↓7)向宜詠吟.2017/04/14
|筒を手に構内の袴春を告げ 島田市・茶の花島田句会(4-7)
|なみだ立つ卒業袴筒を手に「ありがとうございました」吹き交う
‥「構内」「校内」???
まぁそこは置いといて、この俺が「卒業袴」を詠もうとは(ありえねぇ!!!)
それにしていも、「春を告げ」は変だろう。安易すぎる。
折角の着目が中途だな。
そもそも、校内において「誰に告げるの?」「何を告げるの?」
まったく以て、しれっとしか伝わってきません。
(‥お陰で、柄にもなく考えちまったぞ、どうしてくれるんだよ、おいッ)
> こんな句が世に出ると、ますます「卒業袴」に拍車が掛かるだろうが!!
ああ、そうだな。「好い迷惑だ!」
でも、さすがにジャージでは誰も出ねぇだろう。日常着すぎるからな‥
(そういう範囲での着飾りたいがあるにすぎないと言うことです)
1-7)1
|証人喚問ちょろっとドヂリ雀の子 島田市・茶の花島田句会(4-7)
|証人喚問あとからあとから目白押し リスペクト
‥是は上手い!文句なし!
‥お陰様で、ブレイクしちまいました
|お役御免‥喚問せまられ青きツラひらきなおれば認めたも同じ
|喚問のどん底気分に追い打ちと矛盾さらすが普段の程度
|喚問にメンツ保てと背後からヤミの真相封じし忖度
|名誉御免‥嫌だとばかり自分から罪が無いとほら吹き始む
|偽証だとこれまた喚問そらしたる本題の罪ぞあやふや
|誉れたる国会呼ばれハキハキと自慢話を盛るDQNかな
|「偽証罪」証言否定も含むのか!?総理ひとりの言否定
|税金は喚問劇へのあない料 無理ゲー糞ゲー売るような
*喚問(かんもん)、忖度(そんたく)、盛る(もる)
‥八射目は、言われてみれば、まぁそういう見方もあるのかなと
とんだ買わされ損ですけどね。まぁそれが国家権力という奴ですから。
> でも、誰の為にあるのそれ?
「お国の為」≠「国民の為」という事です。
‥そのお国とは
大本営という旗印(カンパニー・組織)という意味でしょうね
「会社の為」≠「社員の為」・「会社の為」≒「経営×資本家の為」と同根です。
今更ながらに、それ以外の空気なんて何処にもねぇ!
未だに政府中央は封建様なのでーす。
(その証拠に、上場企業の相当の進撃に対して、天皇名義で大金が支給されると)
(土地は出せないけれど、配るカネなら唸る程にあると)
(むしりに来た迎賓客へのお土産代なんて、さらりと5億円だってな)
(外国への気前の良いポンと10億円なんて、それこそ小遣いを渡すような感覚)
(「誰に?」って、その国の元首という名のオトモダチ名義って事になります)
あっちは天皇元首制(現実)、こっちは象徴(妄想)です。
‥根っこは、あくまで責任を天皇に押し付ける習わしです。
(こずるい連中の腰抜けた定石ですが、現行の憲法ではそこまで叶いません)
(天皇には何の権限も無いのに、権限として姿を見せている不思議な形が第九条です)
> では、民主社会とはなんぞや?
> だから、集団になって論争できる権利というだけの話です。
> それが国家内での言論闘争で、国外に対しては火薬をちらつかせるのが国家権力とした習わしです。
(‥ということで、対外的な民主主義など実は存在していないのです!)
(言論の枠を超える超えないのそこからして「闘争の尊重」‥つまり本質は武力主義でーす)
(民主主義を掲げてようと、武威に縛られない外交をしている国家はほとんどございません)
武威をちらつかせるのが国家権力、ちらつかせなどさせないとしたのが第九条。
「権力」VS.「民意」
まずは、民意として束ならないのでは、誰も保障し得ないということです。
もう一度言いますよ
民意として束ならないのなら、権力はそんなもん一切約束しません。
いつでもひっくり返す気満々です。(それが戦後体制だったとの見方も成り立ちます)
何はともあれ、馬鹿の商売絡みにも、こてこての「武装好き」なんですから。
それこそが、なんちゃって民主国家(武威国家)ということの本質です。
(いつの時代だろうと沈着冷静の役人は居たわけですが、戦争OKならどうにも武功に流れると)
(アート表現でさえ、どちら様も武功大好き映像だらけなんスから)
(いつでも武威を行使できる格好良さが欲しいと‥でも責任問われたくないので御輿も欲しいと)
> {実力行使したい≒正義を誇りたい≒闘争したい≠権力大好き=権力行使したい=武力闘争させたい}={勝てば結果正義}
1-7)2
|春炬燵ぐち聞き役居て50年 島田市・茶の花島田句会(4-7)
|春炬燵ぐちの聞き役ご苦労さん はや五十年や黒歴史
‥いやぁ、こげな「炬燵」にはなりたくないですな
その感謝の言葉すら、まっ黒に見えちまいます。
「それにしてもインパクトのある着目っス‥」
‥ということで
さらに、インパクトの出る言葉を盛って置きました。
> それにしても、誰に向かって言ってるんだろうね?
|本心をかいま見て寂しい彼氏になっちゃった 島田市・茶の花島田句会(4-7)
|「ああ残念‥」呆れた彼になりてたり 本心見たりと春は冷め
‥これもまたスゲー着目だな(ネタはただの文だけど)
*「なっちゃった」=「なりてたり」
助動詞「ぬ」を補助とする「なりにけり」ではありません。
助動詞「つ」を補助とした「なりてたり」が現代風に訛って「なっちゃった」です。
まぁそういう事かな‥
もう少し言い直すと、「〜なっていた」という言い回しになります。
そういえば、「〜なっていた」‥最近余り見かけないような気配がありますね。
‥科学分野での偶然の発見時
‥久しぶりの再会での意外な経過、町並みの変貌
情報社会ではそれが、「え☆知らないの?」とツッコまれるのが流れかと。
つまり、概ね‥使われなくなっていたと。
(おっと、こげな使われ所はありふれているようです)‥使われなくなりてたり。
|春雷や忘れることを叱りあう 相良俳句協会(4-7)
|春雷やブレーキちがえコンビニへ バツの悪さに「大丈夫ですか?」
‥なにを忘れたというのでせうか?
まぁ買い物リストからの買い物もれ‥辺りかなと
双方で頼みごとをし合う仲の良さはあるんでしょうけどね、お互いに物忘れがひどいと‥
(実際の所はわかりません)
‥それにしても「春雷」の使い方が面白い。でも、どちらかというと川柳です。
こちらも、真似て、リスペクトしてみました。
> リスペクトのような場面で、コンビニ店員に如何様な声を掛けられたのか?
> そこをシミュレーションながらに想像してみました。
「大丈夫ですか?」
「お怪我はありませんか?」
‥と、とっさにも冷静に対応できたら合格です。(店員としてでなく、経営者としてでーす)
> 例えば
先月、新装オープンしたばかりでのタイミングによるブレーキ踏み間違い事案発生‥
‥「これは痛い!!!」
恵方巻きの売上ノルマ未達後日に‥事案発生‥
‥「これは痛い!!!」
アルバイトに辞められて、自らにシフト増加の疲労困憊すぎに‥事案発生‥
‥「これはかなり限界点突破か!」
> まぁ要するに、ネタの句は、家族の間と言うことですが、
> 社会で言えば、最低呼ばわりを言葉にして言い争う=油断しあった日常という事になりますな。
‥普段からの心の置き所がそんな「春雷」で、上な暮らし向きに届くわけがないッ‥
まぁ生まれながらの例外は居るっちゃ居ますけどね
でもね、そんな常時「なんてことをしてくれたんだ!」って、目くじら立てまくる輩を
誰が上に戴きたいと思うかよッ
‥そこを基準に据えれば、テメエの程度が分かりそうなモノですが‥
それの春雷衝動をどうしても抑えきれない自分が居ると思ったら、
まずは上昇思考なんざ諦めろ、そして、そこに自覚を持て、それだけだ。
‥それは、上を諦めたんだから、上の顔色なんて伺わないとの意味である。
そして次に、
上をよく観察することだな。
「何のために?」って‥そりゃ、効率よく愚痴る為だよ。(折れる必要まではない)
敵ばかり作るような物言いは得策ではない。(強みに成り得ぬ自覚に意味無し)
そこまでわかってくれば、あとはその内に考えられるようになるだろうさ。
‥「双方共に腑に落ちるツボとは何か?」ということだな。
1-7)3
|背の孫をおろし遊ばす春野かな 沼津市・さざなみ句会(4-7)
|背の孫をおろし遊ばす春ひろば よちよち歩きゃドラマはじまる
‥「春野」今時その響きに適った日常がどこにある??
まぁそこはともかく
立っちしたての頃合いの視界から云えばね、そこはそのままに
「あたたかくなった頃のどこかひろいところ」
‥それ以上の認識なんてありませーん。
‥というか、なにかやってみたい好奇心に対して
大人のする思考のような手順も用途も狙いもまったくなく、
まっさらにも当てずっぽうの無知なので
日々、一つ一つの組み立てを発見するか・しないか程度だろう。
発見するまでのステップとしての大ざっぱな好奇心があるだけで
それが満たせればまぁどう受け取ったかはともかく、とりあえずおしまい程度にある
どうにも、次は何がしたいとか、プランがあるわけでもなく
そもそも、何がしたいとかそこからして朧だし、
なにがどんな物事で、世の中にはどんな選択肢があるのかも把握できていない。
‥憶えが良いか悪いかもある(好き嫌いの程度の差)
‥方向感覚がしっかりとしているか・していないかもある
> 赤子の頃の記憶が朧なのは、脳が、方向感覚などをどのように把握していくかの準備段階だから
> 成長するたびに、ぽろっと切り落ちたり圧縮されたり枝葉が付いたり、それはもう曖昧だ
‥述べるまでもないが
感情が絡まないのでは、記憶の奥深くまで刻まれる事がないということだ。
その頃の記憶の解釈に、どれほどの意味があるかなんて誰にもわからない。
それでも、どうしてか、価値があると思い込む。(記憶としての注目度)
記憶の基準など人それぞれだが、その価値(気持ち)とは、まったく逆に生きようと平気でもある。
> 記憶に制限されない‥それは自由だろうか?不自由だろうか?
|幼な手のころんで握る春の土 相良俳句協会(4-7)
|幼さやころんで握る春の土 泣いて見せるも笑みをもらすも
‥「幼な手の」転ぶのは手じゃないっす
転ぶそもそもは、「幼さ」です。(老いても転ぶようだけど)
それに、土を握ろうとして、構えているわけでもありません。
> そして、斯様な場面で、泣くのも笑うのも「幼さ」ゆえです。もとい「春」だからでしょう。
‥ほか、着目はたいへんよろしいかと。
‥ちなみに
手から転ぶような転び方は怪我の元です。
転がるように転がれば受け身になります。
1-7)4
|犬探す老婆の声や虎落笛 藤枝市・時ヶ谷明句会(4-7)
|「吾が子どこ?」案ずる母の虎落笛 リスペクト
‥この「虎落笛」の使い所が面白い。
季語としてより、比喩で盛ってきたわけですな。
でも、季語としての「虎落笛」としてみると
その「老婆の声」がかき消されているかのようにも見えるのが、なんとも不思議なところです。
それは「声や」として句切ってあるところの効果によります。
‥この「や」が並列助詞の役割を兼ねているようにも聞こえるからです。
> リスペクトの「の」は、そこのどっちつかずの面白みを取っ払って
> かなり比喩に断定した用い方になります。
‥ここで「あの子」と盛っては、犬かもしれないと。(なるほど)
|嫁ぎ行く孫の写真と日向ぼこ 藤枝市・時ヶ谷明句会(4-7)
|嫁ぎたる孫の写真と日向ぼこ 手直し
‥「行く」では、これから嫁ぐのか?もう嫁いだのか?
どうにも、どっちつかずで宜しくありません。
ここはどうしたって「たる」です。
見合い写真ってわけでも無さそうですし
結婚写真なら尚のこと「たる」にしないと整って来ません。
‥それにしても
こないだのパパ息子の方を心配した短歌とは、えらいちがいっス‥
こっちの方が普通だと思うのだが、どうにもよくわからん。
たぶん、自分の娘の娘という事なんだろうな。
こないだのは、嫁の娘だったからな。
> ‥ミトコンドリアがもたらす親近感による差なんだろうか?
‥そういう事情にこそ、統計を取ってだな、心理状況の把握をすべきに思う。
異性へのモテ方のコツとかツボとか、ほんと、くだらねぇ記事ばっかだよ。
1-7)5
|風を追ふたんぽぽの絮旅はじめ SBS学苑・静岡校教室俳句(4-7)
|風吹いてたんぽぽのわた旅初むる 参考1
|風吹けばたんぽぽのわた夢に発つ 参考2
*絮(わた)
‥「風を追う」はどうしたって変だ
物理的に考えても、風に乗るだし、
向かい風だからこそ飛べるのであって、その辺で、すでに‥「?」
陸上競技だったら、そりゃ、追風の方が跳べるわけだけど
重量軽けりゃ、吹き飛ばされもするだろうけど
「飛ぶ」と「跳ぶ」では、求める風の向きがまったくの逆ということだよ。
> まぁそのままに、「追いかける」だけの意に絞っても
「旅はじめ」とくくった印象は、どうにも「追いかける」気持ちとはどこか違っている。
風に相当する何かを追いかけるにしても、それと旅は関係ない。
旅の目的が追いかけるだけなら、「風に乗る」手段が目的になったようなもので
どうにも、それがたんぽぽとしての魅力ある情景の一つかというと怪しい。
人間でもそうだが、手段が目的になっていると、どうにも人間性に疎くなる。
商売で言えば、同じことを繰り返すのが目的にすり替わる流れだ。
‥そんな日常は糞つまんない代表なんだから、「掴みとしてどうか?」に問われる。
> まずは、目的とした気持ちが伝わる・伝えるようでなければ、旅への理解も始まらないのだよ!
|若さかなたんぽぽのわた都市向かう 明日を見ひらく華の暮らしと
|たんぽぽの野花の自覚失いて薔薇が好いとか桜が好いとか
‥若者の都会嗜好は
「花が好い」=「広葉樹が好い」概ねそう表現できる。
つまり、それ一色だったら、冬になった時分に、動物たちが酸欠に陥るかもしれない。
そこで、どうにも花としての見映えなき針葉樹が有り難いという見方にもなってくる。
でも、感情としては、どうにも、そこを受けとめる空気にはなかなか至らない。
なにしろ、自分たちと針葉樹はまったくの別の物だと思っている。
呼気を介して、動物たちと繋がっているとした理解ができないのだ。
動物らが縮小しようなら、酸素を二酸化炭素にして還してくれる要因もまた減り、
今度は植物が呼気しずらくなり、ついには自らも滅びることにだって成り兼ねない。
> 私たち人間は、他の生命に対してそれと同じことをしでかしている。
それで、そんなことのなれの果てに手に入れた、都会の夜景が素敵とか
どうにもトンチンカンな美意識しか得ていないのは、馬鹿としか言いようがない。
‥そんなもので溢れ続けたら、それこそ滅びるだけだという理解がまったくない。
許される許容を推し量らずに、
次から次へと、横並びにも「私も」「僕も」とか、ほんとくだらない。
‥それの良い例が
「あらいぐまラスカル」で、今やそれのなれの果てが、
日本文化財の破壊の担い手になってしまっている。生態系への影響も甚大だ。
まぁ、裏返せば、アライグマが居ようと居まいと廃れ行く流れだったに違いなかろうて。
(何しろ、何事にも自由が優先で、共生の後まわしになったのが黒船経済の本質だった‥)
(少しは見られるようになってきたにせよ、それでもまだ、人間同士の都合の枠でしかない)
|摺り足の足袋より能の始まりぬ 相良俳句協会(4-7)
> まず、摺り足用の足袋を買うところから始まるのが能というものです‥
‥「足袋より」としては、どうしたって、斯様なニュアンスになってしまい
それでは、どうしたって変です。
|「すり足で前」から能を習い初む 手直し1
‥ということで、手直し1がまず浮かびますが
「摺り足で前へ」と「へ」までを盛りたいところ‥
そこで、手直し2となり‥
|能習ふ「摺り足で前」へ基礎の基礎 手直し2
着目自体に説明以上の要素が無いので斯様になりますが
‥手直し2の段階になろうなら、それを俳句とは言い難く
‥しかし、手直し3と比べれば、どうにか俳句にはなっているらしい
|能はまず「摺り足で前」へ基礎の基礎 手直し3
‥手直し3、ここまで来ては、ただの平文です
しかし、習い覚えようとしては十分な言い回しになっています。
> それぞれの違いを、整理できていたかどうかです。
1-7)6
|野に山に湧き立つ春の息遣い 相良俳句協会(4-7)
|野も山も春らしはずに まだ寝息‥今年の春さ未だ春眠
‥ネタは、春らしくなってきた時分に詠んだなら違和感ないが
どうにも今年の春の訪れようとしては、違和感ありありだろう。
そことの違いをリスペクトしてみた。
|畦青む遠山の空さくら色 相良俳句協会(4-7)
|畦青みふもとの山さ桜色 こちらはまだと うらやむ畑端
‥掴みを足下の「畦青む」とし、着目を「遠景の春らしさ」との対比にしている
それの目の付け所は、とてもよろしいのだが
「遠山の空さくら色」では、どうにも、整っているとは言えない。
‥朝方とも夕方とも覚束ない雰囲気にもなってしまっており、
それでは、「畦の青」としたところの‥どう見ても昼間の趣から掛け離れている。
まぁ‥「向こうの山には桜が咲いている」とした様子を盛ろうとしたのだろうが、見事に外している。
それは、「遠山の空」と、山の上空を指してしまったからに他ならない。
> しかし、この手前と遠景の対比としての桜前線を考えてみると
> どうしてこちら側の桜はまだ遅いのだろうか?と疑問が湧いてきた‥
それは、こちら側の標高が上にあるからだ。(まぁそうなるだろう)
(もしくは、北寄りの風が吹き下ろすので春がやや遅い、さらに北東に位置しているからなど‥)
日本全国で、斯様な光景をどれだけ味わえているのかは知らないが
車で移動する分には、それなりの差に気がつくぐらいはしょっちゅうなのでは‥
‥それにしても
言葉に、自然&地形観察との兼ね合いが及ばないようでは、
「惜しい」というよりは、むしろ「わかってねぇ」と言わざるを得ない。
> 言葉だから文系としたモノの捉え方のままでも‥では、正しく表現するなんてとても無理。
1-7)7
|一羽飛び二羽飛び冬木空になる 相良俳句協会(4-7)
|冬木立一葉落つたびクウになる 煩悩ちゃうねんしたきこと
‥「冬木空になる」、正直よくわかりません。
主役は「冬木」と言うことですが、勿論、木が空に飛ぶわけではありません。
ここを「空(から)」として読めば、意図する何かが見えてくるのかなと思われます。
それにしても
シュールな気配のする着目です。
わざわざ葉が落ちて、すってんてんの冬木の「から」を強調させようってんですから‥
これでは「もっと誉めて」の感情の真逆です。それを日常「しつけぇ」と表現しています。
と言うことなので、もう少し、見方にひねりを入れないと前に進めません。
> そこで感じた着想がまったく駄目ということでなく、「どう活かして前進させるのか?」です。
‥そこで、空(クウ)と言うわけです。
鳥で得た着目を、秋に戻して葉にして詠んでみます。
人生に置き換えての空(クウ)着想なら、
葉として落ちる様を、さらに置き換えることもすんなり成ってきます。
したいこと・やりたいことが一つ落ちるたびに、だんだんとやりたいことが減ってくる‥
それはまた、歳の数かもしれません。
> ‥そんな風に見方を変えるだけで、読み手の印象に普遍性が及ぶと言うことです。
ただし、ここでのクウは億劫の(くう)かも知れませんな。
|気まぐれな人生明日も風と共 島田市・川柳茶ばしら吟社(4-7)
|気長にも風を友とし明日を生く わからぬ向きのなんと鮮烈
> ‥「気まぐれ」を口にしてる奴が「人生」言うな!!!
それを言うなら、「お気楽」もとい「気長」だよ「き・な・が」
「気まぐれ」って断定してるとだね、
概ね‥てめえの考えだけにしがみ付くだけのタイプだから
‥「お気楽」でもそこはあまり変わらない。
> そこで「気長」なら、
> あんたの言い分も添えて取りあえずやってみましょう‥との公平な感じにも適います。
「気まぐれ」を語ってしまった時点で、人生云々言う資格なんて無いんです。
‥それこそ、ぶらぶらしているだけの変な奴にしか見て貰えませんから。
「気まぐれ」を口にして良いのは、人生途上の特定の時期だけです。
そこからはみ出て、人生の枠にまで広げて語ろうでは、惰性のみっともなさにしか映りません。
勘違いも甚だしいというか、
そこからの奮起or失敗or後悔が「無い」という落ちが、そもそもにして恥ずかしい事です。
‥有っただろうにしても、そこを端折って、「気まぐれ」言うのもね
とことん自分を前向きに表現するのが下手としか思わせないのです。
まぁ周りも、「失敗ばかりの奴の言い訳」なんて目で見る向きもありますからね
そこで、ひがみっぽくなる程なら、
黙りを決め込んでさらりと行くか‥なんて落ちかも知れませんが
それはそれで、「諦め宣言」にしか映っていないと言うことです。
> 詩という奴は、当人がどうだろうと、言い方次第で印象が変わるのです
> それはつまり、見方(誘導)が違うからです
見方の善し悪しは、そのままに性格・人格の深さを匂わせるのです。
思わせさえすれば、言論としては、してやったりと言うことです。
‥そうでないなら、詩としてはまだまだと言うことです。
行動云々なんてね、そんな裏付け有っても無くてもどうでもいいのも又詩なんすんよ!
まずは見方の多様さの確かさが伴っていると、続けざまに聴いておきたくなるという事です。
聞いたからって、それでどうするべきかに強制力もありません
そこも又どうでもいい部分有りますからね、それもまた詩の枠の内と言うことです。
‥そこと釣り合っているかどうかでもあります。
> 「風を友とする」なんて、まさにそんな風合いです。
無理に、行動原理の主張のような解釈に己が染まっていては
詠み方もどこか、押しつけがましくもなってくると言うことです。
‥それは、色々とした見方の中にも見え隠れしてしまうものです。
「かような色あいを帯びちまった言葉に、風らしさなんて有るわけが無い!」
「その風に乗るかどうかを選ぶことこそが読み手側の自由!」
「風が吹いていると感じられてこそ、詩としての風なのだよ」
「そしてその風に乗った時、あるべきは冒険のみ」
「されど冒険は自由など与えはしない、自由を勝ち取れと勧めるばかりだろう」
「すべての冒険&物語の本質は、不自由からの生き様にすぎないのだよ」
> では、詩としての風とは何だったろうか?
> ‥なぜ、その風は私の内から吹いたのか?
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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