2017年05月25日

【勝手句帳】108 29-5-19 静岡新聞掲載分から

↓10)向宜詠吟.2017/05/25

花嫁の人力車ゆく飛花さなか          沼津市・若草俳句会

|往来や人力車こそ飛花のごと歴史浪漫の風よぎりたり


 *飛花(ひか)‥風に飛び散る桜の花びら。(春)


 ‥ネタの趣はまぁそこそこ好い感じではあるのですが
 「花嫁」と「飛花」‥まぁ昔ながらの縁起担ぎでいえば最悪ですよね。

 ということで、発想を変えてみたところ‥


> 斯様に格好良く仕上がりました。(ごっつあんです)



1-10)1

|雨粒も落花もつけて山のバス          SBS学苑パルシェ教室俳句

|雨粒も落花もつけて山のバス 一期一会を添えたれてをり


 *流水落花(りゅうすいらっか)‥落ちる花と流れていく水のことで、過ぎていく春のこと。
                 または、以下略。落花流水とも。


 ‥これまた細かいところに目を付けてきたなぁと思いつつ
 十七音ではさすがに厳しいようです。

 「山のバス」と置かざるを得ないので、どうしたって「だから何?」止まりになりがちです。

 ‥そんな風体で、その「だから何?」を引っぱってみました。


> 「一期一会」‥どことなくパターンな感じが煮え切らないのですが、他を思いつきません


 しかし、こうして並べてみると、桜に雨が付き物に思えてきます。

 その時期によっては、必ず雨にまみえる地域もあるように思います。
 条件を変えてやるとまた違う角度から詠めるのでしょうが、ネタの詠みではありきたりの光景です。

 上の句がありきたりだと、
 下の句にしても、ありきたりの表現でしか引っぱれないのがパターンなのかも知れません。

 (バス旅行とて疎遠なので、そこら辺の空気の模様がまるでわかりません)



1-10)2

|初夏の寺の扁額光射す             浜松市・浜松白魚火梧桐句会

|天の川 寺の扁額しみじみと 仏の教え今に伝え瞬り


 *扁額(へんがく)‥門戸・室内などにかける細長い額。(ここでは寺の門の看板)
 *瞬る(ふる)‥星の瞬きの様。(俺仕様)


 ‥これもまたマニアックな所に目を付けてきております
 しかし、どうにもダメですな。
 何を言いたいのかを、ちゃんとさせてから季語を選ぶべきです。


> なんて天の川がきれいなのだろう
> 宗派は色々あれど、このお寺にご厄介になったのもきっと何らかの仏縁に違いない
> あの星々の瞬きが朽ちることが無いように、仏の教えもこうして今に伝えられて在るのだなぁ
> (私も、世のため人のために残せることをしたいものだよ)


 「なんという渋めの名句!!」‥おらぶったまげちまただよ。(ごっつあんです)



1-10)3

|金色堂拝みて出れば春しぐれ          浜松市・浜松白魚火梧桐句会

|金色堂拝みて出れば初音かな ご利益有りとふと宝くじ


 *金色堂(こんじきどう)‥藤原平泉のあれ。国宝。世界遺産。


 ‥「春しぐれ」ってね、ここは縁起を担ぐところかなと


> 金色堂を拝観したあと、出入り口を出たところで鶯の鳴き声が聞こえたのです
> これは縁起が良いと思い、もしかしたらとばかりに、宝くじの当たるのを妄想しちゃいましたね


 ‥実際にそれで宝くじが大当たりなら、すげー客寄せになるだろうな
 あえてでっち上げて見るとか‥(はぁ、しょぼ)
 マンガのネタぐらいならOKだろうね。

 (それとなく真に受けた外人オタクがこぞって押し寄せたりして、ジパングの語源だし)



1-10)4

|美しく今朝の卵が割れました          袋井市・袋井川柳吟社麦

|美しく今朝の卵の採れにけり 「いただきます」と御飯に落とし


 ‥「割れました」って、そこは目の付け所が違うだろうッ


> 「美しく」と盛ってあるというだけで
> たまご掛け御飯が絶品に思えてくるのにはビックリっす。(目から鱗)


|美しく朝ご飯を食べよう
|美しく御飯


 ‥というネーミングで「ブランド米」を立ち上げるのはどうでせう。




|菜の花も桜も咲いて漕ぐペダル         袋井市・袋井川柳吟社麦

|菜の花も桜も咲いてペダル 春を讃えむ土手路を漕げり


 *土手路(どてじ)


 ‥「漕ぐペダル」のその漕ぐは、もしかしたら、足こぎスワンボートかも知れませんよね。
 なので、「風ペダル」と、爽快感を出してみました。



1-10)5

|星々の瞬き潤む春の夜             焼津市・浜風句会

|星々の瞬き潤む今宵こそ 妄想猫に熱々キッスを


 ‥近頃、「星」+「春」の組み合わせが目立つようですが
 これは‥随分とお安い「星」になったなぁと思っちまいました。

 ネタでは、「星々」と複数形で盛ってあるわけですよ
 なのに、「春の夜」を盛ってみたところで、なんのイメージの足しになっちゃいません。

 (星が複数束になっても、「春の夜」と添えないとならないそれって何ですか?)


> イメージがより膨らまない季重ねなんて最悪です。




|「のりましょか」ふらここゆれて若やげり    沼津市・若草俳句会
|遠き日の枝にくくりしふらここや        沼津市・若草俳句会
|影ふたつ恋のふらここ小さく漕ぐ        SBS学苑パルシェ教室俳句



 *ふらここ‥ぶらんこ。(春)
 ブランコをして遊ぶ風習は、古くからあったようですが、句に詠まれることがなく
 江戸期頃からの登場で、「ふらここ」は、まだまだ名称がまばらだった頃の名残のようです。

 ちなみに、

 ネタ1は同じブランコでも向かい合って乗るタイプですが、
 それの呼び名を「ふらここ」と、分けて呼称しても悪くないなぁと思いました。


 ‥ネタ1は、そこに居た連れが男女なのか女子同士なのか、その辺気になる所ですが
 どんなに歳を経てもブランコに対する印象が判りやすいのがよろしいかなと。

 ‥ネタ2は、「ふらここ」でも「ぶらんこ」でも
 中七の響きが、どうにも‥首吊り死体がぶら下がらんばかりの印象を誘うので、
 もう少し言葉の盛り方を変えるか、着想を捻るべきに思いました。
 (上五の掴みは、好いと思いますが)

 ‥ネタ3は、下五「小さく漕ぐ」の狙いが、まるでわかりません。
 そこは「まま揺れし」と、
 一人用のブランコに若い男女が並んで座っているぐらいの光景で好いと思います。


|影ふたつ恋のブランコまま揺れし 君を隣に語らう夕暮れ


> 夕方の公園で、彼女とブランコに座り寄ると
> そこから、二人の影が伸びているのが判る‥
> ぼくの位置から見ると、まるでぼくの気持ちが透けて揺れているのがまるわかりのようだ
> その辺、彼女がどうなのかがスゴく気になったが
> おしゃべりをしだすとそんなことはどうでもよくなり、その時間がとても愛おしく感じられたよ


|遠き日や恋なふらここしみじみと わらべの影の向き合うふたつ


> ああ、子供が無邪気にふらここに向かい合って座っている
> 自分にも合ったなぁ、もはや幼き頃の遠い記憶だ
> (それにしても、キューピッドが二人居るかのようだなぁ)



1-10)6

|覗かれた心に赤きバラの棘           袋井市・袋井川柳吟社麦


 ‥自分の「心の傷」のことを「棘」と言いたいのだと思いますが
 わざわざ季語を盛ろうとして、それに
 「赤きバラ」と付け加えては、どうにもクドいとしか思えません。

 しかも

 「覗かれた」とあるので、さらに赤薔薇絡みの意味合いが強調されてしまい
 如何にも「赤薔薇」の如き誇り高きと言いたげです。


> ‥でも、それならそれで、覗かれて恥ずかしきなど無いのでは?
> 「誇り高い」とは、斯様な心持ちのことですからね


 そう思えば、どうにも煮え切らない詠みだなぁと思うばかりです。
 ‥そんなところで、発想を、覗いた側・垣間見た側からに切り替えて、着想してみました。


|「嘘だった‥」こころ真っ黒バラの棘 プライドなぶられき政治夜行


 


 ‥知る人ぞ知る、『らっきーデタラメ放送局』

 (注目してなかったけど、掻い摘まみすぎなので、繰り返し見ては洗脳と同じ効果があります)
 (‥というか洗脳狙い臭い作りっすよね、これには、その手の資金力が感じられる勢いです)
 (スポンサー居るだろっ)

 (でも、たまに見るとポイントが絞られているので点検項目にはもってこいではあります)
 (で、スポンサーの狙いは何だろうね?)

 (マジに独りでこなせているとしたら、スゲー執念ということだが、その手のニオイが無いのが変‥)
 (あすこまでしつこく執念を燃やしてそうなら、普通、人生を黙ってられないもんっすけどね)
 (あの女史にブログってあるの?、ユーチューブだけそうじゃん)
 (あの人形劇にハマっているとしても、相当のモチベーションだぜ、そしてタフ&器用っす)


> ‥ああ、すべては嘘で固められていたのか‥
> それにしても、随分と手が込んでいて、どうにも意図が見えてこないわけだよ
> それにしたって、プライドはボロボロだ‥(そこまでだったなんて疑いもしなかった)
> これから先の政治に期待なんてあるだろうか?それこそ先の見えない出口だろうさ



1-10)7

 ‥心に傷なり何なりと、人に言いたくなきが有ろうと無かろうと
 黙っている分には、それが自分には大切な色合いに見えていても
 他人からしてみると、随分と勝手な色合いにしか見えていなかったりするものです。

 「容赦なく、それのさまに意味なんてねぇってのが‥第三者視点ですので」


 ‥そこは、お互い様にもあるので、尚のこと
 意味なんてねぇと割り切っているだけでも、
 独りで大事に抱え込んでいるだけでも、ちっとも歯車が合わないのです。

 お互いに、ピントが合ってないわけですから、
 その分の落ち度というか、リスクというか、いたらなさは自覚すべきです。


 ‥伝わっていないから「嘘」にも見え
 ‥隠しておきたいと思うから「傷」にも見えると

 そのどちらも理解してもらえないとした思いが、浮いたような漂ったような感触です。
 そこをどう解釈すべきかの選択肢が、自身の内で適度に変わらないなら、
 どうにも、その棘から逃れられないままというのがパターンの様ですね。


> ‥自分で自分を解釈付けできていないなら
> 他者にそれを期待することの方が、手順としておかしいのです。


 テメエで腹を括ってしまえば、
 根っこにあった「理解してもらえない」にしても、程度薄まろうというモノです。

 (まずは、自分をよく心得ることです)

 (ただし、育った環境を切り離して解釈しては失敗します)
 (相手を観るにしても、どう受け入れていたかの要素は欠かせません)


 ‥これが難しく思うのは、そのような教育の手順がまるで無いからです
 まるっきり無いということでもありませんが、
 選択しないor教えにすり替えが見られるのが人類の程度です。

 (ゆえに、自分を知り理解することが、疎遠にも成ってくると)


> ‥自分を定義できるのは自分自身なのです。(どうして他者の確認&推薦が必要でしょうか?)


 汝以上に、汝をわきまえたる者など、汝以外には居ないのですから。
 まずはそこを信じられないようなら、「とっとと出直して来い」ということです。

 そして、定義に補正が必要に思われれば、躊躇すること無く補正すべきです。

 しかし不思議と、プライドが邪魔して補正できないのが相場です。
 それで悩んで、他者から教えを請うわけです。

 (ここでも、確認&推薦が欲しいと言わんばかりでせう)
 (どうみたって、これは、パターンにハマっているだけです)




> 基本、自分で考えて、理解して、腹に収めて置けば好いんですけどね(自分のことなんですから)


 (でもたいていは、無駄に裏付けが欲しいと思い、どうにも競争に駆り立てられるのも流れです)
 (まずは証明です、お互いにそれを確認しないと気がすまいと言った空気で込み入っています)


 ‥考え方が他にもあるなら、習った方が早いのも事実です
 まぁその代わり、薬を飲んで済ますが如く、反芻しないのでは、何の血肉にもなりえません
 それを副作用というのか、それも汝の様というのか、その程度ということだと思います。

 ポイントは、

 すべての思考は相対的且つ同質であることです。
 そして、それらが主体的に風変わりを選ぶことが可能にも置かれていることです。


> 迷いの多くは、主体的にしか物事を理解しようとしていないところにあります。
> ゆえに、同質であるとの理解を見失っていると、お互いの心理からして見えてきません。


 (なにゆえに習わんと欲するのかにしても、その前提が「同質」だと思っているからです)

 (出し抜く為の基本を学んでいるつもりなら、相当なマヌケです)
 (事柄の基礎だけ教わっているだけなのに、かじり程度で本質を伝えないのが商売のずるさなのに)
 (そこから自分の考えをプラスすれば良いとか、スタートラインを知らなすぎです)


 同質であるそれらが相対的に展開していて、お互いのタイミングで選択肢が発生するがゆえに
 主体的勝手に選択が進んでいる様に見えるというだけです。

 ‥極端な例など少なきが日常です。
 平凡が多くて非凡が少なく、さらに言うと、上には上が居ることを思い知るわけです。
 思い知った経歴の持ち主の方が多いと言うことです。

 ‥目の前に対峙する相手が覚者であれば
 自分の目指すべき対象として、それが自然と無理なく見えてきてもおかしくありません。
 でも、たいていは、特別として思い込み、自身を異常視に見やるのです。

 ‥その異常視から離脱する為にも
 不思議と自分より下を探しているのです。居ないと落ち着かないのです。
 頑張っている自分の姿を思えば、下が居て欲しいわけです。


 (弱さゆえの心理ですよね)
 (自身を下に見やるパターンのなれの果てでもあります)
 (それが集団化するとどうなるかなんて知れてるはずなのに、俯瞰できていないのです)
 (‥上を有りがたがる&特別視する傾向はつまり、差別・不公平の裏返しなんですな)


 ‥常々自分の心理をよく把握して
 足りないと思えば、対象とする側の心理を想像力で補って、
 否、同質として、どこがどう同じなのかと解釈する幅を広げないでいては、見落としも多くなり、

 結局は

 「理解できない現実」=「理解し合えない関係の引き寄せ」にしかなりえません。

 (差を見ようとするのでは無く、人間としてどこが同じであるのかです)
 (どこまで同じにあるかでもあります、選択肢がどこで変わるのかでもあります)
 (人間として同質でも「選択肢」が変わるのです‥差があるとすればそれだけです)


> 選択肢が変わる(異なる)のは、それがその人の生き方だからです


 ‥生き方に正しさなんて存在していません
 ‥俯瞰してみるに、人類にとってそれは欠かせない要素があるばかりに思えてきます
 ‥むろん、人間ひとり辺りの性能だけを見比べていると、正しさを定義したくなるというだけです
 ‥意識をかように向け出すと、何となく、これが正しさという風に思えて来るのです

 (それこそが意識の性能と言えるでしょう)

 (自分がどのぐらいの距離感で、人類を、人生を眺めているかの違いがあるばかりでしょう)




 ‥との次第を、愚直に理解していようとも
 生き残りが懸かった競争に思えば、平凡にも、自分側有利にしか思い込まないわけです。
 応援すればひっくり返るとか、そんな安易な期待の方が先行するばかりでしょう。

 (かような見立ては、概ね非力です)


> 知らないと言うことが、一番に、猜疑心を増大させてしまう不可解です
> 冷静に判断できない裏には、安易に、外に期待できる余地があると思い込んでいるからです
> 互いに内側が見えていれば、少なくとも異物には映らず、当然の想定に落ち着くはずです。


 (本質は、応援したいから応援するだけです)
 (戦いたいから戦うのでしょう‥さて、それらはどこまで準備ができているのでしょうか?)
 (お互いに都合が絡みますので、誰しもが命を懸けている程には無いのです)


 ‥その知るべき・理解すべき手間を惜しんでいるようでは、己自身の人間性も拡がらず
 その狭きままの程度の鏡似性に同調して、世界が見えてしまうと言うことです。

 (有り体の常識を担ぎ出して、それが当然と言わんばかりのノリです)
 (その常識をまた柱として見上げては、どうにも、身動きが封じられてしまうのです)


> 汝の惜しみ方に細やかさが加わらないようなら、世の中の見方も変わらず
> 汝の目の付け所も平凡のままということです。


 (世界の頂点に君臨するほどの狡さには、それに対して惜しまない威勢があるのです)
 (平凡にも人任せで良いと思っていては、対抗しようにも敵うわけが無いのです)


 ‥何を一番に心得て識るべきかと言えば
 自分に去来した必要の手間を惜しんでいては、その先が見えてこない次第を自覚すべきです。

 自分をオリジナルに成長させるには、自身の心への去来に注目せざるを得ないのです。
 そのキーワードは、概ね、「なぜ?」「どうして?」「なら、やってみよう!」です。

 そこを、

 要領だけを他者から借りて、盗んで、ちゃちゃっとやっつけて、勝ち得たとドヤ顔をしてみたとて
 他者に頼らざるを得ない自分に不安を感じて、同じ不満を繰り広げるばかりでしょう。


> ここの心理は実に単純明快、且つ、公平です
> なにが公平かって、是なる心理が公平に造られているのが人間です


 自分の性能を知らずに、自分を信じるなんてこと自体が無力です。
 自分を信じる度合いを上げる為にも己を磨かんとするわけですが
 その蓄積があればこそ、相対する壁に対して、概ね有利不利を一瞬で自覚するようになるわけです。


 ‥何も首を取り合うのが命では無いと言うことです
 ‥弱肉強食を思い込んだままだから、傷を傷のままにもしてしまうんだと思います
 ‥それこそが競争前提・チカラ前提に受け入れている思い込みに思います
 ‥自分の内に、壁や堀を築いては、来る者すべてからして仇ですから

 (自分を観察すりゃよくわかるはずですが‥)

 ‥自分を見つめるには
 まず、それら日常のしがらみをリセットして再構成して見るぐらいでないと
 思考できる余地、できたかも知れない余地はなかなか見えてきません。

 まぁ仮に見えたとしても、無理に選択する意味も、そこに執着する意味もなく
 ただ見方の蓄積が自分の内側で積もっていくだけです。

 (選択肢の引き出しが増えると、必然的に物事の細かき絡みに関心が進むのです)

 ‥事象が分離しているからそこで思考停止‥分野が違うから思考停止
 なんて在り方の方が無理・無駄が多いぐらいに思うようにも成ると言うことです。
 だからといって、どちらが正しいなどと持ち出しては本末転倒です。
 それは単に適材適所の見方としての切り替える所が見えてくるぐらいです。

 (それを選択するかしないかは、あなたの生き方です)




> 自分の価値が低いと思い込むことで、汝に去来する思い(思考)を自ら侮るわけですな
> で、結果的に同じパターンで、価値が低いと思えばその他を見下していると、その一点張りだと
> まるで、見下す姿勢にこそ価値があると言わんばかりにハマっているのです


 ‥かような汝の心模様のパターン(現実との見くらべ傾向)を「鏡似性」と申すのです。
 思考・感情そのものにもフラクタル性が絡むのです。
 鏡似性は、プログラムみたいなものなので、意識・価値観を変えるとがらっと見方が変わります。


 ‥価値観を変えるとなると
 以前の自己の否定にしか思えない向きもあるようですが、そんなことはありません。
 食習慣を変えるだけの次第です。

 (メニュー悪ではありません、食べ方との付き合い度合いです)
 (意識を飛ばす方向を変えて、視野を広げようというだけのことです)
 (意識を飛ばす方向が不慣れとは、つまり方向音痴と同じで、土地勘が伴わないのと同じです)

 まぁそれがなかなかに大変なのは想定内です。

 それを苦に思っては、体質からしていつまで経っても変わりません。それだけです。

 ‥「思考の体質」を変えようというのですから
 そりゃ、違和感というか、汗や涙を流すのと変わらないわけですから
 物理的に言えば、振動を加えないと合成もされません。そういう事です。

 自らが振動を起こして、自身の波動を主体的に再構成しようというのです。
 なんらかの外的エネルギーの補助が求められるわけですが
 無理なく進めるには、ゆっくりと根気よく取り組むのが道理です。エコロジーです。

 ‥従来の癖ながらにも
 楽して、一気に変わりたいだなんて‥そんなクソのような願望をまずは捨てることです。
 目の黒い内に成果を見たいとか、若い内にとか、そんなクソをまず捨てなさいと言うことです。

 ここの理解こそが、汝の思考のフラクタルに振動を与え、新たな模様を刻み始めるのです。


> 永遠の確かさが欲しいというのに、どうして一朝一夕の効果が釣り合うというのですか?
> ‥其を侮って、かように思えない方が、ただただ怪しいだけです


 (まぁそれにしたって、20年も根気よく続ければ、何事もそれなりに思考の血肉になるモノです)
 (裏返せば、教育次第では、どうにでも性格も得意も苦手も変わると言うことです)
 (それはもう、遺伝子にすら、変移を促すほどだそうです)

 ‥まずは、自由ばかりになく公平についても正しく思考すべきなのです。


> 文学なんてね、まさに、自由から始まって公平に辿り着かんとした起承転結なんですな。
> 自由主義のままに終わろうなんてね、それこそが真っ黒ってことです。
> であれば、「あなたの人生は何色に見えますか?」



1-10)8

|剥がしつつ思案に余る春キャベツ        袋井市・袋井川柳吟社麦

|剥がしつつ思案に余る春キャベツ 嘘は煮込まれアバウト出汁に


 ‥ネタは、句と言うよりは、ただの独り言のような詠みです。

 そもそも、そこは、剥がしながら考えるモノなのか?
 買ってくる段階で、大凡のメニューを決めてんじゃねぇの?

 (まぁ、切ってみての感触次第では、メニューが変わる事も有るだろうけど)
 (その辺、なんも書いてないからな)

 ‥そう考えると、「思案に余る」とは
 切ってみたら、想定よりおいしそうなの?、ダメっぽいの?


> そこを政治に例えると、どうにも嘘ばかりに陥っていたと‥


 マスコミにしてもそれが虚構であると、一味ゆえに知っているので、
 バレたらバレたで、やんわりと表現することにしか努めてないし
 まさにその甘い汁を啜ってきた印象は、春キャベツから摂れる出汁という事になりますな。

 (煮込んじゃうと、嘘の輪郭もあやふやになって判らなくなり)

 単なる教訓にしか見えてこなくなるわけです。
 ‥悩ましきは、その嘘で、誰を、いつ、生け贄にしようかと考えるぐらいでせう
 ‥じゃ、ロールキャベツかな(す巻にされて海に放り込まれる感じかと)



1-10)9

幸せと思えば春は足下に            袋井市・袋井川柳吟社麦

陽気かと思へば春は足下に 野花に翅のかほ見る川原


 *翅(はね)‥ここでは虫のこと。
 *かほ(顔)


 ‥ネタは整っているように見えますが
 必ずしも春の時節を想定して読んでもらえるとは限りません。

 どちらかというと手直しの通りかと。(「幸せ」と盛る必要がないのーん)


 ‥それにしても今年の春は蝶を見かけません
 (投句にもさほどあがってこねぇし)
 (去年の秋に多かったのと絡みがありそうでーす)

 ‥つまり、春が遅いと判っていたので、秋に片寄ったと
 (だとすると、蝶にも種類を問わずその手の能力があることに)




|おぼろ月春のしっぽの軽さかな         袋井市・袋井川柳吟社麦

|おぼろ月春のしっぽの軽さかな 浮気をとっちめ上座に胡坐


 ‥ネタは、「何じゃこりゃ??」が感想です。
 しかし、無駄に引っぱってみたくなりまして、斯様になりました。


> あーあ、気分はほんと泣きたくなるような朧月だよね
> 旦那が浮気をしていたなんて‥なんと尻の軽いもとい鼻の下が長いもとい尻尾の軽さか‥
> 別れようにも今時大変なだけだし
> ここは、貸しを作って上座から操るを以て、良しとするしかないよね
> (こんな形で旦那を尻に敷く展開は、どうにもひとりだけ浮いた感じなのですが)



1-10)10

|気づいたらテレビの番をしています       袋井市・袋井川柳吟社麦

|気づいたら在日テレビが終の友 未だ戦後と半島絡み


 ‥まぁパソコンやらスマホやらを使わないなら
 テレビばかりを見てしまっているというそんな流れでせう。


> そんなテレビ業界が、在日と創価の巣窟だったと‥
> 気がつけば、在日・創価テレビが一生の親友も同然になってしまうと。(ガーン!!)


 (なるほど!そこを避けようと思えば、芸能スポーツ興味なしでOKだったと)
 (さすが俺としか言いようがない)


 ‥知らないうちに、芸能スポーツの顔しか知らねぇ人生なんて、どうにもおかしな状況ですから
 ‥なーんて、マンガ・アニメ・ゲームのキャラしか知らねぇなんてのがお約束なんだけど

 ‥ある意味、こちとら、すでに十分な屈辱を味合わされているわけでありまして
 在日どものうらみは十分に果たされているようにも思われるわけですが、
 在日どもの目論見は、その程度では無いそうです。(仕返し倍返しの文化っすから)


> しかしおかしなモノです


 ‥3時間スペシャルとか、ふざけるなと思うほどの連日連夜で
 見なくなるのが相場なのに、
 もしくは録画してCM飛ばすのが相場なのに

 (いくら人口比率が高齢者に片寄ってるにしても)

 ‥電通はその辺バカなの?‥


 つまり、高齢者がすっかり世代交代しては、
 テレビ業界には途端に消滅ランプが点る展開にあるのでーす。

 (医療系番組ばかり企画してるわりには、煽るだけで、長生きして貰いたいようにも見えません)

 ‥さらにベーシックインカムが始まろうなら
 自主制作に萌える連中も増えるでしょうから
 電通もといテレビ業界にとってそれは、由々しき展開のはずなんですけどね。

 (まぁお安い下請け大量発生との見方も可能です)


 ‥それとも電通の背後は、ネット広告に一本化したいのか?
 ‥そうですよね、人件費を削るにはそれこそ
 ‥ネット広告一本化の方がAI化できそうですからね
 ‥電通からしてそのつもりだから、AI化社会に反対の声も上がらないと


> じゃ、電通就職は‥もはや番台の上かもと言うことになりそうですな
> ‥まぁ資本権益の本丸ですから、不景気を装って、一気に整理来るのもセオリーと




|身の丈の暮らしに夢の二つ三つ         袋井市・袋井川柳吟社麦

|身の丈の暮らしに夢の一つほど そのクソ支配からの解放


 ‥なにが「夢の二つ三つ」だよ、この欲張りめッ
 俺なんか、一つに集中しちゃってるし、それが身の丈ってもんでしょ。


 ‥まぁ「誰か」なんてあてになりませんから、「解放」にしたって
 結局は、どこかで自分からドカーンと行かないと面白くないわけですが
 とりあえず、この「勝手句帳」を三年間やり切ってからの話になっております。

 (本音を述べてしまうと、半年ですでに飽きちまっておりまして)

 ‥自分が如何に飽きっぽいかというより
 長期予定(拘束過多)を組むのが大っ嫌いかという事だけが、自覚されるばかりでーす。


> それにしても、こんなもんかなぁと思ってしまうところもあるわけです
> 言語感覚が違うというか、こうにも目の付け所が違うのは、なぜなんだ??


 ‥そりゃ、中には素晴らしい目の付け所もあるわけですが
 その完成度ともなると、どうにも不揃いが多いのです。

 (まぁ多少なりとも、お互い様の所が見えてしまうわけですけどね)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:42 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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