↓6)向宜詠吟.2017/02/22
|風花に飛び出す児等の声響き 藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ初句会
|峰峰の惜しむ便りや風花く 気高く生きよわらい飛ばせよ
*風花(かざはな)‥風花とは、山に積もった雪が風に乗ってやってくる現象。
‥冬から春へと向かう晴れた日に
まだ雪の残る山肌を撫でて風に吹かれ飛んでくる細雪が
ひらひらと風に舞い散る桜の花びらのようにはかなき風情ある気象。
「晴れてて雪が舞う風花はとっても綺麗」とか‥
ただし、「風花が降る」=「気温は低い&風がとっても強い」‥兎に角寒い日なんだそうでーす。
http://blog.livedoor.jp/creaism/archives/50104765.html
http://www.chubu-rips.jp/kazabana
> いやいや、そんなのまったく見たことがありません。
> ‥所謂、樹氷のそれとも違うようですが、季語ということでググりましたぜ
‥そりゃ、雪ではしゃぐなら、風花だって、そりゃはしゃぐでしょう。
ネタの句は、そういう詠みですが、そんなん引っ張ろうにも見たことありませんので没です。
(個人的に見たことない景に「山茶花」の句もよく見かけますが没でーす)
‥でもまぁ、ここまで調べたら詠まざるを得ません。
でも詠み手によっては、土砂降りの雪でも「風花」と盛ってるケースも見られます。
どうにも、統一感が得られていない季語にあるようです。
(‥というかそもそもが方言です。土地土地の解釈の違いもあるような‥)
> リスペクトは、そこの所の理解になればと思い詠んでみました。(かなり強引っす)
‥もう春が来よったか
‥この雪を被った凛々しき姿がお気に入りなんじゃが、我等とてわがままもできん
‥折角だし、この消えゆく雪の使い道を考えてみたのが「風花」じゃ
‥若人よ故郷の雪抱く山を忘れることなく気高く生きるが良い、辛きとて笑い飛ばすが良かろうぞ
|今年また臘梅香る友の庭 藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ初句会
|今年また臘梅香る友の庭 雪ぞ残れど春呼ぶ力
*臘梅(ろうばい)‥黄い梅。
‥臘梅は梅の種類だろうから、画像を拝めば何とかなるだろうと
思ったところ、どうにも紅白とは異なり雰囲気が梅らしくも何とも無い。
梅の梅たる力強さが「??」にしか見えてこない。(どこか悟りきった風情)
‥原因は、空の色と臘梅の色が
ハレーションの関係に有るだけで無く、葉っぱが無い若しくは目立たないからのようでーす。
> そんなこんなで窮まっているところに、チラホラしていたのが雪とセットの画像っす。
> ほほう、是なら梅らしく詠めるじゃないか‥(とまぁそんな感じっす)
‥それにしてもネタの句は、そつなくまとまってるっす。
(俳句としてだけで見ては、「今年」を盛るべきか否かで、意見が割れる所でしょうけど)
‥「今年また」が、「雪ぞ残れど」の引っ張りに見事一役買ってまして
敢えて「今年」と盛る意図にリンクして来るのです。(雪見が前提の花でも無いでしょうから)
> 短歌でも、斯様に構成立てて詠むなんてのは、そうそうできることではありません。
1-6)1
|剥げ落ちし稲荷の鳥居冬の鵙 裾野市・寿大学俳句教室
|木枯しや稲荷の鳥居剥げにけり 埋もれる思いかつての朱色
‥近所のお稲荷さんの鳥居の朱漆が手入れもされずにはげ落ちていると
‥そこに鵙がやって来て鳴いていました
「べつに、もずでなくてもええやろ」
まぁ鵙は縄張り意識の強い鳥なんで、
鳥居の塗り直しをするしないの内輪での意見の衝突を、漂わせはするでしょうけど
‥それは踏み込みすぎというモノです。
> 木枯しが吹くと、ここの稲荷の鳥居のすっかりはげ落ちているのが余計に切なく見える
> かつては、先祖代々、近所からも親しまれ、時には鳥居も手入れが行き届いて
> 朱の色が立派だったことが思い起こされることだなぁ(でも無理だから、堪忍してな)
|童心に返り枯野をつっぱしる 藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ初句会
|童心に返り枯野をつっぱしる 続かぬ息に思う負け越し
‥おやおや何でしょうね、どうして童心なんて云いだしたんでしょ??
気分だけでつっぱしてみても、どうにもならないのが普段の生活ぶりから来る衰えです。
「歳だから」なんて言葉で表現もされますが‥何言ってるですか、それはただの不養生です。
でもまぁ、咲き返ろうとしない限りそのまんまです。
‥そこはまぁ買いましょう。
> でも、頑張ろうにも始めこそ負けくそ感が続くのです。
> たいていはそこで挫折なんぞするわけですが、しぶしぶでも続けていると違うもので
> 年単位で身体の調子も気分も変わります。(まぁそのぐらいなもんです)
‥即効になんて肉体改造は無理です。そもそもが塵積もった不養生ですから
身体の方にしても、意識が有るので、主のやる気が本物かどうか推し量ってるんでしょうね。
当人自身が、事前予告も話し合いも無しに、「何言ってるんですか!?」って口なんですから
身体に対して、そこを急に無理強いしても駄目と言うことです。
無理強いしすぎて、休ませることを忘れていても、不養生になりますからね。
(要するに、どちらも極端で不養生そのものの思考ということです)
‥その辺、肉体の要求とて当人と同じですから。
(極端雇用が一番に嫌われ、皆でくれくれしては、日々の仕事量が希望想定内になるわけねぇ)
(というのと同じです)
(カラダの運用は、毎日使い込んでいる機械同然に適度に使い続けるのが適切です)
> ‥ネタの詠みが斯様な次第だったかは不明です。
毎日のコツコツが楽しいと思えたら、童心に返ってるんとちゃいますか?
(なんだよ、それじゃ、つっぱしるなんて論外じゃん‥十分に走れるんなら別だろうけど‥)
1-6)2
|手作りのお重彩る今朝の春 静岡市・船越俳句会
|手作りのお重が痛い今朝の春 そこまで要らぬ勝ち栗などと
*今朝の春‥新春の季語。ときに立春を指す。
*勝ち栗‥栗きんとんの別称。(お節メニューの一つで縁起を担いだ呼び方)
> ‥どうして、「今朝の春」が立春ではなく「新春」を主に指すのか?(これは不思議)
‥なんでも昔は立春がお正月だったそうです。その晦日としての節分だったそうです。
ということで「春節」と「立春」はまったくの別物でした。(最近気がついた‥OTL)
‥となると、太陰暦も二十四節季も大陸由来なのに
中国では、昔から春節を祝うのが一般的だったとなれば、
その昔の大陸での二十四節季の立ち位置がどうだったのかが怪しくなります。
‥重視されてもいないそれがどうして列島に持ち込まれたのか、まったく理解しがたくなるのです。
(列島に二十四節季が渡った頃は、仮に大陸でも好んで用いられていたとしても)
(色々とした政権の変転の中で廃れて、春節を祝うのが習わしになったのだろうか?)
(そもそも大陸においてのその二十四節季の発見みたいなモノはなんだったのだろうか?)
(グレゴリオ暦と二十四節季は、共に太陽暦なのに、どうしてこうも季節感が異なるのか?)
‥まぁその変も気になるところですが
日本では、昔から好いとこ取りだけをする習慣があったと云うことなのでしょう。
つまり、旧暦≒太陰暦という程度であって、そもそもの前提は二十四節季だったって事ですよね!
‥ここで重要なのは
教科書では、チャッカリと明治頃の「旧暦」たる呼び名のままに教えていますが
それ以前については端折ってます。
信長が天皇に対して、暦を地元のそれに変えろとか何とか云いだした‥なんて話もでてきます。
これは、地域間でも、役人貴族と庶民とでも、暦が違っていただろうと簡単に推理ができる話です。
> その原点とも言える和歌を辿ろうなら、途端にその不可解にぶち当たるのです。
‥そもそも、大陸からもたらされたという二十四節季は太陽暦そのものです。
縄文時代に稲作は無かったにせよ、栗栽培はありました。
木の実採取ゆえ、穀物栽培程に暦を気にする向きにはなかったのかも知れませんが、
> ‥太陽をまつる民族の根幹に(信仰として)
> 始めから太陽暦が無かったとしている前提の方に無理があるのではないかと‥
「太陽暦に結びつかない太陽信仰って一体何??」
‥ここから疑わしきは
大陸からもたらされたという説に幾らかの虚構が隠れているように思われます。
実は、日本には古くから二十四節季を理解する上での基盤とすべき太陽暦があったように思われます。
そう考えないとお話になりません!
日本の季節感に合わせて改良されている‥つまり改良する上での意図が存在したはずなんです。
(暦を検討する上でのよすがが何処にあったのか?‥という事ですよね)
そこは、後付けに考えるよりは、前付けとしての何かがあったればこそだろうと思えるのです。
それに沿うように言葉の不足を足したと考える方が無理が無いのでは‥。
(さしあたり‥大陸から導入したのは単に言葉だけだった可能性)
二十四節季そのものにさほどの意味は無かったのではないかと‥
まぁ一般には徐福らがやって来るまで、列島にはまだ文字が無かったと言われていますが、
仮に有ったにせよ、漢字に表現する上での統一した見解が無かったのではないかと‥
‥ところが、導入してみたものの
情報を正確に伝達する通信網も無かったわけですから、各地に広まったのも言葉の方だけで、
暦としての統一感までには至らず(戦などで神主が不在になったりの都合)
まぁまぁ現地重視の所もあり、多少バラつきが見られたとか‥
> ‥とまぁ前置きが長くなりました。
それにしても、いにしえの庶民に正月を祝う習慣はあったのでしょうか?
有ったとしたら、やはり神社の存在が大きいように思われます。
(参拝有ってこその正月でもあるからです)
(この神社が暦を扱ってこなかったという事になりますと)
(ますます以て、「太陽暦と結びついていない太陽信仰って何?」って話です)
それにしても、庶民の正月料理は、常に同じお節メニューだったんでしょうかね?
(どうしたって完成形は、物流共に江戸時代頃かなと‥)
(そもそもお節って名前が付いてるんですよ、節分に作り置くから「お節」にあるのは一目瞭然です)
‥しかし
教科書に紹介される平安貴族の食事メニューを思うに
とてもとても、お節なんて有ったようには思えません。
‥どこから湧いて出てきたんでしょうかね、その「お節」の文化??
一方で、縄文料理は至ってグルメだったという遺跡跡からの解析結果です。
どうにも不可解且つバランスがちぐはぐしているのは明らかです。
(まぁどこかに、思い込み×嘘が混じっているのでしょう)
‥考えられることとしては
節分は年に四回、季節の変わり目の前日を指すという点です。
そう考えると、昔の人は、季節の変わり目を祝うことで、カレンダーにしていたのかも知れません。
(食物貯蔵の保存整理を兼ねた生活の知恵だったのかも知れませんね)
‥そう考えると、「お節」とは
季節の節目毎に催されていたホームパーティーの準備を意味していた感覚でしょうか??
(節分は、二十四節季でも雑節に区分けされており、日本土着として扱った方が適切に思います)
(信仰に基づいた行事と考える方が、太陽信仰らしい所ですが、どうにも良くわかりません)
‥その名残として、正月だけが残り
さらに、明治に暦が切り変わり、そのついでに、節分と晦日の意味合いが分離した??
> ‥そんな感じかなと思ったわけですがどうでしょう?
‥弥生時代頃より、田植えは立夏頃に終えるとして扱われてきたのです。
そういう事であれば、梅は立春の頃合いに咲くめでたき花、桜は晩春の花という解釈になります。
‥ほほう、立春の頃に咲くめでたき花。
ならば、大陸から二十四節気が導入されたのも、梅が列島にやって来たのも、
ほぼ同時頃と解釈しても良さそうですが、どうなんでしょうね??
*二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、
季節を春夏秋冬の四等区分にするために考案された区分手法の一つ。
(徐福集団が列島に持ち込んだとして考えてもタイミングは悪くありません)
(そして彼らは太陽信仰宗教者でもなんでもありませんでした‥それとも‥)
(列島の民草を取り込む為に振りをしたんでしょうかね??‥それとも‥)
(護摩やらどんど焼きなんて風習が根付くぐらいですから、日火習合が起きたとか)
> ああ、なんでお節に「栗きんとん」なんて出しちゃってんだよ
> どうせ俺っち負け組だぜ、今時「勝ち栗」も糞もねぇだろう
> そりゃ、好物だぜ、それが日本人だろうさ
> (でもなぁ、そう考えると尚のこと、縄文の幸に込める勝ち負けって何?)
> (‥縄文って、そんなイメージだったっけ?)
1-6)3
|お食ひ初め赤らめし顔祝膳 静岡市・船越俳句会
|お食い初め顔赤らめてそっぽ向き 見事な贅沢と残し膳
|これがこの贅沢はじむ朽ちはじめ ならべて下げて祝いの膳とは
‥ネタの「赤らめし」の意味が実に解りにくいのですが
「赤らむ」下二段+助動詞「き」連体形[し]のつもりの様です。
はぁ、そこはどう考えても、「赤らむ」四段+助動詞「り」連体形[る]の「赤らめる」かと。
爺婆から孫を見てなら、そりゃ、自分が赤らめた顔をしているわけではないので
他動詞風に盛るのが筋ですが、お食い初めを頂くのは孫の方です。
孫が主体は明らかなんですから、自動詞解釈の四段の方で盛るべきでしょう。
それにしても、「祝膳(いわひぜん)」は不用ですよね。
(じゃなかったら「お食ひ初め」って何?‥同じ意味並べて詠んだつもりになってどうするよ)
‥そこは、孫に関しての記録をしたためてなんぼかと。
ハッキリ申し上げますと、是のネタの、句としての評価はサッパリなのです。(お間違いなく)
> それにしても今時のお食い初めは、不可解な行事だと思います。
そりゃ、昔は、生まれても無事に成長できるかの確証もありませんから
(記念撮影のノリのような感覚で)
ここらで景気よく祝っておこうなんて考えにあったかも知れませんけど
‥今の時代、格差の象徴、飽食のグルメ指南、食べ残しの為の躾にしか見えません。
「もっと簡素で好いんじゃねぇの、どうしてわざわざ鯛の尾頭付きを並べる必要がある??」
‥お菓子の鯛焼きとか鯛の金花糖でええやろ、ほんとその辺、アホくさくてしょうがないわ。
なんなら一層のこと、見栄えは、食品サンプルにしてのレンタルでもええんちゃうの。
他にもカネの掛かるところ一杯あるやろ。
> そもそも、食べ切れもせんのに、丸で用意したって教育上宜しくないだけだしさ‥
大人が後で頂きますって言ったってさぁ、どうにもその姿は見苦しいとしか思えんだろう?
流れとしてはさぁ「鯛の尾頭付きのタイムセールでーす」みたいな。
‥子供に贅沢を覚えさせて、自分たちがそのおこぼれを頂く、どんだけ自虐な行事なんだよ!
「ふざけんなぁ!改善しろ改善!!!」
> お前らはそんなことにも気がつかんのか!、馬鹿ですか!、めくらですか!
> それとも何?、化石にカビのような伝統でさえ受け継いでいく気なの?
> それじゃ、既得権益の道具である政治屋を批判してもドングリの背比べだよね(何様だよまったく)
> ‥どんだけ有り難や信仰なんでしょうかね?(ほんといやらしいぜ)
1-6)4
|岩を打つ波の泡立ち冬の海 裾野市・寿大学俳句教室
|巌うがつ泡引く無念冬の海 仇討ち果たしたれど独り‥
*仇討ち(あだうち)
‥ネタの句は、まずまずの整いです。もっと捻りましょう。
というか、そこからどう捻るべきかを欲張るように成ってようやく上級者の階段かと‥
> リスペクトは、仇討ちを果たした人物の気持ちの想定‥もとい、覚醒方向らしということですが
> 果たして、仮に、斯様を思う輩が何%居たんでしょうかね?
> そこから人生をどう切り返せるのか?‥の問いでもあります
‥仇討ち人生からしてみれば、それはそれで一つの感度の鋭さ(覚醒)なのでしょう。
その先にある生き方は、まるで違う由が求められていることへの目覚めです。
然らば、討ち果たすことも可能にあったでしょう。
‥しかし、そこは決闘に持ち込む以前の段階で、おぼろげ成りとも浮かんでいることです。
強かろうと弱かろうと、それこそ誰しもが、覚醒らしき道程には立っているのです。
然れども、節目が訪れないと言うのも、なかなか実感に及ばないところです。
それがゆえに、どうしたって死合うのです。
‥その弱さゆえに、脆さゆえに、死合うことしか心に無いがゆえに、返り討ちに遭うのが相場です。
つまり
始めから‥勝利したとしても無念の質が変わらないことが悟れていたなら
仇討ちの途上に現れる様々な出会いの中に何かを見出したとて、さほどの恥にもなりますまい。
(‥ようするに、胸に誓った仇討ち(コレで辞めました)です。コレの質が重要)
そうに思えなかったからこそ、破れるのが流れだったのかも知れません。
(まるで、資本社会の競争観(負けパターン)に似ておりますな)
その先には、せいぜいが用心棒暮らししか待ってなさそうですからね。
(自分の懐が潤うなら、誰がどうなろうと知ったこっちゃない商売そのものと同根っす)
> ‥斬ることがすべての人生をさせたくて、仇を討って欲しいなどと誰が望むでしょうや
|仇討ちを仕向ける資本競争の1%未だに封建制度
‥そもそもの仇討ちを承認してきたのも武士社会でした。
(江戸期の武士人口:権限レベルで1%、実戦力レベルで1割、地元支援レベルで3割)
‥資本競争が承認されているのも、影で支配する家族連中が未だに封建制度だからです。
(資本社会カースト:既得権益レベルで1%、経営側レベルで1割、お抱え従属社員レベルで3割)
資本ゲームを仕掛けているうんちくこそ、自分たちのライバルを倒す為の駒になって欲しいそうです。
(まぁ普通に、組織に属せば、嫌でも運営側の駒になりますけどね)
‥ところがどうして、経営側が上で労働側が下の構図にあるのかです。
「お前らの幸せは俺らのもの」にすり替わっちまってるかですよね?
> 平等宣言してんだったら、上も下もねぇだろうが!!!
> いつの間にか、資本にひれ伏した資本王国経済にしてんじゃねぇよ
> 「基本的人権」の意味を吟味せずに、放棄しちまってるお前らの方が圧倒的におかしい!
「何が民主制度だよ!実は、資本カースト制度だろうが!!!」
‥すり替えてはいけないとも、勘違いしてもいけないとも、法律には明記されていないからな。
基本的人権の尊重なんて、しおらしく整えただけで、実際には、お互いに使い捨ての気満々っすもん。
実際そうでしょ。「経営赤字=雇用カット=禁止せず自由裁量=辞めるのも勝手自由」
自由が好いって言ってる奴らが、平和を唱えている傲慢同士の鏡似性がそこに有るわけでーす。
・合法的に奪い合える自由の実現(資本主義)
・他人がどうなろうと、法律に反していなければ罰せられない実現(市場原理)
・自分の過失責任(尻ふき)を後任に丸投げできる公認制度(投票選挙制度)
‥どれも傲慢すぎる自由の実現ですよね
(民衆が恐怖に侵されたままに望む自由なんざ、所詮その程度で碌なもんじゃねぇ!)
‥だからこそ、矛盾した世界の空気にさらされて生きざるを得ずも当然という事のようですな。
(斯様な鏡似性の中に、私たちは棲みついているようなものです)
(ちんまい世界に見えてしまうのもそういう事ですな)
> ‥そのちんまい世界観が大好きな輩程
> 坂本龍馬が大好きとか、それもまた鏡似性なんすかね?
だってそうでしょ、坂本龍馬という生き方はあったかも知れないが
坂本龍馬が成し遂げた何一つとして存在しない資本社会構造を平和とか抱いて喜んでんだからな‥
そんなお馬鹿らには、当時の明治政府で十分だったと云うことです。
(龍馬のつもりで頑張ったメディアや資本家こそが、フリーメーソン龍馬教ということです)
(龍馬になくても頑張れったって自慢げに思ってんだろうからな‥御本像ほど立派で無口が良いと)
1-6)5
|屠蘇を酌む独りの盃に夫の顔 静岡市・船越俳句会
|屠蘇を酌み浮かべる顔や亡き夫 幾年経ても正月だけは
‥ネタの句はどうにも、夫が居るのか居ないのか?生きているのかいないのか?
その点で、サッパリ判りません。
‥もどかしいので、亡き夫を思い出している詠みに手直ししてみました。
(実際の所はまったく以てわかりません)
|九十坂一坂越した晦日そば 静岡市・船越俳句会
|九十路一坂越したり晦日そば ここまで来たらばもう十杯
*晦日(みそか)‥大の字を付けるとおおみそか。
*九十坂(ここそのざか)、九十路(ここそのじ)‥とでも読むらしい。
‥年齢の境に「坂」を付けるのが流行ってるんでしょうかね?
まぁ生きるのが大変なご時世でもありますから、斯様に詠んじまうんでしょうけど
詠む時ぐらいその辺は平たくても良いでしょ。
ということで「九十路」に盛ってみましたが、どうにも読み方が覚束ないようです。
1-6)6
|些事一つひとつ片付け春を待つ 静岡市・船越俳句会
|些事一つひとつ片付け春を待つ 雪まる日々の日ぞ長くなり
*些事(さじ)‥少しばかりのこと。つまらないこと。
‥見た目平凡でも、なかなかの着目です。
さらに+七七に引っ張ると、そのまま手紙にも使えてしまう中身に様変わると。
斯様なお手紙をやり取りしているとしたらそりゃ風流ですよね。(なーんてな)
> 春が来るのが待ち遠しい、雪に囲まれた毎日がルーチン過ぎてもう退屈で仕方ありません。
> かような日々ですが、こちらもどうにか春めいて来ました。
> ‥とくに日長になったのが何より嬉しく思います。
|初霜や足にて落す鍬の土 裾野市・寿大学俳句教室
|初霜や足にて落す鍬の土 地味にめんどうこの先の昼
‥なるほど、そういうものですか?
それじゃ、鍬が泥にまみれないような加工を施したらええやん。
それこそ画期的な発明です。
‥研究予算は、軍事利用で提案しても
泥地での設営を早くできるようにするためとして、通るんちゃいますか?
産業レベルで考えても、泥にまみれないユンボの歯とか需要あるように思います。
それこそ世界レベルで、すべてを置き換えてそれを利用したくなる着眼かと。
> 研究予算が通らないはず無い!(すでにあるなら、民生用におろしてこいや)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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