↓5)向宜詠吟.2017/04/28
|手品師の手に春風の来てをりぬ 沼津市・今沢オレンジ句会(4-25)
|手品師の手に春風や鳩出でて ここにもここにも平和呼ぶよう
‥ネタの着目に、「なるほど」と思い斯様になりました。
しかしまぁ、どうしてそこで「鳩」を盛らんのでしょうな??
今時のマジックは、マジシャン・セロの影響で随分と変わりましたが、
‥昔のマジックと言えば、鳩、鳩、鳩のオンパレードだったのです。
子供ながらにも、どうせどこかに隠しているんだろうと思うものの
まぁ単純にかわいいからと、そこから先が思考停止だったりしていましたが、
今のマジックは、マジに種明かし云々の視点で勝負してますからね。
> そんなショーでは詰まらないとばかりに、種明かしもせっせと始めて居るようですが、
> その手のテクニックもある一方で、「是って能力じゃねぇの?」ってのもありますからね‥
|山路来て一声だけの初音かな 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|山路来て一声だけの初音かな 斜陽と言われど生き残り
‥ネタは無難に整っています。着目も悪くありません。
でも、平凡と言えば平凡です。
‥その平凡をどう引っぱるか‥
「山路」はそうでもありませんが
「山路来て」とまで盛れば、やや峠を越えたなだらかなイメージを含みます。
‥その解釈のかすかに見出して、伝統工芸産業の生き残りを掛けました。
> ‥こんな風に詠めるとは!
> 今年の遅い春でなかったら、お目見えしなかったかも‥(普通にこんな風には無理っ)
1-5)1
|雛収めつと耳裏に妣のこゑ 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|雛収めつと耳裏に妣のこゑ 残すと決めるも悩ましく
*妣(なきはは)‥当人的には、母の声の読み方に思われます。
> ‥ひな祭りの詠み様で
> こんな視点もあるのかと、素直に驚きました。(俺には絶対に無理ッ)
|ただいまと蓬差し出す小さき手 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|ただいまとヨモギ差し出す小さき手 婆とこねこね草餅の味
‥ネタは、句としては良く整っているし文句ありませんが
どうにも、半端です。(ゆえに引っぱるわけですが)
> ‥ググって見たら、幼稚園で蓬(ヨモギ)狩りをする所があるようです。
まぁそういう詠みかなと、思わなくもありませんが
たいてい食育がてら、そのヨモギを調理してだすと思うのですが、その辺不明です。
‥まぁ誰かと、散歩がてらに採って来たとして見る方が自然かなと。
> その誰かってのが、そのまんま、「婆」以外に居ねぇだろうと‥言うことで
> まんま、「婆とこねこね」にしております。
(人生育ち方によっちゃ、母の影が薄いって事ですな)
1-5)2
|永き日や旅の雑誌を読みあさり 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|春待てず旅の雑誌を読みあさり 益々待てじと予約してをり
|春めいて旅の雑誌を読みあさり 思いたったが車中かな
‥どうしてそこで、季語の選択が「日永」になるんだよ??
雑誌を読みふけるのに、日の長い短いなんて関係ねぇだろうがッ
> 旅雑誌に興味のある人ほど、即行で動くんでしょうね‥
‥俺、そういうのまったく関心なし。(銭ねぇし)
貯めて旅をしようだなんて考えるより、まずは寝て過ごすっす。
まぁハッキリ言いまして、行動能力不能です。
どうせ、人混みを見に行くだけで、
どうせ、混み入った車中だけだろうし、
‥そう考えると、もうすでに気が乗らない自分が居ると。
(銭ねぇのに釣り合っているんだなぁと思わざるを得ず)
(どちらかというと‥今や体力の方も怪しいですけどね)
|迂闊にも選びたるかなデザートの苺タルトのこのボリュウムは 静岡市・駿府短歌会(4-22)
|迂闊たるこのボリュウムや苺タルト 成敗致せば阿鼻叫喚
‥ネタの着目が、どことなく的がずれているのを見るに付け
「手直ししてみるか‥」と思ったのですが
どうにも、字余りはしょうがないらしい着目のようです。
> 句としても、メタボをもよおす「苺タルト」だったと
‥「この」を入れるべきか?、入れないべきか?‥
「苺タルト」に限らず、メニューのそれぞれは象徴的な名称でしかありません。
つまり、目の前にあるこれがスゴイとか、目の前の「これ」を強調したければ
想定していたイメージの「それ」とは違うわけですから、
「これ」「この」を入れないのでは、文章としても、物足りないというわけです。
1-5)3
|黄金に光輝き生まれ出ず稜線の上陽は足ばやに 御前崎市・新野池成新田短歌会(4-22)
|黄金に光り輝く稜線を足早登る朝の人影
‥ネタは「稜線の・・」からあやふやです
あやふやってのは、たいてい、着目が甘いと言うことです。
ここの着目は
写真で言えば、朝の光まぶしき稜線を往く人影をどう撮るかになります。
狙いはあくまで、稜線を往く人影であって、朝日でも稜線そのものでもありません。
‥ネタは、どうにもそこがあやふやということです。
|瑠璃ごしの漁火滲み春の宵 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|瑠璃闇に漁火にじむ春の浦 遠目に願わむ大漁を
‥ネタの「瑠璃ごし」の解釈は、
漁船ライトに照らされて、浮き上がる闇の色のことだと思いました。
それの着目は非常に良いのですが、どうにもピンと来ないなぁということで
> ずばり、「瑠璃闇(るりやみ)」に手直ししました。(なかなかの表現)
‥「漁火(いさりび)滲(にじ)み」の盛りは
漁り火を見ていると泣けてくる‥なんて解釈も可能になってくるので
「滲む」と終止形にして、漁り火そのものの光の加減であることを主張すべきかと。
さらに、それは「春の浦」の光景ですと、付け加えるように、下五を整えるのが良いかと。
> 着目は好いのに、惜しかったっすネ
1-5)4
|笑ひ声袴姿に風光る 沼津市・千本プラザ「俳句教室」(4-25)
|袴らの声微笑んで風光る カースト上位に誇らしげ
‥「風光る」を見てふと思ったのは、「まさか入学袴まで流行ってるの??」です。
ググって確認してみたところ、その手の写真が出てきます。(やっぱりあるのか)
‥そりゃ、一度きりってのは勿体ないので、卒業→入学と着るしかねぇの流れではありますが
‥大学辺りかなと思ってみれば、小学校っすからね
‥どうにも、そいつは一回こっきりになりますな。(まぁ正月辺りに着たのかも知れませんけど)
> なるほど、衣裳を見比べれば、一気にカーストの順位が決定づけられると‥
> 女子なら特にそうだろうね。(不思議と時代錯誤に思えるのだが)
‥戦後昭和育ちは、そういうのを
キャンディキャンディの「ニール」とか「イライザ」とか
一休さんの桔梗屋の娘の「弥生」とか、どうにも脇役の扱いだったんですが(公平意識)
‥平成では、主役級扱いの別格と言うことのようですな。(スゲー変わりよう)
> こうして歴史は、
‥戦争の度に復興し、格差が芽生え、拡大し、そしてまた波乱を繰り返してきたと
それの集大成として、平成の義務教育では、
貴族階層と庶民階層が同じ机で肩を並べ合う段階へと移行し、「学級カースト」が発生!
多民族国家では、人種差別空気で解釈されるところが
単一民族国家では、学級カーストに!
(国際視野での免疫育たなそうじゃんバカなの)
(むしろ、裏社会の方の免疫(生き様)が育ちそうな勢いだよね)
‥大人になってから、「アレは一体何だったんだろう?」と目覚める者も居るにせよ
(一気にグローバル社会に放り込まれるからな)
‥それゆえに、そこに浸りきっていたり、
怯えきっていた奴らにとっては、それがすべてのままの世界観っ。
‥一番に人間らしく居られた思い出は、幼稚園の頃だった‥(否ッ)
幼稚園・保育園なんて通ってませんでしたってことで、
カースト最下層決定になるのが流れだろう。(それが団体行動に慣れずに小学校に上がるってことだ)
それこそ確かに、「日本死ね」問題の歪みの奥深さを物語っていることになる。
> ‥やれやれ、スゲーな‥驚愕だな
> もはや、ボンビーが夢にも都心部に出てきてまで恋愛願望なんて、なんのメリットもねぇじゃん
それこそ仕事するだけのマシンだな。
まずはマシンに徹しでもしないと、這い上がれないと‥(無理ッ)
ボンビーの心理で言うと、そんな理屈より、満たされたい願望の方が優先するからな。
(満たされていない差‥廿年てのは、相当にデカいのでナメてはいけません)
(‥まずは気持ちが付いてこないので、どうにもなりません)
したいことがハッキリしてるならまだしも、そこもあやふやなら尚更で
‥どうにも、負のスパイラルに突入することになると。(家出とか疾走とか籠もりとか)
1-5)5
|白と赤の薔薇がそれぞれ耀やきて主役の風情をもちて咲き初む 沼津市・萩の会(4-22)
|「白と赤」薔薇はそれぞれ輝いて ロマンは未だオスカルと共に
‥ネタの詠みは、どうにも焦点が定まってるようには思えません
上の句はなかなかの掴みに思いますが、
「主役の風情をもちて」‥他にも何か咲いてたんすかね??
そういう風に詠んでは、どうにも半端です。(そもそも、そこをどう表現するかです)
さらに
上の句に「耀きて」と盛っておきながら、下の句に「咲き初む」と盛っては
見頃なのやら、咲き始めなのやら‥不明です。
主役の風情のはずの詠みにも関わらず、まるで貫禄を感じられません。
> そういう場合の詠みは、発想を飛ばしてなんぼです
‥ネタの上の句の流れで、「主役の風情」云々と言ったら
そりゃ、またまた「ベルばら」に飛ばすっきゃねぇっしょ。
> それにしても、不器用にハマるという奴は面白いものでして
目の前の薔薇を通じて、何を思い描くのかは自由であるにも係わらず
薔薇そのものを如何に薔薇として表現しようかに魅入られてしまっているのです。
そこにはすでに、数千年の永きに渡る‥詠み人たちの屍があるばかりでしょう。
思い込みの屍の中でもがき苦しんできた、先人たちの思考の幅です。それを屍というのです。
そんな屍の中で咲き誇っている名句の数は、どうしたことか高が知れています。
「それはどうしてでしょう?」
そこにあるモノこそ、私たちの好き好きだからです。
想定される以上に素晴らしい句があるはずなのに、見て見ぬ振りをしてしまうのです。
そりゃ忘れてしまっていた方が、新鮮に味わえるわけですが
振り返って思えば、すでに誰かの着目のあとに過ぎないかも知れないのです。
でも、それらを愚直に振り返ることもなく、楽しめば良いと思うばかりだからこそ
ますます特定の名句ばかりに目移りし始めるとも言えるでしょう。
そこから離れるには、時代を俯瞰する姿勢を保つことです。
保った上で、近くに寄ったり離れたりと演出してみることです。
その為には、ピンキリに物事を識ることに貪欲にならなくては始まりません。
識ろうとしないのなら、それが汝の限界という次第になるでしょう。
‥その限界を個性と思うか器と思うかは、各人各様ですが、己の限界は己がよく知るばかりでしょう。
限界をさとって尚、人に教えようなどとは、自惚れも良いところで
さらにお金をいただこうなどとは、小者も良いところで
有名のままで居たいなどとは、ゴミに成り下がったも同然です。
(リターンマッチした己の人生を詠んでみたい願望にせよ、無理する必要なんてありません)
> 詩人なんて奴はね、詩を生み出すだけの子宮に徹していれば好いんですっ
‥良く出来た句に育てたいなら、それこそ己がしっかりとすべきです。
たいていは、自分好みにしか飾ろうとしませんが、
着目の持つ魅力という奴は、自分の好みとは限りませんので、
受け入れる気がないなら、始めから目にも留まりません。出会うこともないでしょう。
また、無理に出会う必要もありません。
それが命との係わりという次第です。
|兄眠る椰子の木繁る比島にて灯籠流しの夕べかなしや 御前崎市・新野池成新田短歌会(4-22)
|兄眠る椰子の木繁る比島にて灯籠流す夕べかなしや ちょい直し
‥灯籠を流したのが自分であるならば
「灯籠流し」と、行事染みた気持ちで盛るのではなく
あくまで自分の率先した気持ちからの「灯籠流す」で盛るべきです。
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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