↓9)向宜詠吟.2017/03/25
|木洩日の木々に遊びて鳥の恋 掛川市・かざぐるま句会(3-18)
|春こしか木々に鳥な戯るもピーチクパーチク花ありてこそ
‥ネタの句は無季ですが、季節感としては春のつもりなんでしょうかね??
‥でも「木もれ日」の印象は、どちらかというと初夏頃からです。
通常、葉と葉の間からもれてくる光を木もれ日といい、花と花の間からもれてくる光を指しません。
そもそも春をよく観察してみると、うす曇りの日の方が多いので、木もれ日ほどの印象には無いかと。
(初夏の装いを以て、鳥の恋の詠みというのも変です。卵を産める時節は変わりませんから)
> もう春が来たかのように木々に集まる鳥らが恋に盛り上がろうにも
> やはり、ピーチクパーチク語り合うには桜が満開に咲いてないとなあ
> (人の暮らし向きにしたって同じだろうに‥要となるべき土台が疎かでは始まらないのだよ)
|霊峰の源兵衛川よ桜の芽 三島市・炎環三島富士句会(3-17)
|見上げれば源兵衛川に桜の芽 たけなわ近し春ぞいとけし
‥どうして近隣の小川の桜の芽を詠むのに、「霊峰」を盛らにゃならんのよ??
富士の湧き水を意図させるにせよ、それが「桜の芽」と何の関係があるんだか‥
「主役は季語なんだよ、分かってますか?」
‥ここでの源兵衛川は脇役だし
そのまた霊峰の湧き水なんか‥それこそちょい役だよ。
それでどうして「桜の芽」の風情が伝わるよ。
キャスト揃って写真撮るにしたってさ、それだけだよ。
> 「桜の芽」に関した様子は何にもない
‥ちなみに
「芽」と表現した途端に、「花芽」と「葉芽」の区別が意識され
必ずしも「蕾」を意図しているかどうかは定かには無く、何らかの説明足しが欠かせません。
手直し&引っ張りのような雰囲気が揃ってようやく‥「蕾」らしいと判断される程度かなと。
(「桜」とあるので、桜の場合は、花芽が先なのは当然ちゃ当然ですけどね)
> ふと何気なく源兵衛側の散歩がてら、桜の木を見上げたら
> 桜の芽が膨らみはじめて来ていたよ
> この辺りが開花するのももうじきか、ああ春ってほんとこちらまでが無邪気になるよ
|青空が好きで見上げる春帽子 静岡市・虹の環句会(3-17)
|青空が好きで見上げる春帽子 たんぽぽラッシュの風に乗り
‥ネタの句の着想は、どうしたって詩であって、俳句としてはざっくりです。
そもそも自分のことを指しているようにも見えないのが、ここでの「春帽子」です。
どちらかというと、印象的に添えられている感じが強いのです。
つまり、客観的な向きが前に出てしまい、主観には成りがたいのです。
たしかに上五・中七と主観の言い回しにはあるのですが
‥その勢いも、季語にすっかり食われてリセットしちまっています。
> その意味において、実に不思議な余韻です。
‥ということで、空想的に引っ張ってみました。
> ああ、タンポポがすっかり綿帽子になっている
> まるで青空が好きで待ち焦がれているかのようだ
> そんな時分に吹く春風に、次から次へと綿帽子が飛んでいく
> まさに、この風に乗るべきと焦がれた青空へと飛んでいくのだなあ
1-9)1
|幼子のトンネル遊び春炬燵 沼津市・するが俳句会(3-17)
|這い這いのトンネル遊び春炬燵 吾子の進撃何思う笑み
‥ネタの句には、「幼子」とおやすく盛り合わせておりますが
細かく言えば、「這い這い」の頃合いです。
その頃を過ぎては、
「春炬燵」ぐらいでテンションなんざ上がらないというか、立っちして歩いちまってるっての。
> 這い這いは赤子で、立っちしたら幼子ぐらいの違いはあるよね(正確にはオムツ?)
> 細かいところをしっかりと押さえないようでは、余韻も今ひとつになっちまいまーす
‥余韻の差異に鈍感な内は、まず、敏感に感じられるようなトレーニングが求められるところかと
どうすれば、そんなトレーニングが成り立つかって??
まず、周りのことに感心を持てない内は駄目でしょう。
次に、如何に自分が無関心(不公平)であったかという反省の時期を得ないのも駄目でしょう。
そこの差の広がりが深ければ深い程、内包されるポテンシャルも高くなると。
‥なまじ判っているかのような中途な才能の自覚ほど、どうにも鈍っちまうのが実際です。
(想定内の公平感が当たり前だと思っちまっていますから)
つまり、ざっくり申し上げますと
色々な自分の状態と、それぞれに訪れる平均的な環境との乖離を把握して識ることですな。
そこを知らずと見逃したままに、推し量れるようになる余韻なんて何一つありません。
理屈を捏ねて物事への感心に、食わず嫌いのある内はまず無理っす!
‥贅沢が一番とか、ブランドが一番とか、誰誰が一番、これこれが一番とか、あれは嫌いとか
‥そんな事ばかり考えているのが好きな頃合いに、「詩」なんぞと囓る向きが無いとも言えますね
(まぁ世の中そんなもんでしょ)
|初蝶来ひとり仕事のひとり言 三島市・炎環三島富士句会(3-17)
|初蝶く畑でよっこら独り鍬 土の匂いにおどる友あり
‥「ひとり仕事のひとり言」、はぁそれが何だというのでしょうか??
本人的には、その時(言葉に整ってこない主観)‥好い感じながらの詩情を感じているのでしょうが
客観的に眺めてみるとどうにも、ぼかしが掛かったような物言いです。
それが「初蝶」を見ての粋な言い分とは、随分とぶしつけにしか見えません。
通常それを「愛想がねえ」と表現するんです。
‥愛想が無くても芸術といったら、そりゃシュールって奴でしょう。
詩人という如何にもシュールな世界で、シュールに埋没しちまうって
人としてみた場合、
とても恥ずかしいというか‥偏った様だという汝に自覚があるかないかです。
> 偏ってる人が和歌を口にしていると思わせてしまっては、詩情としては失敗なのです。
自分は偏ってなんておりません、今は分けあって所謂変わり者に在るだけですと
皮肉たっぷりに、公平とユーモアの精神を提示してこそが変わり者の妙と言えるかと。
‥そこを外してしまっては
ズレちまってる詠吟なんざ、どうにも臭いもの扱いしたくもなると言うことです。
|木蓮や駅までの道近くなり 三島市・炎環三島富士句会(3-17)
|木蓮や駅までの道近くなり 届く距離感うれしくて
‥ネタの着想は、俳句だけで読んでますと
如何にも傲慢な物言いです。愚痴の減らない物言いです。
自分の性格が如何にも斯様にありますと述べ綴っているかのようです。
だってそうでしょ‥「咲いたからご機嫌です」って
花の咲かぬ人生の大半は、周りの雰囲気次第の如何にも空気次第の人間ですと
好きな人と居ても、景気が覚束ないようなら意地も悪くなるタイプですと
宣言してしまったような‥その通りにしか思えません。(☆んなばかな)
> これはどうみたってそういう言い回しなんですな
> ‥そこをそうでは無いとして
> 誰しもにあるとする気持ち(公平)に整えたのが、+七七の引っ張りです。
そりゃ、通勤する道がてらに咲いてりゃ嬉しいに決まってます。
回り道しないと拝めないのに比べりゃ、そりゃ、通う道沿いにある方でしょう。
そんなの当たり前の当然です。
‥その当然にしても、言葉が足りないと言うだけで
とんだ見られ方をしてしまうと。(まさに、ビックリ&ドッキリです)
1-9)2
|猫柳閑かにひかりまとひける 静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷの俳句ひろば」(3-17)
|猫柳しとやか纏い光まる ふんわり色づく紅の頬かな
*「ネコヤナギ」の和名は、蕾みたいな花部をネコの尾に見立てたことによるそうです。
「へぇ〜」‥ちっともわからん。なぜそうなった??
それを言うなら、肉球だろう。それなら洒落が効いているように思えるが‥
昔の人はきっと、日本の猫の短めの尻尾を見て萌えてたんだろうな。(・・・ニャん?)
> それにしても、ネタの句は、まとまりすぎていて、面白みに欠くように思えます
> このような時こそ、日常とは幾分変わり目の言葉使いで攻めてみるべきかと
‥白いネコヤナギの方が普通に思いますが
ここの流れとしては、紅っぽいネコヤナギの方かなと。(春が来ているのがうれしい感)
|春の日や出窓は猫の個室なり 静岡市・虹の環句会(3-17)
|春の日ニャん出窓は猫のグリーン席 あきもせずくつろぐ影とあり
‥「個室」って、占領を意味しとりまんがな。
そりゃ失礼っちゅうもんです。もとい、自虐な余韻でーす。
ここはもう少し景気良く盛るべきところかと。
‥でないと、本気で猫をかわいがっているようには伝わりません。
そもそも、猫に個室という感覚が押しつけがましいというか、人の側の「いいな」です。
「いいな」じゃなくて、詠み手が、微笑ましく見守ってるんだろうが‥
1-9)3
|数の子を食す至福や三世代 静岡市・木蘭吟社(3-18)
|数の子を食す至福や三世代 何より子宝 人との縁
*人との縁(ひととのえん)
‥正月に食すと縁起がどうのとかのお節メニューの一品「数の子」ですが
面白いように盛り付けて来ております。
今時分、三世代揃っての正月ですか?‥まぁ農家辺りなんでしょうな。
それともそれを普通にこなせている人口比は、一体どれぐらいあるというのでしょうか?
是非ともそれの国内事情を「年度別のグラフ表示」で知りたいと思うわけですが、
‥さてさて、如何なる比率での曲線を描くんでしょうな?
|まだ癒えぬ子の掌へ年の豆 沼津市・するが俳句会(3-18)
|まだ癒えぬ子の掌に年の豆 熱下がらずにけふ楽しめず
‥「まだ言えぬ」の言い回しからすると、治るのが前提の範囲です。
ところがこの日ばかりは、どうにもならなかったと。
それにしても起き上がることも無理と言うことですから、
たまたま風邪をこじらせた時期が、豆まきと被ったてな感じでしょうかね。
> 「へ」か「に」か‥ですが‥
‥大体ね
「へ」って如何にも死にそうですって感じが、どうにもくどいんすよ。
たかがその年の豆まきを楽しめなかったってだけでしょ‥「へ」は盛りすぎかなと。
‥マジで死にそうなら
「年の豆」なんてね、そんなの本人へのただの嫌味(無用のツッコミ)にしか見えてきませんから。
(着目の要素の中に、ケースバイケースが潜むようなら、句としてではなく詩で綴るべきかと)
|畦道は農の花道下萌ゆる 静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷの俳句ひろば」(3-17)
|畦道は農の花道下萌ゆる 春と見たれば鍬振る人ら
*下萌(したもえ)‥冬が去る頃合いに、草の芽が顔をのぞかせる様。(春)
‥「へぇ」なるほど、面白い所を季語として表現するもんだなぁと。
でも詠みようによっちゃ、下ネタになりかねん響きっす。
(いつ頃からの言葉なんだ??)
‥ネタの句は是また「へぇ」な着目です。
季重ねっぽいのが気になりますが、素直に詠めてて好いと思います。
1-9)4
|冬なぎや漁師勇んで沖に出る 静岡市・木蘭吟社(3-18)
|冬凪や漁師勇んで磯見漁 互いに笑み寄す舟日和
‥まず、どうして「冬なぎ」と綴ってあるのかが謎です。(漢字で良いと思うけど)
ネタの着目も有りと思いますが、引っ張りにくいのでリスペクトしました。
> 磯見漁(いそみりょう)とは、
波の下に居る貝やら海藻など、舟から箱眼鏡を通して居場所をうかがい、
それぞれにあった長い竿の道具で、舟上から引っかけるようにすくい上げる漁を指す。
‥述べるまでもありませんが、波の揺れが小さい方が狙いが定めやすく作業効率が上がります。
それで以て、冬場の方が養分を蓄えて実がぎっしりということです。(海藻の旬はズレますが)
(冬場に素潜りも大変なので、磯見漁が発案されたということになるかと思います)
|冬なぎに伊豆の山々近く見え 静岡市・木蘭吟社(3-18)
|冬凪や伊豆の山々近く見え 駿河の海の春眠やも
‥こちらも「冬なぎ」です。(そろって漢字でねぇ)
普段の洋上での揺れと比べて、距離感が変わるんでしょうか?
それとも、それにプラス何らかの空気感があるからでしょうか?
着目は、伊豆の写真を見ていれば、それなりに判らなくはない風景に思う程度です。
(洋上で釣りをしたこともないので、その辺のニュアンスがまったく以て分かりません)
‥ということで、喩えで引っ張ってみました。
1-9)5
|道化師のはみ出す手足春闌けし 三島市・炎環三島富士句会(3-17)
|道化師のはみ出す手足辞職戦 安倍マリオの寄付真偽
*闌(たけなわ)‥@真っ盛り。A少し盛りを過ぎたさま。
闌ける(たける)の文語‥闌く(たく)。
‥ネタの詠みは、「道化師」が主観なのか客観なのかすらも定かになく
「はみ出す手足」は、単に暖かくなってきた格好をしているというだけの様子です。
まぁそれだけなので、ちっとも面白くないわけですが
‥うまい具合に役者が出来上がっていたので
俳句で攻めるのではなく川柳で攻めて、引っ張ってみました。
安倍内閣が、辞職するかしないかの瀬戸際ということで「辞職戦」とするか、
それとも確実に解散総選挙にまで至るかは‥まぁ森友学園騒動の顛末次第でしょうな。
> それにしても、わかんねぇ話だよな。
> 結局何が言いたいんだよ、あの話?
寄付(投資)した先が違法性絡みだった?
寄付(優遇)した資金繰りに違法性が見られた?
違法性に違法性が重なりあった人間関係だった?
‥興味もそぞろに傍観しているが
そこん所がすこしもハッキリとした文言に明示されて来ないのがうんざりです。
(ズバリ、安倍晋三自身の押しで始まった事案であって、よろしくの百万円封筒だったんだろうな)
(もはや勘の良い奴なら、誰もがそう思い始めているだろうさ‥)
(資本の出本がハッキリしないカネで学校をはじめようとの姿勢が、すでに教育上の不義)
(そこに国家の総理大臣の名前が挙がるのは、すんげー異常事態)
‥国会の審議は、お互いにそこに自覚も無く
めくらながらに口角泡を飛ばしあっているので、アホにしか見えてこない。
(ズバリ、資本を受けた籠池泰典は、真っ当な出所のカネと思っていた‥)
(ところがケチの安倍がしでかしたことは、ポケットはポケットでも国家の金庫からだった)
(ところが、資本を受けた籠池もケチだったので、多少ともポケットに入れたくなった‥)
(杜撰な土地の管理印象を思えば想定内)
(そんなことを知る由もなく面食らっているのが安倍自身‥上が下の手落ちに巻き込まれた形)
‥典型的な、ズルとトボケの連鎖だったということになるのかなと
(安倍晋三が、如何に人を見る目が無いかという物的証明‥ここの印象はもう動かない)
(安倍政権下では、まともに人材を起用することが不能ということです)
> 似たような展開の話題がもう一つ東京都にあるわけだが
‥結局、当時はみんな賛同してくれてたのに、そこを考えれば
「どうして俺だけが責任を問われなければならないのか?」‥というすり替え論議だもんな。
自分たちが化学の素人なら、そりゃ一任するしかねぇのは仕方のないところだし
念を押して騙された形ともなれば、そう言えば良いのに、そうは言わないし
‥どこかお互いに、口を貝にして何かをはぐらかしているような物言いだよ。
「職業は作家です」って、作家だったら
その推理力で、わかる人には、心理的には、もう黒でバレバレだって観念したらどうなんだ?
‥私はこうして言い逃れを実演しましたの筋書でも通す気なのかよ?
‥あんなんじゃ、サスペンスドラマの筋でも、逃げ切れんよ
> 多重人格と、脳梗塞の後遺症と、認知症の人は、
> 責任能力に覚束ないところがあるので、犯罪者扱いが成立しません‥
‥どうしてそんな時代になってるんだ?
それって常識なの?何が基準なの?
犯罪はいつから解釈論になった?
(犯罪の基本は行為論です)
(情を掛けるかどうかは司法判断です)
‥このようなケースの場合
前例が出ることによって、責任能力弱者を対象にした犯罪的顛末に対して
無駄な訴訟が起こされるのを減らす目的が有るように思われます。
責任能力が無いという理由付けが為されると
以降の犯罪的顛末について、訴えても無駄という認識が大衆に植え付くのです。
‥極端に言い換えれば
責任能力に乏しき輩を、組織の責任ポストに抜擢することは
テロ行為に等しき顛末を引き起こすということです。(化学知識然り)
是のケースでも罪の無効とするかどうかの駆け引きを部分的に持ち出しているのが
石原慎太郎と浜渦武生らの言い分とも言えるでしょう。(脳梗塞の後遺症も絡めて)
(‥そんなことが許されるわけがねぇ)
‥責任者が誰であろうと、事業の失策による犯罪的顛末(業務上の過失)にしても
責任能力の欠如が絡むとした位置づけで、すべて罪の無効に成っちまうだろうが!
だったら法律なんて始めから要らねぇし、
それこそ責任者なんて、ハンコを押すだけの握力があれば十分ということに成りかねない。
‥そこを判断する自覚に欠いていたという時点で
石原慎太郎&浜渦武生らは、民主社会の政治責任者として不適だったということです。
(石原の「一任してるから俺には責任がねぇ」などと言いたげな口ぶりはバカなの?)
‥いつからあーなった?(どうにも石原は、頭から足の先まで典型的なナルシストらしい)
1-9)6
|春光の海はるかなる巨船かな 静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷの俳句ひろば」(3-17)
|春光の海かつてなる浜ぞなく巨船にコンクリおびただし
‥「春光の海」×「巨船」
如何にもブチッと来そうな並べのネタに、そこは押さえて引っ張ってみました。
(こんな着目もあったんだな‥詠みはまだまだでも着目は悪くない‥だが‥)
> 巨船なす海辺のどこに風情なんかあんだよ!
> ああ言う過渡期の間に合わせ技術に対して思うのは、「妥協」の様相だろうが!
> 妥協と打算の光景のままで好いわけが無いん!
自分たちが築いた時代の光景を、自分たち自ら否定もしずらい訳だが
改善すべき余地があることは当然だし、そこにもっと素直になったって良いだろう
‥そこに堂々とツッコむのが詩人としての役回りかと。(それの意味でも詩人は身軽が肝)
|橋脚に打ちつける波春一番 静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷの俳句ひろば」(3-17)
|橋脚に打ちつける波春一番 支える足か?翼の自由か?
‥ネタは、詩情云々よりは、画情を思わせる詠みです。
画を見ているような風合いが、実に好い!
(字余りしまくりというのが難ですが、引っぱっちまえば関係ねぇ)
> というところで、大学進学で里を後にする‥青春者の心境に仕立ててみました
> ‥進学をあきらめて就職する青春者でも有りだな
> ‥仕事をあきらめて、この春から親の介護にくだる社会人でも有りかも
1-9)7
|大寒や明治の時計の螺子を巻く 浜松市・白魚火梧桐句会(3-17)
*螺子(ネジ)
‥ここでの季語の「大寒」に意味は有るだろうか?
どちらかというと、
「明治の時計の螺子を巻く」の方にインパクトがありすぎて
‥季語の余韻が封殺されています。
何気ない骨董品を愛でるというそれだけが、
どうしようもなくノスタルジーに引き込むのです。
‥まぁ興味の湧かない向きもあるだろうにせよ
記憶の破片とした意味でも揺さぶる何かがあるわけです。
それが「明治」というキーワードっす。
‥「明治」に季語を盛ろうとしても、野暮なので
↓川柳にリスペクトして、引っ張ってみました。
|春問えば明治の時計の螺子を巻く 維新とは即ち半植民地
|半植民地してみて分かる江戸ぞ春 バカンス格差にそそのかされて
|手の込んだインチキ経済死ねば春 基本は繋がり地元嗜好
|嗜好ゆえ人としての春見誤るは ふるさと捨てて帰らざる落ち
|はじめからふるさと無い人作り出す戦争経済ふざけるな!!!
|奪い取る自由を謳歌しまくって、地球を犯したる競争!!!
|維新などともっともらしく搾取する効率ばかり進歩せり!!!
|自由という荒野に放る搾取かな それも見抜けぬ馬鹿ばかり!!
|守らんと蜂起したつもりの放棄かな 維新の義勇にすり替え交錯
|税という参勤交替どや顔で すまして民主化いずこまで?
|抗うに必死になって戦ばな そんな皇国荒廃当然
|何ゆえに豊かさ求むる人生か‥己に信念なくば不毛
|豊かさに溺るる人の弱さかな 其を厳しくエゴと申すのみ
|頼まれて生きているわけも無く 頼んで生かされるかのような祈り
|春と自由、命として人として なくもわらうも見方次第
‥江戸時代の何が春だったかといったら
そりゃ、誰もが地元嗜好だったということだ。
‥そこに、脱藩とか維新とか、尤もそうなツラした連中が
その辺どう考えていたのかも定かになく
今に至っているのが、日の本の欧米化もとい‥どこか植民地状態である。
> そこにまみえたのは、明らかに個人嗜好の行き過ぎた何事も利権表記社会である
「それで幸せか?」という事になると、どうにも、美術職人なんか不幸な環境でしかねぇし
昔に、そこを支えていたのは明らかに地元嗜好だった。(賑わいこそが地元の宝)
戦後昭和の奇蹟の復興にしたって、それの空気があったわけだ‥
> ‥何を以て、江戸時代の方が良かったかと言えば「皆が地元嗜好だった」
> ‥そこだけである
ところが、述べるまでもなく‥平成に至ってはいつの間にやらそうになく
現代人と江戸人の暮らしぶりやら国際感覚やらをべたに比べたって、ピンと来るわけねぇっての。
(どちらにも一長一短あって、相変わらずのマンネリだってあろうな)
1-9)8
|灯油買う懐寒く冬長く 湖西市・あらい川柳倶楽部(3-21)
|ガス使う懐寒くも雪下ろし 汗の勢いにて水風呂に 比較参考
‥山がちの静岡県っすから、海側に人が密集しており
雪なんぞそれほど降らず、多少の風に寒さを思う所なんだと思われますが、
雪国のそれと比べたら、「灯油買うカネがねぇ」とか
まだまだ生易しい事情にあるようでして
「雪下ろし」しなければならない地域だって、年金暮らしなら金額同じで、
ガス使うカネもねぇともなれば、雪掻きした後に汗掻いても
湯浴びをせずに、水をかぶるしかねぇような事情なんだろうなと思っちまったっす。
> ‥まぁそうなるっすね(いくらかの人たちは、そうかも)
それはそれで昔の人たちはどう過ごしていたのかなと思うわけですな。
五右衛門風呂なんか江戸の平和な時代だからこそ育まれた文化ではありますが
雪下ろしの度に、五右衛門風呂に入っていられる程の薪なんてどこにも無かっただろうし
多くは、そのまま汗掻いたあとは、少しばかりの湯を囲炉裏で沸かしたりして
それを手ぬぐいで以て、汗した肌を拭ったぐらいだったんだろうなと思わざるを得ず‥
|灯油食うような寒さの続く春 懐寒く二択ぞ痛し
‥ネタの詠みですと、若干、冬の頭からカネが無い印象です。
でも、毎年のことですから、何とかなるように対策が立てられていてなんぼです。
そう考えると、ここに来てはどうにも苦しいとした印象の方が適切かなと。
> 見栄を張るわけでも、同情を誘うわけでも無く
> 自然体で、斯様に詠み掴むのが形という事でもあります。
‥まったく以ての素寒貧事情なら、詠みの着目からしてまったく異なると
そのぐらいの違いがあるはずです。(灯油云々を考えるどころではない)
|待ち人の来たるがごとし春一番 静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷ俳句のひろば」(3-17)
|待ち人の来たるが如き春一番 寒さに悶え待ちに待ちたり
‥「如し」か「如き」か
「ごとし」と句切れにすると、対象は何も春風に的を絞らなくても良いことになります。
誰誰の春一番のような登場‥とした印象にも見えて来ます。
でも、「春一番」自体を扱っているのであれば、
連体形「如き」にして接続しないと、春一番を指しているとして整って来ません。
‥まぁ細かいところで
引っ張るにはそれが適切ということですが、
五七五止まりなら、それとてどっちつかずで、句らしく見えてこないのも分かります。
‥で、連用形「如く」と、やらかしていたのが流れだったのかなぁと思っちまいました。
> 「如く」なんて盛り付けるのは、主に自然現象のみを対象にしている向きがありますからね
‥「龍の如く」「虎の如く」にしても、対象を超自然的に見なした用いられです。
(まぁどちらにせよ、対象が比喩扱いに無いなら、対象が別固有名詞である場合もあると)
> 去年の春と比べると、今年の春は、より一層のんびりに感じられる足どりです。
‥そうそう、天気予報の花粉予報っすけどね
日本の半分が雪で閉ざされてる事情をまったく考慮せず
どこに花粉が、そんな2月・3月の頃合いに用意されてあるんだよ!?
‥と、的外れにも程がありますな。(注意するなら4月頃だろう)
そんな観察力しかなくて、科学などと、ほんと自慢げな時代だよ。
迷信の時代と何にも変わっちゃいねぇ、被害妄想が痛すぎる!!!
(それでAI依存とか、誰がそのプログラムを作るってんだよ?、ホトホト怪しいぜ)
(それの予報のデータからして生態学的要素・要因を欠いてんだからな、馬鹿すぎる!!!)
‥○○予報って、必要なのにほんと残念な文化だよ。
1-9)9
|コンビニのカップコーヒー春一番 掛川市・かざぐるま句会(3-18)
|コンビニのカップコーヒー春一番 余れば廃棄‥贅のかぐわし
‥ネタは、概ねお子様みたいな詠みです。これで俳句かよとなじられそうな詠みです。
いえいえそんな事はないっしょ、身近な風景をざっくり整えています。
そこを改めて振り返っている内に、違和感に気がついちまったのです。
> 缶コーヒーの利点こそ、廃棄が減らせるという所にあったのに
> わざわざ廃棄リスクの高い、カップ売りをはじめていたのです
で、その廃棄分をどのように処理しているのかが気になりますが
回収して、分離して、野菜に撒いて凍らない野菜の足しにしているのでしょうか?
まぁそういう技術の有る時代ですから。(活用しているかは不明)
‥それでなくても、余るようなら
客足の空く時間帯に限り、ポット売りをすりゃ良いのでは??
会員制宜しくに、コンビニのカップコーヒーを注ぐポットをコンビニで販売して
(勿論、店内での時間ロスを発生させないように、液体を移しやすいように改造したタイプ)
暇な時間帯を中心に取り扱うようにすれば、少しでも廃棄ロスを減らせる。
ただし、割引扱いにしないと納得感わかないだろうから
廃棄にするぐらいなら半額で‥という思い切った着目も欠かせない。
それでなくても、専用ポットを買わないと駄目なら尚そうなりそうな気配かなと。
‥ここの流れが上手く軌道に乗るようなら(リピーター需要の把握)
生果物ジュース、生野菜ジュースのコンビニ展開も視野に入ってきます。
専用のポットというのが鍵っすな。(概ね、夏季限定&個数限定かと)
‥どうせなら、生ジュース専門店での専用ポット売りなんてどうなんでしょうかね??
(金属では重いので、ペットボトル並に軽くてポット機能が確保できればリピーターを維持できそう)
(それこそ夏と冬は、朝一でマイボトルに注入して置きたいだろうからな‥たぶん予約制)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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