2017年06月09日

【勝手句帳】114 29-6-2/6-3 静岡新聞掲載分から

↓8)向宜詠吟.2017/06/09

|特攻機母への遺文散る青葉           沼津市・するが俳句会(6-3)

|青葉散る特攻機の兄 遺文きり 慰めのはず‥九条が‥


 ‥ネタはどうにも三段切れの様相です
 ここは誰宛を示すよりは、誰からかをきっちり示すべきです。

 (どちらかというと‥顔を見たこともない父のような気がしないでも‥)
 (でも、顔すら朧の存在では、引っぱりにくいので兄にしてみました)


> まぁこの先の九条がどうなるかなんて分かりませんけどね
> ずるずるやってるのも国会の無駄遣いのようにも見えてしまうと‥


 ‥表記の決着を付けんとして、無駄にツッコむだけが戦後政治ですから

 (毎年平然と自衛隊予算を付けといて、それ以上になにを欲しているかです)
 (戦争商売したい真っ黒が多いと言うことです)
 (それの先導役が自民党なのは、自民党草案を見れば明らかです)
 (自民党が米国の戦争に真っ向から反対している文言を聞いた試しがございません)
 (そんな連中は、好戦的なだけで、ちゃぶ台返しも平然とやってのけると)

 ‥だったら、隙のない表現を足しておくのも、知恵としての選択肢でもあるかと
 とはいえ、様々な思惑が絡んで来ますからね、やらないのも選択肢ではあります。


> 戦争が本格的に企画提案されるリスクを考えれば、馬鹿のマンネリ&ネジレのなんと涼しい



1-8)1

|枝ぶりは風に任せて若楓            浜松市・えぼしやま俳句会(6-3)

|枝ぶりは風に任せて若楓 師範の言葉 恩義を胸に


 ‥その昔は個人の才覚よりも
 組織の間柄や規律の中に「礼」が見られたので、それでもよかった。
 派閥は有っても、それほどに強引では無かった。

 相対するべきは内より外との一体感があった。

 ‥ところが、黒船辺りから事情が一変している。(なぜか外重視、内分裂)


> 戦後に至っては、それが選択の自由と解釈され
> 平成に至っては、スキルに繋がらないようなら糞扱いに置かれる‥


 ‥そこん所の優位を得たいとばかりに、リスクを嫌い
 カリスマ、ブランド、ネームバリューに飛びつくばかりだ。

 恩義の姿勢が失われつつあるというか、まず、箔が無いと誰も寄りつかない。
 ‥その箔の意味合いが大きく変わっている。(絶対資本体制だからな)


 ‥将来的なレールが見えて来ないのではまったく寄りつかない
 つまり、にわか先生は不要なのだ。まずは輝ける未来が妄想出来るかどうかだ。

 (知り合いだから‥地元の出身だから‥程度では及びでない)
 (騙されるにしても、まずはネームバリューからなのである)

 ‥逆から眺めると
 地域色など眼中に無く、お互いに見やってるのはランキングでしかない。

 自らの縁らしさをすっ飛ばして
 頭ごなしにそれでは、「礼」なぞ身につくはずも無い。それこそ絶対資本体制だ。


> 誰にまず恩義を学ぶべきかと言えば、それこそが故郷にある。足下だ。


 ‥されど今や、田舎が同じな訳でも無く
 たまたまそこに居合わせただけの縁程度に、さほどの思い入れも宿るわけも無いので、
 昔ほどの猛烈な一体感が培われることも無い。

 そこに見られるのは、せいぜいが人の良さぐらいであって、本音で腹を割るような間柄では無い。
 (利にならないなら、行政まかせ仕組みまかせの空気が漂うばかりだろう)


 ‥そもそも
 いつもニコニコしているわりには、腹が据わっていて、食えそうに無いタイプ先生ってのは
 人間としての基本を学ばせるところに重きがあったのであり、技を伝授するところには無かった。

 今の時代は、そこの人間形成をすっ飛ばして、技にしか注目が無い。
 (まぁ概ね、ゲーム文化・大会文化の影響だろう)

 ‥とはいえ、そこから先は、「自由におやりなさい」は概ね変わっとらん。
 (今や恩義を汝の人生に如何にして創出するかもひっくるめて、その人の自由&器量と言うことです)


> ネタの詠みは
> そこの「自由におやりなさい」の趣としての「若楓」の向きが、良い感じだなあと思いました


 ‥「楓」ですから
 身につけて(色づいて)散るも自由に見えてくるのです。

 感謝の気持ちが強ければ、かつての士なら郷里の為にも刃を交えたと‥
 今の時代の感謝(恩義)はどこにあるのか?‥でしょうね


> ‥簡単に海外で働きましょう‥ですからね。


 (何であろうと、まずは里に還元するのが筋に成って来るのです)
 (住めばそこは郷里も同然です。間に合わせだからとか関係ありません)
 (出張だからと高を括っていては、ろくな事に成り兼ねません)
 (述べるまでもなく、売ったらお終いとか、そういう話では無いのです)

 ‥そこそこいい人を演じておいしい思いだけして戻ってこようとか
 そんなのは、観光気分もとい、よそ者発想でーす。

 (現地の暮らしを軽くにしか見ていないのなら、そんなのは失礼なだけです)
 (外の方がスキルを積めるとか、お得だからなんて志では不遜にしか成り得ません)
 (テメエの都合しか頭に無いのでは、他人行儀の空気なので、逆に軽く見られるのです)
 (その程度の人間関係しか掴めずともなれば、やり直しを求められるのがパターンです)
 (言葉がろくにわからないなら尚更です)

 ‥フレンドリーになるのが目的に無くとも、人としての姿勢は普通に求められるのです。


> つまりは、散らすのが本質になってきます。
> 夢を咲かせるのではなく、よろこびを色づかせて置いてくる感覚です。


 ‥そのよろこびの色合いに
 恩義が有るか無いかなの違いが大きいのです。無いままなら「よそ者のまま」と言うことです。

 (上とか下とか、善とか悪とか、そんなことにしか意識が向いてないようでは)
 (よそ者扱いされるよすがにしか成らないと言うことです)

 (ゆえに、望まないところには近づかないのも「礼」としての心掛けなのです)
 (又、無理強いはよろしくありませんが、避けて通れないこともあるわけです)



1-8)2

|トロッコ車桜吹雪の中走る           焼津市・矢車俳句会(6-3)

|トロッコや桜吹雪のさなか抜う みやびぞ続く廃線のしじま


 ‥トロッコ自体に、貨車の意があるので「車」は不要かと
 ‥トロッコはレールに沿ってのみの移動なので、「走らないトロッコがあったらもって来い」っス

 ということで

 *抜う(ぬう)‥「間を縫う」が本則だが、
   桜吹雪のタイミングやら距離感が見えて来ないので、一箇所ごとの桜吹雪を抜いていく趣です。
   まぁそれにしてもトロッコを漕ぐともなると、自転車ほどにスピードは乗らないと思います。
   傾斜があればそこそこに乗ってくるとは思いますが、そんな感じかなと。

 *廃線のしじま‥「廃線の風」と盛りたいところですが、
   どうにも赤字路線の廃線ラッシュを思い浮かべてしまうので、
   廃線の人気なさをくぐっていく趣として「しじま」を盛りました。(静けさの意)


> ‥こういうのは、カネを払っても誰もが体験できる瞬間では無いので
> 全方位カメラ装備で走ってもらって、ネットにアップしてもらえれば有り難いでーす





|桜花枝ごと揺れて怪しげに白く浮かべり朧月夜に         掛川市・なでしこ短歌会(6-2)

|妖しげに桜の白く浮かぶよう朧の月の顔出す度


 ‥情景はどうやら、夜風が吹いている趣で
 時折、夜桜が、月明かりに照らされて、浮かび上がって見える様子にあるようです。

 それなら

 朧月の方の雲の流れを絡めて詠みゃいいじゃん。
 じゃないと関連がわかりづらいというか、気がついていねぇオマヌケにしか思われないぞ。

 (‥どこ見てんねん、ライトアップ前提かいっ)


> ライトアップ馴れを引き算しないのでは、
> 本来の魅力が浮かんでこない良い例かと‥(着目は好いのに、残念)



1-8)3

|お花見の桜ふぶきにつつまれて幸せいっぱいこの齢でも        藤枝市・合歓短歌会(6-2)
|はらはらと桜花びら散りそめてまた風吹きて遠くまで舞う       藤枝市・合歓短歌会(6-2)
|休日のパーキングにて花見の宴かすむ山々樹々越しに見て       藤枝市・合歓短歌会(6-2)



 ‥まぁどうやら
 連れだって花見に出掛けた趣の三句が並んでおりまして
 ここは、まとめて名句に仕立ててみるかな‥となりました。

 それにしても、ネタ3はパッと見でわかりづらいでーす。

 花見だってのに「樹々越し」では、どうにも葉桜想定に様変わりしてしまい余計です。
 ‥それを言うなら「垣越し」あたりかなと。(石垣連想)


|遠くより散り交う花山酌み交わす 今ここにまで花吹雪くらむ


> 山にまで行く暇も無いので、このまま庭先で、目の前の花山丸ごとの花見と来たもんだ
> かなり物足りないけど、酒を酌み交わす乾杯を挙げれば
> ここにまで、花吹雪が舞い来るかのようだなぁ



1-8)4

|青葉蔭くぐり登れば前に富士          沼津市・するが俳句会(6-3)

|青葉蔭くぐり来たれば富士と笑む 向こうの空もハツラツとして


 ‥着想は好いのですが
 「前に富士」では味気なさすぎです。そこは、粋を利かせる所でーす。

 粋を利かす上で欠かせないのが、溜(ため)です。

 「登る」では、息切れしているようにも思い浮かべてしまうので
 そこで「来たれば」として、軽く余裕を誘っておくのです。
 ‥気持ちにも体力にも余裕があると、笑顔もことのほか爽やかに顔に出るというものです。




|声とばし青葉の風やバーベキュウ        沼津市・するが俳句会(6-3)

|声とばす青葉の風やバーベキュウ 肉汁のどごす度の「まいうー」


 ‥川原などをはめ込みがちの所
 爽やかに「青葉の風」と攻めているのが、美味しさをそそっています。

 ‥となると
 「声を飛ばす」様子とは何だろうかと気になりまして
 そこに添うように引っぱってみたところ‥「まいうー」との味悦になりました。


> 多めの字余り(引っぱり)も、ボリューム感&おかわり感を誘っているかのようです。



1-8)5

梅雨兆す重くなりたる半紙箱          長泉町・ながいずみ俳句会(6-3)
|川底に揺るる葉の影夏兆す           焼津市・矢車俳句会(6-3)
|野も山も大き膨らみ夏兆す           焼津市・矢車俳句会(6-3)



 ‥「兆す」は春先を示す季語ですが
 なにやら色々と盛ることで、言葉の広がりを模索しておるようです。


 ‥ネタ1は、それの喩えとしてはやりすぎに思うも、使い所としてはズレてないと思います。
 ‥ですが、ネタ2とネタ3は、どうにも疑問符です。

 そこに、青々と茂っていたらもう夏なんです。
 「兆す」のそもそもの意が、まだつぼみの頃を指しての次第です。
 なのに、葉がすでに青々としていては、夏兆すの兆したる意に適っていません。


 ‥「夏兆す」を初夏のつもりで詠まれようと、「青葉」「若葉」の分類にしても夏です
 ‥さすがに晩夏の手前辺りから「万緑」なんて切り替えて盛るにしても
 初夏を以て、「万緑」を盛ってもそれほどに違和感になりません。
 言葉の許容がそれぞれに出るにしろ、
 「夏兆す」では、前提とする夏の手前たる印象が、人ごとに違いがありすぎるように思われます。


> なので、概ね「夏兆す」を盛るには、
> 青々とした意外から、夏の兆しを探してくるのが筋になってくるように思いまーす。


|夏兆すアスファルトの地揺るるかな 梅雨入りさえもして居らぬのに
|夏兆す屋台の並ぶ明日かな ゴミ山ラッシュに呆れる夜
|夏兆すバットスイング問い直す 所詮はメガホン係でも


 ‥リ着目の「アスファルト」は
 三十一音だから形に成ったように見えていますが
 十七音では幾分厳しいものがあります。
 それは、ずばり夏そのものにも見えてしまっているからです。

 ‥斯様にも、季語としての「なになに兆す」は、ポカしやすい傾向でしょう。



1-8)6

蒼天へあけぼの杉の新樹光           浜松市・えぼしやま俳句会(6-3)
仰ぎみるあけぼの杉の新樹光          手直し



 *あけぼの杉‥メタセコイア(形状がイトスギに思えるが、まったくの別)

 ‥ネタは「蒼天」が春の空を指した言葉で
 季語が「新樹光」と初夏の向きで、段取りがにわかハッキリしないところに
 六音もの単語を盛っても、なにを言わんとしているのかが今ひとつです。


> それを言うなら「昊天、夏の空」の向きに思いますが、
> 思いっきり季重ねですし、何より、初夏の趣を以て夏が来る気配とか「新樹光」に失礼です。


 ‥と言う見られ方にもなってくるので
 「蒼天」を掴みにするところからして、失着に思われます。

 (言いたかったのは、手直し辺りかなと)


|下校路や一本松の新樹光 俺を待つ影ありきよろこび


> よう来たのう南中のッ
> そっちこそ、よう逃げんかったのう北中のッ、うれしいぜ(ふふふ)




|豆腐屋の笛近づくや初夏の夕          焼津市・豊田句会(6-3)

|豆腐屋の笛近づくや青き夕 涼しさ誘う幟の通る


 ‥「初夏の夕」がどうにも字余りです
 だからといって「夏の夕」では、夕涼み連想に近いので
 豆腐屋としても商売上がったりでーす。

 どちらかと言えば、その時間ともなると、ラーメン屋台のチャルメラです。

 ‥と言うことなので「青き夕」で盛ってみました。



1-8)7

吹かれてはあえなく消えるシャボン玉      静岡市・アンジェス長田川柳会(6-3)

|吹かれてはあえなく消える夢色玉 ブラック企業の若手捨て


 *夢色玉(しゃぼんだま)


 ‥ネタは、何気なく見過ごしてしまいそうな一句ですが
 発想を変えて、引っぱってみました。

 それにしても

 ‥夢見すぎ、期待しすぎにも
 どのぐらいの忙しさを想定して職を選ぶのかが、空気としてまるでわかりません。
 若手の御期待通りのマイペースなんて、所詮、競争社会を前提になんて成り立ちゃしないのです。

 (農耕社会でも、生きていけないでせう)


> ぶっちゃけ


 ‥消費のサイクルも短くなっているわけでして
 それはそのままに雇用の使い捨てにも跳ね返ってくるのです。

 (まずは、自分たちの飽きっぽさを自覚すべきかと)


 ‥それにしても
 ブラックの流れを担ったのは、昭和バブル期頃の厚遇を受けてきた世代です。
 そんな連中が、素知らぬ顔でやらましてたわけですから
 感謝の「感」の字も、恩義の「恩」の字も携えてねぇというのが実情だったと言うことです。

 ‥それを親に見て育ったのが、今世代の若手ぐらいになりますか‥

 飽きっぽさと言うよりは、好奇心に堀を見せている世代と言うことです。
 そこを埋め戻すためにも、家と仕事場を往復するだけが前提では、息苦しさを思うのは当然です。
 ‥日常の変化を見ずに生きようなら、それこそ、無関心のススメと言うことです。

 (親世代の二の足は踏まねぇ‥そんな風が吹いてると)
 (でも、お花畑にしか見えてきませんけどね)



1-8)8

|花びらの浮かぶ間よりのぞき赤き背鰭は悠然とゆく       掛川市・なでしこ短歌会(6-2)

|花いかだ甲羅を担ぎ悠然と 八千代の威を借るうそぶくミクス


 *背鰭(せびれ)、甲羅(こうら)

 ‥ネタの趣は、どうにも亀×→鯉○だと思うんすけどね??
 打ち間違えなのかよくわかりませんが、
 それもまた一興ということで、花筏の印象にうまいことリ着目しました。

 ‥まるで

 インカ文明の歴代王ごとのミイラの御輿担ぎに見えてきちまいました。
 インチキ経済の御輿担ぎも、なんだかんだとそれと変わりないと。
 ‥ミイラでさえ大マジで担げるほどなんすから
 自分の利に成ると思えば、そりゃ、それこそ馬鹿にも「嘘」が止められないって事ですな。


> それが人類の程度ってことです。
> 過去を非文明とか野蛮とか愚弄するほどに‥自覚があるよな無いようなと‥




おもてうら診られ泣く子よ鯉のぼり       沼津市・するが俳句会(6-3)

|おもてうら診られ総理の鯉のぼり 呆れる程になにをアピール?
|おもてうら診られ泣く総理よ鯉のぼり 凪いでは泳げぬまつりごと


 ‥ネタは、風邪でもこじらせたか、咳でもコンコンしてか
 小児科で聴診でも受けてる所なのでしょう。

 で、それだけのことで、ピーピー泣きだしたと。

 ‥それだけで泣きだす理由が、まるでわかりませんが
 その様子に、「鯉のぼり」をご覧なさいとして、盛り合わせているのが達者な印象です。


> ‥で、加計問題にまで及んだ安倍総理に掛けてリ着目してみました


 ‥「泣く」を盛った方がより印象が濃くなりますが
 リ着目1は、下の句との兼ね合いを考えて削りました。
 リ着目2は、「泣く」を盛ってみました。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:12 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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