↓7)向宜詠吟.2017/03/17
|小春日や歩幅合せて児の散歩 掛川市・句会あさかぜ(3-14)
|春の日や歩幅合わせて吾子と土手 はな見て笑ふ てふ見て笑ふ
‥着目は好いんですけど、ネタの詠み方では、言語としての主体がおかしいのです。
「歩幅を合わせているのは誰ですか?」
「『児の散歩』とした言葉の響きの持つ主体はだれですか?」
‥どうしたって、「子と散歩」と表現しないのでは、さっぱりです。
どうせなら、どこら辺を歩いているのかという方向を示した方が
映像としては、よりしっかりしてきます。
> その時、季語との兼ね合いが気になるところです。
「小春日」では、まだ肌寒い感触は拭えません。
そこで「春の日」としてしまえば、のんびり感が増してくるわけです。
‥引っ張りを歴史的仮名遣いにしたのは、思い出して微笑んでいる味わいとした所です。
(悩ましいのは、花が桜に限定されてしまう点です。漢字では強すぎるので、かなにしてみました)
|真青なる高みめざして揚雲雀 伊豆の国市・田方野俳句会(3-10)
|真青なる高みめざして揚雲雀 元気爛漫うたう春風
‥揚雲雀(あげひばり)とは、所謂、オスによる縄張り宣言行動。
ということなので、ネタの句はかなり踏み込んだ着想かと‥
‥どこが踏み込んでいるかというと
人間ごとのように、好き好んでしているかどうかの定かになき行動風景を
敢えて志の向きに置き換えている点です。
(まぁ繁殖行動の一つですから、好きも嫌いも無いと思いますけどね)
> 詩情という奴は、実際がどうかと言うよりも
> どう思ったかという点も欠かせないわけですから
> ‥是は、実際と描写のバランスとして好いと思います。
1-7)1
|早春の詩を探したき旅なれば 静岡市・羽衣俳句会(3-10)
|早春の詩を探したき旅なれば 雪残る里へのばしつ
‥ネタは、どう考えても俳句ではありません。
中途にも、短歌の上の句の詠みです。
さてさて、なかなか難しい下の句です。(上の句で字余りが二つと実にやりづらい)
> 早春に旅なんぞしたいと思った試しも無いので、まぁこの辺かと。OTL
どちらかと言えば、多少ではなく、キッチリ暖かくなってきた頃派っすからね。
「え?何?」‥それじゃ引っ張りと矛盾してるって?
いえいえ、そんなことはありません。
詩情としての整いは整いで、個人の好みは好みです。
この辺の切り替えも着目に対しての敬意ということですな。
それは自身への敬意と同質ということです。
‥逆を述べれば、そうで無いというのなら、自身への敬意も疎かということに‥
|飛ぶものをありったけ連れ春一番 静岡市・潮音木曜句会(3-10)
|恋なありったけ連れけれ春一番 戸惑いすらも青春なり
*恋な‥(恋がしたい春時分なのよね)てな感じですかな。
‥是もまぁ大きく踏み込んだ詠みっすな。
(もう少し分かりやすく具体性を示すことも大事かと)
> 自分が感じた着目に、より立体感を求めないことには、その先が見えて来ないケースが普通っす。
‥直感なんざそもそもその程度。研かないことには、何事も原石のままでーす。
‥直感だけでどうにかなるだろうだなんて馬鹿の判断ですな。
‥そこに賛同しちまっているのが競争原理。(まったく以てやる気なんて有り得ません)
> 競争原理に感じられる直感なんざただ一つ‥「必ずや空回りし続けるだけ」
‥はて、恋も早い者勝ちの競争原理でしたっけ??
だからそんな恋は上手くいくわけないっつうの。
それこそ、単にゲットしたいだけの物扱いっすから。(味見したいだけとも言いますけどね)
1-7)2
|初霜や畦道光る朝日かな 掛川市・南郷桔梗句会(3-10)
|小石投げ波紋楽しむ霜の朝 湖西市・川柳浜千鳥(3-14)
|‥また来たか霜の畦みちしろむ朝 「ビシッ」と行けと踏む音のする
‥なにやら霜の句が二点ほど有りました。
そこで不思議に思ったのが、ガキの頃の登下校途中に
霜が降りると決まって水たまりが凍っている風景があったように思い出されます。
はてさて、雨なんて降った記憶もあまりなく、どうして
乾燥してるのに水たまりができていたのだろうかと、煮詰まっちまっております。
‥誰かが水を撒いたから
‥夜の内に露、若しくは雨がぱらついたから
それにしても凍るんですから、わざわざ、冬時の夜半頃に水を撒く意味が不明です。(危ないし)
しかもあちらこちらでもなくタマに見かける程度だったように思います。
で、決まって、その道端にできた薄氷を踏んで割ってみたくなるわけです。
是は霜とは異なりますが、決まって霜とセットだったと記憶しております。
(まぁ近年は、舗装が行き届いちまっているので、斯様な風景も少ないように思います)
> ネタの句の「波紋楽しむ」は、大方、池か何かの薄氷を割るんでしょうか??
> 「霜」といったら、ほぼ朝方です。朝前提です。(そこをどう詠むかだと思います)
‥それを言い出したら「露」も同じ立ち位置っすけどね。
だからといって、「霜」一つに「朝」&「寒さ」こみだからと言われたってね、混乱するだけです。
言語的に正確に述べるなら、「霜」とは、霜柱として成った形状を語っているだけです。
それが成り立つ過程やその後気温が上昇するとどうなるかとした部分は「科学」なわけです。
「科学」=「日常の経験則」です。
一方で
‥普段とは違う朝を感じた
‥普段とは違う寒さを感じた、その感じたとする部分は「生命」です。
> 科学的な説明は求められていないのが詩ですが、生命としての余韻は求められているのです。
> ここの違いを疎かにしていては、どんな季語だろうと、詩情として整ってきません。
|さざ波の門池の面に雲垂れて睦月寂しき水鳥の影 沼津市・萩の会(3-11)
|北風は池のみなもを撫でゆきて 水鳥ゆらす襟立つ寒さ
*門池(かどいけ)は、静岡県沼津市にある池。
(ちょっとしたグランド程度の広がりがありますが、わりとへんぴな位置にある池です)
‥ということなんで
ここでの「さざ波」がなぜ立つのかというと、それは「北風」が吹くからです。
> ネタの句は、詩情として実に半端です。
‥「門池の面に雲垂れて」それは池の水面の澄んだ様を言い表しています。
‥「睦月」は、時節が一月であることを指しますが、そこに「影」と置いては夜の余韻です。
(さざ波がハッキリと見えるなら、夜という事ではないと思いますが、どうにも引っかかる部分かと)
> ‥引っ張りは、どうにも短歌止まりになりまして、+七七程には及びませんでした
1-7)3
|梅満開一山無重力圏へ 伊豆の国市・田方野俳句会(3-10)
|ただようて梅の香りや無重力 のがるまじと疑うも無く
‥梅で「無重力圏」とか、ものすごい踏み込みです。
でも漢字ばかりで、どうにも思わしくありません。
そもそも、梅の何が「無重力」に繋がるのかを何にも示してないのです。(残念)
> 梅園に足を運んだことが無い人が読んだ時、行ってみたくなるかどうかだと思います。
|豆を撒く力士は遠くの子等にまで 静岡市・はいくぴあエイト(3-10)
|豆まきや舞台の上から遠くまで 餌づけのような拾うなかれよ
‥舞台からまかれる「豆まき」、実に奇妙な趣向かと思います。
自分でまくなら兎も角、上から目線にも舞台から、見物客に向かってまくんですよ。
で、それを拾う(掴む)と、どことなく餌づけの世界観ですな。
‥そんなだから、「福は内」しか言わねぇし
「落ちた豆は拾わないで下さい」とかアナウンスされてるにせよ
> ‥勘違いも甚だしい
> 見に来る方も、ご利益有るからとか‥盲目も甚だしい
> 「いつからそうなんだ??」
‥斯様な舞台からの豆まきの主旨を翻訳するとだな
「冷やかし外」「お客様内」とやらかしているようなもんだよ。
‥どうにも、資本格差時代らしい趣向だぜ‥
1-7)4
|家人なき玄関に立ち振り返る留守を守るか咲く沈丁花 沼津市・萩の会(3-11)
|留守守れ玄関前の沈丁花 おとづる人に春なもてなせ
*沈丁花(じんちょうげ)‥「ゲ」の音は「香」に引っかけたように思われます。
(香木の沈香のような良い匂いがするそうです)知らねぇけど。
‥ネタの句を読めば読むほど、不可解に思うのが
「家人なき玄関に立ち」です。
まるで、是から泥棒にうかがいますよと言わんばかりです。
そこに沈丁花が咲いているのがどうにも気になって今日は止めておこうかな
‥とした気持ちを詠んでいるかのようです。
> ‥まぁそんな詠みでは無いと思いますが
> 言葉の意味と流れの空気感を、もっと良く考えて盛るべきかと。
|栃山川きらめく水面をゆるがせて鴨の幾群れ潜りては浮く 焼津市・菩提樹小川短歌支部(3-11)
|きらめくや春来にけらし栃山川 鴨の幾群れ潜りては浮く
*残る鴨‥春深くなっても北方へ帰らずに残っている鴨。(春)
*栃山川(とちやまがわ)は、静岡県島田市&藤枝市&焼津市を流れる二級河川。
参考画像(俺好みかも):栃山川堤防の桜
‥ネタの着目は、水鳥の景として、さほどに攻めている詩情という程にはありません。
ただ注目したいのは、それが「残る鴨」としての詩情としてなら、なかなかだという点です。
「残る鴨」っすから、派手に詠む必要がまったくないのです。
それこそ、わずかに残った鴨の群れが見られれば十分で
そこののんびりを示せば好いのです。
> まぁ、ネタの句は、そこにまで発想が及んでいない様子が惜しいかなと
1-7)5
|夕餉して暗闇の街散歩すれば誰一人会わず大寒の道 静岡市・長田寿短歌同好会(3-11)
|久しぶり駅蕎麦すまし街歩く 人数まばら大寒の闇
‥この句は、流れが不明瞭&不可解です。
まず下の句ですが、誰にも会わない様子が描かれています。
街を散歩しているのに誰にも会わないという表現なら
夕餉はどこでしたのでしょうか?‥謎めいてきます。
‥流れからすれば、外食でしょう。
家で済ましてから、わざわざ寒い大寒の夜風に浸ろうというのも首を傾げてしまいます。
で、外食なら外食で、どこで食事をしたというのでしょうか?
ファーストフードですかね?
でも、その時点で客が少ないという事に、違和感があって然るべきです。
さらに「暗闇」です。
「街を散歩」するのに、「暗闇」とまで強調しては、どこの街ですか?‥との感触です。
田舎に来ているなら人が少ないのは織り込みでしょう。
‥何もわざわざ驚くほどに詠む意味もないと思います。
> となれば
> 久しぶりに近くに用事があって、懐かし半分に立ち寄ってみたかつての地元の雰囲気かなと
駅蕎麦なら、店の客足なんて気にする必要ありませんし
乗り換えの時間がてらちょっと立ち寄ってみるなんて次第もあるかと思います。
‥そこのどうにも以前とは打って変わった、不景気さながらの街の様子に驚いている所でしょうか??
|どっと来てどっと帰りし子の家族湯船にひとり疲れを癒す 掛川市・なでしこ短歌会(3-11)
|どっと来てどっと帰りし子の家族何が何やら思うひとり湯 手直し
‥なんかこう、ネタの括り方では迷惑な意味合いに思えてしまうのです。
当人らが読んだら、さぞガッカリすること間違いなしです。
そこをごく自然に「ご苦労様でした」と思わせるのがミソかと。
‥という手直しにございます。
そういう部分にまで注意を払わずに詠んでて楽しいんですかね??
ネタのようなやっつけ詠みでは、まるで客の来ない旅館の様っすよ。
> 暇になれちまって、ちょっと忙しいのが苦だという‥(ああ、やだやだ)
> そういうタイプに限って、忙しいのに慣れてると暇に耐えられないと。(ああ、めんどくせえ)
1-7)6
|分身のごと手離さぬスマートホン声なき会話たれと交すや 掛川市・なでしこ短歌会(3-11)
‥貧乏してると、否、貧乏根性が植え付いていると
新しい物事についていけないとばかりに、なぜか、否定的な見方しかできないのです。
‥是は、貧乏根性を乗り越えようとしない限り
そこからの脱却というか、客観性は身につかないように思われます。
「無ければ無いでも十分、有れば有るで使いこなしてみるのも有り」
どういうわけか、民衆はさほど器用では無いので、どちらかに偏るようです。
> ネタの句は、一見、達観しているようにも見えますが、そんなことはありません。
|悪巧み片手でOKスマホ時代 声のデジタルうそを問え
|ずるい奴大いに居るぞネット時代 理解にそぞろ正義感
|正しきの姿勢を諭すスマホかな 距離感縮み気持ち遠のく
|端末の性能上がれば自由とか 手元に残るデータなぞに
|残すのは自由にあらず文化なり 共生欠けば格差ありき
|生きるのは文化にあらず己が自由 整わぬ自由に文化なし
|文化こそ人の必要民度とな 思えば正せ やすきと不正
|持論無くまずは遊びとスマホかな 衝突こそが学びの師と
|集まればそこは村だよ掟あり 空気読めなら「言葉力」
|整わぬ言葉力に神ぞ得じ 知識量より深き公平
‥要するに、駄目の先行した思い込みのまま批判するだけでは、単に平凡という事です。
(日常においても、よく見られる光景かと)
|新聞に校正ミスあるおのが歌言葉も出でずまた読み返す 静岡市・長田寿短歌同好会(3-11)
|新聞に打ちミスにあるおのが歌すきま風にもまた読み返す 手直し
‥やっぱりあるんすね、新聞に掲載される段階での打ちミス。
(ほんと確認が大変っすから。必ずどこかに打ちミスの落ちが有るという‥)
(著生のここでの作業よりずっと句数が多いんすから‥有るに決まっとる!)
> ちなみに、「校正ミス」と盛っては、校正をしてしまっても好いかのような言い分です。
そのくせ「それは違うだろう」って何様なんですかってな話です。
そうじゃ無いなら、単に「打ちミス」と示すべき所です。
で、そんな気持ちを、「言葉も出でず」などと‥案外にこっちの方が良かったかもの空気っす。
‥そうでないなら、「すきま風」ぐらいを盛って、残念さを醸しだした方が適切です。
> つまりアレですな、
> こちらもまたその打ちミスを真に受けて「手直し」「+七七」を引っ張っているかもしれないと
> ‥そしたら、あーた、それは一体誰の詠みなんすか??
少なくともまぁ、日本人から出た詩情ということでしょうね。所謂、「詠み人知らず」かと。
|世に出ずにそこに咲くまま枯れるまま 如何に問わんや美しきとは
1-7)7
|一人守る畑は生きがひ大根引く 掛川市・句会あさかぜ(3-14)
|生きがいや大根引ける畑かな 土にまみれて採れたて有りき
‥守るのが生きがいなのか?
‥農作業をするのが生きがいなのか?
ネタの詠みは、そこをややすり替えてしまっているような、そうでも無いような
そこがどうにも、分かるようで不快になってしまっています。
> 素直に並べれば、「手直し」になると思います。
‥まぁそれでも「守る」意図も込めたいと。
はてさて、何を「守る」のか?‥でもあります。
・自分が受け継いだ畑での農作業を続ける事。
・農業が農業である上での「大根を引く」とする部分の何か?
> 後者であれば、今時の栽培工場化とやらに対する警戒という事にもなるかと思います。
栽培工場が微生物の能力を組み見合わせて、現場で、作物への栄養素まで賄ってくるようになると
土とほぼ変わらないと言うことにもなると思いますが、そこまではまだ及んでいないと思います。
まぁ、クリーンルームが前提ですし、そこに進化なんて有るのか無いのか??
作物からストレスを取り除いたらこうなりましたという経過があるだけですし
その結果、どうなっているのかと言えば、そこは未だにブラックボックスです。
> 人間で言えば、主張ばかり達者になって、世の中に如何様に影響しているのかでもあります。
似たような意見ばかりが増えても、野菜独自の多様性から得られるはずの恩恵を
摂取する側が得られるかというと、どうにも暗中模索というか
‥具体的には、人間の側がそこをどれだけ理解できるのかという課題性は残るのです。
自然界の旬という奴は、そこを自然体で示してきた訳ですからね。
人の作り出す新しき栽培からなる品種には旬が無いわけですし
そこの栄養学を逐一学び直さなければならないとなると
‥これはとんだ食わせもんになってくるんですな(知識のリセットを要求しかねませんので)
> 基本‥作物も意識体ですからね
同じやり方、育つに同じ環境ともなろうなら
そりゃ、馬鹿になりますよ。自分で考えなくなる作物を食っても
カラダに良いとは、言い切れなく思うところです。
コーヒー豆が上手くなると言っては
ジャコウネコに強制的に、コーヒー豆ばかりを与え続けていると
ジャコウネコが狂いだすそうです。まぁ人間なら当然のことを無理強いさせてるわけですな。
‥そりゃ、植物にだって同じく影響はあるように思われます。(出ないはずが無い)
> 人間にそれが伝播するとしたら、脳ですな。
‥脳が違う反応を求め始めると、途端にそれらの栽培物をまずく思うようになるはずです。
菓子産業でもそうですが、少しづつ味を変えていかないと維持できないのと同じです。
栽培物の方に変われる余地が無いとしたら、人間の方が拙いと思うようになるしか無いのです。
ということは無駄にも
永遠に品種改良を手掛け続けて何処に向かうのかでもあります。
向かう方向性に正解すらない状況で、何を目指せるのかであります。
‥昔ながらに、その土地で種を採って、その土地で繰り返し生かしていれば
自然と人間にも馴染むように進化してくれるのが生命ということです。
‥物の様にしか扱わなくなったら、そりゃ、どこかで破綻するのが当然です。
> 育つとする上での押さえるべきポイントはありますが、
> 生命に育てる上での効率なんて、存在しないのが実際ですから
育つにしたってね、毎度同じ体験しかできない生まれ変わりなんて
‥いいんだか、まずいんだかですからね。命とはそういうものかと。
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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