2016年12月23日

【勝手句帳】061 28-12-17 其の1静岡新聞掲載分から

↓8)向宜詠吟.2016/12/23

|傾ける夕日を踏みて芋洗ふ       富士宮市・早蕨句会

|傾ける夕日を踏みて芋洗ふ 惜しまざる母の影ぞ焼きつく


> ‥是は見事としか云いようがない着眼と整いです。(素直に脱帽)




|双子座は天頂にゐて虎落笛       富士宮市・早蕨句会  

|双子座は天頂にゐて虎落笛 迫り来る矢☆魔球カーブす


 *虎落笛(もがりぶえ)‥冬の強い風が柵・竹垣・電線などに吹きつけて発する笛のような音。


 (俺的には青天の霹靂のような語感センス‥どうしてこの当て字になったんだ??)

 ‥それを放り込んだ句が、また俳句甲子園のような詠みっぷり
 ぱっと見よくわからないのが俳句甲子園の勢いだが、是はさすがに知らないと「?」でーす。

 「風が強くお陰で星空もとい流星群がハッキリと見えている」‥所を詠んだわけです。

 ‥ところが微妙なのは
 ふたご座の季節は冬とは異なりますが、ふたご座流星群は十二月です。
 また、「星」の類は秋の季語です。で、「虎落笛」は冬の季語です。


> つまり、インパクトのある季語を盛ってきて、「冬」を強調せんとして居るわけです。
> (そこの狙いとしては、見事に成功しているかと)


 ‥とはいえ、斯様な代物をどう引っぱれば良いのかに悩みつつ
 ユーチューブ映像を眺めていたところ、思わぬ発見をしちまいました。

 

 ‥36秒のあたりをご覧下さい。
 画面左中央やや下から流星が真っ直ぐやって来るのですが、
 途中で、なにかを避けんばかりに魔球的進路変更をしております。
 ‥え?マジ?、なにこれ??‥UFOなの??ほんとに流星??‥それともCGですか??

 (2倍速で見ると、バットから逃げるような魔球軌道!)
 (飛行機でもあんなにきれいには曲がれないっスから!)
 (まるでハイウェイに沿うコーナリングを見たような!)



1-8)1

|冬蝶に蹤きてしばらく小道かな     沼津市・潮音水曜句会

|冬蝶に蹤きてしばらく小道かな‥「あれは彷徨い?それとも天然?」


 *蹤く(つく)‥「蹤(しょう)」は、あしあと。あとをつける。の意。

 今年は秋と冬の境目が曖昧だったせいか、とくに冬の蝶を見かけられたのではと思われます。
 その姿を見れば見る程に、蝶の冬仕度はどうなっているのだろうかと思うばかりです。




|揺るる葉に揺るる翅あり冬の蝶     沼津市・潮音水曜句会

|揺るる葉に揺るる翅あり冬の蝶 なにを思うや花閉づる日々


 秋に葉を落とす木々もあれば、そうでない常緑樹もあります。
 冬にもなれば、蝶と云えども斯様な枝先に身を休めるという事になるのでしょう。
 (‥鳥と鉢合わないのかと、ますます不思議に思います)



1-8)2

|冬の蝶菜かげに低くひくく落つ     沼津市・潮音水曜句会

|冬の蝶菜かげに低くひくくをり 寄り辺むなしき「お花畑道」


 *お花畑道(おはなばたけどう)‥おつむがお花畑とは限らないが、そのように生きようとする気概。

 ‥なるほど、畑のど真ん中で息絶えんとしていたりするわけですね。
 捕獲した蚊もそうですが、中には、踏ん張ったままに果てる姿も見られます。
 無論、だらしなくひっくり返って果ててる様もあります。

 ‥「落つ」では、死をイメージし過ぎるので
 「をり」として、まだよろよろな感じの所を狙って手直ししてみました。




|昨日とは違ふ落葉を掃きにけり     沼津市・潮音水曜句会

|昨日とは違ふ落葉を掃きにけり 朽ちたる蝶のいとはかなげ


 ‥まぁ違うと云えば違うのでしょうが、そのままでは面白くないので
 流れを考えて、蝶で引っぱってみました。

 まぁそれはそれで、見たことあるようなないような‥(場所にもよるかと)



1-8)3

|標本のごとき凍蝶石の上        沼津市・潮音水曜句会 

|標本のごとき凍蝶石の上 臆せず遊び果て切るにあり


 *凍蝶(いてちょう)‥「冬の蝶」より差し迫った感じがある。(晩冬)

 標本のごときとありますので、ここでは死んでる様です。
 だからといって凍蝶=死んでいる訳でも無いと思います。(斯様な空気はあるようです)

 まぁそういうわけでして、

 「お花畑道」としては、臆せずに、存分に遊び果てるのが潔いかと存じまーす。
 ‥媚びるなんざダメですな、「お花畑道」に従うなら、最期まで可憐にあれと思う次第です。
 ‥べつにオススメなんぞしませんが、在るならそうあるべきかと。

 (泣きつく姿が又可愛いとか、すでに、怪しい輩の嗜好です)
 (嘘泣きにも誘いこむ手口も同じことでーす‥それはそれでブラックなお花畑道ですな)


> 『蝶やバッタ&ミツバチやアリ』


 昔々のある冬ざれの草はらの中、蝶が倒れておりました。
 それをバッタが見かけると、バッタは蝶を介抱せんとしてミツバチを訪ねました。

 「この方になにか滋養になるものを頂けませんか?」
 「まぁそれは大変ですね、少しなら好いですよ、でも住み込む気なら改造が必要です」
 「え?、なんすかその改造って?」
 「まぁ話せば長くなりますけど、聞きますか?」
 「それはもしかしてこの方が死んでしまう程ですか?」
 「まぁ話せばそのぐらいかかってしまうかもしれませんね」
 「‥そんなには待てませんので、少しでお願います」

 蝶が元気になると今度はバッタが倒れてしまいます。
 今度は蝶が恩返しにと、バッタを介抱せんとしてアリを訪ねてみました。

 「この方になにか滋養になるものを頂けませんか?」
 「えーなに言ってんの、うちにはバッタが食むような葉っぱなんてないよ
  少し考えればわかるよね、
  でも、ちょっと離れた知り合いにハキリアリがいるけどそこに行けばどうかな?」
 「では、そこまでの道を教えてもらえますか?」
 「えー、ただというわけにはいかないな」
 「ではどうすれば?」
 「そうだな、とりあえず、2〜3日住み込みで働いて貰おうかな」
 「え☆、そんなに‥」
 「べつにあんたが無理する必要も無いと思うけど」
 「それもそうですよね、じゃこの方だけでもここにおいて貰えますか?」
 「それはお安い御用さ、願ってもない」
 こうして蝶は、バッタをアリに預けてどこかに行ってしまいました。

 さぁ大変です。残されたバッタはどうなってしまうのでしょうか?

 「よし、メス」
 「イー」
 「よし、次‥」
 「イー」
 「よし、完成だ」
 「イー」

 こうしてバッタは、ショッカー蟻の手により
 ミクロイド仮面ライダーに改造されたのでした。ちゃんちゃん。




|凍蝶や放水閉づる黒部ダム       沼津市・潮音水曜句会

|凍蝶や放水閉づる黒部ダム 観光放水下流の保全


 ‥黒部ダムの放水は、観光を兼ねた下流環境の保全のためにやっとるそうです。
 ちなみに、六月頃から十月半ばまでだそうです。

 季語「凍蝶」としては、季節が大幅にずれますが、まぁイメージは概ね悪くありません。
 (下の句も上の句ともに字余りになりますが、紹介なので、まぁ良しとしましょう)


> ちなみに、黒部ダムの水流は通常隠れた場所に流し込まれており
> 外に放水せずとも、電力を得られる構造になっとります。(よく知らねえけど)



1-8)4

|角曲がりどこから匂う金木犀      掛川市・南郷桔梗句会
|木犀の風に混じりて家の中       掛川市・南郷桔梗句会

|道行けば此処にもここにも金木犀 かぐわしく誘わるるかな


 ‥まぁほどほどの句が他にもありましたが、せっかくなので二つ程載せてみました。

 「金木犀」のお題は難しいと思います。
 (そもそもにして、詠みやすいようでいて、発想が平凡に偏りがちでーす)
 (それはまるで、誰もが美人に振りかえるかのように)




鯉太し川に落葉の吹き溜まり      沼津市・潮音水曜句会

|怠れば垣のような落葉かな その気なくとも秋思降りけり


 ‥「鯉太し」これが要るような要らないような *鯉(こい)
 存在感としての川に、インパクトを欠いておるようです。


> まぁありそうな風景には思えはしますが、考えても見て下さい。


 落ち葉が溜まるような川となると小川です。しかも流れが弱いイメージでーす。
 そこに鯉がいるのでしょうか?‥どう見たって飼育の鯉であり、野生とは思えません。

 つまり、掃除が行き届いていないという見方にもなります。

 池なんかですと、落葉なんぞ、多少はそのまま沈んでしまうわけですな。

 吹き溜まりと云う事はそれの水の放流場所になってきます。
 ‥そんなところを好む飼育の鯉がいるわけもない。鯉は餌欲しさに岸に寄るばかりかと。
 ‥太い奴程そういう事になりまーす。


> それにしても、掃除せぬままの落ち葉溜りの筋を「川のよう」と表現するようですな
> ‥それはどう見たって、心に垣根があるばかりかと(自らすすんで掃除しませう)



1-8)5

|櫨落葉降るふる森透く間かな     沼津市・潮音水曜句会

櫨並木降るふる落葉透く間かな 和蝋燭の灯火のような
|櫨の木や降るふる落葉透く間かな 彼を待ちたる私だけの秋


 *櫨(はぜ)‥その実からはロウが採れる。(戦国時代頃に中華の大陸より苗木が輸入された)

 所謂、和蝋燭の原料。ミツロウではどこか変だなと思っていましたが
 斯様な存在が日本の蝋燭文化を灯してきたようです。(へぇ〜☆)


> 無論、文明開化を境に衰退したそうです。


 ‥ということで、「櫨並木」と詠んだら、和蝋燭の産地となりえ
 単に、櫨の木、櫨の道と詠んだらそうでもない‥というやや込み入った歴史背景があるようです。
 なにしろ、和蝋燭の原料の為の育成ですのでそうなります。一方で、櫨の紅葉も見事なのでーす。

 (つまり、櫨の森としての見立ては、かなり微妙かと)
 (櫨の実を回収する際も、道沿いの方が圧倒的に管理しやすいように思います)


 ‥ということから、櫨が森であるという歴史背景は薄いのかなあと思いました。
 (まぁ、かつてどうだったのかも、今どうかなんてのも、知りませんけどね)

|櫨落葉降るふる森透く間かな

 「森○透く間かな」の○は、「の」ではなく「を」が良いかと‥(それでも微妙)
 ‥では思い切って、「森」を「里」にするのはどうでしょうかね?

|櫨落葉降るふるを透く間かな
|櫨落葉降る降る里を透く間かな


> ちなみに、櫨と落葉を切って盛るのは季重ねにならないのか?
> ‥などと意見もあると思いますが、許容内だと思います。




|波頭集まる岬石蕗の花         静岡市・静岡花鳥会

|久しぶり波頭の岬石蕗の花 恋敵も今はお一人様


 *石蕗の花(つわのはな)

 ‥「波頭の集まる岬」の「集まる」は要らないと思います。
 そもそも、波の度合いで岬周辺の面積が変わるわけではありません。
 表現としては、その程度を示すべき所ですが、「集まる」では伝わらないのです。

 魚が集まってバタバタやってる飛沫が見える程なら話は別ですが、
 ここでは、季節的な波間にあるだけです。

 一方、「波頭の岬」と示すだけでも、通常よりは強いのだろうとした波の強さは伝わると思います。
 程度が違うのだと主張するにせよ、句の主体が「石蕗の花」にあるのならその程度で十分かと。


> +七七の「お一人様」は‥いろいろとした解釈が可能です。


 例えば、若いうちの再会、中年同士の再会、老いてからの再会
 年齢を変えてやるだけで、そこに生ずるだろうドラマが変わってくるのです。

 (失恋だったり、バツイチだったり、先立たれだったり)

 ‥そこを思わせるのが「久しぶり」の度合いです。

 一方で、俳句として上の句だけですと、
 そこまで、印象に差がでる向きには思わないなぁと、ちょっと不思議に思いました。
 (それもそのはず、岬やその風景に向かって「久しさ」を詠んでいる向きもあるからです)



1-8)6

|軽トラの轍幾筋落葉道         沼津市・潮音水曜句会

|軽トラ轍幾筋踏む落葉 地固まりたる暮らし向きかな


 *轍(わだち)

 ここでのポイントは、軽トラが毎日同じ道を通っている様です。
 どうにも、他人が抜け道として頻繁に使っていない印象を誘っているように思います。

 「これは全部自分が刻んだ轍なんだよなぁ」という詠みに思います。

 その意味では、「落葉道」のままの方が印象が強く出ていてわかりやすくもありますが
 「軽トラや」として、句切れにしてしまっても同じ効果を得られます。
 ‥ポイントは、自分がいつも使っている道として伝われば良いのです。




|落葉して水辺明るき遊歩道       沼津市・潮音水曜句会

|木枯しや向こうの見えて朝の月 積みたれば出会わめこの一葉


 ‥「水辺明るき」ここの水辺がハッキリとしません。
 川なのか?、池なのか?‥はたまた意表を突いて水溜まりなのか?
 地形としても、段差があるのか?、公園のように平たいのか?
 周辺は密集しているのか?、開けているのか?

 ‥遊歩道とは云え、そこの違いはとても大きく
 落葉の度合いによる景色も印象もかなり異なるかと。

 ‥あと、「明るき遊歩道」の解釈です。
 如何にもきれいに整っているかのような印象です。
 如何にも即行で落葉をすっきりと片付けてあるかのような印象です。
 それでは、落葉を詠む句としては、主役‥もういねぇじゃんの印象です。


> つまり、水辺が曖昧(存在感不在)なら主役も不在、実に痛々しい‥


 (どちらかといえば、それは猛烈な木枯しの風合いなのです)

 落ち葉として詠む以上、落ち葉にはまだ生々しくあって欲しいのでーす。
 ‥ようするに「明るい」を、あまりよく理解しないで放り込んでいるように思われます。


> ‥昨晩の木枯らしですっかり葉が落ちてしまったようじゃな
> ‥お陰で朝の月が、向こうによう見える
> ‥これも毎朝日課の掃除&散歩を続けてきた賜じゃて
> ‥如何にも、夜明けの空に最後の一葉を見ている眺めよのう


 参考にした「木枯しの朝の写真」




1-8)7

|落葉の盛んなる夜や秘境宿       沼津市・潮音水曜句会

|月影に落葉や落葉秘湯宿 垢落としたる湯煙見上ぐ


 ‥ネタは、好い感じ出てますが、もう少し欲張りたいところです!

 そんなところで季重ね気にせずに、盛りに盛ってみましたぜ。
 下の句の「湯煙」が温泉であることを強調しておくためにも「秘湯宿」に変更しました。

 「垢落ち」したのがまるで、夜空の景観としての落葉であり
 その湯煙から見えてくる月が‥また欠けていようとなんだろうと好い感じに見えてくるはずです。


> とまぁ‥決めてみましたと云いたいところですが‥


 宿に着いて、そのあとに風呂に入っているとした流れが今ひとつ強調されていないことから、
 どうしても、温泉に浸かりながら、落葉が散りに散っているのかと思ってしまう向きが生じます。
 ‥だからといって
 無理に説明っぽくつなげては、今度は、「垢落としたる」の含みが弱くなり思わしくありません。

 こちらのイメージとしては

 遅くなって宿に着いた頃合いに、ちょうど木枯しにも落葉がばーっと散っている情景です。
 俳句として上の句だけで見れば、それは十分に成立するように思いますが
 どうにも引っぱると、そんな説明とて散り飛ばされる感じかと。

 (露天風呂でなくとも、ガラス張りから外が見渡せれば良いわけですが‥何分にも風呂ですから‥)
 (そこを踏まえているのかなぁと思うよりほかありません)
 (そうすると、今度は、湯煙の向こうに月が見えるかどうかが微妙になってきます)
 (まぁ月がそこから見えずとも、十分に風情を味わってる感はありますけどね)


> ‥こういうのを叙情のデフォルメとでも言うんでしょうかね‥




|正論の一人加はるおでん鍋       富士宮市・早蕨句会

|正論の一人加わるおでん鍋 まずは大根あと好き好きに


 ‥まぁツッコんで下さいと言わんばかりの句材です。


> おでんの正論とはなんぞや?
> そりゃ、「大根の入ってねぇおでんなんざ、おでんじゃねぇー」でしょ。


 あとはもう、意見が分かれても「ほっとけや」って所かと。



1-8)8

|空に地に人の稲を刈る       伊豆の国市・田方野句会

|稲雀黙って見たるコンバイン 鷺がここぞと虫追う刈田


 ‥所謂ネタは、三句切れと言う奴でして、斬新とか当人が思ったならとんだ勘違いです。
 まぁ詩歌の謡ですな。(そういうのは散文で存分にやって下され)

 このような三句切れのパターンはそれこそ、如何様にも何でもありになってきます。
 並べてあるだけで、俳句としては不十分に陥り易いのです。


> まぁそこを解凍してみた風景ですが、情景をより具体的に示す事が句作には欠かせません。




遠き日の村娘等も稲刈れり       伊豆の国市・田方野句会

|遠き日や婆等の若きも稲刈りぬ 食べて行かにゃ話にならね


 ‥「り」「たり」には進行形の効果があるので、ここはしっかりと完了の助動詞で攻めるべきです。
 (まぁ「り」も完了の助動詞には違いないんですけどね)
 (ここではその対象が問題になっとりまーす)

 ‥「遠き日の村娘等」、ここが問題有りありでーす。

 それはつまり「婆ら」の事でーす。「婆らの若き」と書いて下さーい。
 まるで数学の「逆もまた真である」を思わせまーす。
 数学としては成立しようとも、文学としては整った表現には成り得ませーん。

 まぁそれでも良いと思えるなら、理系の方が向いているように思われまーす。
 ‥暗記の要素が強い分野でもイケるように思われまーす。


> 状況を形として捉え、見ただけで覚えてしまうのと、
> 流れの辻褄を重視して学ぶのとは、まったく違う才能に思います。


 形として覚えるのに理屈はさほど必要ありませんが
 流れの辻褄を推し量りながら整えようとすると、ものすんげー理詰めが求められるのでーす。

 科学としてはどちらも必要な才ですが
 科学の計算力の要は、どうしたって形で覚えていくものでーす。
 ‥膨大な知識を正確に集約する才の前提としても、強靱たる記憶力は欠かせません。

 ただし、バランスを欠いていると

 記憶力が優れているだけで、どうにも分析力に欠けていたりするようでーす。
 ‥大方の官僚なんかはそのタイプだろうから、見た目頭良さげに見えても
 ‥ディープに学習なんて興味本位にしない口だから、その気になれる状況が必要なんでしょうな。


> とくに格差問題はそれの大題目でーす
> 下の暮らし向きを知らない、想像できない脆さがそこに在るばかりでーす
> 知ろうとする気概を持たぬ頑固さも加わりまーす


 ‥一人ではそれが残念な程に脆いので、補完し合う必要があるわけでーす。
 ポイントさえわかっちまえば、圧倒的に強いっちゃ強いのですがー
 学びを超えた想定外にぶつかると途端に脆いのでーす。(もといプライドか‥)

 それから、あのですね‥

 その逆がどんな欠陥を持ち合わせているかといいますと
 飽きっぽい、どん亀、気に入らないこと納得できない次第には一切関わらない、孤高。
 ‥とまぁ、世間の流行り廃りに逆行するタイプなのでーす。




|職人の濡れて時雨を帰りけり      富士宮市・早蕨句会

|職人の濡れて時雨を帰りける 頑固な気風ゆかば空風


 *空風(からかぜ)‥空っ風。冬に雨雪を降らせたあとの山から吹き下ろす乾いた寒気。

 ‥「職人」っていっても色々ありますから
 どんだけ、トポロジーな意味なんだよと思わざるを得ませんが
 傘を差さないとの意味なら、まぁそれなりに引っぱりようはあると思いますが

 そこもまた、大ざっぱなのが職人のイメージです。


> どうでも良いことは気にしない、仕事に関してはトコトン細かい


 まぁ斯様な定義がはじまると、途端に、なんちゃってだったかもに成りかねません。
 ‥給料がーとか、付き合いがーとか、女房がーとか、売れ行きがーとか
 ‥そんなことを気にする向きは、まず本物にはほど遠いということでーす
 ‥スルーパスにもほっとけが信条なのでーす

 ‥普段からしてそうなら、新人に「なっとらん」なんどとは論外でーす
 (だからこそ、無口が相場だったのでーす。昔はそこに自覚があったのでーす)


 ‥翻して鑑みるに


 政治が職人肌になりだしたから政治屋と呼ばれるようになりました。
 官僚もまた、例外になく、似た気質だからこそシロアリになっちまうのも流れだったのでーす。

 ‥どうでも良いことは気にしない、仕事に関してはトコトン細かい

 (まさに省益のことしか頭にねーというわけでーす)
 (そうなっちまうのも、資本ルールを正義に立てているからでーす)
 (税金なんざ廃止にしちまえって事ですな、それが職人気質から観た自覚という奴でーす)


 同じ職人気質でも、今時のそれは、概ね自覚無き「なんちゃって〜」なのでーす。
 社会の隅々にまで、その「なんちゃって〜」が蔓延ってまーす。

 ‥ほんと、自由の名の下に、誰しも自分の関心以外はズタボロっすから。
 ‥そのくせなんも考えんと、不利になると途端に平等を吐くのです。
 (今まで散々掃いてたくせに、もといスルー、もとい無抵抗でしたな)

 なにを担っているのかの自覚が欠かせませーん。

 まずは人間なんですな。その次に、繋がりの中で生きているっつうことでーす。
 ‥右肩上がりの売上とか、そんなの三、四がなくて五番目ぐらいの題目でーす。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:28 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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