2017年05月18日

【勝手句帳】105 29-5-12 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/05/18

初蝶の頭上にまとい宮詣り          沼津市・香陵句会

|初蝶がおつむに居よる宮詣り まずはその怪を払いませう


 *怪(け)‥あやしいもの。


 ‥詣での「詣」の字を、参りに当てて、「宮詣り(みやまいり)」
 (盲点でした、好いと思います)

 ‥まぁ「宮」ですので、仏閣ではありません。(江戸時代がどうだったかは判りません)
 仏閣なら他力本願も有りかと思いますが、神道は自立云々とうるさいところですからね。
 「初蝶の頭上にまとい」って、そりゃアカンでしょ。


> まずは、そんなお花畑思考をお祓いして貰わないと。
> 「そのつもりで来たんでしょ?」と、ツッコまれちまい兼ねませんな。


 「お祓い」=「お清め」=早い話が手入れです。掃除です、洗濯です。
 その穢れ・汚れ自体を「悪」とした概念ではありません。
 根絶やしにせんとして改めよとか‥そういう事ではありません。

 満たされない想念なり、ナイモノねだりばかりの想念などを払うことで
 気持ちを落ち着かせるという所に、お祓いの意味あります。

 ‥でもまぁ

 効率の悪いモノの見方というのも確かにございます。
 しかし、それにしても、気持ちが落ち着かないのでは、客観視もままならないと‥

 (仮に‥客観視できたとしても、身についた習慣はそうそうに改まらないのが相場です)
 (神道の神々の方針は、実に気長ということになるかと思います)
 (なにしろすべてはバランスに左右してこそですから)



1-5)1

|夜明けれ峰ふくらみ山桜         静岡市・浅間神社句会


 ‥ネタは
 「朝日が峰に注いで、如何にも山桜の満開のようだ」と詠んだところかなと‥
 そうならば、大変に目の付け所がよろしいように思われます。


 ‥気になる点としては
 「夜明ければ」の「ば」と、条件提示を示さんと置いてあるのですから、
 そこの掛かりをよりしっかりさせておく必要がございます。

 にもかかわらず

 「膨らみし」では、(連体形ですので)
 膨らんだとする対象が「山桜」に限定されてしまうのが、どうにもそそりません。

 ‥それゆえ、「峰ふくらむ」の「峰」を盛った意図が不足です。(疎かになってしまっています)
 (ここはどうしたって已然形でせう)


 距離感としても、山になく「峰」です。
 さらに「山桜」ですので遠目に見える山にある趣です。

 (そういう着目をされたのですから、近くで開花を確認出来るのとはわけが違います)


|夜明ければ峰ふくらみぬれ山桜 未だ温めず夢に見る春


> 夜が明けていく峰の膨らみは山桜の開花のように思える
> でも、今年の春はどうにも寒いので、未だ花見どころではない
> (早く花見がしたいなぁ)


|夜明ければ峰ふくらめつれ山桜 ついに温まる夢に見し春


> ついに待ちに待った開花日和がやって来た(すでに七分咲きのようだ)
> 夜が明けていく峰の膨らみが意気揚々として、山桜の開花を誘っているようだ
> (そうともなれば、さっそく花見に行かないとなぁ)


 ‥ちなみに、過去助動詞「き」には、直接経験過去とした解釈があります。
 左様ともならば、峰が膨らんで見えるにしろ、開花するにしろ、
 私たち人間が経験しているのは、見ているということだけなので、

 「膨らみし」の盛り方は、明らかにおかしいように思います。


 ‥この場合での人間が直接経験できる「膨らみし」は、↓の例になるように思います。


|夜明ければ峰ふくらみ山桜 妻が腹上目覚め見るまま


 ‥こちらの場合の「峰」と「山桜」の距離感は
 胸と乳首ほどの距離にしかなく、バストアップのアングルということなので、
 「膨らみし」でも十分なバランスを保てています。

 あと、夜明けての峰ふくらみを、旦那の男根として見る向きも有り得ます。

 そうすると、その対応としての山桜とは、妻のその様と言うことです。
 ‥所謂「騎乗位」という奴ですな。




|囀りのかぶさって来る読経かな        静岡市・浅間神社句会

|囀りがかぶさりて尚読経 俗世の頃の煩悩消えず


 *尚(なお)、読経(どきょう、どっきょう)


 ‥ネタは、聞こえてくる「鳥の声」と「読経」が、コーラス気味な所を詠んでいるようです。
 (いやいやいや、それだけじゃ、詩情としては物足りんでしょう)

 ‥しかも

 「かな」で括ってあるところを見るに
 どうにも、第三者として、寺院の前を通り過ぎただけの印象でもあります。
 (それでは、ただの独り言の範囲です)

 ‥そうではなく
 当人が、なにか集中できない何らかの要因をそこに重ねてこそ、
 かぶさる何かを見出せるわけでして、ゆえに、主体的な詠みに仕上がってくるのです。


> ならば、その「囀り」とは、心の内の異性交遊絡みの煩悩にしか有りませんな


 ‥「うほっ☆」
 修行僧の真面目に頑張ってますけど是ばかりは大変です‥ってな気持ちが、
 こげな風に詠めてしまうとは‥

 (なかなかの言い訳、なかなかの目の付け所。是ならこれだけでも感心しちゃうかなと)



1-5)2

亀鳴くや恙無き日の過ぎゆきて        静岡市・浅間神社句会

亀泣くや恙無き日を求めたれ 浜狭き世と赤ちゃんポスト


 *恙無し(つつがなし)‥病気・災難などがなく日を送る。平穏無事である。さしさわりがない。


 ‥「亀鳴く」と有りますが、この季語は枕詞のようなもので
 それ自体に意味なんて無いようです。

 実際の所も亀は鳴かず、鳴いているように想像しているだけのようです。(春)

 ‥それにしても、「亀鳴く」の句には
 亀は目出度いとしての見方が主流なのか、そんな扱いが多いみたいっス。(人生の春??)


> ‥只でさえ意味が込められっていないのに、どうしてそんな風にしか扱わんのだ??
> 実に、ツッコみたく成りまして、斯様になりました。




 ‥それにしてもネタの句は
 「平和すぎて、暇で退屈だなぁ」てな余韻っス。
 それって、今の時代に詠むべきなの?、いやぁ、どうにもDQNかなと。

 ‥ということなので、↓のように引っぱるのが適当かなと。


|亀鳴くや恙無き日の過ぎゆけど 左団扇に酔えば凋落


 一言で言うと「油断大敵」です。「常在戦場」もありかなと。
 「平和にあろうとも、気を緩めてはいけません」

 ‥という意味ですが、それでは平和なんて満喫できません。


> どうしてこんな風に思わねばならないのでしょうか‥


 ‥そんなの当たり前なことです
 だって多くは他人だって意識が強いですからね。他人はすべからく仇なす存在なのです。

 心の壁にも、泥棒視しちゃっているわけですな。(猜疑的なのです)

 基本的人権を掲げても、その立憲社会の本質とは、他人同士が前提です。
 だから、法整備に従って、ルールを守るのが筋という意味です。

 他人同士。多民族社会。意思疎通不和同士。

 つまり、「理想あれども必ずしも信念を介さず」が立憲社会の相場です。
 何はともあれ、公平より、平等より、自由ですから、それも勝手都合の自由しか気持ちに無いのです。


> 「幸福の追求の保障」などと意図させずに、
> 「共生としあわせの工夫の義務」とした認識に改めるように盛るべきでしょうな。



1-5)3

|花筏すくい取る手の冷たくて         静岡市・浅間神社句会


 ‥来ました来ました、またまたでました「花筏」っ
 これはもう、政治ネタで引っぱるしかありません。

 「すくい取る手の冷たくて」

 わざわざ掬ってみたなんて「物好きですね」としか言いようがありませんが、
 「冷たくて」の絡みが、引っぱる上でナイスでーす。


|花筏かすめ盗る手の冷たくて 「日銀の裏付け挙げてみいッ」


 ‥国債を発行する上で、裏付け論に始終しているのが世論です
 では、「日銀の裏付けとは、何かを言って見ろ!」

 つまり、日銀の資産価値の裏付け(経営資本)と言うことですな。


> ここが実に鬼門!


 国債を引き受けられるほどの直接的な資本なんてどこにも無いんです。
 国家予算の半分に匹敵するほどの黒字資本を、
 毎年のきっちり経営から担えているとしたら、どれだけの産業規模だというのでしょうか?

 トヨタがグループで頑張ったって、全然足りません。
 トヨタの規模が十倍有っても、まだ足りないでしょう。(純益計算ですから)
 (‥それ以前の問題として、そこまでの市場を経年確保でき兼ねると思います)


 それほどの規模を日銀が毎年のように占めているとしたら、「対外赤字とは何でしょうか?」


 国債を発行できる国家ですら、対外赤字を垂れ流すのです。
 アメリカなんてとくにそうです。かつてのイギリスに至っては、述べるまでもありません。
 昔の栄光などどこ吹く風で、凋落したのです。
 (第二次大戦の影響もありますが)、その後に勢いを盛り返せないそんな経済手腕しかないのに
 未だに、大きな金融資本を担えているという事自体に疑問符です。

 ‥日銀がそれ以外と比べて多少優秀だったにせよ、では
 日銀資本の裏付けとは、どこから来ていると言うのでしょうか?


> ずばり、何も無いからこそ、国民に税金からの資本規模を財源として、すり替えているのです。
> (日本国民の活力こそが日銀の裏付け)


 ‥そもそもの金融の在り方がそうです
 ここに担保があります。もしもの時は、これが保証金として配分されます。
 多少は損が発生しますが、丸損することはありません。

 ‥なんて吹き込んで
 実際には、他人から資本を募って、その他人のカネだけを運用するんです。

 (しっかりと説明するならまだしも、半分アバウト半分ウソですからね)

 それをもとに信用創造して、さらに膨らませるのです。
 自分が差し出してある担保分の資本だけは、常に安全地帯に退避しているのです。
 ‥通常それを「自己資本」と表現しています。

 つまり、国債の裏付けとは、

 返さなくてもいい資本としてのカネを、税金として集めた種銭と言うことです。
 斯様なルールに基づいているわけですから、
 あとは中央銀行の持つ発行権が幅を利かせていると言うことです。

 (実質的に財源裏付けとは、金利用途で、償還する分は入れ替えなのでどうにでもなるわけです)
 (所詮は、すべてを預金として預けて置くなら、金庫の金額は同じままですので)
 (仮に誰も国債を買わなくても、その財源分が、国庫に納まるだけの話です)




 理屈から言うと、日銀にはその手の種銭がてんこ盛りの山になっていると言うことです。
 まぁぶっちゃけ、日銀の自己資本扱いではありません。
 ‥財務省扱いの国庫資本ということなので、日銀には直接的な裏付けが無い状態です。

 中央銀行には、種銭なんて鐚一文もありません。用意しなくても好いんです。
 国債の金利用途に、税(税源)を徴収して、やりくりするだけの仕組みです。
 ‥財務省さえ機能していれば、OKなのが概ねの見方です。
 ‥そうすると日銀とは何かというと、海外取引上の窓口という役割です。(出島ですな)


> また別に、日銀の資本的な裏付けとして思い当たるとすれば


 ‥資本と言うよりは市場です
 投資家が投資できる投資先の確保こそが、国債のルールに欠かせない裏付けなのです。
 日本の市場は世界のどの市場と比べても、幅が広く細かいので、日銀の強みになっているわけです。

 市場の資産価値(規模)より、投資先が多いことの方が好都合なのです。

 ‥投資の仕組み上
 元手が戻ってくるよりは、権利が保障されていて金利や配当が得られれば取りあえず形に成るので
 権利の売買をして、より有利と思しき投資先が得られれば、十分という事です。

 競争原理とか、独占禁止法とか、技術革新とか‥尤もそうな言い方をしていますが

 つまりは、投資先の銘柄が少なくなっては、売買の関心が固定してしまい動かなくなるので
 それはそのまま売買からの手数料を得られないという欠点にしか成らないので
 銘柄の多さこそが市場としての魅力と言うことです。

 ‥もちろん、規模が小さいままですと、大きな資本を担う側は物足りないので

 そんな顧客向けに、為替なんて賭博ゲームが、ご丁寧にも用意されてあるわけです。




> さて、日銀には種銭が鐚一文も無いのでしょうか?


 ‥ここがどうにも世界との関わりになってきます
 世界の取引に欠かせないのは希少価値である「金(Gold)」です。

 つまり、金本位制です。

 ただし、一般市場向けの金(Gold)とは扱いが異なるようです。
 まぁ、金であることに違いはありませんが、価格交渉が時価相場とはまた違っているという事です。

 ‥とは言っても、世界的枠組みで為替の都合が絡んで来るので
 金(Gold)が有るからと言って、無闇に現金(紙幣)を発行できるという仕組みにはなっていません。

 (あくまで資本を貸し付けて、紙幣発行量を増やしていくやり方に始終しているので)
 (借り手が居なくなると、バブル崩壊が始まる欠陥を抱えた無責任な仕組みのままです)


 ‥最近では、サラリーマンにオーナー経営を持ちかけて、カネを貸して
 ‥経営を始めるのに必要な実入り=大手を儲けさせて、吾も吾もとそそのかされるので
 ‥過剰供給になり、需要を見落としているとあっという間に穴に落ちるのです

 (そこはまさに戦場です。万年、同じままの舵取りで好いわけがないッ)
 (結局、経営を向上させるのに追加資金が必要になるのが道理です)
 (そんなにうまい具合に、貯まるわけねぇっての、それこそ需要とのマッチングです)

 ‥需要を見極められるノウハウがあれば、本業の方で実力が発揮できてもおかしくないと
 ‥でも紹介されているのは、誰でもできる=枯れた業務=競争過多
 ‥それって、本業と変わらないわけでして、オリジナルを加えるべき才が問われています




> それにしたって、その金を取り仕切っているのが、世界中の王侯貴族ということです。
> ただし、王侯貴族が、その運用を直接的に担える仕組みに有るわけではありません。


 ‥まぁそこが実にへんてこりんな話になっています
 それは法律が悪いという事でもあります。
 そういう意味では、金を取り仕切る権限を担っている側が、政治に介入すべき所ですが、

 そうなると国民主権の理念が一気に傾きます。

 ‥で、中間を担っているのが立法と言うことです。
 政党競争と言うことです。

 国民の為に正しく使うのに、政党競争なんて要らないと思います。
 そもそも、合議が成り立つには、支持率が均衡する必要があるわけです。

 ‥片寄った政権でも大丈夫と思っていると、独裁にしかなりませんし
 均衡しすぎても、ねじれ国会なんてことで、どちらともにリスクがあるわけです。


 そんな仕組みの最たるにしても、行き着くところは予算編成です。


 お互いに自分たちに都合の良いように予算を配分したいわけです。
 そりゃ、欲しいですからね、欲しいなりにしか予算を組まないわけですよ。
 顔すら知らない奴らのことなんか、それこそ知らんままですよ。仲良し小好しというわけです。

 ‥何はともあれ、競争社会ですから、少しでも有利になってウハウハしたい決戦の場が国会です。

 ですから、選挙にすら参加しない時点で、
 自分はきれいなままで好いですと言うことでは、何も回ってこないのです。




> それはそれで、どいつもこいつも、平等権の侵害なわけですから、憲法違反なんですけどね。
> まぁ、平等について意識の低い憲法ですから、国民側の憲法解釈ですから、想定内ですけどね。


 ‥そこの中身を理解しようとも
 「平等ってなに?」、やっぱ自由でしょ、競争でしょ‥なんて思考しか出来ていないのでは、
 はらわたが煮えくり返ることも無いと。(そんなのはゾンビ同然です)

 自分は有利の立場だから、ウハウハだからこのままで好いです。なんてパターンと言うことです。
 ‥そんな国民が半分は確実に居そうだと言うことです。


 (そんな連中が、正しく助け合うなんて出来てるわけねぇだろうがッ)
 (それがグローバル化の本質なんだよッ)
 (中国とか見てみッ、他人扱いも、人間の半分は捨てても好いような空気だろうがッ)

 ‥そういう風に演出して、さらにお互いに憎しみ合えば好いみたいに仕向けられてるというわけです。


> 普通に考えても、明日がしっかりしていれば、無理に争わないモノですけどね


 (明日を取り上げられちまっているから、その怒りの捌け口を求めてしまうと)

 ‥そうにない闘争好きも居るわけですが、その比率が大幅に高いようなら
 平和を理想として、活動を行っていること自体がどうにも詐欺に見えてくると。

 (だって、その証拠に地球環境は壊れる一方じゃん)
 (地域環境なんて、ガタガタの最悪に見えるからな)
 (まぁそれはそれで、科学者なり有識者が全部インチキにしか見えてこないわけですが‥)


> その時、こう刻まれるでしょう


 「科学者に平和なんて創造できない。彼らが行うのは、ゴミを造り続けるバカ騒ぎだ」
 「有識者なんて、その多くは、イスの座り方とカネの勘定しか出来ない奴らだ」



1-5)4

落椿老を語らい旅の宿            沼津市・香陵句会


 ‥ここでの「落椿」は、共に引退した者同士(老後)の意のようです。
 息抜きにもかつての仲間(今の句会仲間?)と、温泉にでも泊まりで出掛けたのでしょう。

 なんの変哲も無い詩情です。

 ですが、選んだ季語と着目とのバランスが好い感じかなと。


|落椿老いを語ら旅の路地 昔ながらと佇んでおり
|落椿老いを語ら旅の宿 しんどかろうと茶なら外でせ


 ‥「語らい」と「語らう」の違い(ここでの違いを述べるなら)
 「語らい」は移動がてら
 「語らう」は到着してからの趣になるように思います。





|落椿 半生誘う旅なれば 向かわずに居られ’ぬ会いたさよ


 *半生(はんせい)‥一生の半分。それまでの人生。
 *半生(はんしょう)‥死生の間にあること。
 *居る(おる)


 ‥斯様に「落椿」を盛ると、どことなく挫折感あり・迷いありの趣です。
 まぁどんな感じかは、読む人の人生次第にもなってきますが、
 なかなか、こんな風に「落椿」を放り込めてしまうとは、見逃してました。


> ちなみに


 ‥半生(はんせい)なら
 そのままに「人生壁にぶつかりまして相談せずにはいられない」‥なんて次第の詠みですが

 大いに成功してもそんな気持ちにも成るんでしょうな。(落椿では整いませんが)


 ‥半生(はんしょう)なら
 寂しい気持ちのまま人生を終える間際の無念ぽい詠みになってきます。(痛ぁああ)

 「夢で会いたい」とは言いますが、「死んで会いたい」なんて相当です。


 ‥まぁあの世の話を知れば知るほど、その実態は、その者のエネルギー量に左右されると
 ‥もう少しツッコんだ云い方をすれば、その者が属しているグループのエネルギー量だそうです
 ‥もう少しやんわりというと、出自別にカテゴリー分けされていて村になっている感じっすね

 (早い話が、会いたいなら、生きている間に済ましておくのが省エネということです)
 (会いたいままの無念を抱いたままですと、成仏できないなんて落ちにもなってしまいます)

 (成仏できても、その手の想いをそれなりに引きずっていては、その手の世界に導かれると‥)
 (どこまで行っても、平行宇宙の概念が絡む話になっています)
 (それもまた、当人の選択した人生・人生観の反映‥なんですけどね)


> つまり


 「会いたい気持ちのままを維持」=「会えない現実としての具象化」
 「帰りたい気持ちのままを維持」=「どこに居ても満足できない現実の具象化」
 「欲しいものが得られない気持ちを維持」=「欲しいものが得られない現実としての具象化」

 ‥まぁ、簡単な心象の反映です。
 日常の念いという奴は、適度に散らしておくことも選択肢なのです。


 ‥カルマとは
 斯様なパターンの自分が復活して、舞い戻って来たという事に成り得ます。
 感情パターン&思考パターンが同じなので、状況も同じく整ってしまうと言うことのようです。

 ‥どうして変わり映えがないのかと言えば、他の選択肢を選択しないからです
 選択と云っても、外にある選択肢としてではなく、自分からこうしてみようという発露です。
 有利とかお得とか関係なしに、自分がそうしてみたいと思うことが肝心です。

 ならば

 救世主なる概念とは、新しきへ導く感化力ということになると思います。
 勿論、感化力と云っても、始めのうちだけではお話にならないので
 ‥決定的に、人類レベルでの何かを正に方向転換させてしまう感化という事でしょう。

 (要するに、それだけ人類という奴は思い込み激しき相当な「中二病」患者ということです)



1-5)5

陽炎や呼び止めくれし声さがす        沼津市・香陵句会

|陽炎や呼び止められてさがせども あるはバス停海原と岬


 ‥同じような「陽炎(かげろう)」の盛り方が、やや見られます
 新聞から学習して、習ってるんでしょうかね??
 まぁそんな空気が、新聞欄から多少チラホラして見受けられるわけですが‥(そういうものか)

 それにしても、ネタの「陽炎」には冷や汗ものです。

 ‥声を探すと言うことですから、人混みで無いことは確かでしょう。
 人混みだったら、別に、自分に掛けられた声では無かったと思えば好いだけですから。
 ここでは明らかにそうでは無いという事のようです。


> ‥というところで、メリハリするような光景で引っぱってみました。


 「陽炎 現象」で画像検索して、少し気になる事がありました。
 それは、陽炎を撮影するカメラ性能なのか
 陽炎の揺れを補正しすぎて、揺れてない感じの映像もあるような気がした点です。

 (カメラ歴ゼロなんで、その辺どんなかなんて知りようもありません)




|散歩途次青きを踏むもまたよけれ       沼津市・香陵句会

|里帰り青きを踏むもまたよけれ かつての里の面影たどり
|無人島青きに飛び込むよゐこかな 決まり文句「捕ったぞー」響く


 *途次(とじ)‥道すがら。


 ‥着目は平凡ですが、まとまりは良い感じです。
 「散歩」から、さらに発想を飛ばした方が良かったように思われます。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:58 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。