2017年04月24日

【勝手句帳】097 29-4-18 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/04/24

|空を射す阿修羅の指や緑立つ         沼津市・万年青大学「俳句A教室」

|闇さらす阿修羅の板や松笑う六月解散早う早う


 *緑立つ(みどりたつ)‥松の新芽(松の芯いわゆる花)が勢いよく芽吹くさま。(晩春)


 ‥松の新芽(成長すると松ぼっくりが生る)なんて意識したことねぇ
 そりゃ昔は、松と言えば、薪集めの注目一番っすから
 新芽を気にするぐらいは当たり前のことで、季語にあってもおかしくねぇ。

 でも、「緑立つ」ってのは、
 松明(たいまつ)の当て字センスと比べても、どうにもピンと来ませんな。

 (で、いつ頃の言葉よ。室町ですか?、江戸ですか?、明治ですか?)

 ‥掛詞で考えても、「松笑う」とか、やってくれないと
 (伸びると、風になびいて曲がってくようだし)


> ‥ところで、ネタの句の着目がまったくよくわかりません
> 「阿修羅の指」と「松の新芽」と何の因果があるんすか??


 松の芯が伸びて曲がったのを、阿修羅の指に例えましたとか‥そりゃマンガすぎるだろう。
 ‥つうことなんで、発想を飛ばしちまいました。(おまけ)


|天を突きラオウの拳死に立つる 一片の悔い得じ勝手漢


  


 *勝手漢(かってかん)

 ‥ラオウ(北斗の拳)なんて、好き勝手に生きてただけのようなもんなんだからさ
 ‥それで悔いがありますなんて、口が裂けても言えねぇだろうがッ
 ‥権力手中にして、悔いがあるなんて、それこそ権力得る資格無しの劣等生だぞ!
 ‥信長みたいに、「いつ死んでも好い」ぐらいの図太さと強かさで上等だッ

 (つまり、ラオウとしては普通の行動。格好いいなんて騒ぎすぎッス)




|春風に少女は髪を靡かせて          焼津市・千草句会

|春去らんオスカル瞳を靡かせて 抗うよりも衛らんと


 


 *靡く(なびく)

 ‥ネタの着目は、画としてはバッチリだろうけど、まぁ整っていようと平凡だよね
 ‥つうことなんで、こちらも発想を飛ばしたよ

 それにしても、世界のオスカルさんには申し訳ありませんが
 (オスカルファン(ベルばら)はどうでも好い) 


> 「オス化る」「オス狩る」だよね。


 ‥いやぁ、良く整った女子の肉食化路線の筆頭だよ(改めておでれぇた)
 ‥オス化るしてるくせに、護らんとしているのも、どうにも「お姫様」もとい「お姫様願望」だし

 ‥いやぁ全く以て、フランス革命って、「庶民にもお姫様の暮らしぶりを!」ってな感じっス
 でも露と消えたんだよね、お姫様もといお姫様願望が‥と言う筋書ですな。


 (どうにも、現実路線での喩えとしても、その辺に自覚があるように思われます)
 (お姫様願望なんて‥無理、無駄、カースト上等!てかッ)



1-6)1

|真鶴や北へ一斉春近し            焼津市・千草句会

|鶴帰るV字の列の影遙か 名残惜しみつ 明け立ちて尚


 *鶴帰る(つるかえる)‥春、北方へと飛び去るツルのこと。(春)
 *鴨帰る‥野営池に固まっているので、北への出発もさぞや豪快にあるように予想される
 *雁帰る‥夕刻遅くでも飛んでいる光景が・・・(鳥目じゃねぇのかよ??)
 *白鳥帰る‥野営池の鴨が飛び去ったあとから‥?(つがい単位?)


 ‥「北へ一斉」、どことなく聞き慣れない新鮮さを思わせはしても
 どっこい、「鶴帰る」と盛れば、織り込まれておりまーす。

 ‥「一斉」と強調させてみようと、規模は、どっちもアバウトだし

 ‥真鶴(冬)
 ‥「北へ一斉」(春らしい言い回し)
 ‥春近し(どうにも晩冬の響き)


> ここまで言葉同士の季節感がバラバラでは、俳句としては名乗れません。


 鶴の集団が、どのぐらいの規模で、どの時間帯に帰るとか、まるでわからんのだが
 まぁ鳥目だろうし、帰る気あるなら、そりゃ朝の出立だとは思うのだが
 ‥鶴にしたって、餌づけ狙いのばかりじゃねぇからな
 ‥ここでの「一斉」は、如何にも、餌づけ頼みの鶴たちのお帰りの趣かなと


> それにしてもあれだな、鶴は、帰る里(方角)の同じ同士が肌でわかるのか?
> 野営地ごとに、集まるのを待ってたり、そこから分かれたりもしてそうだな‥
> それとも飛行中に、飛行同調するだけか?


 (この手の渡り鳥って、コミュニケーション能力相当に高いんじゃねぇの‥)
 (普段の行動は、つがい単位なのに、こんな時は人類より立派に見える‥)




緑摘む庭師の脚絆凛として          沼津市・万年青大学「俳句A教室」

剪定や脚絆の下に冬は散り 花の見頃待てる庭へと


 *剪定(せんてい)、脚絆(きゃはん)
 *緑摘む(みどりつむ)‥三〜四月頃、松の若芽がぐんぐん伸びる。
             そのままにしておくと、木が弱ったり、枝振りが悪くなったりするので、
             摘み取る。(春)


 ‥「緑摘む」も、松絡みの季語ってか??

 でもなんだ、自然放置の松は、そうまで剪定しないよな。
 そんなことしたら、松ぼっくりが見当たらなくなるばかりだろうよ。

 じゃ、なんで庭にある奴は弱るんだ??(枝振りが悪いなんて見た目だろう)

 ‥やはり根付きの差なんじゃねぇの
 ‥自然の奴は、養分を得られる場所に自ら根を張るわけだが
 ‥庭木ともなると、そんなの人間の勝手な感覚で植えられるだけだからな
 ‥種の頃から養分を得る上での順応というか、吸収効率の差で鈍いんだろう

 ‥野菜にしても、根付きの差で、ウマい・マズい、丈夫かどうかに差が出るそうだし
 ‥人間だって、しょっちゅう引っ越しばかり繰り返していたら、複雑になるからな


> それにしてもよう、
> 「緑摘む」なんて季語では、自然に申し訳が立たないとは思わんのかね?


 (そもそも、剪定するような庭を持ってるのなんて富裕層前提だし)
 (その庭の松のいじりが、「緑摘む」‥縁起担ぐにしたってダメダメだろう)
 (誰が考えたの??‥ハッキリ申し上げまして、違和感しか涌いてきませんな)

 まぁ、概ね「剪定」で同義だし、「緑摘む」なんざ季語として認められません!!!



1-6)2

|窓越しの光まぶしく春兆す          焼津市・千草句会

|窓越しの日当たり短く兆しあり 森友疑惑にあわてたれ


 ‥「光まぶしく」ってのは
 どちらかというと「初夏」以降の夏の雰囲気かなと。

 少し考えれば、それを言うなら、窓越しから差す光が短くなる方だよね。
 (日の軌道が高くなるから、窓から差し込む日の長さが短くなる)

 ‥「光が短くなる」「日当たりが短くなる」「春の兆し」??
 おう、まさに、ピッタリの状勢が3月にあったじゃねぇの
 というところで、当てはめておきました。


> 「痛ぁあああ」‥こんな風に、ビシッと一発で詠めたら、そらぁ格好いいけどね
> なかなかそこまでは、無理というか、俳句眼としても鋭すぎっすよ!(恐いぐらいだよね)


 ‥ちなみに、この場合の「窓」とは
 Windowsを始めとしたOSの窓の意も兼ねています。
 今やすっかり情報の窓口っスから。

 (はい、と言うことで、トップに戻って復唱してみましょう)

|闇さらす阿修羅の板や松笑う六月解散早う早う



1-6)3

|子等の声春風に乗り弾んでる         焼津市・千草句会


 ‥ネタの情景がどうにも「どこの子等ですか?」と悩ましい
 さらにその「声」をどう解釈すりゃ良いのか??

 ‥「春風に乗り弾んでる」だけですからね
 どうにも、抽象的、感覚的すぎるのです。

 「弾んでる」がポイントだとしても

 ‥運動か、音楽か
 遊園地かも知れないし、川原で野球大会かも知れないし、
 教会で賛美歌かも知れないし、小学校で進級式かも知れません。(まったくの不明です)


> ということで
> ‥小学校での進級式にして、ネタに沿うように詠んでみました。


風たわわ児童の歌声弾むかな 校歌を胸に春ぞ始まる


 (‥と言っても、もはや昭和の風景らしいぞ)


 *風たわわ‥春風の心地良さに、気分が陽気になる趣。(春)

 ふふふ、勝手に春の季語に想定。(取りあえず想定です)


 ‥それにしても
 戦後昭和は、とても集団でメルヘンだったんッスね!(平成は雰囲気がかなり違うようでーす)

 ↓こちらが平成の学級カーストの心持ち(‥たぶん都会寄りだとは思うのだが)


|クラス分け春のカースト胸に秘め 校歌もそぞろポジション用意


 ‥いつ頃からそうなんだ??
 それにしても狭い世界観でやりあうのが好きな世代という事かな??

 (カードバトルなんて、如何にもそれっぽいし)
 (強いカードを持ってる奴が上みたいな‥)
 (‥あの手のアニメに、そんなにも暗示効果があるのかどうかは知らねぇけど)

 そのうち、イジメどころか、「奴隷」と呼称しはじめたりしてな
 そんな流れを、見て見ぬふりしてるんだからさ、
 そりゃ、文科省を始めとした教育界の程度が知れるというもんだよ。

 それで税金で、のうのうと暮らせるなんて、
 詐欺に泥棒どころか、「テロ工作員」レベルだよね。
 (人権保障の礎が揺らぐんだからさ、憲法違反でもあると思うよ)


> 教育界に於ける教育上の見て見ぬふりは、テロ行為に等しい!


 (そもそも、その時点で、教育者失格とした自覚が無いと来たもんだ‥)
 (自衛隊以上の税金泥棒って呼んでやんなきゃ、自衛隊員のガッツと釣り合わない)

 ‥いやぁほんと、インチキ商売にも
 のうのうとインテリこんでるじゃねぇか!!!、組畜がッ!!!


 *組畜(そちく)‥@日教組にへりくだるだけの教師群。
          A自分自身で解決力を持たざる教師。
          B学級カースト最下層の呼称。(想定)‥こちらから想起する意図なし。
 *組蓄      組みにしたバッテリーの呼称。(想定)



1-6)4

若緑鳥の地鳴きのここかしこ         沼津市・万年青大学「俳句A教室」

春の山鳥の地鳴きのここかしこ 踏み入る奥に命のありて


 *若緑(わかみどり)‥松の新芽のこと。晩春、枝先に十センチから三十センチの新芽を直立させる。
            まっすぐ空へ伸びるさまをとらえて緑立つと言う。


 ‥おやおやこれも松の季語かよ。(どうにもこうにもピンと来ねぇ‥)

 出所に『花火草』寛永13年(1636年)とある。
 当時の「緑」と言ったら「松」、燃料確保としても兎に角、松。

 (ふむふむ)頭じゃわかっても、風景が思い浮かばない。
 あと、屋根材に、「茅(かや)」なんかも植えていたそうだ‥
 概ね、松と茅で面積を占めている山の光景‥(わからん)

 浮世絵でも、松を
 大きめに描くには描いてあるけど、マンガやアニメみたいに木が一杯にあるようには描いてない。
 (さすがに彫りと刷りの限度を見越しての画なんだろうな)
 でも、よく見るとほんと松しかねぇ‥

 大きなクスノキとか神社によくあるのに、まったくのノンタッチ。(なぜ?)

 まぁよくて杉の木らしいのを見かけるかなって程度。
 それだけ、緑と言えば「松」だったんだな。


> さて、肝心の句は、松についてどれだけ詠んでいるというのだろうか?
> どう見たって、鳥の句である。どこに松♡ラブの綴りがあるんだよ‥


 緑があるから鳥も居るにしたってさ、松だぜ松。
 鳥からして見れば、春には、腹の足しにならねぇだろうし
 隠れ家、休息するにしても、止まりずらそうだしな。(大型の野鳥専用っすよ)

 「ここかしこ」が、若緑(松)にまで掛かっている風には、まったく以て思われません。
 空気としては、どうしたって「春の山」かと。





|春埃絵筆を運ぶ散歩道            沼津市・万年青大学「俳句A教室」
|春埃絵筆を求め散歩道            手直し



 *春埃(はるぼこり)‥春になり乾いた地面から風で舞い上がった砂ぼこりのこと。(春)


 ‥いやぁまぁ絵描きの気持ちを考えれば
 埃の少ないところを探して歩きました‥ってのはわかるよ。

 でもねぇ、あんたがここに示さんとしてるのは俳句なんだからさ
 ‥「運ぶ」じゃねぇだろう
 ‥「散歩道」との兼ね合いを考えれば、どうしたって「探す」の意でーす


> さて、ここで問題です。


 手直しの「絵筆を求め」は、よく見ると三段切れの様相に思われます。
 ところがそうでは無いと説得できる見方がありますが、それは何でしょうか?



|春埃絵筆を求めさまよえば春は鑑賞是に尽きむ


 ‥こちらが三十一音の場合になりまーす
 どっちが好いかなんて、好みの差の範囲でーす。



> では、問題の解答です。


 ‥「求めむ」の「む」の省略形とした言い分になります。
 連体形(助動詞)で、接続されていることを前提にすれば、句切れとは見なされません。

 (どちらかと言えば、字余り)

 ここを四段活用と同じに考えて「求む」としても、下二段活用なので終止形止まりです。
 終止形でも句切れの扱いということになり、ちょっと攻めにくいところですが、
 助動詞「む」を省略した形だからと割り切れば、「まぁ良いか」と思えるわけです。

 (省略形と考えれば、字余りなし‥なーんてな)



1-6)5

|歩一歩春の幼子両手上げ           焼津市・千草句会
|吾子立ちて春の一歩と両手上げ        手直し



 *両手(もろて)

 ‥着目はたいへんに宜しいようですが
 「春の幼子」ってのは、何??‥どうにも中途半端です。

 そんなやっつけ風に表すほどなら、「吾子」×「春の一歩」っす。


幼子の春の一歩や両手上げ おいでにとびこむ母の胸に


 ‥「幼子」の盛り方では、どうしたって客観的なのです。

 三十一音と比べてみれば明らかですが、
 客観的でしかないがゆえに、それがどうなったのかを示す必要に駆られるのです。
 (でないと、文としても整ってきません)

 その見方でもって、ネタを改めて見返してみると

 ‥動きを見せてから、手を上げましたよと、示していることになります。

 でも、歩き始めの赤ん坊なら、
 その場でバランスを取ろうとして、両手を上げてから動き出すのがパターンです。
 歩いて来てから止まる場合にも、それは見られるわけですが、
 ‥着目としては二択だったと言うことです。



1-6)6

|囀や長き廊下の奥の院            沼津市・万年青大学「俳句A教室」

初音得ず長き廊下の大奥に三千人を並べても


 *初音(はつね)‥鶯の別称。

 ‥ネタは整っているような、整っていないような
 普通に読んで、平凡な趣です。

 「奥の院」というのがどうにも曖昧です。
 どうせならもう少し具体的な名称を盛り込むべきです。

 そうになくても、

 「奥の院」には、○○な俗語の意もあるので、どう見たって下ネタ詠みでーす。


> ‥なら


 斯様な廊下は、やはり「大奥」の廊下しかねぇだろうとなりまして
 三代将軍・徳川家光のトホホな心境で詠んでみました。

 ブロマイド写真どころか、実物で三千人は居ただろうって話なのに
 ストライクゾーンが狭すぎて、好みのタイプがなかなか見つからなかったという話。

 三千人つたら、ちょっとした地方市内の同年齢女子を全員掻き集めても
 一人も惹かれる女子が居ねぇって程の割合でーす。

 「ありえねー、味見したくも成らなかったのかよ‥怪物だな、もとい大物か‥」




|空気より便利と子等は街に住み      静岡市・静岡川柳社

|空気より利便と子らは都市暮らし 集う事情ぞ不和二乗


 *二乗(じじょう)


> ‥「便利」か?「利便」か?


 「便利」ってのは、主に道具に関して用いる言葉で、
 交通や暮らしぶりに関しては、通常、「利便性が良い」という風に用いまーす。

 「利便」の方が、「空気」の意味する想定と比較して、適当な響きかと。


 ‥それにしても、「都市部に集まる事情」VS.「不和二乗」
 ‥なかなかナイスな引っぱりだな(ネタの着目があってこそなんだけどさ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:45 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。