2017年06月09日

【哲学】魂を売らない自由

↓3)記稿.2017/06/09

「先輩、やっぱ『万歳突撃』って、意識高い系っすよね?」
「はぁ?、お前何言ってんの‥」
「はぁ?、先輩こそ何言ってんすかぁ!?」

「・・・・」

「いやぁすまん、まずは意見を聞こうじゃないか‥」
「まぁ、ズバリいちゃいますと
 当時の日本には、まだ『魂を売らない自由』があったんすよ
 それがどうです‥平成の世にもなるとそれがサッパリ無くなってるんす
 この状況は、意識高い系の俺っちにとって忌々しき事態であって
 まさに、意識の高さを見せるのにまたとない時代色だと思うんすよね」

「で、お前は何をやるってんだ?」

「だから魂を売らない自由を貫きたいと思ってます」

「だから具体的にそれは何だ?と問うているのだが‥
 そこから先の具体的なイメージを携えていなかったのが当時の一兵卒たちだ
 なにも携えていないなら、またそのままに、飛んで火に入る夏の虫だぞ
 ‥お前が、そのかつての日本魂を売らない抗いの気概に共感しているなら尚更だな」


|くろがねを磨き上げても夏の底 無念の果てに奪われき
|魂を売らぬ自由ぞ冬の峰 己を通せゆえに見る剣


 *剣(つるぎ)



1-3)1

「でも先輩、そうだったからこそ、あそこまでの無茶だったと思いますよ
 今の時代ともなると、すっかり主体性云々ですからね
 お互いにしたき事があっては、あすこまでの万歳突撃の繰り返しには至らなかったと思います
 つまり、意思統一としては、無理に主体性云々を求めても逆効果でもあるんすよ」

「ちょっと待て、それじゃ今の時代、守るべきも守れんだろうが!?」

「だからこそっすよ
 魂を売らない程度の情報の取捨は欠かせませんし、何よりも
 主体性なんてことよりも、今や、いつでもお互いに一丸となれる距離感の模索がテーマなんです
 でも、お互いに、頭ごなしに絶対資本発想っすから、まずはそこからの解放が欠かせないんす」

「‥なるほど、でもまぁ、難しいだろうな
 かりそめにも平和と思えば、勝手気ままが人の性分だからな
 それに‥どうしたって、共通した危機意識が伴わないと無理だろうし
 そのそもそもの前提が、当時は、列強とのせめぎ合いだったんだからな
 ‥それが今やカネの争いだからな、得しそうな方を応援するだけだぞ
 解放もなにも、誰も彼もがお得次第が関の山だ」


「だから、そういう空気を『魂を売る自由』ってんすよ、
 『魂を売る自由』には前向きで、『魂を売らない自由』には後ろ向きなんて暮らし向きは
 本当の意味で、自由ある社会だなんて思いません」


「まぁお前の言いたいことはわかるにしてもな‥
 それってつまり、常に『危機意識と共に暮らしましょう』って意味にも取れるからな
 どうにもそそらないというか、もう少し甘い汁を見せないと誰も寄って来ないだろうな」

「‥なにを言ってんスか
 この宇宙時代のどこに、保証されて鼻提灯垂らしてられる世界があると思ってんすか??
 それでなくても、地球環境の激変期に突入の様相なんすよッ」

「じゃ、アメ玉はどうする?
 すっかりお前の物言いを聞いちまうと、もはや自由なんてクソ文句にしか聞こえてこねえからな
 自由以上のインパクトをアメ玉にしないと無理って話だぞ
 相当に確かなアメ玉にないと、大衆は、一丸になんてならんしその重い腰を上げんぞ
 ‥それこそ、浮ついた腰なら爺でも色めき立つけどな」



1-3)2

「だからこそ、ベーシックインカムっすよ
 従来的に、魂を売らせてきた側が、損して得とれの向きで
 その権利を少しばかり緩めりゃ好いんすよ
 どうせ今の時代にしても、過半数の庶民は‥王様により統治‥
 ‥もとい、裸の王様に支配されるような人間性しか培っちゃいませんから」

「‥そうだな、大衆なんざ馬鹿公平さを王様の理想に思っていても
 その実、『馬鹿公平さとは何か?』の具体的な視野・指針を日々日常的に考えちゃいないからな
 その代わり、いざテメエで決められる立場に立とうなら
 途端に仲良し小好しの不公平しか考えねぇわりには
 テメエに示された次第ともなると、『不公平だ』としか口にしないのが相場だ‥
 社会競争だの民主主義だのと、もっともそうに思い込んでも
 根っこは何ら変わらずに腐りきったままさ‥
 折角頑張って手に入れた立場なんだから、それこそ貪るのが自由と言わんばかりだからな」


「‥そこで、昔から宗教が担ぎ出されてきた」


「おう、それだよ、よくわかってるじゃないか
 万歳突撃を担いでくるから『あれ?』って、もやもやしたけど、解ってるじゃねぇか
 ‥じゃ、その世界でも一番の宗教が、一神教で、どうにも人間を屁にも思っちゃいねぇのに
 人類の多くが、如何にその不公平且つ神の身勝手にあろうとも、愛だと叡智だと
 無知にも有り難がってる矛盾が、如何に滑稽にあるかってのも解ってて
 万歳突撃を敢えて持ち上げて来たわけだ」

「勿論っすッ
 日の本は、多神教っすから、誰の為に死ねるかの自由の尊重が根付いて来たんです
 それがどうにも一神教文化圏に侵されて、骨抜きにもカネの為が定着気味なんすよ
 実に嘆かわしいったらありゃしませんよ

 {誰の為に死ねるかの自由}={魂を売らない自由}={自立}≒{お互い様}={和}

 ‥ということなんすから
 それこそが、『武士道とは、死ぬことと見つけたり』の本懐なんす
 日本人として、そこを表現できなくなるってのは、ふざけるなって事です」



1-3)3

「‥だよな
 つまり、一般大衆の改憲派でも、共謀罪にまで賛成しているとは限らないのに
 安倍は手順を見誤っちまったって事だな」

「そのうえで、もりそば・かけそば騒動ですからね
 自民党による独裁を予兆させるばかりっすよ」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:10 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする
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