2017年03月29日

【勝手句帳】089 29-3-24/3-25 静岡新聞掲載分から

↓9)向宜詠吟.2017/03/29

|川面はふの薄らぎ早桜           浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所(3-25)

|桃林やうすらぐ靄から現れき ここはいずこか夢見たる里


 ‥ネタの句は、靄の薄らぐ光景の中に早桜があったと・・
 この早桜が、どうにも「川面」とあるので河津桜のことらしい。

 ‥「ほう」「へぇ」と、早起きしてみた甲斐の着目は悪くない

 ただ、「靄」と「桜」ではまったく以てピンと来ない。
 河津桜とあれば濃き印象にもなろうが、ただ桜では、靄同然に薄き印象だ。
 そこで、桃にして引っ張ってみた。所謂、桃源郷の趣である。




|日を背なに垂るる釣糸日永し         沼津市・潮音波光句会(3-25)

|日をせなに垂るる釣り糸春の海 わらう桟橋ポーズ次々


 ‥「日永し」でくくっては、そこが海なのか川なのか池なのかすら分からない
 そんな案配になろうなら、ざっくり「春の○」と盛ってしまえというものだ。

 また

 周りの様子の一つも無しに、自分の背中一つだけ見せて「日永し」のくくりでは、
 自分一人だけで釣りをしているとした雰囲気盛り盛りで
 ‥句としては、どうにもつまらん。

 (如何にもマニアながらのポイントで釣りをしていますと、語りたいかのようでもある)




|碧天へ相輪の風光る            浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所(3-25)

|碧天へ相輪の風光る道 仏に学び仏を擱かむ


 *碧天(あおぞら)‥とでも読むのだろうか?
 *相輪(そうりん)‥仏教で、塔の上に飾る輪を束ねた飾りのこと。
 *擱く(おく)‥D途中でやめる。中止する。中断する。
         ここでは、自分の道を選んで進みはじめるぐらいの意。


 ‥ネタの句の「塔」の二音には、何の気持ちも意図も無い。(音数埋め)
 しかしまぁ着目はなかなかどうして‥「風光る」にピッタリか。

 学び学びといっても、何も専門家になるために学ぶわけではない。
 仏教だろうと同じことで、学んで何処を目指すかは自由である。
 ‥もっとも仏教の場合、「悟り」の言葉に惑わされて、挫折&居残り組も多いわけだが


> 「挫折上等!」‥其もまた仏教、もとい人生ということです。
> ‥挫折してみないとね、掴めないこともあるわけですな。


 (そもそもの仏教が、挫折の賜みたいなもんだし)
 (‥集まってきた弟子たちにしたって同じだったろうさ)



1-9)1

|青空に飛行機雲のすじ一本          静岡市・サロン川柳句会(3-24)
|これからはしるべ無き道さぐり行く      静岡市・サロン川柳句会(3-24)

|青空に飛行機雲の筋一本 標なき道さぐりゆく


 ‥ネタの二つの句を一つにまとめてみました。

 少年の頃から、どことなくおぼろげに感じてきた飛行機雲への印象とは
 とどのつまり、かような想いだったんだなぁと思わざるを得ず。




|雲海に富士が顔出しはしゃぐ子ら       湖西市・川柳今切れ(3-25)

|雲海に富士が顔出しはしゃぐ子ら しばしの遊覧 機上から


 ‥飛行機に乗ったことが無いにしても
 是は誰がどう見たって(ネタの句は)空からの眺めだろう。

 句会に参加しても、格差社会がわんさかしてると。


> 誰が参加なんかしたいと思うかよ、物好きが集えば好かろうがッ
> こちとら開きたいとも思わんぞ‥(なぜに互いに媚びなぁあかんねん)



1-9)2

|一輪になごむ茶室の寒椿           浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所(3-25)

|一輪に成仏問われ寄す椿 利休を越さむと何を見る


 ‥「なごむ」の盛りの意図が分かりません。
 言ってしまえば、それぞれの文化に「なごむ」かどうかは、人それぞれです。

 わざわざ花を一輪にしてまで生けて「なごむ」ってのは
 イジメを見て知らん顔してるのと、概ね同レベルに思われます。


> 「もてなし」だろうとなんだろうとな、そういう視点もあんだよッ


 ‥それから

 垣根などにそのままに有ってこその「寒椿」である。
 付いてる所から切り離しちまったら、それはまったくのただの椿の花ということです。
 その椿は、すでに死に体も同然ですから

 死に体を飾り、盛り合わせて、見せて、よろこんでいるのが生け花の文化‥

 どんなに上手に映えて生けて見せようとも、
 動物に例えたら‥死骸を切り刻んで盛り付けているような世界観。

 ‥所謂、ゲテモノ料理ということになるんだろうけど
 失敗しても、普通の料理程に、食材の無駄を惜しむようには見えてこない。
 (そこがどうにも生け花の負の特徴だからな)

 スケールの大きな事をやろうとすればする程に、切り刻まれる花の数も増えていくと‥

 で、その後、どうするんですかね。(ポイ捨てが日常なんだろうけど)
 ‥随分と上から目線の文化だよな。

 さらに、品種改良しまくりとか、人体改造しまくりの奴隷文化の類にしか見えん!
 ‥ほんと命を馬鹿にしてるぜ。最悪だ!!


> 極端を言うとだな、死んだ者に、花を手向けるという文化性も納得できんな。
> なぜに、わざわざ生きている花々を犠牲にしてまで、捧げる必要があるだろうか?


 まぁ要するに、その人の食事に対する感性と同じなんだろうな。
 できれば、それを食べなくても生きられるならそれでもOKだ。
 食を楽しむなんてな、あるラインをはみ出せば、傲慢な文化色ってこったな。


 そこに自覚があるかどうかだよ。
 (お前らのその辺の命の扱いが、そのままにお前らの人生そのものにもなってくんだぜ)
 (見ろよ利休の一輪飾りの朝顔を、そのままにその者の最期の如しであったと‥)


 ‥自覚が無いから、無駄に贅沢をしてみたくもなるんだよ
 他人の持っているモノを無駄に欲しがる姿を見て、おかしな輩だと思うだろう。

 時に、それと同じってわけだな。

 でも、たいていは欲しがるモノに対して、これと言った自覚が無いのが普通だな。
 手にしてみて、それの意味が何だったのかにようやく気がついたり
 無駄にハマってみたりと、やってみないと理解が訪れないというのも実際だ。

 でもだからといって、それが常に普通だなんて言ってたら、
 殺してみたくなったから殺してみたのと同じレベルという事にもなる。


> 何が善で悪かなんて
> てめえの都合に則した枠で、勝手に見繕っちまってる仮初めの価値観に過ぎないのだよ。
> 気やすく自分らのしでかしている行為に対して、「なごむ」とか詠まん方が身のためだろうね。


 ‥利休という山には、その山の価値観があるわけで
 それを超えるとか罰するなどと考えるのは無駄なことだよ。強いて言えば、

 ‥その山を離れてみようとして、越してみたら違う世界が見えてきた
 と言ったところだろうね。

 山頂比べじゃなくて、自分なりの価値観が湧いてきたら、移動すりゃ良いだけの話さ。
 ‥そこを本来的な意味での自由ってんだと思うよ。

 でもまぁ多くは、無駄に移動するだけだろうけどね。(自覚が伴わない別の形の一つでもある)
 まずは、その山の正体を学ぶべきなんだよ。自分なりの消化(疑問の解消)も得ずに
 ただ気に入らんから移動するというのでは、結局、自分すら見つけられないのと同じことだ。


 ‥気に入らないなら、まずは、何が気に入らないかを正しく認識することだ。


 それが、その山に棲んでみた時の自分の気持ちだったと言うことだ。
 そして次に、その山がなぜ存在するのかも見極める必要がある。
 それが自分の許せる許容と言うことだ。それの認識の繰り返しが、肥やしになる。

 自分の山には、持ち込める文化色の程度をどのくらいにするかの決意になるってことだ。

 そういうのを一つ一つ確認しないから、自分の山に、自信が備わらないという事にもなる。
 ‥人気や資本に押されれば、押されるままにそれっきりってな。
 (創造性なんて、そこの確認性そのものだよ)



1-9)3

|飛んで来た枯葉ひとつをひろう        島田市・主流社句会(3-24)

|鮮やかな落葉の一つ舞い来たり 不帰の泣き面 掲げたら眠れ


 *不帰(ふき)‥「返らず」と盛りたい所だが、字余りが気になるのでこうなった。
 (どっちにしろ、枯葉になるしかねぇからな)


 ‥「枯葉」とあるが、「落葉」だろう。
 枯葉ってのはすでに鮮やかでも何でもないんだから
 概ね誰も拾おうとなんてしないだろうし、
 そもそも、時間が経過して、ボソボソとして
 風に飛ぶ程の状態に無いのを「枯葉」として、新鮮さを伴う「落葉」との言語的な差に思われる。


> 道を歩いていたら鮮やかな落葉が飛んで来た
> その鮮やかなのを見ていると、どうにも、もう一度木の枝に帰りたいと泣きっ面でいるかのようだ
> しょうがないので、手にして高々と掲げてみたよ
> これで清清しただろうさ、さっさと成仏にも眠るんだぞ




|腰かが一句拾えと木の実たち        島田市・「さんしょ」通信句会(3-25)

|腰かが一句拾えと木の実たち 「キミに決めた」とポケモンならば


 参考:いろんな木の実の画像

 ‥ネタの句の着目は、まぁ結構見られるようです。
 ネタの詠みは、分かりやすいと言えば分かりやすかったのですが


> 「かがみ」か「かがめ」とするか?‥が多少気になりました


 木の実が詠み手に「拾え」との様子に盛ってるわけですから
 しゃがんでから、そう思いましたと‥「かがみ」とするよりは、

 何気に木の実がたくさん落ちている所に出くわして、
 なんだか目がかち合ったような空気感にも
 木の実たちの方から注文付けてきたかのように、「かがめ」の方が好いと思います。


> 俳句だから一句拾えですが、ポケモンなんかだったら一つ選べです
> ‥まぁそこの差が詠み難いわけですな。(どうしてそれに挑戦したくなるのかが実に謎ッ)




|ふきのとうおめざめですか雨にぬれ      島田市・「さんしょ」通信句会(3-25)

|ふきのとうおめざめですか雨にぬれ 油風呂にどうぞとカラリ天ぷら


 ‥ネタの句の盛り方に正直驚いた。
 こうなっては、もてなしとして、油風呂(ゆぶろ)にご案内致すしかなかろうかと‥

 それにしてもいつも思うが、
 フキノトウって、菜種油がまだ無かった時代はどうやって食ってたんだ?


> 天ぷらで食うのが一番だなんて、とても思えんのだよ。
> ふき味噌にしたってな、味噌以前の時代はどうしてたんだ?と思うわけだよ。



1-9)4

|日向ぼこ不思議の国へつれ込まれ       島田市・主流社句会(3-24)

|日向ぼこ不思議の国に落ちゆけば寝ぼけのリアルぞ至極満悦
|スポットの光を浴びて堕ちにけるガチのリアルの辛酸なんぞ


 ‥「つれ込まれ」では、引っ張りにくいので「落ちゆけば」に換えました。
 ということで、思いっきり短歌詠みです。

 まぁ句としても、「つれ込まれ」では、肯定とも否定とも、ようわかりません。
 まぁ五七五の制限の中では、どっちつかずを狙うのもやむを得ん所でしょう。


> ‥好い夢と嫌な夢
> 100%好い夢とも限らないので、「つれ込まれ」で取りあえず整っているとは思います。


 ‥それにしても
 夢見のリアルの方は至極満悦なのに、
 現実のリアルはほとほとに嫌気も差してくると‥
 よくよく考えてみれば、この差は実に不可解です。

 どんな夢見でも、たいてい、なんも考えずに見入るわけですが
 現実の夢ともなると、考えに考え抜いて、ずるいこともやってのけないとなかなか掴み取れないと‥

 で、誰かが独り占めし出すから、どうにも目的地に辿り着かないと
 (‥いえいえ、夢の中だって結構支配されちまっています)

 攻撃的な夢見しかできない日々だってあるんすからね。

 ‥最近はめっきり減りましたが、どうしてか階段が下に向かうケースはまだたまにありますね。
 何も考えないで下に向かっているとだんだんと雰囲気がランクダウンし出すんです。
 (まじ勘弁して欲しいっすよ‥そんな夢見)


> それでわかったのは、夢見であろうとも、上に登り詰めるのはとてもハードということです。
> 私たちの好い夢見というのは、精精が既存する願望の達成感程度です。


 ‥で、生きている内に成果が見たいとして願望抱く輩ほど
 長生きのための養生にはさほどの興味も示さないのが実際です。
 「死に急ぎ野郎」=「生きている内に成果が見たいだけの能力崇拝者」ということです。
 てめえの矛盾に巻き込まないで下さい‥と文句の一つも言いたくもなりますが
 集団化してそれですから、手が付けられないというか‥「ゾンビですか?」と問わざるを得ませんな。


 ‥まずは静かに、昼型に生き、十分に睡眠を取るのが最善ということです。
 (日光浴も欠かせません)
 (あと、胎教の段階で親が夜型or不規則なら、その子のその後も同じに成るようです)



1-9)5

|四方の雪光あまねく綺麗無尽         浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所(3-25)

|綺麗無尽ゆきはれてなにも無し 無常と説くか極みと説くか


 ‥ネタの詠みは、全然整ってませんが「綺麗無尽」の盛りに惹かれました。


 「無尽」の意味を確認すると、(尽きないこと)
 「縦横無尽」なら、(自由自在、思う存分)です。

 ‥となると
 「綺麗無尽」ともなれば、(綺麗が尽きない、存分に綺麗)てな所でしょうか??
 まぁ積雪の光景ですからね、その範囲に思われます。


> ということでね、まず「四方の雪」の「四方」がくどいんですな。


 「光あまねく」ここがよくわかりません。
 朝なの?昼なの?それとも月夜の晩ですか?‥それ次第でも、雪の景色は随分と変わります。

 まぁそれでも‥昼間前提なら、辺り一面明るいのなんて、ほぼ当たり前なんだから

 「光あまねく」‥綺麗無尽を盛るなら余計でしょうね。
 「雪」×「綺麗無尽」で織り込み済みっすよ!

 ‥そうじゃなかったら、ここでの「綺麗無尽」ってなんどすか?


> 新しき言葉を盛ろうとすると、無駄に説明したくなりますが
> それが失敗か必要最低限かに‥注意深くあらずして言葉にエッジは立ってこないのです。


 ‥ちなみに、リスペクトの引っ張りは
 綺麗無尽「行き」はれて(行き着いての意?)「ほか」何も無し
 綺麗無尽「雪」晴れて「そと」何も無し‥とまぁそんな風に合わさって読めてきます。


> ああ、なんてまっ白にも綺麗なことだ
> 吹雪が行ってしまって、雪以外に何も無い
> 晴れ渡った空と雪以外に、「何を望むのか?」と‥そんな世界に放り出されたかのようだ
> これを以て、無常と説くべきだろうか?、それとも喜びの形の極みと説くべきだろうか?
> (まぁたまになら、こういう光景も有りだろうけどね)





|人生を織る縦糸横糸と           浜松市・浜松天竜川柳会(3-24)

|縒れまいと縦糸横糸踏ん張るも 時代は「斜め」を要求し


 *縒る(よる)‥@まじえてねじり合わせる。組んで巻きつかせる。

 ‥ネタの句の盛りにすんげーおでれぇた。
 「縦糸」「横糸」と盛ってみただけで、どうにも中身が見当たらない。

 (述べたき中身がすっからかんを以て、守りが疎かと表現できそうだな)
 (どう考えたって、五七五で整うわけがねぇ)


> でもまぁ着目は悪くありません。(折角なので、踏ん張ってみましたぜ)



1-9)6

|土も人も泣きたくなる様な休耕田       島田市・「さんしょ」通信句会(3-25)

|捨て置かれ泣きたくなれれ休耕田 見渡す限り下克上


 *なれれ‥動詞「成る」四段の已然形[なれ]+助動詞「り」の已然形[れ]

 助動詞「り」の已然形を動詞の已然形に盛り付けると、
 「〜のような」という風合いに整うようです。

 「へぇ」おもしれぇ。

 ということは‥「れれれのれ〜」というあのギャグは
 「まぁそんな感じ〜」という平成に放たれる呑気な云い回しと同じという事になるのか‥


 ‥それにしても、ネタの詠みは大ざっぱっすな。
 通信句会ってのは、県外からの投句もあるんでしょうかね?
 初心者ともわからんが、面白い盛り方ではある。(良い勉強だったぜ)


> さて、ここでの下克上ですが、その意図とは?


 雑草という奴はどうやら、土の養分をお互いにやり取りしているわけです。
 自分が謳歌して土に帰るとそれを養分に隆盛する種があるって事で、
 見た目、下克上にあるかのように見えています。

 (誰かが成長すると不足する養分もあるわけですからね)

 まぁ人から見るとその様相はまさに下克上ということですが
 土壌からしてみて、それをどう思っているのかまでは分かりません。

 人と同じように思うなら、平和主義らしく‥
 「いいかげんに落ち着きのある栽培風景が見たいものだなあ」という解釈になりますが

 ‥土壌が其を思うかどうかは、まったく以て不明です。

 いろんな種が伸びて育って好きにやれば好いじゃんと思っているだけでは
 決して、意図された形での栽培風景など有り得るわけがないんです。

 ‥ということはですね
 意図されたような形に整ってあると言うことは
 そこには淘汰された痕跡があると言うことです。


> 誰がどうして、淘汰できるというのでしょうか?
> そこが植物的に言えば、養分の都合です。


 養分が調達できていないと、植物は進化も変化も起こり得ないのです。
 まぁ調達できないならできないなりの進化と変化という想像もできますが
 雑草の数でも分かるように、そんなに毎年毎年同じように蔓延るなんて有り得ないと言うことです。

 そこで動物が居るわけですな、うんこがばらまかれたり、囓られたりと違ってくると
 (要するに食欲の発生です)

 ところが人間が占拠しちまうと、うんこも種もまんべんなくばらまかれなくなるので
 植物の姿もそれ以上に変わりようが無くなると言うことです。

 ‥で、代わりに人間が興味本位に交配させまくって興廃が起こると‥

 でも、それは均一には成り得ませんから、次第に‥偏った様相が持ち込まれ
 どこかでドカーンとひっくり返されると‥


> 置いてきぼりがあると行き詰まるようになっているのも
> 宇宙的な生命としての構造と言えるわけですな。(人間社会なんざ特にそのまんまっすから)




|掌をじっと見つめていると枯野        島田市・主流社句会(3-24)

冬ざれの手のひら見つむ遠き夢 しんどさ儚さ握りしめ


 ‥着目は十分に伝わりますが、括りの韻がどうにも半端です。

 ということで、三十一音に置き換えてみた訳ですが
 十七音でも十分だと思うかどうかは各人各様かと‥

 *以前にも居たようなのを詠んだ気がしないでもないが‥(まぁいいか)



1-9)7

|何があるみんなについて走り出す       湖西市・川柳今切れ(3-25)

|「何がある?」みんなのあとに走り出す リストラ御免に座り出し‥


 ‥ネタの詠みようは、どうにも短歌の上の句のテンポです。
 あとですね、「みんなについて走り出す」は、「みんなについて語り出す」の印象がかぶり
 どうにも落ち着きがありません。

 ということで手直ししました。




|雨音に覚めゐて旅の朝寝かな         沼津市・潮音波光句会(3-25)

|雨音に目覚めて沸かす春テント コーヒー片手すする戸惑い


 ‥ネタの詠みようでは、どうにもどこかの屋根付きにでも宿泊中の様相です。
 二度寝にも、寝入ったかのようでもあります。


> 「それで『旅』言うな!」って、どうにも思っちまうのですが‥


 「目覚めゐて」なんてどうにも呑気そのものです。
 さらに「かな」でくくっては、中身空っぽっす。
 ‥好き好きかも知れませんが、そんなんでは詩情としては、掴みだけで「ハイ終了」です。


 こちらのお方は、何やら4件近く選者の句会を抱えておられるようでして
 こちらでは(同姓同名ということでは無いだろうと思いますが)なぜか互選です。
 まぁいつも名前が載るようなので、ほぼ知った顔同士の句会のように思われますが
 どうにも、詠みの実力的には、中途半端な気配濃厚です。


> つまり、句会の世界とは、
> パイプ役に徹すれば良いだけのおやすい稼業ということなんでしょうかね?


 ‥つまり仕事とは、稼業とは、コネこそがすべて。
 就職の人材募集なんてのは、公平性など誰もあてにしておらず、親近性がすべての世界。
 公平性を前提にしているだけの会社は、そもそもにして経営上のピンチが前提。
 だって、仕事を得るだけのコネが弱いわけだし‥

 パイプが太ければ太いなりのしがらみという奴もあるわけで‥

 たまに変わったところが欲しいとばかりに、公平性を発揮してみせる程度なんだろう。
 そもそもにして人事部の実績という奴がネックだろうからな。
 有能なんて‥自惚れる程に大組織的には、さほど差なんてないんだからさ、
 会社としても、じゃ、身内に知り合いをって事にもなるよ。

 無駄に鬼才ともなると、目の上のたんこぶになりかねないと警戒すれば、入れないでしょ
 だって、知った顔の集まりに、頭ごなしに批判なんて受けたくないだろうし‥

 ‥政治屋にしたって、その辺どうにも変わらんさ。それが実体。本質。ぐたぐたの根っこ。


> ということは、こちらのお方は、さぞやお声の掛かりやすい八方美人なんだろうよ。


 ‥少なくとも、それを実力とは言わねぇかならな。「運」が良いとは言うけどな。
 人生に実力なんて関係ねぇ。「運」です。
 「運」をもたらすのに必要なのは笑顔です。(もちろん自分のじゃなくて相手側のな)

 つまり、「媚び」ということでもある。それを「人たらし」とも言うけどな。

 秀吉のことを「人たらし」とよく言うが、自分が「人たらし」で、そこを自覚していたからこそ
 上手に媚びる奴の才能を買っていたということにもなる。
 「人たらし」のツボを良く心得た奴なら、まず裏切らないと‥

 「人たらし」=「寂しがり屋さん」=「人一倍に独占欲ありありのホルホルしたがり屋さん」

 ‥結果的に利害が一致すれば、固まり易いと言うことです。
 似た者同士だったから、秀吉もまた朝鮮半島になんぞ手を出したと。
 その後の明治政府にしても、豊臣の流れだし‥朝鮮に手を出したと。
 戦後にしても、それの延長で、人たらしが寄り集まって今の社会構造にもなってると。

 (おっと話がズレちまいました、失敬)



1-9)8

七色の風の向き向きチューリップ       沼津市・潮音波光句会(3-25)

|チューリップ風の向き向き七変化 八方美人に見られても


 ‥ネタは、チューリップの詠みとしては、変わり種ですな。
 でもまぁ、雰囲気だけの詠みでして、それこそ一発芸のようでもあります。

 でも、流れとしては、バッチグー!です。

 こういうのを「運」と言うんでしょうな。(さすがチューリップ!)




|自分の選んだ道に伸びてる足の爪       静岡市・サロン川柳句会(3-24)

|世話事や生きたる道に伸びる爪 研がずにいては人寄りつかず


 ‥このネタがまたまた変わり種です。
 「どうして『足の爪』になったんだ?」と考えちまいましたぜ。

 考えている内に、別に、足の爪でなくても構わねぇとなりまして
 ‥斯様なリスペクトになりました。


> 入り口はコネでも何でも構わんが、「自らを研け」というのが世間の本音と言うことです。


 ‥逆に、自らを本気で磨き上げることしか頭に無い奴に、何が「ずるい」とか頭にねぇからな。
 でも、そういう奴に限って言うと、反抗勢力には成り得ないので、期待のしようがないのが実際だ。
 だからこそ、支配側のお気に入りにも成り得ると。

 まぁ「ずるい」と思うなら、叫んでみるのも必要だということでもありますが

 ‥でも、中身は概ね変わらんだろうね。
 「ずるい」と言う奴ほどそのまんま染まるから、だって言ってるじゃん「あやかりてぇ」ってさ。


> 大方そんなもんなんだよな
> 大方そんなもんなんだって事はだね、
> ‥それをさらに利用する奴とそうでない奴とに分かれると言うことです‥


 片方を常識と呼び、片方を非常識という。
 でも実際、力の差でいえば
 非常識組の方が圧倒的で、常識組の方はクズにも、わざわざ一杯食わされてる側っすな。

 ということはですね、「ずるい」なんて言葉を軽く吐くようでは、単に敗北宣言です。

 本当に卑怯で卑屈でガチの悪党は、「ずるい」なんて感情を知りませんから。
 ‥それこそそこは、勘定する所だと心得た生物たちです。


 その時、常識組が振り返るべきは


 常識組 > 非常識組とした人口比率が常に成り立っているとした日常です。

 かすめ取るにも、分け前が前提ですからね、仲間が多すぎても困るんです。
 そして獲物は大いにこしたこたぁないわけでして、そこを恐怖で震え上がらせておきゃ良いと‥
 ほんと単純な仕組みっすよ。

 そして、常識組に欠いているのは組織力、結束力です。

 なにしろ自由が好いとほざいているだけの集まりっすからね。なめられて当然です。
 ‥そこに自覚なきクズが多いので、ほんとどうにもなりません。


> お互いに世話事を欠くようになるから、結束力も身につかないと
> そんな常識に生きて、尚、ウルトラマン願望丸出しっすから、非常識組がのさばるのも当然です


 ‥世話事ってのは、
 所詮、半分迷惑絡みなので、常に爪を研いでおく必要があると言うことです。

 そこの案配をどうにも忘れちまっているのが、現代人のどうしようもなき負い目と言うことです。
 代わりに頼るようになったのが、拝金主義で、そこは非常識組のテリトリーだったと。
 「常識組を気取って爪立ててどうするよ?」
 ‥まさにクズ落ちってことになりますな。



1-9)9

論争のどこかごろりと海鼠かな        島田市・主流社句会(3-24)

国政のどこかごろりと海鼠かな 焼け太りたる根回しのあと
 (2017/03/30)

 *海鼠(なまこ)‥海にいるへんてこな生物です。

 切っても切っても、死に知らずとばかりに増殖を繰り返す‥シロアリ官僚みたいな生物です。
 海を綺麗にする能力を持った生物ですが、官僚同様に、カネ目当てに群がられる特徴も有してます。
 乾物にすると好い出汁が取れるそうですが、料理的には、スープはメインで無かった??
 「スープじゃねぇのかよ?」
 やはり、シロアリ官僚からは出汁は取れないという事らしい。(まさに煮え切らない奴らと)


> それにしても天晴れな着眼だよな(普通に無理!)


 「焼け太り」の他にも官僚・政治屋批判用語が色々とあったと思うが
 ‥なんか出て来ないっす。(まぁいいか)




|剪定の鋏を鳴らし思案中           SBS学苑パルシェ教室俳句(3-25)

|剪定の鋏を鳴らし思案中 腰を下ろして茶を飲むも


 ‥国会での討議なんざこれと同じで、一服しようと変わりなしと


> この詠みも(なかなか)タイミングでの登場です


 国会を選んでる連中(国民)が同じですから、飛ばす野次が同じ内はなにも変わりません。
 時代を見ても、野次(発想&解釈)が変わるか、技術(時代)が変わるかです。

 ‥国会の討議そのものが、科学的根拠を言い訳にした話ですから

 こちらも技術を裏付けに進歩しないと、野次も変わりようがないのです。
 無理にそこを力任せに押そうとしても、やれ規制緩和だと‥その程度です。


> 結局は、バッサリやるしかないわけでして、ようはそのタイミングと役者という事らしい
> まさに、海鼠のような生物の考え方どすえ
> そこに自覚はあっても、頭も骨も腹もどこにあるのか分からない連中、それこそが官僚でーす。




|いつ止まる言葉の勢い冬さなか        島田市・「さんしょ」通信句会(3-25)

|いつ止まる言葉の勢い冬さなか 安倍政権に終焉を


 ‥ネタの句、正直、意味がサッパリです。
 差し当たり、詠み手が高齢者なら、自分のボケ若しくは寿命を気にした詠みかと思われますが
 対象としての主語が伴っていないので、なんとも申し上げようがありません。

 どことなく惹かれるんだけど、引っ張りようがないなぁと思っていたところ
 今回分を並べている内に、ふと気がついてしまいました。

 ‥なるほど、安倍政権の状勢を振り返ってみると、今、まさしく詠みの如しです。
 (まぁ詠んだ当人も、こんな引っ張られようを見たらおののくでしょうな)


> それにしても「森友崩れ」


 籠池泰典ってのは、図太い神経してますな。
 どうにも安倍と教育論が共通しているという思いが強いのか
 自分には落ち度がこれっぽっちもありませんの態度っすな。

 「‥どうして奴はあんなに自信たっぷりなんだ?」

 その辺が、思い込みの激しい教育論を持した輩の強みというか‥血の気の多さというか‥
 罪悪感に乏しい本性というか、国会に出られたので有頂天とした有り難や嗜好というか‥


 「とりあえずあんた容疑者なんだからさ、どうしてそんなに堂々としてられるのよ?」


 下っ端という自覚が一切ない。ああいうカネが、口止め料云々だって認識も一切ない。
 受け取るって事は、内々にそういう意味が込められていて当然なのに、空気読めてねぇ。

 安倍は、ある意味‥自分以上の相当のDQNを掴んじまっていたって事だよな。

 ‥官僚にしたってDQN相手じゃ、裏目裏目で、成り行きに盛り返しなんて有り得ない。
 (実に良くできている‥まさに天網恢恢なんとかである)

 まぁあの様子じゃ、このまま共倒れて崩れるしかねぇよな。
 どこまで崩れるかの線引きした方が、身のためだと思うわけだが‥
 国有地優遇絡みの中身なだけに線引き不能!‥奴を国会に招いた時点で負け暫定だったと。

 (すげー存在感、ある意味で見習うべき太々しさだぜ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:03 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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