2017年05月20日

【勝手句帳】107 29-5-16 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/05/20

|春月のまだ遊んでる滑り台        三島市・市民俳句会

|春の月まだ遊んでる滑り台 風なく雲なく艶々として


 ‥ネタの句は、春の月に照らされている滑り台の様子を詠んでいます
 とくに遊んだままの子供が居るという訳ではありません。

 なかなかのユーモアが盛り込まれいて、どう引っぱるかでしたが、どうにか整えました。


> ‥振り返ってみると、主役は月になく滑り台だったと



1-5)1

|風まかせこだわりはなし花筏       静岡市・「宇宙」実紫俳句会

|風まかせこだわりはなし花筏 儲かりゃ良しのポチ政治


 ‥もはや「ふふふ」の花筏の詠みです。

 「風まかせ」の掴みが是また好い感じです。
 斯様に詠んでるだけでは、「花筏」の句としても至極平凡でしかなのに、
 引っぱるネタになると、途端に「よし来たッ」てな向きになるのは実に心地好い。


> 「花筏」=「泥船&貴族(政治屋)の自惚れ」との見立ては、御馳走です。


 まぁ考えてみれば、政治屋なんて大商人(大手企業の背後)の言いなりです。
 ‥商人の自由を優先してきただけの自由主義なのです

 ‥自由を得たければ、商人(組織の歯車)になれ‥

 基本的人権なんてそもそも憲法にしか書かれていませんから
 それは役人向けの心得というわけですから
 幸福の追求からして、役人向けに大商人から認可されたお題目と云うことになるのです。


> つまり、私たちの現代社会とは
> ‥歯車になるか否かの自由選択しか存在していない虚構世界だったのです。


 (かように解釈するのが冷静な見方かなと)

 商人同士しか居ない世界で、競争をしようというのですから
 その上で、すでにヒエラルキーがどうにも確立しちまっています
 そりゃ、上に吸い上げられる仕組みなわけですから

 格差の二極化と流行りの一極化の様相になるのは至極当然です。

 ‥その目下、絶対資本体制に
 人としての自由(生きがい)を感じられない大勢が居るのも当然です。




 商人は儲ける為に釣る仕掛けを考えるわけですが、そこがネット時代ゆえに
 露骨に漏れており、斯様な競争が如何に無意味かという次第に陥っています。

 ‥そのそもそもが
 資本産業が政治とグルになってきた歴史に見る不公平の切りの無さにしかなかったからです。


> 優秀だからおいしい思いができて当然っ(能力主義)


 一昔前なら、誰しもはそう考えていました。
 しかし、その裏に合ったのも、結局は血筋主義でしか無かったのです。

 そこにあったのは能力の尊重でも、競争による自由GETな実力主義でも‥かようになく、

 貴族(資本)側に服従を誓うか誓わないかの選択肢があっただけなのです。
 (戦ほどに命まで直接的には奪われませんが、まぁ、似たようなモノです)

 容赦の無いクビ宣告&倒産劇に巻き込まれては、戦国時代とさして変わりません。
 (そんなのを民主社会の理想だなんて誰も描いてなんぞおりません)


> 結局の所、優秀な奴ほどこ狡いことしかやらかさないのがバレバレです
> 臆病な奴の方が、意外にも真面目を発揮していたりするわけです


 そこの違いこそが、日本型経営と海外との違いだったわけですが
 今やすっかり差が縮まりまして、日本経営らしさにありつけるかどうかは運次第です。

 どちらの方が、社会に安心・安定をもたらすのかとした基準が、切り捨てられつつあるのです。
 そこを見逃して、馴れ合いに陥ろうなら尚更です。




 ‥本来、躍進なんてものは、二の次で十分でした。
 されど今となっては、技術レベルでも、あとは組み合わせの工夫次第の段階に来ているのです。
 そこに薄々気がついていても、歯車にしか生きられないのではお話になりません。

 ‥もう良いじゃないですか
 儲けるなんて二の次で、まずは、互いに安心できる暮らしのはずです。

 より儲けようだなんて、互いに競争しやっているから、行き当たりばったりのままなのです。
 そこに求められているのも、正しきになくこ狡さばかりです。
 たまには立ち止まって、深呼吸して、周りをよく見るべきです。

 (公平を求めてなんぼ、それこそが負け組多数の数の論理のはずなんですけどね)


> どうせイスに座る奴なんて、ほとんどが1%の側からなんですから‥
> それ以外は、単に、口車に乗せられているだけです。勝つも何も一時的で剥がされてお終いです。


 頑張れば、そこそこに生きられる程度で喜んでいるだけです。

 (そもそもが1%の原則にしかないのです)
 (自分さえ1%に成れれば好いとした、洗脳に汚染されているだけです)

 斯様なハナクソ程度の救いを前に、希望を持てるなんて、
 「なんて志が低い」としか申せません。

 ‥そんなだから
 行き当たりばったりの技術がもてはやされて、その負の側面に苦しむ人もまた多くなるのです。

 ただそれの繰り返しをしているにすぎないのです。もう判りきったことです。
 ‥競争に片寄っては、平和どころか暮らしの基盤すら覚束なくなるのです。


> 暮らしの基盤、それこそが隣り合った人間関係であり、地元の里での自給自足力です。
> あと‥発行権もとい万民幣権です。



1-5)2

|一面に墨絵のごとき花筏         静岡市・「宇宙」実紫俳句会

|一面に墨絵のごとき花筏 うらみの大きさSPの数


 ‥「墨絵のごとき」??
 なんだそれは?、それで俳句を捻ったつもりかい??
 などと始めは思ったんですが、発想を変えるとあら不思議。

 墨絵がSPの黒ずくめに守られた様相に見えだしたら早いもんです。


 ‥よくよく考えると
 SPの数やら質やらが必要なほど、うらみを買っているということです。(共謀罪とて然りです)
 それ以外に解釈があるとすれば、政治の世界の本質はギャングそのものということです。
 ただ単に縄張り争いがしたいだけの、旧世界の連中ばかりということです。

 (地球には、未だにそんな輩がごまんと居てひしめき合っているということです)

 ギャングのやり口なわけですから、誰も納得感が得られないのも道理ということです。

 まずはその辺をよく噛みしめて、幸福の追求なんてのはまやかしで、ウソだと思っておけとっ
 ‥それこそ追求したかったら、範馬勇次郎でも目指さない限り無理ということです。


> 皆でそう考えてみても、ますます個人プレイの尊重にしかならないので、
> 結局は、いつまで経っても世の中から憂鬱は無くならないということです。


 ‥じゃ、どうすれば好いかって
 そりゃまずは、そんなまやかしは捨て置いて、地道に生きれば好いわけです

 地道が一番と思えるようになると、なぜか不思議と知恵が湧いてくるのです。

 「地道」=「公平」が確かに思えてくると
 逆にツッコミ所が見えだして、気持ちにゆとりが棲まうようになるのです。



1-5)3

むくむくともりもりと山夏近し      三島市・市民俳句会

|むくむくともりもりと山 夏めいて かつての四季と空を忘るる


 ‥いやぁなんか楽しいそうなノリなんですけどね
 よくよく考えると一昔前なら、夏の風物詩です。

 それが今では、温暖化よろしくに秋だろうと冬だろうと雲が多めです。


> 地球が海面上昇を緩和させるための策と言うことになるんだろうと思いますが
> 太陽も一役買っているという事になると思います。


 それはそのままに、いつでも大雨大霰大雪を降らすことが可能という気象模様なのです。



1-5)4

口上手途切れぬお世辞気味悪い      湖西市・あらい川柳倶楽部
口達者途切れぬお世辞気味悪い      指摘



 ‥そこは「口上手」ではなく「口達者」なのでは??

 「口上手」と盛ってあるところをみると、はじめはウブにも喜んでいたと
 それが段々と止まらないべた褒めに気味悪くなったと
 ‥まぁそういう事なんだろうと思います。

 しかし総括してみれば

 そこは、「口達者」だろうと思うわけです。
 それほどに、べた褒めが続くということは、会う度にそうに思われるからです。
 ‥という解釈に進めば、応用も思いつく所かと。


|口威勢突然サポート気味悪い 振り込め詐欺に前金ありき


 *口威勢(くちいせい)‥ネームバリューで押そうとして、それらしい名前を連ね挙げる様。



1-5)5

|年重ね揚げ足取りが楽しくて       湖西市・あらい川柳倶楽部


 ‥それがばばあの本音ということになるんでしょうかね(美しくも何ともねぇ)
 俺の胎教は、「姑と嫁」絡みだったようで、プチッと拒絶遮断致します。


 ‥自分の母親にもその怪があると気付いて以来(二十の頃)
 ますます嫁なんて代物には一切興味なし。(斯様な戦場は見たくありませんので)


|年重ね揚げ足取りが楽しくて 嫁に所望はタフさのみ
|タフさのみ求める姑にズル学び 小さき背伸びにあきあきしだし
|し出してはすでに止まらぬ土地バブル 主婦の頼みも情に無く
|情に泣く時代はいずこ自己主張 さらば姑の意地悪よ
|良き敷居二世帯住宅是にあり 自分の掃除はご自分で
|自分で振るえぬキッチン見透かされ 手料理自慢の姑乙
|「お疲れ様」と言い合うまでのひといくさ 姑と嫁の敷居模様


 ‥二世帯住宅の歴史も早四十年を経たとのこと。
 思えば、土地バブルのご時世に誕生したわけですよ。

 積もり上がるカネに、そりゃ、別々にしましょうとの空気にもなったと。

 なるほどなるほど、そりゃ、景気が良いならそうも考えるでしょうね。
 少し敷居があるだけで、うまく行くなら、そりゃ流行るでしょうね。


> そう考えると、


 奇蹟の復興が無いままなら、姑と嫁問題もまだまだ過激に推進中だったかもと。
 こりゃ復興様様というより、土地バブル様様だったって事だよね。

 それじゃ、震災で家を失って体育館生活ともなると途端にその辺で息苦しくなると。
 それこそ仕切りが無いと落ち着かないなんて次第に成り下がっていると。

 戦後のバラック時代をサッサとおさらばしてしまったのも
 日本女性のその辺の事情に敏感だったからというのもありそうでーす。


 ‥じゃ、平成時代の現代女子らは、
 その辺で、すでに鈍感になっちまっているので、
 ささやかな幸福の基準すら厭えないほどの引け腰になっちまっているのかも知れませーん。

 (そもそも格差だから、今や、ささやかな幸福も糞もねぇと)
 (便利に囲まれちまって慣れきっているので、一気に剥がされては思考停止と)
 (まぁそうだろう、そうだろう、そうだろうね。そこは男子も同じだから)
 (自分たちも弱くなっているとした自覚が無いのが、女子らの一番にたちの悪いところです)


|エリートとは何か?
|それはゼロからでも這い上がる逸材である。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:35 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。