2017年03月26日

【考察】ロボットアニメに描かれる生活格差(テクノロジー格差)は、想像力の欠如では無い

↓3)記稿.2017/03/26

 ガキの頃からロボットアニメを見ざるを得ず‥見せつけられ、
 それらに‥それなりに馴染み、いつもいつも疑問に思っていたことがある。

 それは、

 「大型ロボットを動かせるテクノロジーがあるというのに
  どうして、庶民の暮らしはそれなりのままに描かれるのか?」

 ‥との疑問だった。


> 今思えば、それは、資本主義だから‥
> 予算という言い訳で以て、人材やら資材やらをすべてそこに集中して注ぎ込むだけだから‥
> 国家が政策として、大衆の暮らしについて後回しにするばかりだから‥


 ‥というか、攻め来たる脅威に立ち向かうとした前提に縛られたままの社会意識群だから
 それしか行動原理にできず、そうにしか立ち向かえないバカッタレばかりの社会意識群だから


> つまり


 北朝鮮のような状態をスライドさせれば
 そのまま、核兵器がロボット兵器であり、
 飲まず食わずの縛られた民の暮らしぶりが、そこそこの民主社会とした均衡だ。

 ‥そうだ、そこにはさほどの差なんて無い。だから

 銀河英雄伝説の惑星毎の民衆にしても
 「中世ヨーロッパ風な農民・農奴風情の演出は有りなのか?」と問われれば
 多少いじったにせよ、敵対する側がそれらしくある程度で

 ここで問うべき、大規模宇宙戦争をやらかすテクノロジー(軍事)と
 民衆の粗末な生活感との乖離にさほどの差もまた変わりようが無い。(誤差の範囲)


 新世紀エヴァンゲリオンに描かれている第3新東京市の街並みだって
 「電柱が未だにあるんすか?」とツッコみたくも、
 政府が手を抜いて復興再建するばかりならそのままということで

 ‥戦前昭和の町並みを昭和三〇年代と比較しても、確かにそれぐらいの差が見られるばかりだろう。
 (如何に、帝国日本の予算繰りが、軍事に偏っていたかという次第の物的証明でもある)


 また、そこに見られたのもエリート意識という奴で
 「それは必ずしも民主社会になくてはならないモノなのか?」と問えば
 まぁある程度の性格の幅はあって当然だろうにせよ

 そんな奴らが束になって国家を運営するんだという思考は明らかに異常で、キチガイで、

 そのそもそもは、国家間の闘争を前提にしかしていない思考そのものだったとして断言できる。
 ‥そんな輩たちの語る平和指導に期待するなんて次第が「愚民」そのものだ。



1-3)1

> しかし、例外らしきとしての前例が、どうにもアメリカということになる。


 かつてのアメリカとて列強の一つでしかなく、民衆のインフラにしたって
 西部劇の如しだったわけだが、第二次大戦を境に、他が荒廃してしまっていたことから
 急激にリッチ感が増大し、軍事にカネを注ぎ込んでいても
 なぜか民衆は誇らしげに生活レベルが上がっているように見えていたものだ。

 とくに、戦後復興中の日本からすれば、それはそれは夢の国の繁栄の如しだったろう。

 軍事も民事も並行して進展していくなんて、そりゃ不思議なことだ。

 その不思議こそが、アメリカンドリームとした響きだったとも言えるわけだが
 ‥人類はその頃の印象のままに、まんまと引っかかっているとも言えるのだ。


> 繁栄に、軍事体制こそが100%欠かせない備えだと!


 ‥それにしたって裏事情としては、世界中の金塊をまんまと手中に治めて
 のほほんとして居られた時期としての錯覚があっただけのことだ。

 手元から資金がなくなっていけば、そりゃ落ちぶれるしかないだろう。

 実際、米国の双子の赤字問題の要因は、日本の繁栄だったし
 それで日本が今現在没落しているかと言ったら、そうには見えない。
 ただ格差が拡大している様に見えるにしても、
 明治の頃に戻った程度と表現したとて、そう遠くないはずだ。

 (予算の優遇が、軍事から、日経平均等の指数を重視するように移行しただけのことだ)

 明治の頃と言えば「軍閥」で、今では「財閥」と表現されるわけだが

 内部留保とばかりに、貯め込んでいるとした形に変わっただけのことだ。
 軍事に注ぎ込むから軍閥だったわけだが、
 注ぎ込むべき方向性が定かに無いとしたグローバル上の不利有利の次第が、
 現在の内部留保傾向でもある。


> つまり


 今や、政府も民間も、二重投資を嫌うかのように、
 暮らしの改善・向上にカネを注ぎ込むとした方向性に迷い
 なにをするにも、利権絡みで、その勝敗を力尽くで押せないと言うことで
 政治に期待するなんて無駄でも、かりそめにもそんな風体になってしまっている。

 そんな乾いた時代の空気の中

 ロボットアニメも、どうにも下火というかアイデア出尽くしというか、世界観に不足し

 ‥そこにあるのも、大衆が「脅威悪」と向き合うよりも
 生活感の乖離を見せつけられる事への憤慨しか先走らないからだろう。

 ‥そりゃそうだろう
 それこそが明治以来の蓄積とした政府不能と見た実感でしかないからだ。
 「政府に期待しない」=「予算の偏りとしての象徴的ロボット科学力」=「重税の象徴」の図式だよ。

 そりゃくだらんさ。(大衆がそうなら、創作側の創作意欲だって目減りするってもんだろう)



1-3)2

 ‥資金は民間でも集められる
 ‥開発も人材も民間で十分だ

 で、政府って何ですか?

 ‥と、おぼろげにも現代のエリートなら、普通にそこに疑問を抱いちまっていることだろう。
 そんなエリートがすぐ口にするのが、

 「規制がなければ、もっと自由にやれるのに」

 ‥そういう段階になると
 政府転覆、国家転覆に進展することにさほど思考が振り向かない連中がまた多いと。
 要するに、エリートといっても、自分たちのことしか見ちゃいねぇ。

 行政転覆なんて普通に起きてるからな。(所謂、富裕層結託による税活分離ってやつだ)


> エリートなんざ、その程度の良心で、上流風に自惚れる連中ばかりということである。


 ‥エリートのしている競争は
 他者の幸せの多くを壊すことはできても、作り出すところまでは行っていないのが現状だ。
 むしろ優秀な奴でせいぜいがトントンで、多くが弊害含みにあるのはドングリの背比べで
 それで以て、自分たちは優秀だと思い込んでる連中ばかりなんだから、
 地球環境が閉塞していくのも、まぁ、織り込み済みだったということです。



1-3)3

> 「エリート」と言ったら「バカ」を意味する時代になることを深く希望します。


 「愚民」と言ったら、エリートに期待しているとした社会群像と言うことです。
 「エリート」が社会を動かしているとする考え方はキチガイです。

 共に生きて行こうというのに、
 どうしてそんな主義主張が、トップ層に担がれたままに、もてはやされたままなんですか?

 ‥それこそ、バカっすか!
 「バカ」なる言葉も響きも、エリート気取りとそれに頼り切る愚民の為にある。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:41 | Comment(0) | 日記/2017 | 更新情報をチェックする
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