事に夫の不精ひげ伸びたるを見つ   静岡市・城東短歌会

|家事をせぬ不精髭が台所 あんたもけふはおかゆなのよ


 ‥女房が熱を出して旦那が台所に立つと
 その姿を妻が、どうしてもツッコみたい詠みというわけですが

 順序がベタすぎて捻りも無く、ちっとも面白くないので、遊んでみました。


> ユーモアを折り込めば、熱出したとかの説明は省いても通じるようでーす。




|ヒールはく前抱っこする若きママ両手に荷物ブランド袋      沼津市・萩の会

手に余る姿が痛いママの秋 ヒールで抱っこブランド両手


 ‥これはまた、若いママをダシに、一句捻ってやろうという詠みですな

 でもネタの詠みのままでは、描写しただけで、感想がありません。
 それでは、今時のトレンドってこんななんだーと紹介しただけです。
 ‥あとは勝手に思い込みで解釈してと云わんばかりかと。


> それでは、どうしたって、勘違いされても好いと宣言したも同然です。
> こちらもさり気なくユーモアを盛って、それとなく見守ってる風に折るべきかと。


 ‥そこで季節感が欠かせないというわけです。
 季語風にあれば、「まぁそんな時節もあるかもねぇ」と言う程度に据え置けるのです。
 頭ごなしに‥批判ぽくならないのが宜しいかと。

 *手に余る‥自分の力では到底扱うことができない。もてあます。手に負えない。



1-9)8

|どこまでも混じりっ気なしの秋の空振りむくものか後悔しない   焼津市・さつき短歌会

|どこまでも混じりけのなき秋の空 このまま進め振りかえるまじ


 ‥まぁなんだかよくわからない決意です。
 何をそんなに、やっちゃってる勢いなんでしょうかね??

 まさか、○ん引き後のダッシュとか‥秋の空を見ている内に、反省の気持ちを思っちゃったとか。
 ‥という勘違いにも成りかねないので、「後悔」なんて安易に使ってはいけません。
 ‥まぁ「反省」にしても同類です。


> 誤解を孕みかねないなら、状況をしっかり述べておきましょう。
> 尤も、そこの判断もままならないのが今時の言語の乱れです。




思ひたちウォーキングせむと出で来たりまだ星残る空を見上げる  掛川市・なでしこ短歌会

|曙に星残る空しらみゆく一息一息はずむ足音


> ‥おっと、状況の説明ばかりでも面白くならない例が出てきました(これは不足でした失礼)


 どう考えても「思ひたち」は要らんでしょ。
 正確を申しても、すべての人の行動は「思いつき」からです。
 成り行き解釈にしたって、「思い」がなければ句になりゃしません。

 どうにも‥ウォーキングは脇役で、たまたま見上げた星空が即主役決定だなんて変です。

 まったく以て楽しそうにありません。そう思えてしまいます。
 ここでの主役はあくまで自分の行為です。まぁそれがウォーキングです。
 ‥つまりここでの星空なんざ、ただの背景なんですな。


> そこの違いと味わいが伝わるように詠むべき所かと


 ‥「足音」か「足取り」かに悩みました。
 「足音」ならどことなくランニング。
 「足取り」ならウォーキングではあるものの全体のしまりが物足りず。

 少しぐらいは、走らずとも足音は立つだろうと‥「足音」にしました。




|故郷を十七歳の春立ちて八十余年今日の喜び           沼津市・萩の会

|十七の春立ち思う今八十 傘寿を踏めり次米寿


 ‥はっきり申し上げますと、気持ちだけの詠みですな。
 「おいしい♪」としか繰り返さない料理番組のコメントみたいでーす。

 好いんですよ、なんだって、手直しみたいでも十分にOKが出るところかと‥

 それだけの違いがどうしてか、出て来ないんですな。
 ‥同じ表現にしても、得意と苦手があると‥不思議なもんです。



1-9)9

|馬の尾の釣り糸垂らす小川にはとんぼ飛び交う古里の秋      沼津市・萩の会

|馬の尾の釣り糸垂らし赤とんぼ


 ‥俳句にするとこうなります。これはこれで、見事な着眼です。
 裏返してみれば、短歌としては、それこそ尻切れ蜻蛉になっちまっとるわけでーす。




|山里にやさしく咲いてただ一輪野菊の花に心安らぐ        沼津市・萩の会

|山里に心安らぐ野菊かな


 ‥こちらもそうです。俳句の着眼としてはなかなかなのに
 短歌としては、言葉を弄んでいるだけです。




|やま道に咲くゆりの花香り立つ清楚な空気たちこめるなか     沼津市・萩の会

|山道に清楚が香るユリ見つつ


 ‥これもそう。




|むかご飯いただく仲間はそれぞれに故郷の昔を語りつづける    沼津市・萩の会

|むかご飯ふるさと聞ける愉快箸


 ‥こちらもそうですね。(相変わらずの掛け持ちの選者殿ですな、勉強しなさいよあんた!)



> うた詠み終わります。ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:32 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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