↓11)向宜詠吟.2017/04/02
|横綱の力の限り豆撒きぬ 静岡市清水区港町
|横綱や力の限り豆まきぬ 鳳凰降りき 春 稀勢の里
‥相撲詠みか、まぁあって然るべきか
それにしても、器用に詠み込んでますな。
ということで、酉年に引っかけて引っ張りました。
「豆まき」はさしずめ、「福は内」叶ったりって所でしょうかね。
(ちなみに著生は、角界とて芸能スポーツ同じくさほど興味なし)
> ‥ここでの技法的には、「降りき」終止形か「降りし」連体形かになりますが
「降りし春」では、春だけの印象は否めません。
この年の間ぐらいは‥との思いでくくろうなら、願いを込めて「降りき」で句切ります。
また、「春、鳳凰降りき」とすると
‥詩情としては、だからなんなのとツッコみたくなる印象が痛いところです。
「是からですよ」との印象を誘うには、キャッチコピー風に盛る方が気分出るかなと。
|木の芽吹くほのかに聴こゆ風の音 長泉町・ながいずみ俳句会
|風吹けと伝わる希望木の芽から 解縮したる命のふしぎ
*解縮(かいしゅく)‥参考:【提案熟語】解凍×→解縮(かいしゅく)
開縮の方が良さげな気もしますが、開閉と同じに扱われては心外です。
ここでは、見ている側の気持ちを含めた解放の意を兼ねて「解縮」です。
‥「木の芽」ネタの句が、時節柄目に付くようになりまして
是はイケるんじゃないかなと、ネタの句と目が合いましたが
すっかりリスペクトしちまっております。
‥何が気に入らなかったのかというと
「ほのかに聴こゆ」‥どこか静岡の句会に有りがちな感性に思えてきました。
「風の音」‥木の芽と何の関係があるのかが今ひとつ足りていません。
「吹く」はですね‥「吹いてない木の芽があったらもってこい」の印象です。
> ということで、全然イケてなかったのですが
> リスペクトと比べてみると、「木の芽」×「風」の掴みがポイント高かったようです。
(夏休み等も含め、ガキの頃から日曜といったら寝坊にも夢見にしか関心がなく)
(それゆえ出歩かないから、木の芽に注目してみたことなんてねぇ!)
(今だってさほど変わらんよ、排気ガス吸いたくねぇし!)
> ‥圧縮した空気を解縮しながら走る車の技術があるんだってな
> (まんま「空気解縮車」やん)
「ガソリン車」等‥液体燃料系には、さっさと寝入って頂くしかありませんな。
‥燃料の重さが超絶に軽いっす。(液体燃料を積んで走るなんざ論外の世界)
タンクローリーもガソリンスタンドも不要。
もはや、空気圧縮車をその辺に配置しときゃ良いだけの話です。
その圧縮燃料づくりにしたって、太陽&風&水でイケるんじゃねぇの。
つまり震災時対応としても、空気圧縮車を、広場に置いておけば良いと言うことです。
(そいつがさらに飛行装置付きともなれば、世界市場でもブレーク間違いなし)
(でもなぁ空に上がると気圧が変わるからな‥その辺、技術力で差が出るところだろうな)
1-11)1
|ロスとレス一字違いで同居する 静岡市葵区八千代町
|ロスとレス一字凌ぎに同居せり 未来見えねと消えかかる仲
*ロス(失う)、レス(反応なし)
‥はじめ、ロスレス圧縮のロスとレスで読んでまして、ちんぷんかんぷんでした。
(ここでのレスは、セックスレスのレスでして、より小さくするの意では無かった)
そこに気がついて
「一字違い」より「一字凌ぎ(一時凌ぎ)」‥やろうと思い至りました。
そしてそこに渦巻く感情は、競り合っているわけでして、決して安定なんざしておりません。
「同居する」‥なんて落ち着いている場合どころではありません。
‥♂の詠みらしいですが、その辺、まだ見方が甘いんちゃうの?
(まるで不倫してますと言いたげにも読めてくる‥もしかしてそっちの詠みなのか?)
|粗衣粗食耐えて分け合う絆の灯 袋井市・どまん中川柳
|粗衣粗食耐えて分けあう絆とは 何に耐えろと余る格差に
‥ネタが戦中戦後の昭和の風景で
リスペクトがどうにも平成の風景です。
ネタの当時は、モノ自体が周りに無かったので
問答無用で、耐える・分けあうに疑問も湧かなかったわけですが
平成はまったく違います。
有り余っているわけですから、どうしたって、血が滲み出るような憤りが湧いてきてしまうのです。
‥でもそれも、産業構造の縮小がひたすらに続くと幻想と化し始め
本当に何も無い状況という奴が訪れる事にだって至るわけです。
> それならそれで、黙して我慢しているのも変と言えるでしょう。また、
> ある所にはあるのなら(競争だろうと)我慢しろという方が人間として変に思えるのも流れです。
しかしまぁ、それらが粗悪な技術の上にしか無いなら
多少は我慢を強いられる時期という奴が、至極当たり前に織り込まれて来るのも流れです。
‥要はそこに向かっているのかというと、インチキしかやらかしてねぇというのが本性です。
> 勝ち組の都合しか聞かねぇ社会を貴族社会って言うんだぞ
> それじゃ駄目でしょう‥ってことで民主社会って歩みだったはずなのに
> とんだくわせんもんだ!
とはいえ、「民主社会」≠「民主化」という視点を忘れてはいけません。
民主主義の基本は、束になって掛かる事です。
その点、勝ち組は勝ち組としてある程度まとまって攻め寄せています。(派閥が前提)
負け組が個人主義を持ち出して基本的人権を叫んでも届かないという道理があるわけです。
あなたのためだけに世界が有るわけでもないので、束になることが重要なのです。
民主化とはとどのつまり、集団においての権利です。
個人には直接的に何も与えられることがありません。(誰かの方策頼み)
ここを誤認していると、民主化はまったく以てすれ違いになってしまいます。
> 民主社会とは、民族的な境を限りなく小さくしようとの捉えによる国際視点です。
> 民主化は、国内に於いて組織参加の自由が容認されていると言うことです。
> 基本的人権は個人の権利の尊重です。
> ‥これらを合わせても、個人の自由性を際限なく認めようとの論ではございません。
(※ところが税制度は、個人の組織参加を強要し向けた制度としての解釈が可能なんですな)
それゆえに、負け組がなぜ負け続きかというと、束なるのが下手くそだからです。
「待つ」のが兎に角下手くそです。
(「信じる」のを待てない集団に、日の目なんて有るわけねぇっての‥)
そこらが全然駄目だからこそ負け組と言うことです‥それはもう致し方ありません。
(何しろ個人主義にハマっちまっています)
(勝ち組は個人主義ではありません!‥ズバリ、派閥を基準にやり取りする連中です)
> まぁ昔は、無知にも諦めがよすぎていたからこそ、貴族社会が維持されていたわけですが
> 最近もどちらかというと(状況的に)諦めがよすぎる雰囲気がどうことなく漂っています
‥勝ち組の半分にしても、待てないからこそ、インチキを含めてやってるわけなので
‥その点、きっちり見極めないと自分もインチキする側に染まりかねません
‥「染まるぐらいなら諦める」個人としては有りでも、集団でもそれでは全然駄目と言うことです
‥集団の前提は、諦めない結束なので、インチキでも好いとの集まりでも結束は成りっているのです
‥又、諦めるしか頭に無いままでは、インチキに取り込まれても致し方なしと賛同したも同然です
‥ここの自覚ができていないと、どうしたって、巻き込まれタイプのままと言うことです
‥「右が駄目なら左に寄る」国民主権は、消費者じゃないんだから、生産者視点が欠かせません
‥消費者視点で騒いでも、本質は見えてこないと言うことです。
(無い袖は振れんのです)
‥で、さらにそこを見透かされているのが国債の言い分、単式のカラクリ、省庁の言い分と!
(命&やる気以上の裏付けもないのになッ)
‥やる気そのものに自信が持てていないのも負け組の特徴です
‥なにせ、負け組の思考こそが、とことん消費者気分=お客様気分ですからね
‥それら幼少期を見てみれば明らかです。それはもう、ずぶのお子様のノリですからな
‥いやいや失敬、そこを満たせずに憧れたままに育っちまうのがほとんどです
‥世の中はいい人たちが作り上げていて、なんでも良くなると思い込んでもいます
‥でも、そうでもないと分かるようになってもその頃の思考の癖が抜けずに
‥虎の巻があれば大丈夫とか、ブランドだから大丈夫とか、上も同じ思考だと思い込んだままです
‥やつらは、法律から攻めてくるんです!(立ち位置が全然違います)
‥ハッタリでも、その気にさせちまえば「勝ち」と見くびっているのです。
> 投票選挙に出て来ないのが負け組でもあり
> 今やその数は、全体の4割にも及びます。ならば、与党政権の支持率6割は
> 残りの6割の支持率の中での6割と言うことなんですから、全体では3〜4割と言うことです。
‥ランダム調査での統計にしたって
投票選挙に出て来ない輩は、そこでも拒否するでしょうから、
その拒否の数を無効としてカウントしないなら、インチキということです。
つまりそこでの支持率5割切りは、全体では3割以下と言うことです。
‥3割切ったらさすがに民主主義もクソも無い!
その点は、向こう側にも自覚があるようでして、さすがに仕切り直すようになっているらしい。
(席が欲しい奴はわんさか居るっすから‥チャンスとあらば味方でも突っかかると‥)
1-11)2
|「寒いね」と張り子の虎に息かけてしなやかに首ゆらす風あり 牧之原市管ヶ谷
|「寒いね」と張り子の虎に息かけて うなずく首に温もり貰う
> ‥ネタの上の句と下の句は、どうにもへんてこりんな構成です
「・・・風あり」とは、単に自分の吹きかけた息を言い換えただけのことです。
自分の行為を、言い換えて二度述べても、詩情として整って来ません。
行為の結果、何を思ったか?‥ここでの流れはそうなるべきところです。
‥ところで、「首ゆらす風」って何でしょうか?
まるで、自殺・殺傷表現てな感じで不気味です。
何を伝えたいのかのセンスを疑われても致し方ない言葉選びになっています。
「どうして是で、入選するんだよ??」
‥俺だったら、毎回が該当無しでも涼しい顔を保つけどな。
‥完成度がまだまだなのに、記事枠を埋めるために選ぶなんて有り得ねぇ(俺はそういう見方だ)
|細雪冬の手紙をのせてくるさらさらさらり銀の絵文字で 掛川市浜野
|細雪祈りを刻み降りてくるさらさらさらり結晶の花
*細雪(ささめゆき)
‥「手紙」×「銀の絵文字」って何だよ??
伝えるにおいて、何か重要なキーワードが抜けているように思われます。
「細雪」だけでそこがクリアーできているとした思い込みがあったように思われます。
‥まぁそれだったら、手直しの通りなんだろうと思うわけですが
それにしても、雪の結晶を「銀の絵文字」とまでは及ばないわけでして
「雪」と「銀」では、まったく異なる対象です。
「銀世界」の表現にしたって、雪を直接的に指しているわけではありません。
雪一面にある大ざっぱな情景を指しての言葉です。
‥体言としての「雪」を
「銀」と表現しようと「白」と表現しようと「冷たい」と表現しようと
絵文字とは結びつかないでしょう。そもそも絵文字の前提は今や電子機器の中です。
> ‥て、もしかしてスマホアプリの場面想定で詠んでるんですか?
> メールが来た時に、「細雪」&「絵文字」の動画が出るというアプリっすか!?
‥いやぁそんな日常の一コマまで有りになっちまっちゃ
短歌の枠だけでなんて審査しとれんだろう。(そういうのはジャンルを句切らなぁあかん)
和歌の世界というのは、誰しもが自然体で実感&観察できるというのが習わしです。
それを機材必須で、互いに持ち合わせていないと認識し合えませんなんて状況は
どうしたって、伝統とは異なります。
そういう場合には、写真とセットなりの工夫が欠かせません。
(まぁ詠んじまったものは詠んじまったということなんでしょうけどね)
1-11)3
|一輪の梅に話の弾みをり 浜松市中区領家
|一枝の梅に話の弾みをり 折りたる咎め誰も語らず
‥「梅」に対して「一輪」をかざして好いのは、個人的な心境若しくは喩えぐらいです。
ここではどうしたって、「一枝」が適切です。
「それとも何?」‥誰かさんの「一輪の梅」の句をネタに話が弾んでるんですか?
‥それはそれで、詩情としては如何ともし難い話ですな。(どうして是で入選した??)
> 梅は折っても大丈夫な花
> 桜は折ると枯れかねない花
昔は「梅」も好んで尊ばれましたが、今じゃすっかり「桜」の方に勢いがありますな。
それってつまり、軟弱化したって事でしょうかね?
まぁそのぐらいの違いがあるように思われます。
昔は、人に対して「梅」扱いだったんでしょうな。
それでも松竹梅にしてみれば幾分「げ」の扱いです。
桜ともなると、さの字すら出てきません。
その代わりにあるのが、代役による見せかけを「さくら」と言いますな。
この辺が、江戸風情ながらのキッチリ分けられているところでして
なにが有益で、なにが暮らしの役に立たないかに対してとにかくシビアです。
そこにも言語感覚が落ち着いていたという点においては、どうにも感服するしかありません。
|トランプの気まぐれすぎるウインカー 磐田市東新町
|トランプの気まぐれすぎるウインカー 艶々金髪 地味になり
‥自分たちアメリカの実力を「桜」では無く、「梅」に扱う‥もとい、戻そうとしている
それが今のアメリカの現実。もとい、アメリカ国力の実際ということになりますが、
日本では情報操作がされている所もあり、現実感に乏しいようです。
大体ね、日本だって円高になるとヒーヒーしてるんすから
「工場を海外移転だ」とか騒いで、結果がざまぁな国内雇用状勢です。
バリバリの資本主義国アメリカが大丈夫なわけねぇべ。−200%だろうが!!
(今や米国の防衛を担っているのはメイドインジャパンでーす)
(つまり日本産業の空洞化は、米国防衛の空洞化にも成りかねないと言うことです)
(東南アジア市場そのものが、米中戦争みたいなもんということです)
(ゆえに、生産拠点が日本に残されていないと都合悪いという事にも成っています)
> ‥いい加減に分かっても良さそうなモノですが、思考停止しているのが日本の平和ボケっすな
> まぁトボケていた方が、白人至上主義を刺激せずに済むと言えば、その通りなんですけどね
‥それにしても
ドナルド・トランプの艶々だった金髪が、どうにも、勢いに欠いています。
やはり、ああ言う立場になると、薄くなるんでしょうな。
(お腹が痛くなる御仁も居られるようですし、鈍感が一番とか宣うような御仁も居られます)
> 上を極めたいとの女子が居たとしたら、そりゃ、やっぱり干からびてからでしょうな
> そういう意味では、「ババアのくせに‥」は、如何様にもほめ言葉と言うことです
> ‥なので、野次の際には、しっかり「クソ」を上乗せするように心掛けましょう!
1-11)4
|雛壇に一間を貸した昭和の日 磐田市上新屋
|雛壇に一間貸しけり昭和の日 長者のような懐かしき
‥今でも一間貸しでやってるところはあるでしょうね
戦後昭和はどうしたことか、
戦前よりも確かに豊かになったとの違いが、その辺、妙実だったのです。
まぁ一間といっても、ピンキリでしょうけどね
‥テレビ&黒電話が、まだまだ一般家庭に浸透していない時期だったので、
何かとお金の使い道が、伝統的な催しに偏っていたというだけのことです。
> 勘違いなきように申し上げておけば、それだけのことです。
受信料&電話代を3年分ぐらい貯めると考えて、量産効果も合わされば、
給料安かったとはいえ、それ程に厳しい買い物という次第でも無かった頃に思われます。
それが今や通信費などに縛られて、伝統行事から削っていくしか無いのが現実です。
日本の伝統文化を潰してきたのは、電話事業だったと言われたとしても仕方ありませんな。
(んなアホな、極論やん!‥それを言うならNHKだな)
|禅寺の日向譲らぬ孕猫 藤枝市末広
|禅寺の日向にごろりずぼら猫 気ままずくめも飯食うだけと
|家猫の炬燵にもぐるやんちゃたち あれもこれもと興味湧くまま
*孕み猫(はらみねこ)
‥ネタの句を読んでいると、どこの禅寺で、何が目的で、そこを退いて欲しいのかが不明です。
ただでさえ、孕んでいるなら、そっとしておけば宜しいように思うわけです。
整っているようでいて、実は、ケチ根性のところを自慢げに投句したと‥
「これでどうして秀逸なんだ??」
猫同士の争いにしたってね、猫寺のその辺の事情を
画像検索から見ていると、どうにも、そういう風には見えてきません。
彼らの雰囲気は、どうしたって‥野良でも家猫でもありません。
それこそ、坊さんの団体生活同然に、楽しみと言えば食べることだけの雰囲気です。
余計な物がほとんど無く、お互いに、行き場の無い者同士の集まりとした自覚があるのか‥
やんちゃな雰囲気がさほど多くありません。どこか穏やかな趣です。
> 「まさに、昭和の日本人や!」‥と思っちまいました。
つまりあれですよ、平成の日本人は、今や家猫と同じということです。
興味のあるがままに動いているだけとも言えますな。
興味に振り回されているというか、興味が中心に置かれているのです。
昔はそこが、互いに生きることだったと言うことです。
そこの違いを、どうにも、猫寺の猫から学べそうと言うことらしい。
(ほへほへ、すげー盲点じゃん!‥確かに‥この発見は「秀逸」ものだな)
1-11)5
|一月一日玄関に孫のこゑ 富士宮市小泉
|明けまして初玄関に孫のこゑ 集金にいらした威勢かな
> ネタは、実に「そう来たか!」と思わせてくれました。
‥妹の方の甥がさぁ、ませててさ
まだ3〜5歳の頃だったか、柄でもねぇ俺の所に挨拶に来るわけよ。
知らん顔で何も出さんでいたら、挨拶に来なくなったよ。(勘の良いわり切った性格だ)
長男が来ないと次男も来なくなるわけで
俺としては、作戦成功って事に成ったわけだけどさ
それはそれで、ちょっと物足りないかなと思ったので、今年は、本をプレゼントしてみたよ。
四字熟語やら日本の諺やらのまとまった本な。(ルビが全部に振られてます)
まだ小1のくせに、貪るように読み始めたのには、聞いてた想定内だったけどビックリだ。
予算があれば、この勢いで、電子辞書を与えてみたいところだが3人分はさすがに無理。
(まぁ安いのなら範囲だが、どうにもねぇ‥)
> それにしても長男次男三男と、タイプが全然違うと与えるタイミングというのが実に難しい。
次男は、どうにも、文章の構成がよく理解できんらしい。
まだしゃべらない時分に
紙とペンを与えて「何か書いて見ろ」と渡してみたがポカンとしてたし
俺もアホにも画を描かずに
何を思ったか、数字を教えてやろうと数字を書いてみてもポカンとした反応だったからな
その点、なぜか長男は、漢数字の「一」を書いて見せやがった‥
「しゃべるようになった程度で、どうしてそれを知っている?」と思ったぜ。
実に、両極端な二人だな。
‥そのくせ次男は無駄に兄貴にライバル意識というパターンでーす。
‥ということで同じ本をまだ早いながらに次男にも与えてみたところ、早々に投げ出したわ。
‥マンガの方が入りやすいタイプだな。
ガキ時分に読ませてもトラウマ出なそうなのが「釣りキチ三平」辺りか‥
電子機器タイプの釣り玩具で楽しそうに遊んでたしな。
三男がどうにも大人しすぎるのは、
次男が自分のささやかな「やりたい」を奪うからだろうな。(あれは、出しゃばりすぎだ)
長男は至ってマイペースタイプなので、次男が確実にムードメーカーを担っている。
(はしゃぎ出す順番が幾らかおかしい気もするが、まぁどうでも好い)
> ちなみに姉の方の甥は
‥「行ける高校がありません」なんて言われちまった口でーす。(俺的には想定内だったけどな)
画に関していうと、それなりのものがあるようだが、活かす気は無いようだ。
‥で、姪が「アニメーターになる!」とか、ほざいているそうです。(こっちは想定外だった‥)
俺的には、コミケにハマって、同人誌活動でもするようになると面白いと思うわけだが
アニメーターが、夢一杯そうで、実は稼げない格差商売だったと気がついて、どう反応するかだな。
(アニメは、制作に参加&完成自体が均等報酬みたいな所があるからな)
1-11)6
|彩りの無き庭もよし春待ちの常緑樹を縫ふ風の音聞く 吉田町住吉
|春待ちの彩りの無き庭もよし よっこら歩けば縫う風日和
‥ネタの上の句は、なかなか粋なことをおっしゃっておりますな。
しかし、下の句がぐしゃぐしゃです。
まず、季節感がよう分かりません。
まぁ短歌なので、そこはテーマ次第ですが
どうにもネタの詠みでは、ぱっと見、ハッキリさせても言いように思いました。
でも結局、こちらの手直しでも、季節感に関しては曖昧にしておきました。
> 粋な視点という奴の、見かけない形だったようです。
で、「常緑樹」ですが、「街路樹」か何かのようにも思えます。
そもそも‥常緑樹としては、春待ちのイメージ作りとしては損に思います。
‥どうして「常緑樹」を盛ったのかが不明で、どうにもぎこちなくなっています。
そこは落葉樹の名称を盛るべきに思いますが、こちらも苦手分野なのでやっつけです。
‥まぁ要するに、さほど樹木に注目があったわけでもないのがネタの句からの印象です。
で、次に、「風の音聞く」です。
まぁぶっちゃけ、上の句との絡みが弱すぎです。「常緑樹」ともしっくりきていません。
> で、構成を見直してみた結果
庭に見ばえが無いなら無いで、外に出掛けるのが流れです。
‥そこに気持ち良き風に出くわしたと
‥だいぶ春めいてきている感じに伝わりもしますが
それにしても、手直しの上の句は、ネタのそれとは違って
庭先に植える春を待っている意ですから、季節感としては、随分と殺風景で
庭と呼べる代物ではないとの印象は拭えません。(多少の見栄を感じさせています)
‥そこを「よっこら」と一言盛ることで
年相応に適ったたしなみの印象になるように、引っ張っているとした趣です。
> 要するに、ネタの詠みにしても
> その注目は‥春近き頃合いに外出した時の風という事です
‥こうはなかなか詠まない所ですので、まとめ方も混乱してくると
「縫う風」の盛りが案外に良かったということになります。
|冬山家父の砥石の凹みかな 浜松市浜北区本沢合
|冬山家 父の砥石の凹みかな 薪割る姿いまに見るよう
*山家(やまが)‥山の中にある家。山里の家。また、山村。山里。
‥通常、ネタのような詠み方の場合
季語を、後からはめ込んだだけのようなやっつけが目立つところですが
ネタは、難しい所を器用にまとめています。
それにしても、「冬山家」‥どう読ませたかったのかが、どうにも見えてきません。
(山家には、他にも色々と読み方があるようです。意味は同じです)
そういう意味では、勿体ないところかなと。
参考:手斧を研いでいる様子の記事
> 父の山家を自由に使うことになったが
> そこにあった砥石の凹み具合には正直驚いたよ
> ただでさえ薪割り自体が大変だというのに、やっぱり研いでも居たんだな
> その当時の父の薪を割る姿が思い浮かぶようだ
1-11)7
|盆梅をほめて荷を解く薬売り 静岡市葵区南沼上
|盆梅をほめて荷を解く薬売り 咳一つ無く算盤はじく
‥昔なネタを句材にした詠みのようです。
それとも、まだ置き薬の商売、生き残ってるんでしょうかね?
置き薬とは、まだ交通&流通網の十分でなかった時代‥
薬売りが薬のセットを希望する一軒一軒に置いて行き
一定期間後に再び訪れて、使った分だけの代金を徴収し、補充していくとした商いです。
> 日本人の民度の高さと根気と人情味が感じられる商いです。
‥それにしても、上手いこと詠み込んでいます。
そこから+七七に引っ張るに当たって、斯様な形に成ったのは
商売上手の雰囲気を倍増させようと思ったからです。
薬売りなんだから、その薬が如何に効くかということです。
自らが‥咳き込んでたり、鼻水垂らしてるようでは、台無しだという意味です。
で、そこに気付くようなお宅となら、商いでのお付き合いも末長く続くということだと思います。
|茶柱に何かほんのりうれしくて茶渋の湯のみピカピカにする 静岡市駿河区下川原
|茶柱に何かムズムズ清めたく湯のみの茶渋落としピカピカ 手直し
‥ネタは実に地味な着目です。
「ピカピカにする」の「〜にする」なんて
括り方が性に合わないので手直ししました。
それにしても、「茶柱」で詠みたくなるものなのか?
そういう意味では、俺は日常に興味関心がほとんどねぇ。
「無気力・無感動・無関心」‥まぁそこがベースの人間だからな。お間違いなく。
> ついでに言うと‥「ほんのり」と盛るなら「ほんわか」だと思います
> 「ほっこり」が流行りだして、「ほんわか」が瀕死のように思われます。
1-11)8
|轟かす神事の太鼓山笑ふ 静岡市・護国神社吟行会
|山来よと神事の太鼓轟かせ 豊穣給えこの春の鍬
‥ネタは、俳句としてはそのままでも好いのでしょうが
引っ張ろうとすると、どうにも「山笑ふ」の意味合いが中途半端です。
理由としては、
轟かせているのは「村衆」でしょうが、笑うのは「山」と言うことで
三十一音で詠む上で、どうにも主体が怪しくなってしまいます。
> そこで代案を考えました。
> 「山降りよ」「山覚めよ」「山来よ」
山神に祈るのに、「降りよ」ではどこか上から目線です。
立場を下がれとも聞こえてしまいます。
「覚めよ」ってね、神様なんだから概ねお見通しのはずです。
それもたかが季節の変わり目程度の話です。
「言われんでもわかっておる‥お節介にも程がある」ってな空気です。
‥で「来よ」です。
来て下さいと言われたら、そりゃ「行ってやるか」って事に成ります。
何しろ、里はお祭り騒ぎです。‥そりゃ、そこまでして貰おうなら考えるでしょう。
> そこで、「山来よ」が季語になりうるかという次第に成りますが
> まぁ正直無理っすね。
‥地域に「太鼓祭り」があれば通りもしますが
認めるかどうかはあなた次第です!
「山来よ」がありなら、「海来よ」もありっすな。
そうなると‥新春の季語にしましょうとか、そんな空気にも‥
|ジーパンの長き足見せ少年は土地に伝はる歌舞伎を習ふ 浜松市南区遠州浜
|ジーパンのほころぶ足見せ青年は土地に伝わる田楽習う
‥面白い着目と言えば面白いっすけど
「歌舞伎ではなく田楽では??」と思っちまったので、リスペクトしてみました。
‥好みとしても雰囲気としても
どうにもリスペクトの方がしっくり来てしまうのは、決して、著生ばかりでは無いはず‥
1-11)9
|雪富士や鉄橋の音尖りたる 伊豆の国市四日町
|雪来ると鉄橋の音尖りたる 無事を祈れと語りだすよう
‥動画検索で確認してみると
雪が降るような天候では、「鉄橋の音」は、籠もったような鈍い響きに成るようです。
‥まぁ表現として
「尖る(とがる)」は直感的に面白いと思うわけですが
どうにも、空想的な趣との向きが否めない次第に成ってしまいました‥
‥ということなので
「尖る」とする何らかの必然性を足すことが、引っ張る上で欠かせない要素になってきます。
> ‥あと「雪富士」に関して述べると
句として詠む上での風景というのを気にしたんだと思いますが
引っ張るとなるとどうにも無理が出るというものです。
着目はあくまで「鉄橋」になってしまっているので
季語としての季節感にしても「雪」に絡みがあるだけで、どうしたって富士は土地柄というだけです。
土地柄を出すことも無論欠かせない要素に違いはありませんが
ここではどうにも、盛るべき意図をさほど感じさせません。
‥それは「鉄橋」の響きが一般名詞でしかなく
実際に、ここの鉄橋とした固有名詞で語られていないということに及びます。
その具体的な名称があれば、「富士」の響きに頼る必要も無いという事です。
又、
「鉄橋」に的を絞ると、どうしても「尖りたる」にまで注目せざるを得ないので
そこの雪との絡みをそつなく接続させた方が、しっくり来ると判断しました。
1-11)10
|夕東風に押されて帰る車椅子 島田市中河町
|夕東風に押されて帰る車椅子 わずかに寒くそれでも笑う
‥車椅子生活の本音としては
世話される自分に納得なんてしてないでしょうな。
それでも、怒っている・ふて腐れているよりは、笑うしかない自分を見つめざるを得ず‥
まぁそんなところの気持ちを想像して引っ張っておりまーす。
> それにしても、整ってますな。(アニメのワン・シーンみたいな)
|ありがとうの終の指文字寒の月 静岡市葵区川合
|ありがとうの終の指文字寒の月 お返しできずに済みません
‥いやぁもう、なんですか是は?
映画のワン・シーンにも程があるような詠みっぷりです。
‥マジですか?、ネタですか?
表現的なことをツッコんでおきますと
「ありがとうの」の「の」を省略してしまいますと
自分が棺桶直行の役柄に回ってしまいます。
概ね看取る方ですので、「の」が欠かせません。
‥「の」を省いたのを詠んで大往生では、さすがに臭すぎると思います。
> 逆を言えば、恩着せがましい行為とも見てとれるわけですな。
> まぁ人間のお付き合い自体が、半分は恩着せがましい行為ですので、そこはどうでも好いと‥
ということなんで、「ありがとう」と言われたら
無駄に「申し訳ございませんでした!」と返答してみるのも有りかも‥
向こうは、目の玉白黒させてびっくらこくだろうぜ。
なんにせよ、すべては下心も絡むわけですからな。
‥ということを真面目に考えるとおかしくなるので、そこはキャラ立てのネタ程度かなと。
> それにしても、死の間際にいきなりキャラ濃くされてもねぇ‥
> 「だから何?」ってな空気かと‥
> そういう意味では、思い込みというかドラマ見過ぎの中二病だと思うのだが‥
‥普段の生き様ぶりこそが肝心かと
その前提がどうだったのかも分からずに、いきなりこの句を目にしては
どうにも、謝るしかねぇっての。
1-11)11
|冬の朝メダカはいかにと見にゆけば薄氷の鉢にいつもの姿 静岡県駿河区大谷
|秋の午後世話するザリガニ見にゆけばケースの中は孵化でいっぱい リスペクト
‥「へぇ」鉢に氷が張ってもメダカは生きていると
ちなみにリスペクトの方は、著生が小2か小3頃に体験した事柄です。
‥ザリガニを拾ってきて
水槽とは名ばかりのプラスチック製のケースに放り込んでおくというだけの
「その内死ぬんだろうなぁ」というのが前提の試し飼い程度だったわけですが
どうしたことか、一発目から孵化しちまいまして・・・
> 相談すると言うことを知らない小学生は、
> その後、一週間程度様子見てから暴走しましたそうな‥
思考としては、親が子を共食いしかねないと思ったわけでして
育児放棄をさせるぐらいなら、こちらが放棄したと‥
しかしザリガニにしてみれば、とんだ災難だったと
‥どうにもトラウマになりまして、その後一切「飼う」ということに興味が排除されています。
『自画像』 焼津市栄町
一から六までの
異なった顔を持ち
どの顔一つ欠けても
ぼく自身でなくなる
近づき過ぎると
ただ一つの
顔しかみえないが
ある程度離れてみると
他の顔も見えてくる
サイコロみたいな
ぼく
全ての顔を
見るためには
ころがして
みるしかない
‥なかなか面白い着目ですな。
どうせなら、最後‥
「ころがされても、生きてみるしかない」
と足した方が、謎めいて、意味ありげかなと。
‥せっかくサイコロと表現しているわけで
サイコロをころがすのが自分だとの前提なんてどこにも無いのが人生でもある。
そこまでが、自分の顔に対する評価という奴なのだから、双方からの視点を盛るべきだ。
「自分への眼差し」=「自分の反応・行為・相対評価」=「自分の素顔への自信・自覚」
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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