2017年05月29日

【勝手句帳】110 29-5-26/5-27 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/05/29

|早咲きの桜の土手のにぎわいも瞬の間にして若葉の輝き        焼津市・高草短歌会(5-26)


 *瞬の間(つかのま)とでも読ませたいのか??
  束の間(つかのま)では、もはやセンスが合わないと言いたげか

 (同意できかねます)
 (‥束(つか)なる言葉の痕跡がまったく見えなくなるのは、まずいんじゃねぇの)
 (それでなくても、花の期間はサクラで七日間もあるわけで、瞬の字の当ては論外です)


> ネタは、五句目の括りに向かうまでの
> 前置きの扱いに、詩情がまったく感じられません。


 ‥「若葉も好いね」と言いたいのでしょうが
 とくに若葉を讃えるに適った趣が示されているわけでも無く
 
 かといって花についても、何も書いてないのも同然です。
 
 上の句を飾りのように置くだけでは、どっちともにおざなりです。
 (しかも「早咲き」なんで‥花に関しては尚のこと掻い摘まみ程度の印象です)

 ‥どうにも、まずは「桜の花」に謝ってください。


|あれほどの花のなみだは風に果て 振り向く君の若葉の輝き


> サクラ咲く時節が、なみだのように散り去ったというのに
> 振り向けばもう君は、立ち直っていて、なんとも輝かしく若葉を身に纏っている
> ボクの方が戸惑うばかりだよ(でも悪くない、それも君の放つ魅力の一つなのだなあ)




|バックミラーに赤あかと夕陽映しつつバイクで走りし遠き日憶う     裾野市・石蕗歌会(5-26)

|流れ見るバックミラーに夕陽濃き バイクの風に愁う黄昏


 ‥ネタは、映像に描いて見たくなるような着目です。でも


> 記憶に従って、思い返しているところまでを句に折るよりは、
> その時をそのままに詠んでみる方が楽しいと思うのですが



1-7)1

|縄文の古墳の出でし丘に立つ頬に触れくる春兆す風        藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|縄文を掘り出すロマン兆す風 頬をなで来し土中から


 ‥「頬に触れくる春兆す風」
 下の句のフレーズをそのまま据えて、上の句だけ手直ししようと思ったのですが
 あっという間に飛躍してしまいまして、部分的なニュアンスにとどまりました。


> 「先生、何か出てきました!?」
> 「なに!!、今すぐ行くッ」


 ‥ふふふ「小鳥来る三億年の地層かな」にも劣らない出来
 マンガでなら、この二つをぶつけ合う対決場面‥超イケてそう。(ごっちゃんです♪)




テレビに見るマチュピチュの山々神々し登れる思ひに峰々仰ぐ   藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|マチュピチュや想いめぐりて今ここに登りて見入る神の横顔


 *神の横顔‥マチュピチュに見るあの三つほどの峰を縦にすると、横顔に見えるんだそうです。

 machu picchu_a.JPG
 machu picchu_b.JPG

 参照:http://tokuhain.arukikata.co.jp/cusco/2016/06/post_1.html


> ネタは、ズバリ、無駄が多いでしょう。(ということで、リスペクトしました)


 ‥にしても
 ‥俺っちの世代的にインカと言えば「アンデス少年ペペロの冒険」なんですが
 なのに、'なつかしアニメ'でもスルーだし、ネットでも姿がねぇんだけど。
 (当時は、たびたび再放送があったのになぜなんだ??)


 


 (DVDをBOXで買って持ってるんでどうでもいいのだが)

 ‥見返してみると
 どうにも、スペインに占領された後の西洋化しつつあるインカが舞台なんだよね。
 でも、現地ロケなんてしてないだろうから、
 かなり大ざっぱだし、当てずっぽうだけど、そこがまた面白いのだが‥

 さらに面白いのが、

 ペペロ(10歳)は「お父さーん」と叫びまくり
 マルコ(9歳〜)は「お母さーん」と叫びまくり
 大空翼は「ロベルト〜」と叫びまくり、どれもが南米絡みの共通点を持つ。


> 日本のアニメにおいて南米とは、会いたき人の名を叫ぶ場所っ!
> ‥さぁみんなでチェックしよう!


 

 



1-7)2

|水ぬるみジャガイモ植えか豆まきか畑をたがやす人あちこちに   藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|水ぬるみジャガイモ植えか豆まきか耕す人ら出でる畑こそ


 ‥畑のことは素人なので、その点では、上の句をいじるのを避けました

 概ね整ってはいるのですが、
 「あちこちに」耕す人が居てなんなの??

 ‥あとは、そこにどう気持ちを乗せるかが外せません。

 農業にしたって、只植えるだけではないと思います。
 とくに、植える段階で、気持ちを込めずに投げやりなら、
 並に育つどころか、枯れてしまう場合だって有るはずです。

 ‥短歌だって同じです。「仏作って魂入れず」では、どうにも響いて来ません
 ‥絵画的に描写したつもりだけで満足していては
 「舌」を‥もとい「心」を唸らせるまでには届かないのです。


> では、ネタの下の句は、手直しの下の句とどう違うのでしょうか?


 「出でる畑こそ」‥いでるはたこそ
 つまり、「こそ」に気持ちが秘められているのです。

 「あちこちに」では、どうしたって、「だから何?」と思うだけなのです。
 「こそ」って‥何を指しているの?‥と思わせるのは、それと性格がまったく異なります。


> 水が温み始める時節になってきた
> 是でようやく畑仕事が手に付きやすくなるというものさ
> ジャガイモやら、豆やら、誰が何を作付けするのかがまた楽しみだ
> でも、みんなが、畑に顔を出して精を出してる姿を見ないことには、どうにも
> 春らしくなってきたとは言えねぇがらな(それが農家なんだべさ)




|葉の中にじっと動かぬてんとう虫小さい身体をさらにまあるく   藤枝市・文化協会短歌会(5-27)
|葉の中にじっと動かぬナナホシの小さき身体さらにまんまる    手直し



 ‥「まあるく」では、ダンゴムシみたいなんで、「まんまる」に手直しました。


> どうして、動詞のカナはすぐに端折るのに、名称の長いのは律儀に綴っちゃうの?


 日本のてんとう虫の場合、ナナホシテントウが一番だし、
 とくにこだわる必要がないなら、ナナホシで十分わかると思うんですけどね。

 (ここらの表記感覚の違いがどうにも解せんのだが)



1-7)3

|春の土手ツクシ菜の花すみれ野良にタンポポ畑にれんげ       静岡市・駿府短歌会(5-27)

|春の土手路はツクシ菜の花すみれ 野良にタンポポ畑にれんげ


 ‥これはどう考えたって、「春の小川」のリズムに乗せるべきかと


 


 *「すみれ」と「れんげ」は原曲にも出てきますけどね。
 (それだけ風景が変わってるってことでせう)
 (土手といわずに岸だし‥生活感がまったくちげー)




|更紗木瓜鈴蘭水仙山吹と一気に小庭はなやぎにけり        藤枝市・文化協会短歌会(5-27)


 *更紗木瓜(さらさぼけ)

 *小庭(さにわ)‥小百合(さゆり)と読ませるのが定着してますから
  ズバリ、小さい庭と書いて(さにわ)の読みかなと。

 ‥これなら溜飲が下がると言うモノでーす‥


> にしても、これまた賑やかに盛られとりますなぁ
> たまたま自分好みの花を並べていて、ふと整った感じがナイスでーす。



1-7)4

|裏山に叢竹の啼くきしきしと春の嵐に胸の痛みぬ         藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|春嵐 叢竹の啼くきしきしと 裏山からさ 夜泣きのような


 *叢竹(むらたけ)‥群がって生えている竹。


 ‥裏山から聞こえてくるって、どんな感じなんでしょうかね??

 まぁその辺、まったくわからないのですが
 ‥「竹の秋」との季語があります。

 *竹の秋‥ふつうの樹木は秋に紅葉(黄葉)するが、竹は春に黄変する。これを、竹の秋という。
      筍に栄養分を費やすためである。
      逆に、秋には、筍が一人前の竹となり、若葉を茂らせる。これを竹の春という。

 ‥そこから連想して、「産声」もとい「夜泣き」かなと
 (かなり当てずっぽうです、申し訳ない)m(_ _)m


> ちなみに


 ‥ネタの「胸の痛みぬ」って、手術の痕が雨時になるとうずくとかって奴ですかね??
 その辺もよくわからないのですが、

 (「痛みぬ」では、いろいろと半端で、焦点が定まらなくなるニュアンスなんですよね)

 ‥単に、胸の痛みを詠んだだけなら、「裏山に」は、盛りすぎですっ

 そうでないなら、
 叢竹からの「痛みぬ」連想として、「夜泣き」でもそれほど的外れでも無いかもな‥



1-7)5

|透明な朝破りゆく鳥の声蛍袋の頬ふくらみぬ    静岡市・SBS学苑パルシェ教室短歌塾(5-26)


 *蛍袋(ホタルブクロ)‥キキョウ科の多年草。初夏に大きな釣り鐘状の花を咲かせる。


 ‥ネタは、上の句と下の句の絡みがまったく判りません。
 (只でさえホタルブクロの花なんて知らねえし‥)

 その辺、せめて花だって判るように置かないと、状況が飲み込めないんだからさ
 「頬」=「花の房」だなんて誰も思わねえス。(段取り悪すぎっす)

 ‥でも、上の句はそれなりに盛り方が面白いので、そこだけをリスペクトしてみました。


|透き通る朝の訪れ鳥の声 生きる喜び飛び回りをり


> 朝と言えばまず、静かな余韻に光が射してきて、それから鳥の声だよ
> 小鳥ってのは、どうしてあんなにも朝早くから元気なんだろうね?
> 春夏秋冬、忘れずにあんな調子だし‥ほんと
> 朝を迎えられた「生きる喜び」をカラダ一杯で表現しているみたいだナ




|新緑の木の枝飛び交ふ子雀の声もにぎやか親追ふ姿  焼津市・「菩提樹」小川短歌会支部(5-27)

|朝な新緑飛び交う子雀ら 声にぎやかに親追う姿


 ‥ネタは、打ちミスでも含まれているのだろうか?
 どうにも、下の句の無駄が気になります。

 ということで、改めて全体を確認すると
 「新緑」と盛ってあれば、「木の枝」は要らねぇだろうとなりまして

 ‥「朝な」か「昼な」かで、多少迷いましたが
 概ね午前寄りだし‥「朝」だろうと、斯様な手直しになりました。


> 新緑の時節にもなると、ますます鳥の声が賑やかだ
> 中でも朝の雀がそうだよね
> 家族で移動をしている様ともなると、ほんと和わしい


 *和わし(なごわし・なごはし)‥なごやかである。やわらかである。



1-7)6

|忖度は技あざやかな魔法の呪文梯子掛けたり外したりを見せ    藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|忖度に手じまい見せられ責めぎあう梯子外され物言う籠池


 ‥ネタを見て思ったのは
 やはり、もう少し踏み込んで具体的に盛るべきかなと
 でないと、ほめ讃えているようにも見えてしまうのです。

 ということで名指し風に仕上がりました。

 (まぁ安倍政権が崩落するよすがとしては、応援してますので)
 (せいぜい、黒ながらにも精悍な足掻きっぷりを見せて頂きたく思ってます)




|草取れば容易に抜けぬ草の意地抜かれる時は種をバラまく     藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|草抜かむ容易に抜けぬは草の意地 下に見られて抗うが


 *粋(すい・いき)‥ここでの意味合いだと、どうにも(すい)らしい。
           昔は使い分けていたようですが、今ではさっぱりです。

 (これは滝の発音が(たる・たき)の区別が失われたのに似ているかと)


 ‥上の句は、なかなか人生の参考に成るようなご意見有りですが
 ‥下の句は、どうにもやっつけ気味かなと

 草が足掻いているのは十分に伝わるので、
 そこをさらに、こんな奴だからと、一方的に愚痴を垂れこめるのではなく
 それはそれとして、自分にもあることだなぁと言う風に、ほめるべき所かと。


> どうにも、褒めるべきと愚痴るべきの区別が全然成っちゃいねぇように思われます。


 「嘘も方便」と言いますからね、
 ‥褒め方にも、愚痴り方にもコツがあるわけでーす。

 心に届かせるにはどうしたら良いかと‥考え続けていれば、自然と見えてくると思いますけどね。

 ‥そうなるには、もう少し客観的に相手を思いやる癖が必要かなと
 その判るようになるレベルの許容に、達していなさすぎるのが、現代人のセンスなんだと思います。
 もとい、暮らし向きか。空気か。


> ‥なにしろ


 書かれている文面がすべてと思い始めちまってるからな‥
 これもそれも、欧米化の流れなんだろう‥
 ‥やだやだ、日本の心はね、書かれていない部分を思わせるように綴るんだよ
 思い込んで下さいじゃなくて、そう思えるように俯瞰させるんだよ

 三十一音しかねぇんだからさ、俯瞰して味わないってのは

 ‥出されたメニューを見て
 ボクの好きなのが無いとか、嫌いなのが有るとか
 注文したのが、こないだの期待と違ってるとかな
 そんな所しか見えてねぇのは、お子様と同じさね。

 (なにが欧米化の正体かって、句作から見れば、それだけだよ)
 (同じ言葉が並んでても、同じ意味には成らないの‥それが俯瞰でーす)



1-7)7

たんたんと病うけいれ旅立ちぬ凜たる姿われらに残し       藤枝市・文化協会短歌会(5-27)

|道半ば病を土産と旅立ちぬ 凜たる姿われらに残し


 ‥下の句のフレーズが見事にあるのに対して
 ‥上の句は成り行きの状況がおぼろに伝わるだけです

 (言っちゃえば、ただの闘病なだけの趣です)

 (概ね病室で、寝込んでいただけでしょ、そんなんでは普通過ぎるのです)
 (ドラマの映像にしようと思ったら、まったくの役不足です)

 普通とは違うとしての趣が欲しいわけです。
 ‥そうでないと下の句の意図せんとするバランスに釣り合ってきません。


> まぁそれでも


 手直しは手直しで、「土産(みやげ)」表現では、狙いすぎてる嫌いもやや見られますが、
 学習の一貫として、比較がてら置いてみました。





独り居の媼施設に行きにけり柿の若葉の萌黄目に沁む       藤枝市・文化協会短歌会(5-27)


 ‥下の句のフレーズがなかなかの着目ではありますが
 上の句とのバランスとを比べてみますと、どうにも「あれれな空気」を醸し出しています。


> やれやれ、婆ちゃんの世話もあとは施設に任せりゃ好いし
> これでようやく、多少は羽も伸ばせて、柿若葉の萌黄やら身近な風情を味わえるというモノだなあ


 ‥ということです。
 どういう了見で、こんな形に整えちまったんでしょうかね??
 しかも新聞に載せるの前提なんすよ。

 (信じらんねぇ)

 ‥当人だって静岡新聞ぐらい読むんだろう。


|独り居の楽しみ探す老いの際 柿若葉の萌黄目に沁む


 ‥婆ちゃんが、斯様な独り居ぶりだったなら、そりゃ、ムッとするでしょうね。
 (その点では、嫌味にしか映りませんから)


 *老いの際(おいのきわ)‥老らくの日々・日常・ひねもす(終日)ぐらいの意。
              (いつ死ぬかわからないぐらいのしんどさをやや含む)


> 老いの独り暮らしと言う奴は
> どうにも楽しみを探すのにもカラダが伴わないせいか
> 若い頃は何とも思ってなかった‥たたの柿若葉でさえ魅力的に見えてくるモノです
> (ああ、もう少し健康にもカラダが動けばなぁと、その青々とした姿に思い入るばかりです)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:57 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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