↓8)向宜詠吟.2017/01/22
|信濃路や落葉松の奥まで時雨 静岡市・清風俳句会
|時雨さす嬬恋踏めるからまつ路 木々のはざまの惜しみける眺め
↑は野上彰:「落葉松(からまつ)」のコーラスでーす。(適当に見繕っております)
> ネタの句の掴みは悪くないと思うのですが、調べてみた感じでは
「信州路」と云ったら諏訪に続く南北ライン
「信濃路」と云ったら長野側の浅間山の麓周辺‥(?)
「奥信濃」と云ったら浅間山からぐっと群馬寄り
「木曽路」と云ったら伊那・飯田を含む辺りから岐阜に続く旧街道‥(?)
‥どうにももどかしいので
(そのまま、参考にしたブログの写真のわかりやすさから「嬬恋」で盛りました)
* 時雨=A比喩的に、涙を流すこと。
* 時雨さす=(感動の涙に解釈‥感動すること)&木枯らし一号のあとの風合い
> キタァ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!、ついに、百人一首のとんちレベル
俳句の季語風景と、和歌の伝統的な眺め(長雨)のカップリングが描き上げた奇跡。
雨っぽい風情を盛りつつ、「実は晴れ詠みwww」
http://s.webry.info/sp/ymanotayori.at.webry.info/201510/article_6.html
(参考写真は「晴れ」ですが、そのまま効果的に「時雨」を盛っておりまーす)
> ‥何という感動的な景観が続くのだろうか(まるで縷縷の涙が溢れ出るようだ)
> 落葉ざれした嬬恋のカラマツ路は、実に素晴らしい!!
> 木々のはざまから見える眺めが、これほどに味わい深いとは‥
> (このままどこまでも、カラマツ路の木々から抜ける青空の風合いにこころ打たれて居たいぜ)
‥実のところ、下の句がどうにも‥すっーとは、出てきませんでした。(四日ほど悩んだッす)
雨が降ってりゃ、どうしたって「眺め」なんて見えるわけがねぇ。
あるのは「長雨」とした掛かりが伝統のようですが
‥そこを見事に裏を掻いて、「時雨さす」を心の感涙の意として、晴れに成立でーす。
「やっぱ、晴れっしょ!」
ちなみに、実景なんざ未だ踏み知れずでーす。(というか落葉松を理解してませんでした)
写真のできサマサマでーす。(これもまたコラボのちからという奴ですな)
‥無論、ネタの句の「時雨」も有ってこそでーす。(青空を見て「時雨さす」は無理でーす)
1-8)1
|クリスマス銀色の雨肩濡らし 静岡市・清風俳句会
|クリスマス銀色の雨に濡るる樅 ライトアップ更けり消ゆまで
‥ネタの句は詩情としては申し分ないと思いますが
如何にも、俺の大っ嫌いな(超糞にも定番)クリスマスソングをイメージしちまいますので
クリスマスツリーを詠む引っ張りに変えて整えてみました。
(俺と向き合うと言う事は、あの糞クリスマスソングをかけるべからずに等しい)
‥あと
ネタの中七のように「雨」で、「雨に」と盛らないのでは三段切れでーす。
「に」を盛らないのでは、どこで濡らしてきたのかの意が弱まりまーす。
(大方、君は来ないとか)雨に濡れてみたわけでもなく連絡入れた喫茶から眺めているだけと
そんな意の落ち込みとして増幅されちまいますな。(超カスくだらねー観)
‥「樅(もみ)」とするか「ツリー」とするか
‥字余り気味も気になりますが、それより、横文字ばかりはスカンので「樅」にしました。
1-8)2
|日の温み頬で確かむ干布団 静岡市・清風俳句会
|日の温み頬で確かむ干布団 誘われ寝やるしばしの至福
‥「蒲団・布団」が季語。(始めて知りました)
そこで思うに、「ふとん」と云えば「綿」ですが、国産に流行りだしたのは
戦国も始まりの今川家に由来します。今川家は綿で大儲けしたのです。(当時の東海道は綿地帯)
それが江戸に入って、平和になり、蒲団が登場!!(当時の大産地は堺近辺)
だからこそ「蒲団」が季語になったのでーす。(事情を知っとればそのぐらいすぐの理解)
> その有りがたい蒲団以前は、何を寝具にしていたのかが、とても不思議っす。
(蒲団を持って逃げるのは、江戸以降)
よくよく考えるに、着物を一枚脱いで上に掛けて寝ている様子を思い浮かべます。
戦になれば、重ね着して逃げれば良いわけです。
‥時代も、染めに無く織物の時代です。(柄を織れば織る程ぶ厚くなる)
さしずめ絨毯のような厚みがあったので丁度良かったのでは?(庶民はムシロ)
細かく云えば、草の繊維で編んだ掛け布はあったでしょうが‥膨らみがあるかは不明。
それを下にも敷ければリッチの絵図です。毛布もどき二枚でリッチ。(冬なら毛皮)
‥そう考えると平安時代の演出にあるあれらは「真綿」でしょうか??(超超高級品)
(遡ること、徐福の時代にはすでに養蚕技術があり、日本に持ち込めたかどうか?)
(持ち込めて蚕が環境になじんで定着できたなら、あっという間に財を築いたはず‥)
(稲作よりも、真綿寝具の雅に、地場の豪族らがなびいて屈したとするのが正解かも)
(そこまで行かずとも、麻布&毛皮の所に、絹布の織物とか、インパクトありすぎ)
(‥それに見せられて、西方被れの憧れが、縄文の遺伝子に焼きついちまったとか)
そんな養蚕技術も度重なる戦で、戦国の世には失われていたそうでーす。
つまり、綿の時代到来!(なぜか綿‥崑崙人が三河に流れ着いたとの伝承‥)
> 戦が無くなったから、蒲団文化が根付いたのでーす。(庶民でも買える程度になった)
つまり、織田信長に叶わないとしたら、そうした蒲団文化の創造でーす。
(とにかく気に入らなきゃなんでもすぐに滅ぼしちまうからな)
‥その蒲団文化を立ち上げた形になったのが徳川家康です。
(豊臣勢力を残してたら、庶民に蒲団文化はやって来なかったかも)
‥その家紋は「葵」(ワタもまたアオイ科の植物です)
三河の地こそが綿の主産地だったのでーす。
|朝戸開け空より冬の息づかひ 静岡市・清風俳句会
|朝戸開け北より冬の息づかい 寒波の報にホッカイロ追加 (2017/01/23)
‥ここは、開ける「朝戸」が概ね南側だとしても、「空」ではなく「北」と盛るべきかと。
1-8)3
|老いてなほやらねばならぬ冬仕度 静岡市・清風俳句会
|老いてなほやらねばならぬ冬仕度 終活なぞ「おととい来やがれ」
‥老いての冬仕度。大変な事です。
北国のそこを知らずと、平なところでは終活なぞしていると‥(世の中は色々と差がありすぎです)
‥差を嫌うのか、差もまた良しとして、そこに生きるのか‥
農耕文化には不釣り合いにある核家族化の流れこそが奇妙な時代なのです。
まさかのお一人様世帯など想定に無かっただろうに‥「なぜさらにそうなった?」
‥考える事に差が無かったという事なんでしょうな‥
儲かるなら兎も角、儲かったなら儲かったで人を使えば良かれとした世界にそそのかされた結果です。
多極化したがゆえに人が集まらない‥なんでも自分でこなせないとダメの構図こそが自由社会!
‥お互いに顔を知らないしするから
「おととい来やがれ」(知ったことか!)にも、それぞれが散り散りとしてしまうのです。
競争なんかしなければ、そこそこ知った顔同士で何となしに固まるものなんだろうと思いますけどね。
競争しないことを前提にすればさえ‥スローにも至るわけですが、
しないならしないで‥風変わりを嫌う向きにもなるような、そうでもないような‥
そこがどうにもハッキリしない民族だったからこそ、競争にそそのかされたとも言えますな。
どうにも幕府の顔色を窺うより他なかった時代を、未だに引きずったままにあるのでしょう。
‥これ幸いとばかりに、幕府の変わりを黒船に見出してしまったと。
(黒船お上を出汁にライバルに見立てて、精進を試みたお馬鹿さんたちでーす)
(下よりからの門出にあろうとも、上を乗っ取ってやろうと、挑んだ身の程知らずたちでーす)
(そんなのは、精精持ち込めてトントン、下手こけば共倒れでーす)
今から考えても、世界に通用する侍がしたかっただけだったのではと思わざるを得ませんな。
世界から戦を無くすことができなかったら、それこそ、その本懐は死んでいたも同然です。
‥「侍とは何か?」と問われたなら、戦(鉾)を収めさせること。それこそが武士道なのです。
> では、経済においてそこはなんでしょうか?
不幸が無くなる方向に漂うこと、平和が享受されるということ。
その結果、鉾や刀が廃れようとも、ままこだわらずだと思います。
‥それは即ち、お家芸の稼業などあてにならず、移り変わっていくことの理解です。
(自分のそこがお互いに廃れたくなかったら、お互いに認め合って、繋がれば好い)
‥それならそれで、終活なんか気にせずとも、良いわけです
‥死ぬのも自分で面倒見ろと煽ってるのが「終活」の本質ですからな
‥実に、はしたなき社会です。自分さえ死ぬ準備ができれば良く他人のことなどどうでもいいと
‥そんな先着様の社会構造だから
‥冬仕度にしても個になってしまってるわけですし(どうしたって有り得ませんよ)
1-8)4
|父の杖立てかけしまま冬に入る 静岡市・清風俳句会
|父の杖立てかけしまま冬に入る 酒を断って以来静かなり
> ‥ネタの句は、どことなく息災に能わずの趣でーす。
> それにケチを付けても始まらないのですが、どう引っ張るべきかでスッと出てきませんでした。
まず、父の年齢が想像できません。
その者がどのような向きから杖を使うようになって、さらに今立てかけたままにあるのか?
なぜ誰も片付けていないのか?(‥まぁその変ちっとも分かりません)
想定される流れとしては、
‥足を挫いたか何かで、杖を使うようになって
今度は、片脚をかばってきた無理がぎっくり腰に現れて籠もりがちである。
‥腰を痛めて以来杖を突いていたが
今度は膝まで痛くなって、塞ぎがちとか。
‥酒飲みがたたって、足が痛風の所、杖を突くようになり
しばらく酒を断っていたところ良くなって来ていたようで、たびたび放置が見られるようになった。
> それでは、前向きにも、痛風の解消ラインで詠んでみましょうか。
ここで、さらに悩ましいのが、詠み手の立ち位置です。
父と呼ぶ側の年齢です。どうしたって、父親が痛風で仕事してねぇとか最悪です。
(‥それこそ自己責任もとい自業自得っすからね)
子がまだ学生だったら尚のこと、どうしったって軽蔑の眼差しになりかねません。
(他の案の‥怪我ばかりの様子も様になりませんけど)
でも、かなり冷静な立ち位置です。つまり成人して仕事している年齢っすかね。
(句会に出るほどですからね、まぁそんな向きで考えて良いでしょう)
‥と、さらに、その杖を普段チェックしている度合いも定かにありません。
(同居かどうかも判りません、概ね、句材にした程度なのでしょう)
(案外、当人健康そのものかも知れません、近所に暮らしている感じは漂っているように思えます)
‥とりあえず、そんな感じで
そうならそうで、普段から杖の様子なんて観察していないと
それがどうしたことか、ここしばらく目に付くように同じ場所に立てかけてあると‥
(まぁそういう感じになりますかね‥パターンは色々想定できますが)
「出掛けてるのかな?‥出掛けてないのかな?」と、判然としない立場ということです。
このどちらとも言えない所を、どう掬って表現するべきかにいささか悩みました。
‥結果、「静かなり」と置くのが
‥如何様なパターンにあっても、どうにも解釈利きそうで落ち着いてるかなと。
1-8)5
|時雨るるや足場組立つ鉄の音 静岡市・清風俳句会
|時雨るるや足場組み立てかじかむ手 自販機あったか有り難く
|時雨負い打った生コン二十台 合羽洗い合うかぶりホース
*時雨れる(しぐ-る下二段)‥「時雨」とは異なり、動詞化させては季語に無いようです。
‥「時雨るる」と気持ち良く詠みだしてみたものの、季語の扱いに無かったと。
今時の足場は、金属パーツの組み立てですからね、鉄そのものです。
「鉄」と盛る意味が実はまったくないのでーす。(これで五音空きました)
‥下五がまったく詠めていない落ちに、如何にも俺の仕事を否定された感が漂っちまいますが
(冷静になって)季語じゃ無いならないで、「かじかむ手」と盛るだけかと。
> 冬場の雨時の外仕事、しかも、鉄パイプを持ったり下ろしたり組み立てたり
> そりゃ、手が冷たくもなるわけです。そりゃ、自販機のホットがありがたいわけです
‥でも、あれですよ
貧乏根性に育つと、自販機を使うという事自体がリッチに見えるのです。
(コンビニで買い物するってのも同類の面持ちです)
(人によっては貧ゆえにコンビニしか知らねぇ状況も有り得るかと思われます)
‥貧乏根性丸出しにも
清貧を誇っちまってたりすると、そこの心配りの度合いがまったく読めない奴になるのでーす。
(まぁ、俺自身がそうだったのですが‥頭でそこを判るようになっていたとしても)
(句に整えてみようだなんて、これぽっちだって浮かびませんでしたぜ)
(あーいうのはあーいう世界なんだなぁとだけ‥漫然と思ったままでしたっす)
> その片手にまた、造成現場に対する自然破壊との偏見もあるわけでーす。
‥何の因果か、棒振りの仕事を選び(多少興味があった)
はじめての常駐先で目にした光景を、改めて詠んでみたのが、生コン二十台です。
(細かきを云えば、二月中頃だったような、二十五台は来たような)
(二月で時雨では合ってません。どちらかというと春雨です‥まぁいいか)
(霧のような小雨でした‥風情としては時雨に近い記憶です)
生コン打ちが始まると、現場の作業員が総出で、打ちむらを出さないように掛かりっきりになります。
‥冬場の雨の寒い中、造成中の現場ですから泥になります。着ている合羽も汚れるのです。
その泥に汚れた所をそのまま、背中の上からお互いにホースを掛け合って綺麗にしているのを
目の当たりにして、「スゲー、何これwww」などと世間知らずにも感心したのを覚えています。
1-8)6
|へし折れし枯蓮の池空ぞ澄む 静岡市・清風俳句会
|へし折れし枯蓮の池地蔵問ふ 「再びとそのままどちらが好い?」
|蓮池や仄か開きて地蔵問ふ「そのままと再びどちらが好い?」
|見渡せば両に移ろう無常かな 学べと節目の再びや
‥「枯蓮」は冬模様、「空ぞ澄む」は秋模様。
どうしたって、俳句としては問題有りきの様相です。
(そこの無理を、納得させ得るだけの捻りがあるようにも見えません)
> そのままでは引っ張りにくいので、説法風に仕立てました。
蓮枯れを見せられては、どうしたって「再び」と答え
蓮の花の咲いた所を見せられては、「そのまま」と答えざるを得ません。
‥だからでしょうか
双方の言い分が成り立つように、移ろいとした「無常」があるのだと‥
生きるにおいて、学ぼうとしないのでは、それこそ蓮枯れのままにあると云うことです。
矛盾しているように見えて、「学びたる視界」においてのみ、矛盾せずに成立しているのです。
節目を得ることを以て、良かれと思うべきにあるのです。
> ‥人生の勉強なんぞしようとしなかろうと
> 所詮はどこまでも、イタチごっこにあるだけとして
> 痛い目を見た方が手っ取り早いなどと、心のどこかに思ってはいませんか?
‥それって、何であろうと
まずは成功体験を味わってみなければ、理解不能とした言い分の裏返しなんですよね。
それこそ無理難題で、パラレルワールドが幾らあろうとも追いつかないと言うことです。
つまり、据えおかれて当然の際に同調してしまっている落ちになります。
(尤も、宇宙を計画した計画側が据えおかれているような現状にありますので)
(それ以上を期待する方が、無理というものなのでしょう)
(大事なことは自分で見つけて自分で形にする)
(それの自己実現たる人間としての究極が覚醒・覚者と言うことです)
(世界は自分をまんなかにして回っていると‥そう思えるかどうかです)
(思い込んでいるかどうかではなく、実際に運否天賦(パワー)を引っ張って来るかどうかです)
(宇宙に同調して在るかどうか、宇宙に賛同して在るかどうか‥です)
(‥宇宙たる容れ物がどうして滅ばぬのかを理解できているという意味でも有るのでしょう)
1-8)7
|白からのスタートでした今多彩 伊豆市・川柳ともしび吟社
|真っさらのスタートからや今の色 染めも染みも折り込まれて吾
‥始まりが「白」とは限りません。
とりあえず、空白から始まるというか‥朧から始まるというか‥
そこをどう表現するかというと、「まっ白」「真っ新」「一様」辺りかと。
それに、様々な色が加えられて、自分が在るように見えるのです。
自分に対して「染められる」とは言いますが、「染めあげる」とは言いません。
「汚れちまった」というように、自分から自分に色を盛るのは大概に、「穢れ」「恥」です。
それらを清めるを以て、自分で色を盛るとする塩梅でしょう。
‥翻せば、色が欲しいと思ったら、染められてしまった方が早道と言うことです。
そこを気に入らないと思えば、自分で洗い清めるほか有りません。(怨むなんて次第は論外です)
> 自分の色は、染められる為に作用し
> 気に入らなければ、自分で色を洗い清めるを以て、意志と言えるでしょう。
自分の色は自分の為には使えない‥それが個性のそもそもの性質だったのです。
まるで何かに似てますね。そうです、商売です。(発行権と金利です)
自分で品物は作り出せるにせよ、それが自分に必要な分以外は、どうにも自分には無駄にあるのです。
(外からマージンを得ないことには、商売とは言えません。赤字です)
それと同じで、自分の個性を自分の為に用いてみても、大きくは育たないのです。
世の中を塗り染めるが如しに活用して、ようやく、自分に色が染め上がっていくのです。
「染められる」と言えるでしょう。
‥それこそが、あなたが何をしたのかという次第に対する反応の色合いです。
> それゆえに、あなたは何色に染まっていくのでしょうか?
逃げ出せば、逃げだした色に染まっていきますし、攻めればそれに沿った色を身につけていくのです。
そうです、自分に正直に行動し合わないのでは、私達はお互いに私達らしくは見えてこないのです。
少なくとも、私が私らしく在る為にも、私らしく映って見えるべきです。
‥そう思うなら、尚更に、自分に正直に行動する必要があるのです。
自分に正直に自死する‥時と場合にも寄りますが、
それが、自分らしいとばかり思っていては、常に犠牲になるか死ぬかです。
そこに未来は有り得ません。(つまりは必要の無い必要になってしまうばかりでしょう)
「必要の無い必要を強いる私達とは何でしょうか?」
他人の色を盗むに同義です。他の色の活躍を阻害する事を以て、自分の色を目立たせてみせるのです。
どこかで見たような風景ですね。
自分が一番に活躍できれば好いなんて思考がまさにそれです。
‥その為の努力を惜しまない
それこそが私だとしているのが資本競争です。資本支配です。
そこに意識を集中させるように仕向けているのです。(効率の良い未来搾取です)
自分が有意義に染められることも叶わず、
自分で適当な劣等感を思い込んで、色に染まっているとせざるを得ないのです。
1-8)8
|本当の色は見せずに生きている 伊豆市・川柳ともしび吟社
|本当の色を知らずに生きにたり 値打ち変わらじそこに甘えて
‥本当の色を知らぬのなら、見せることも叶いますまい。
ネタの句は、いま一つ、本質に向けたツッコミに欠いています。
> ‥「生きにたり」と「生きたり」の違いとは?
(生きていたんだなぁ)(生きて来た。これからも生きて行く)
‥まぁそんな感じかなと。
> 実際、どのようにあろうとも、人間としての価値基準は変わりません。
‥そう思い込んで
そこに甘えているのが資本主義でもあります。民主主義でもあります。
すべての宗教に共通したエゴなのでーす。
そこには、人間主義にも理解しようとしない頑固さがあるばかりでしょう。
地球環境からしてみれば、阿鼻叫喚です。
命の公平を判断できないままなら、それこそ人間失格です。
(判断できないなら、まず‥「科学的躍進などとえらそうな口を並べるな」って意味です)
其を「人類的甘え」と唱えずして、何を「甘え」と言えるのでしょうか!?
‥為て善きと悪しきの判断も付かないようなら、科学も競争もクズなのです。
ワルが居た方が、ムードも理解も進むから否定される覚えは無いと言い張ってみても
自分で判断できないことにまで、利便性があるからと賛同しているのもどうかと言うことです。
失敗を前提にするなら、それこそ、それに則した代替の準備が欠かせません。
大して科学力も無い内にそこを競争してやりましょうなどとクルクルパー以外の何でもありません。
しかも、科学力を付ける為に、戦争を死合いましょうなどとキチガイ甚だしい限りです。
馬鹿ですか、アホですか、どれだけ運否天賦を自慢したいんですか?
人類の有史を見る限りそこにあきれて絶望したって不思議はありません。
‥知らずとも、希望を抱いて生きられるって、どんだけお花畑なんですか?
> まずは何事にも、諦めてしまっている存在を自覚して事に当たるべきなのです
> ‥それ以外の慮りなんざ、概ね大した役にも立ちませんからな‥
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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