2017年02月09日

【勝手句帳】079 29-2-4/2-7 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/02/09

水鳥金波銀波の湖となる        静岡市・なずな句会(2-4)


 ‥「水鳥」「金波銀波」の余韻に
 とある白鳥の画像を思い出しまして、白鳥で詠んでみました。


|白鳥や金波銀波に揺るる澪 向き合ふつがい姿まるハート


 swanheart01 .jpg swanheart02.jpg



|行く年やしづかに深き猫の息       富士宮市・湧吟行句会(2-7)

|行く年やしづかに深き猫の息 こたつに並ぶとろやかな顔


 ‥なかなかに(ニクいぐらい)、猫の寝入っている様子を捉えています。
 こちらも負けじと引っ張ってみました。




|日脚伸ぶ影のごと添ふ盲導犬       富士宮市・沼津今沢オレンジ句会(2-4)

|盲導犬ひかりのごとく添ひつれて 日脚伸ぶかな有り難き影


 ‥ネタの句が、どことな〜く腑に落ちなかったのですが

 それもそのはず、盲目の側からすれば、
 盲導犬は「光り」なのです。闇の中の救いなのです。

 「影」だと頭から思ってしまうのは、お目々に不自由しない側の言い分です。
 ‥主観に詠めているようでいて、実は、お馬鹿にも上から目線をやらかしていたと。


> まずは、そこを正しておかねば、盲導犬たちに申し訳が立たないのでーす。


 ‥それにしても盲目の側からすれば、有り難い影に違いはありません。
 (私たちの人生そのものです)

 守護霊などと‥兎に角よくわからずとも、
 つまりは、怪我をしない程度の案内をしていると言うことです。
 盲導犬に過度の期待ができないのと同じで、守護霊もその範囲なのでしょう。

 まぁそう考えると、普段から直感(合図らし)について考えていないのでは、
 守護霊からの何の通信も得られないという事です。

 日常の思考に去来する「何となく‥」の感度を研いても
 まぁ精精が、手痛い思いをしない程度の範囲と言うことになりますが、
 ‥でも、それだけでも十分に有り難いわけです。


 「人生において、私たちは盲目も同然なのですから」


 ‥宝くじが当たるとか当たらないとか、そんなのはどうでも良いと
 心が明るく開かれる方向に案内されているかどうか、まぁそういう事のようですな。
 そして、その光りたる方向にあろうとも‥道中、雨も降れば風も吹くと言うことです。



1-7)1

|落日に真っ向勝負枯木立つ        清水町・清流句会(2-4)

|落日に真っ向勝負冬紅葉 無駄に吠えたれ星仰ぐかな


 ‥「落日に真っ向勝負」何を言ってるんでしょうかね??
 「枯木立つ」では、あまりにも比較勝負にならないので、「冬紅葉」にしてみました。

 ‥共に、斜陽同士の趣です。赤づくところの斜陽同士の張り合いです。

 そんな斜陽同士で張り合っても、
 釣瓶落としにて、その頭上には、夜の星の輝きを見上げるばかりでしょう。


> まるで、諺のような風合いです
> まるで、諺に見るツッコミです
> まるで、新しき諺の登場のような(チッ‥そういう詠みっぷりも有りだったか)




|霜の夜や鉄橋渡る貨車の音        清水町・清流句会(2-4)

|霜の夜や汽笛鉄橋越えにけり あとに残れる外の静けさ


 ‥ネタの着目はまずまずです。
 惜しむらくは、貨車の音だけでは、それほど遠くまでに響かないと言うことです。
 ここでは、響いてこないと、どうしたって鉄橋を渡っている様が伝わらないという事です。
 音で勝負するなら、ちゃんと、音が遠くまで聞こえる様に整えないといけません。

 とくに寒い「霜の夜」にあるわけですから

 ‥そこの空気の澄み切った感を、響かせることで伝えずして、ここの着眼は完成しないのです。


> ちなみに、「あとに残れる」の主体は、夜の闇です。
> すべてに共通することですから、「たり」ではなく「り」ということのようです。



1-7)2

|平常へ戻る暮しや冬の水         富士宮市・湧吟行句会(2-7)

|平常に戻る暮らしや冬の水 ひねれば垂るる日々に慣れしか


 ‥まぁつまり
 水道が凍結してしまい使えなくなっていたのが回復したと。そこを手堅く詠んだ句のようです。

 それにしても「暮し」の省略には納得致しかねます。
 「暮れ」+助詞「し」の時に、どう表現する気なんでしょうかね?(まったっく‥)




|一番風呂を柚子に取られて冬至の湯    島田市・川根榾火俳句会(2-4)

|柚子殿が一番風呂の冬至かな かぐわひよろし甘んずるしか(2017/02/11)


 ‥どうでも好い着目ではありますが
 あまりにも雑に思えたので、手直し&リスペクトしてみました。
 所謂擬人化と言う奴でして、手直しは萌え調になっとります。


> 引っ張りのここでの「しか」は、これしか無いの「しか」になります。
> 助動詞「き」の已然形ではなく、助詞になりますのでお間違いなく。



1-7)3

|初春湾越しの富士母と見る       富士宮市・沼津今沢オレンジ句会(2-4)

|初春湾越しの富士に手を合わす 思えば詣で日に尻を向け


 ‥「初春の」と引っ張りますと、そのまま「富士」にも掛かってくる雰囲気でわかりにくいのです。
 ここは「初春や」と一旦句切りましょう。

 それにしても、「湾越しの富士」ですか、なかなかの拾いです。
 しかし、自分の尻を南に向けるわけです。
 夏はそうでもありませんが、正月であれば、確実に日に尻を向けることになります。

 私たちの文化は、太陽信仰と言いつつも、
 ‥新年早々から、お日様に尻を向けて、神社仏閣で初詣して来たというわけです。


> まぁどうでも良いんですけどね
> 対策としては、神社仏閣には夜中のうちに行き、朝には日の出を拝むと


 ‥あ、そう考えると、富士山の頭のギザが3つに見える方位は、富士宮側ですから
 浅間神社の位置は、伊達に、その位置を選んだというわけでも無いのかなと。
 (でも、神社の作りの方位は変わりません)

 ‥とはいえ
 富士山の山頂の形からして、そこを推し量らんばかりなら
 神界がその辺をまったく気にしていないとも思えませんな。




|風紋の砂丘に一羽初鴉          静岡市・なずな句会(2-4)

砂ざれや風紋崩す初鴉 されど砂ざれ砂丘のまま見


 ‥ネタの着目は、ただの情景にすぎませんが、無駄にシュールな趣を誘います。
 それもこれも「風紋の」響きが、鴉共に呪術的な匂いを醸すからでしょう。

 鴉が砂浴びをするのかは知りませんが、物好きな鴉がいないとも分かりません。


> それにしても、年明け早々に砂丘に行くんすかね?


 里に近ければ、行く気にもなるでしょうが
 それにしても新年早々砂まみれというのも物好きかと。

 ‥そこを思えば、新年だからこその砂丘の視界とやらが気にもなりまーす。

 されど砂の世界である点に、なんの変化もありますまい。
 あるとすれば‥鳥取砂丘の雪景色
 ‥ググって見てみたら、ただの見事な「雪ざれ」のようです。

 (でもまぁ、なんちゃってデッカい道気分は味わえそうですな)
 (小さい子供を連れて行って、「ここが北海道だぞ」とふっかけてみるのも楽しそうです)




|初鶏や八十路の坂も意気盛ん       静岡市・椿の里吟行句会(2-4)

|初鶏や八十路の坂も意気盛ん オムツなしボケなし介護なし


 ‥どれ程に「意気盛ん」なんでしょうかね??
 八十路のそこん所の身体的具体度なんざまだまだ知りませんから
 外見から分かりそうな範囲で引っ張ってみました。

 ‥それにしても、老い方にも、格差が有りすぎる気がしないでもありませんな。



1-7)4

風音に負けたる日差寒の入        静岡市・なずな句会(2-4)

虎落笛負かして日差惜しませり 天気良かれど暮るるぞ早し(2017/02/11)


 ‥ネタの詠みは、それを言うなら
 「虎落笛(もがりぶえ)」だろうと言わんばかりです。

 ということで、手直し&リスペクトになりました。


> ‥今日もまた虎落笛か
> これではせっかく晴れても、日短が手伝って、ちっとも暖かさを感じ得ない。
> それこそ、もう日暮れかよと思うばかりだ(雨に雪よりはマシなんだけどさ)




|雑踏を押し分け派手な冬帽子       清水町・清流句会(2-4)

|雑踏を押し分け派手な冬帽子 赤づくスケボー シャアのごと


 ‥ネタはよく詠めているようでいて、実は曖昧な風景です。
 「雑踏」も抽象、押し分けも対象が抽象、派手な冬帽子も抽象です。

 (正確を問えば、言葉なんてみんな抽象なんだけどね、そこはツッコまないように)


 ‥ここで分かっているのは
 リア充風情は、雑踏を押し分けるような所にはさほど現れないと言うことです。
 (レジャー施設内の混雑はあるでしょうが、雑踏扱いするかどうかは別です‥)


> では、その派手な冬帽子とやらは、どのような方が被るんでしょうかね??
> しかも場所は、雑踏です。押し分ける程の忙しさと‥??


 ‥考えた末、スケボーしか思い浮かびませんでした。
 (渋谷交差点のアレを、赤づくしのスケボーで駆け抜ける‥コマーシャルネタっすね)
 (渋谷交差点のアレを、リフティングで駆け抜ける‥こちらの方が良いかも)



1-7)5

|一斉に落葉の駆ける風の道        清水町・清流句会(2-4)

|一斉に手柄ぐ楓と武士の槍 木枯しあとの時雨ざれすら


 * 手柄ぐ(てがらぐ)‥手柄をわれ先に争う気配。
 「ファイトぐ」では、どうにも似合わないので「手柄ぐ」です。


> ネタの句をひと言で言うと「木枯し」です。(よく詠めましたんパチパチ)


 でもそれだけでは、どうしたって不足です。
 そこから、その整いを用いて、如何に発想を飛ばすかです。
 ‥型としては、キッチリはまってるわけですから、韻の印象から再利用しやすいのです

 (まずはそこに気づきましょう)


> この「手柄ぐ」がサムライの本音だとすると


 明治以来、平民とは名ばかりに、皆一様に「みなし士族」に仕立て上げられ、
 「死ぬこと」を武士道として強いられてきたも同然です。

 ‥今更なわけですが

 手柄ぎたい連中も居れば、そうでも無いのも居るわけです。
 なにをそんなに一億総武士道に置かれなければならないのか‥(奇妙そのものです)

 ‥そこの選択肢の無きが民主社会だとか、ふざけているにも程がありすぎです。

 民主社会であれば、手柄ぎたいかどうかに選択肢があって然るべきであり
 会社経営だろうとなんだろうと、尊重されるのが然るべき民主社会像に思います。

 ‥でないからこそ、江戸時代より下まわるのです。
 ‥でなければこそ、皆一様に使い捨ての駒の如しっす。(誰が主君なんだよ!?おい)


> 放っておくと、それこそ本物の戦場へと再び送りやられかねないのです。
> 沖縄の再工事の気配は、まさにそういうことのようですから。




|ひっそりと葉がくれに見ゆ侘椿      静岡市・椿の里吟行句会(2-4)

|ひっそりと葉隠れにけり追い椿 武士の誇りと意地染むる自刃


 *侘び(わび)

 ‥ネタは、寒椿が散っている所を斯様に詠んだようです。

 「ひっそりと葉がくれに」とは、なかなか、悦に入った詠みっぷりです。
 しかし、あとが続かないと‥(残念)


> ‥武士道としての自刃。過労死&生活苦死は、如何にもそれの現代版なのかなと‥
> 一億総活躍=一億総似非武士道


 「で、誰が主君なんですか!?」

 ‥今や、アメリカではありません。
 日本のマスメディアからして、アメリカに意見を堂々と述べています。
 それが、トランプこそが、別の背景を背負った合衆国大統領だからです。

 日本のマスメディアが主君と仰いでいたバックは、別に居ると言うことです。


 ‥手短く言えば、資本経済と言うことです。
 右肩上がりが期待できないとお給料が貰えないと。穴熊戦法では困ると。
 外に出てくるように強制し合うのが一億総活躍の前提と言うことです。

 一層のこと、アメリカが鎖国してくれれば良いのに‥と思う次第ですが‥
 (まぁさすがにそれは無理でしょう。多民族国家ですから)

 田舎に居るままでは退屈だから、一暴れする為に都に出掛ける‥旅の恥は掻き捨てなのです。
 それの一番におぞましいのが中国と言うことです。
 ‥それが正されること無く垂れ流しなのも、多民族国家としての諦めなんでしょうな。

 で、そっち側に肩を並べて、刀を振るい合いましょう‥もとい
 知恵を刀に、競争しましょうというのは自明です。


> そんなのは手柄ぎたい奴だけでやりゃ好いんだよ。どうせ下り向きの仕合なんだろうしさ。
> 基本的人権を無視しやがってよ、「ふざけんな嘘つき!!!」


 資本経済のマージン欲しさにしてしまう誤ったあれこれは、戦時下の農村強奪と同質です!
 ‥まぁその辺は、侍もヤクザもマフィアも役人も同じでーす。
 ‥農民を、下々を、カモにしか見なくなる点でどれも同質。だから糞。資本主義死ね。滅べ!

 ‥しっかりと境目を設けて保障せよ、その上で競うなら競え
 ‥しかしそうなったら、もはや資本社会とは誰も呼ぶまいて



1-7)6

|山風を待つ待たず散る紅葉      浜松市・えぼしやま俳句会(2-4)

|山風を待つ待たず散る紅葉 チャイナ資本のバブル模様


 *山風(やまかぜ)‥夜に山から谷へと向きが変わる風
 *谷風(たにかぜ)‥昼に谷から山へと向きが変わる風(盆地・谷・山沿いで見られる)


 ‥ネタの「待つや待たずや」で「や」を用いるより
 「待つも待たずも」と「も」の方が、「散る紅葉」の側の自然な散り具合がより伝わりやすいかと。

 「待つも散り紅葉、待たずも散り紅葉」と言うことです。


> 国家が、バブル崩壊を宣言しなければ、バブル崩壊にはならない。


 ‥なんて話にもなっておるようですが、チャイナ景気が後退局面にあるのは明らかです。
 どちらにせよ、なぜか‥中国の場合、上が大なたを振るおうと振るうまいと
 勝手に栄枯盛衰のバブルがあちらこちらで、頭をもたげては消えているのです。

 ‥商魂たくましいというのか、図々しいというのか、抜け目ないというか
 富貴にあやかりたいだけの馬鹿野郎が多いと言うことですな。

 富貴の手本となる国民的シンボルが存在し得ないのが、現在中国の欠陥です。


 そもそもがただの欧米化です。しかも、中国らしさなんてどうでも良い風潮のように見えます。
 自分たちの暮らしに合わせてアレンジするとした文化が有ったか無かったかの差が大きいのです。

 ‥結果

 欧米以上に貪欲で、きたならしいイメージしか広がっていません。
 そのそもそもにしても、手本となるべき富裕層からしてそうだからでしょう。
 トップを名乗れればOK。カネさえ手にできればOK。
 ‥あとは知らねぇよ。細かい定義なんざ必要無い。そういう文化圏と言うことなのでしょう。




|棲み古りてどの部屋からも隙間風     浜松市・えぼしやま俳句会(2-4)
|棲み古びどの部屋からも隙間風      手直し 



 ‥どこから探してきたのか知りませんが
 古る(ふる)の読ませは、無理があるように思われます。
 古びる(ふるびる)の方が、まだ日常かと。


|平成やどの街からも隙間風 嘘と裏切りの顔去るらし


 ‥平成なる時代が、如何に在ったかを総括すると‥斯様になるのかなと。
 平成の顔と言ったら、言わずともあの御仁でしょう。

 ‥いやはや、そういう事になっちまうんですよ。

 それが俯瞰でもあり、総括でもあると。
 「このまま引き下がっちまって良いんでしょうかね??」

 最後にちゃぶ台返しして置かないと、ほんとそのまんまっすから。
 ‥少なくとも時代はそういう流れだったと。
 ‥その時代のそれこそ象徴だったと言うことです。


> 世界の富豪が、一番に仰ぎ見、今や憧れ返している存在。
> 其を欲しいままに築き頂いて、尚、格差社会に転じてそのまんまの時代。
> ‥裏切り以外の何者でもないだろうさ!


 ひっくり返して終えれば、やり遂げた。
 そのまんまで過ぎたれば、それこそ裏切りの勝ち逃げ同然っすから。

 ‥さてさて、どんな顛末に至るのやら。



1-7)7

|記憶にも時効のありて落葉焚く      浜松市・えぼしやま俳句会(2-4)

|記憶にも時効のありて落葉焚く 残さず灰に黒歴史散れ


 ‥ネタは、思い出の品々を処分していると、そのように受け取れるかと思います。

 まぁそれの全部を黒歴史と言い盛るのは、不適切かも知れませんが
 読みが川柳っぽいので、思いっきり、ドスを利かして引っ張っております。




|ぬかるみを超えて踏み出す歩が広い    浜松市・浜松川柳社いしころ会(2-7)

|ぬかるみを超えて踏み出す歩が広い 這い上がらむとここぞ負荷来る


 ‥ネタは、なかなかの目の付け所です。
 ぬかるみから這い出ようとしている最後の一歩で、大股気味にもリキが入ると。

 ‥そう言われて見ると、物事の締め括りのすべてがそうです。
 それが人生のぬかるみという次第にもなると、大きすぎてその境目が分からずに

 どこで一番に力を込めれば善いかが、ちっとも分からないと。

 でもまぁ、そこの判断よりは、確実にぬかるみから岸へと近づいているかどうかです。
 マイペースであれば、そのまま通過していたとするのが基本姿勢になるかと思います。
 ‥踏ん張り所を無理に探そうとするから、手繰り寄せようとするから‥迷いにもなると。


> これは勉強になりました。(こういう句は有り難い)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:14 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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