2017年01月04日

【勝手句帳】065 28-12-27 其の1静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/01/04

|水鳥の羽音奏でし初冬かな      浜松市中区曳馬

|水鳥ら波紋を残し空に立つ
|幾万羽波紋さかまきねぐら立つ 宮島沼に影や明け空


 

 ‥「水鳥」「初冬」ともに冬の季語で季重ねです。
 季重ねの季語に「かな」止めでは、尚更に詠み足りない印象です。

 あと、「奏でし」が怪しすぎる気配にいろいろと調べてみました。
 ‥お陰で面白いのが詠めました。


 ‥羽音なんざどう考えたって、ただの雑音です。
 「奏でる」ように思えたとしたら‥それは一斉に飛び立たんとしている様というだけの事です。
 (その辺を、どうより判りやすく捻るべきに思うかです)

 ‥数万羽が一斉に飛び立つともなれば
 ぶつからないように警告を発しているのでしょう。(クラクションみたいなものかと)


> とまぁ斯様な向きで、手直し1(俳句)を折ってみました。(小規模な印象)
> でも、せっかくなので、手直し2(短歌)に至りました。(大規模の様子)


 「ねぐら立つ」は十分に季語たり得ると思います。
 ‥というか、それの言葉が歳時記に入っていないと、もはや勘違いに繋がりかねないかと。

 真雁を始めとした冬鳥の行動には、朝に出掛け夕に戻ってくるとした基本行動があるのでーす。
 ‥夜明けと共に飛びだつかどうかの出発時刻は、種によって差があるように思います。
 (よく知らねぇけど)
 ‥また近年では、温暖化の影響によりそのまま定住する傾向を見せているようです。
 (状況に由っては一年中になるのだろうか?‥ユーチューブを見ていてもそんな雰囲気です)
 (まぁ春夏は朝早くから明るくなるし日長だしあわてる必要も無い所はあるでしょう)
 ‥だからこそ、冬の季語にしておく事が、昔ながらの趣を感じさせる意にもなるかと。


> 逆に、鳥は日長と日短の時刻の度合いをどう判断しているのかな?‥と不思議に思います
> 方角の判断でさえ、明確な回答に乏しいのに、こちらに関しては問いすら聞き及びません


 (単純に仮説付けるなら、鳥類の多くが太陽の角度にリンクした情報を処理できる能力が備わる??)
 (鳥は直感で、人は科学計算で‥そのぐらいの違いはあるように思います)

 それにしても、ちゃんと順番待ちしてるんですな。日本人並に合理的!
 ‥どんな順番にあるのかに興味が湧きました。(そこは人間より上手かも)



1-6)1

|茶の花やSL走る奥大井       焼津市石津

|碧澄める湖上に駅や奥大井 澄める山合いトロッコの秋


 参考:http://d.hatena.ne.jp/TDM900/20121122/1353582175


 ‥「茶の花」を見た事がありません。
 そもそも奥大井のその先に行くには、トロッコタイプばかりだと思っていましたが
 語呂が良いとばかりに‥やっつけに添えたのかな?‥と思わざるを得ません。

 日帰り予定だと、どうしても乗らずに帰らざるを得ないので、その先を知りませんでした。

 「奥大井湖上駅」という珍駅を、ネットで知りまして、
 ガキの頃に是を間近に見ていたら、世の中の見方が早くに違ったかなと思いました。

 *碧澄める(あおすめる)‥特定の場所の「碧さ」を詠むのに盛る感じです。(概ね無季の印象)




|反射炉の鉄骨に錆返り花       三島市青木

|反射炉の歴史の錆て返り花 世界に示そうと護るかな


 ‥「反射炉」「錆」「返り花」の組み合わせが好いなぁと思い、手直ししました。
 そこまで盛ってきておいて、どうして「鉄骨」に魅入られているのかがまったく理解できかねます。

 (作ってたのは大砲に砲弾だし、鉄骨は母屋だけの話で関係ねぇ)

 そこは「歴史」だろうが!(錆の意の中にすでに鉄が潜むのだから「鉄骨」は削って問題なし)
 ‥一頃に忘れられていたものが、再び注目されて復活した様こそを詠むべきでした。(惜しい)



1-6)2

|振り向か背なに手をふり夕月夜   牧之原市大沢

|振り向か背なに手をふる夕月夜 追いつく足で並んで月見


 ‥「振り向かぬ」では、頑固か不機嫌かのニュアンスです。
 ここでは「振り向かね」として、句切れを意識させるべきかと。
 心の内では、何度も声を出すようにして、呼んでるわけです。


> 遠目に見かけた夫の背に向けて呼んでみましたが、どうにも届いていない様子です。
> 尚のこと手を振ってまで呼び掛けてしまうのも、
> 夕闇の薄明かりに一際の夕月夜があったからかも知れません。
> わざわざ追いかけたのも、二人でそんな夕月夜を並んで見たかったからです。




艶やかにうねりの衣裳紅葉山     静岡市葵区安西

|紅葉濃きうねりの衣裳里の恋 白木で戻る背なのうそつき


 ‥「艶やか」、自然や草木に対して盛らないように思います。
 まぁ「衣裳」には有りなんだと思いますが、どうにも「紅葉山」の喩えですからね。
 どうにもすっきりしません‥というか(好みじゃねぇ)

 でもまぁ「うねりの衣裳」は、捻りが利いていると思いました。
 ‥と言うところで、恋心の激しさに置き換えて手直ししてみました。


> 実に強烈な印象に、インスピレーションが駆り立てられるところかと
> ‥「衣裳」「白木」の絡みを限定してしまうのも野暮なので、解釈は自由にやってくだされ


 (是だからコラボは面白い!)



1-6)3

紅葉に若き男女の染まりけり     静岡市駿河区国吉田

|里紅葉若きカップル散り際に 以前の不満こきおろしけれ


 ‥紅葉(こうよう)と読ませては季語から外れます。もう少し工夫しませう。

 +七七の「けれ」已然形は、そのように見ていた程度です。
 様子をしばらく見ていれば、概ね判ると言っても、
 通りすがり程度ならそれを具体的に知り得ているわけではありません。
 ‥あくまで第三者視点の物見の意で、已然形かと。




紅葉の色に誘はれバスの旅      静岡市駿河区下川原

|紅葉山恋を拾いにバスの旅 ドングリの背を比べたる是‥


 ‥これも同じく紅葉(こうよう)の読ませです。
 もみじ読みの季語を適当に放り込んで手直ししてみました。

 ネタの句の旅目的はそのままに「紅葉」なのでしょうが
 「失恋即相手探し」なら、概ね斯様な塩梅かと。
 相手が見つからなさすぎるのも同様です。
 ‥見方が以前と同じままなら、そりゃドングリのなんとやら程度にしか映りません。


> まぁ道中知り合った人から聞いた恋バナが自分のそれと似通っていたのでしょう。
> +七七はそんな引っ張りです。類はなんとやらなのでーす。




老楽の恋とは言えど春の夢      藤枝市南駿河台

老いらくの恋は掻き捨て春の夢 押してみたくもリーチの立たね


 ‥「老いらく」と「老楽」は似ていてまったく異なる言葉です。
 とくに「老いらくの恋」の意としては、「老楽」は間違いのようです。

 (漢字にすりゃ好いってもんでも無いと)

 ‥中身が老いらくの恋ですから(+七七の引っ張り)
 「立たず」と盛ってしまっては、如何にもご臨終な趣です。
 ということで、已然形で添えて置くのが適当かと。



1-6)4

|言いそびれ帰る今宵や十三夜     静岡市清水区元城町

|言いそびれ帰る今宵や十三夜 カネの工面の口を開け


 ‥様々な人生の中で
 「言いそびれ帰る」と来れば、まぁパターンは概ね決まっております。
 しかし、だからといって、ネタの句のその辺がどうだったかは知り得ぬところです。


 引っ張りの時間経過として、言わんとしていた事を今の今まで言えてなかったと言う事で
 きっちり終止形で止めて置くところです。

 「ず」ではなく「じ」で盛ると、「やはり言えるわけがない」としたより強い意思表示になります。

 ‥という違いが伴うので
 助動詞「ず」の已然形[ね]としては、自分の気持ちからの想定を思わせる感じに留まります。
 時間経過を考えれば、どっちつかずの浮いた感じに思える次第かと。




|焼芋屋匂ひ残して去りにけり     静岡市駿河区西中原

|焼芋屋匂ひ残して去りにけり 買いそびれて思う「このイモがッ」


 ‥新米の焼き芋屋さんに、たまに見られる光景かと

 だったら、あれですよ、焼芋屋アプリをスマホにインストールして
 近くに近づいてくると、「焼き芋〜焼き芋〜」と奏でてくれれば取りこぼしも減るかと
 さらに返信できれば、ほどよく芋を焼いておけると‥

 芋に、そこまでの需要があるのかは知りませんけどね。


 でもまぁこの手のツールは、タクシーを始めに、何にでも応用が可能です。そうなると
 似たようなツールの管理に差が見られると‥一つにまとめてぇとか‥まぁそこでしょうな。

 (何ならすべてツールから注文を発信して貰えれば、竿竹屋はもっと楽かと)

 (ディープに学習させるだけの目的で、その都度欲しい何かを仮定注文すりゃ)
 (経済の潜在性が丸裸になって、経費と需要を折り込んだ適正価格が研究できるというわけだが)
 (想定される人口の大部分が参加しないのでは漫然としたままだろう)
 (好いところ参加ポイントってのが報酬かな‥でも一日平均20品目程度の制限は必要だろうね)
 (‥製造力にも限度があるわけだし、仮定発注にしても限度を求めて当然)

 (自然然とした物欲人間の割合を推し量るためにも、無理な仮定発注を仕向ける意味も無いと)




|一村たった一人や七五三       焼津市石津

|一村たった一人や七五三 逃げも隠れもならぬ里に立ち


 ‥ほうほうなるほど、思えば、「のんのんびより」もこのパターンだな
 そう考えると「宮内れんげ」のあの性格は、尚のこと頷けるのか‥

 ‥「ちっ」、そっちの視界は見逃していたっす‥orz
 (宮内家は普通に農家だから、世間一般の行事を一通りしていて当然‥)


> 逆から見れば


 斯様な行事参加を繰り返す度に、発想力&解釈がどことなく遠慮がちになって行くのかなと。
 (品を身につける代わりに、何かを削いでいくようにも思えまーす)




|神木に両手まはすよ冬ぬくし     吉田町川尻

|神木に両手まわすよ冬ぬくし 後から気づく木肌カビ床


 ‥手頃に身近な神社で確認してきましたぜ。
 意外とカビが付着していて、とてもガキに返ったつもりだろうと、真似てみる気にならなかったっす。




|蓮枯れ甲骨文字の数多かな     藤枝市水守

|蓮枯れ甲骨文字の数多かな 占う祝詞いつも前向き


 ‥「枯れて」と助詞「て」を安易に使うのでは、どうにも落ち着かないのです。

 ここは、俳句甲子園のノリよろしくに
 「蓮枯れは」とした方が、通年を通じた意を折り込めます。(毎年の光景ですから)

 とくに、使い慣れとばかりに、季語のすぐ後に「て」を盛るのでは、
 その年に特別な違いが見られでもしない限り、変というものです。
 又、違いが見られたなら、そちらの様を詠むべきが筋です。

 (ここでは、さほど年差に変化の無い風情の喩え詠みでしかありません)



1-6)5

牛んべと呼ぶ高稲架と茅葺きの屋根がよく合う山里の秋     三島市芙蓉台

牛んべえと聞こゆる里に高稲架と茅葺き並ぶ秋深む空


 *うしんべえ‥山梨方言で牛の意。

 普通に読んでも、斜めに読んでも、高稲架(たかはせ)のことを「うしんべ」と勘違いしかねません。
 文法的におかしいので手直ししました。


> 明らかに文法的な間違いがあっても「特選」なんすからな
> ‥ほんとどうなんてんだ!?、糞ババアとか呼んじまうぞ。「おい、選者!」




|新米のあつあつを盛り手に重しあめ銀シャリと押し戴きぬ    浜松市中区元魚町

|新米のあつあつ手に盛るずしりとな 握る頬張る是ぞ秋シャリ


 静岡で俳句・短歌を嗜む人たちは、とくに農家系だと思うのですが
 新米を握り飯にして頂くのが通のようです。


> だったら、「秋シャリ」って、言葉を盛れば好いだろうに‥!


 *秋シャリ‥主に新米を握り飯にして味わう意。または、炊き出した新米又は新米の炊き込み飯。




|掃き寄せしあまたの落葉一とせの役目終えたる様ざまな色    富士宮市沼久保

|掃き寄せし数多の落葉ひととせの役目と焚けば藷ぞ飴色


 *ひととせ‥いちねん。1年間。
 ‥なかなかに整っては居るのですが、どうにも下の句がやっつけ気配濃厚です。

 「様さまな色」ってさぁ、当たり前すぎて、口にして折る程にありませんぜ。
 頭に置いて読み始めるなら、変化も望めるのでしょうが、其がオチではどうにもなりません。
 ‥感想でもないし、気持ちでもないし、目立たなくてもいい程度のコピーに見えてしまいます。


> 同じ定番に思えようとも、
> 「クスッ」と思わずやっちゃいました!‥ぐらいのボケが欲しいところかと。



1-6)6

|ブランコのたわみを揺らす追風に乗ればいきいき細胞めざむ   牧之原市波津

|ブランコやいきいき漕げる冬の風 ぼっちと広がる暇日閑散


 ‥主観で詠むか、客観で詠むかです。
 ネタはどうやら主観ですが、どちらかといえば、客観の方に風情があるように思います。


> というよりは


 「追風」などと盛らずに、もう少し季節感が感じられたなら
 細胞の目覚める感触も変わって伝わります。

 どうして「追風」何でしょうかね??、安全基準で考えてもかなりの挑戦です。

 そこの気配を消そうと思えば、「北風」として盛ってやると、
 「こどもは風の子」の意の連想から、かなりスムーズに伝わるのです。


|ブランコのたわみを揺らす北風に漕げばいきいき細胞めざまし


 *目覚める(めざむ)下二段‥ですが
 「目覚める」と「めざむ」では、意に含みが多くなり、どうにも異なって来るようです。
 驚きを含めた意なら、「目覚ましい」「目覚ます」の方が適当かと。




|時間とは冷たくもあり刻々としているようで繋がっている    静岡市清水区渋川
|時間とは冷たくて刻々したれども繋がりたり暖かくあり     指摘



 ‥ふむふむ、で、どう思ったの?
 ネタは冷たいと思ったことに対しての対が述べられていませーん。
 ゆえに、所謂尻切れとんぼでーす。

 是で、「入選」の上の「秀逸」とか
 ‥ほんとどんな基準なんだよ!‥その選者(不勉強に付き)辞めさせちまえ!

 「該当せず」を用いないから、無理してそういう事になる。
 (やたらとほめるノリで賞するばかりでは、どうしたって弊害にしかなるまい)


> とまぁそこは別にしても、面白そうだから手直ししてみた。
> ‥現代口調で綴るよりは、ずっと文語の方が短縮が利くのがよく分かるかと。
> (それにしても用言ばかりの連続に、クドいったらないね)


 昔は紙を刷るのも大変だったのだ。大和言葉はその点においてもエコロジーだった事になる。
 ‥ぶっちゃけ、西洋の古くて分厚い本は、今の知識で表現するとそれこそ
 ‥無駄に文字数だけを羅列していたようにも思われる。

 (とくに聖書なんざ、その類だろうよ)

 ‥ずばり本当の事を語らずに、包み隠して、遠回しにしか述べないんだからな
 ‥金融関連ともなればさらにそう‥核心を突かずに、如何に成功したかの自慢ばかりだし
 ‥その気にさせる事が目的で、幸せについての公平など捨て置くばかりと
 ‥始めから公平なんて無理だから、本質が搾取による偏り同然だから
 ‥ツッコまれないように黙っとけとしてあるのでーす

 大和言葉を見れば分かるように、
 一番に大事な事をすでに名にかざして用いているのとは、随分と差がありますな。


> ちなみに、「わのくに」とは、「ワニの国」の「に」音の欠落です。
> 「ワニ」とは「龍」を指す言葉で、「龍の国」が本質のようです。


 その龍神の信条が「和」という事です。
 「わに」の「わ」に対して、「に」を思わせるのが「日本」の「に」でしょうかね。
 概ね「日の本の国」とも表現するわけですが、「に」には光の意でもあるのでしょうか??

 すると「和の光の国」という解釈にもなりますが、まぁそこまではわかりかねます。

 しかし

 その昔の中華大陸と東の島を同時に、担っていたのが神界そのものにあるようです。
 始めから漢字には、その手の意向が込められてきたとも思われます。

 ‥今現在は、神界は中華大陸から手を引いておるとの事
 沖縄はどうかというと、手を引いているんだか居ないんだか、中途に聞こえてきます。
 「置きに縄」と示してある以上、手放す気はないんでしょうな。

 (「塩は沖縄に限る」と‥神界の折り紙つきがあるようです。理由不明)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:44 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする
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