2017年06月18日

【勝手句帳】116 29-6-10 静岡新聞掲載分から

↓9)向宜詠吟.2017/06/18

|一瞬の風にさざ波花吹雪          焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 ‥ネタの「さざ波」をどう解釈するかです
 花吹雪とて横から風がさらに来れば、更々とせずに、乱れるのです。
 風によっては、一瞬にして向きが反転することもあるのでしょう。
 それの趣を「さざ波」と詠んだように思いました。(見たことねぇ)

 ‥十七音では、それでも落ち着いていますが
 引っぱるとなると、幾分脚色しないことには弱いかなと。


|一瞬の風で逆浪 花吹雪 まさに見る不退転のきわ


 *逆浪(げきろう)‥さかまく波。さか波。また,乱れた世のたとえにもいう。
 *不退転の覚悟で臨む(ふたいてんのかくごでのぞむ)
  ‥何があっても挫けず、決して屈することなく突き進むという心構えを以て事に当たる意。


> 人生という奴は、胡坐を掻いて桜吹雪なんぞをのんびりと眺めていたいものだが
> どうしたって想定内の風ばかりが吹くわけではない、時には逆浪にも見舞われることもあろう
> そんな時こそ、不退転の覚悟が試される時だよ
> (散る分には同じことだろうとか‥そういう事では無いのだ)




|豪快に紫の滝藤咲けり           焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 ‥「紫の滝」着目は好いにせよ
 そこからは繊細さの欠片もない。

 「豪快」「咲(き)けり」‥どうにも「紫の滝」の余韻を勘違いしている。

 ‥まずは、「滝」なる意を打ち消して
 「藤」の色合いであるとする繋ぎが欠かせない。

 ‥「豪快」では逆効果で
 「藤」の趣と言うよりは、これから咲かせる空気に見えて来る。
 静けさに誘わないのでは、どうしたって鑑賞と云うよりは宴会だ。

 目の前の見事を前に、息を呑むぱっと見ではなく
 食い入るカメラパーンなりズームが欲しいところのはず‥


|紫の滝に垂れこめ藤たわわ 雅の袖に支えぞありき


> 見事な藤だ‥紫の滝を垣間見るが如し
> これほどの雅にして、決して個では成り立つことがない
> 藤の見事は、実にそこを語りかけてくるようだ
> かつての栄華を極めた藤原一族にしても、京の文化と藤の如くに向き合っていたのだろう
> それこそが庶衆の支え無しでは、成り立つことがなき雅の袖としての藤(藤原)ということよの


 ‥ベタ褒めしている注釈にありますが
 現代にまで残って来たわけですから、そこは多少大げさでも、藤の解釈として不満は無いと思います。

 (まさに、官民一体の共存共栄の象徴としての「藤」に見えてきまーす)

 ‥でも

 藤の棚が渡来文化で、藤の植物性が寄生種で、種だけが土着という
 かなり異色に思えるにせよ、
 現代の欧米かぶれと、あまり変わり映えございません。傾向はさして変わらないのに、
 「平安」と「平成」では、まったく違って見えるのは、どうしてでしょうか?


> やはり、自然への敬意があったかどうかに他ならないように思います。


 ‥自然の営みを穢してそしらぬ顔では
 大いなる支えを足蹴にしているも同然‥それが現代社会の不敬にあたるわけですから
 その花が、枝が、保たれることなく朽ちるのが道理の途上かと。

 (そうだから‥それが逆に、寄生種さながらさとして際立って見えるのだと思います)


> ‥「誰が?」って
> そりゃ紛いなりにも国民主権なんだから、現代日本人の総意ってことになるよね



1-9)1

|脱ぎ捨てて風に光に蛇の衣         焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 *蛇の衣(へびのきぬ)‥蛇衣(へびきぬ)を脱ぐ/蛇皮を脱ぐ/蛇の脱け殻
  ‥蛇が脱皮すること。最も活動的な初夏に脱け殻を見ることが多い。


 ‥「蛇の抜け殻」を詠もうという発想自体がよくわからないのだが
 目の付け所としては、ありなのでしょう。

 しかし、どこに詩情を見いだせているかはまったくわかりません。
 (詠めないのも癪なので、陰謀論絡みで捻ってみました)


|皮を脱ぐ蛇は歴史に謎残す 惑わすゆえか窺うゆえか


> 有史以前より聖書の蛇のような妖しき存在が居る‥
> 彼の者らは、誇らしげにも自分たちの痕跡を示さんとしているかのように、歴史に謎を用意する
> それにどんな意味があるかなんて知らないが、翻弄されているのが人類であり
> 近寄ろうとすれば呑み込まれかねないのだ
> (彼らが謎を残す時、それはきっと、次なる企てに手を染めての事なのだろう)




|文明の灯りにが削られる         牧之原市・細波川柳


 ‥ネタの着目を面白いと思うかは、分かれる所かと
 物理的に見れば、そのまんまを述べているに過ぎないからです。
 (十七音では、厳しいかと)


|文明の灯りにが削られて 安まる気持ちも削られており


 ‥斯様に引っぱると、途端に面白くなるわけです。


 ‥「夜」か?「闇」か?
 「夜を削る」解釈だと、
 意図的・主体的必要にも批判を盛ることになり、宜しくありません。

 そこで、似たところで「闇」ということになるわけですが

 ‥心の闇が削られるのは、よろこばしいことで
 困る事なんてないはずだ‥そんな問答に誘われることになります。

 (環境面でツッコめば、闇が深まるばかりにも見えてもしまうわけです)


> で、どう考えるかです。
> そこの考えをしっかり持てないと、整ってきません。


 ‥そこで、逆説です
 闇が訪れるのが真理なら、闇が宇宙の構成要素なら、
 闇を表に晒すばかりでも、拠り所は確保されない‥ということになります。

 その逆も然りです。

 ‥つまり、闇雲に
 光を強くすることを求めても、真実の公開を求めても
 心が伴うかは怪しいのです。

 (環境面で言えば、放置しとけば勝手に回復を見せるわけですし)


> とまぁ、言葉選び一つで哲学ができるようになると
> 先生要らずになると云うことでーす。




答えを教えるだけの師は要らないが、語り合える謎を持ち込む友は必要だ
ガチガチの正論などに興味は無い、なぜなら、私は考えるべき対象を料理し盛り付ける詩人だからだ
理に適っていないなら誰の心を振るわせることも無いだろう‥自由の輝きとてその様なものだよ
闇に呑み込まれても、何だろうと、探しだす事への悦びを失わなければ何も怖れることなど無い

「私とは何か?」と問われたら、それは「空(くう)」なのだ。闇でも光でも男でも女でもある

「空(くう)とは何か?」これを会得することが困難なら‥私たちは存在し得ないはずだが‥
「私はすでに在る」‥問題は、私を持続させずに誘惑されがちな所にあるばかりというそれだけだよ
「私の前に雲が立ちはだかる」‥さあ答えよ!その雲はナンセンスなのかね?エレガントなのかね?
自分の迷いを手本にならないからと否定していては、とてもとても他人を見る目なんてあるわきゃねえ
その前に、志が湧いてこないってのもどうだろうね‥「私」なんて見えてませんてことだから

誰にでも「空」は訪れて在る、「空」に転じてより何を得ようとしているかだけなのだ


|多数派の空(くう)が転じて雲と化す お互い様だよ浄めるが生(せい)



1-9)2

|したいこと山ほどあってまず昼寝      牧之原市・細波川柳

|したきこと山ほどあれどまず昼寝 夢うつつにも夢見た老後


 ‥どんなに頑張ろうとも睡魔には勝てません
 歳を取る度にそれにハマるのです。(個人差はあるでしょうけど)

 若い頃に頑張って、老後は年金生活でラクができる‥なーんて、考えていたなら

 それこそ‥ご希望道理の夢見た老後です。もとい、夢見さなかの老後暮らしです。
 (睡眠障害などで個人差あるでしょうけど)


 ‥でも、それで時間が著しく過ぎていくのも老いの悩ましさです
 ‥適度な睡眠は欠かせませんが、寝てばかりでは、衰えも早くなるのも老いなのでーす




|老いの背にひしひし迫る浮世風       牧之原市・細波川柳

|老いの背にひしひし迫る浮世風 アレもできねえコレもできねえ


 ‥健康であれば何よりですが
 あちらこちらがガタついてくるのも老いです。

 結局は、したいことの半分もできない勘定になるのです。


> 総括してみれば


 高齢者が沢山おられる内にガッポリ稼いでおきたいのが、医療業界です。
 そして医者になれるのは、超エリートではなく、富裕層だけです。
 ‥これでは格差社会に強制賛同の構図そのものです。

 (高齢者は、暇つぶし半分で、医者通いをしている場合ではありません)


 ‥教育の完全無償化は最優先課題なのに、誰もここの矛盾にツッコまないのでーす。

 若い内に人生を見定められる自由こそ、教育の無償化です。最低限度の必須事項です。
 (どうせ、詰め込みタイプのテスト向け&資格向けの中身にしかありませんけどね)
 (まぁ無償化ならそれも有りでしょう。学びの本質は独学ですから)


> そしてその時思い知るのです


 ‥稼ぐには、富裕層を相手にしないと成り立たないことに‥そして
 その争いに勝つには、インチキがある‥もとい、富裕層同士の顔なじみがあるばかりだと。

 ‥その結果、疎かになるのが、下々を相手にした商いです
 ‥見てご覧なさい
 私たち庶民の自由が謳歌できていないのは、考えが足りず、不公平にハマったままだからです。

 ‥自分たちでさえ、商う先からして
 (庶民としての用を)優先順位を下げて後まわしにしていては、お話になりません。



1-9)3

晩鐘に浸るしばしの端居かな        静岡市・木蘭吟社

|晩鐘に浸るしばしの端居かな 去りゆくけふを弔うよう


 *弔う(とむらう)

 ‥ネタの詩情は、ごく普通です
 よく描けてはいても、十七音ではもはやそこまでです。

 (そこで、その奥を明かさんと引っぱってみました)


> 晩鐘も家の前になんて時代にも成ると最悪だが
> 程ほどの距離にあれば風情そのものだ
> そんなことを思いながら、縁側で晩鐘の聞こえ来る余韻に浸っていると‥ふと思った‥
> ああ、そうか
> 晩鐘も思えば仏教だからな、今日というその日をその日毎に供養しているようなものか‥


 ‥「かな止め」と「よう止め」
 +七七の都合から、この二つが組み合うことになり、意外な面持ちです。
 (上の句が整いきっているので、いじるのも野暮なので、そのままに据えました)

 ‥それにしても
 「まぁこんなだなぁ‥あ☆そうゆうことか‥」
 なーんて詠みっぷりでは、独り言過ぎる印象です。(初めて見たかも)




花は葉にまた人として生まれたし      焼津市・宇宙蕗の薹俳句会
|清流に乙女の祈り水芭蕉          焼津市・宇宙蕗の薹俳句会



 ‥ネタ1の意図がまったくわからず
 隣に、ネタ2が並んでまして、「水芭蕉」で検索してみたところ

 水芭蕉の花びらが、実は、葉っぱの変形した姿()ということからの着目になるようです。
 水芭蕉のそれを仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ぶそうです。
 (‥それにしても理解できません、なぜそこで「人」が絡むのか??)


 ‥ネタ2の「清流」がわかりづらい
 尾瀬が前提なら、そこは「清き瀬」かと。


|清き瀬に乙女の祈り水芭蕉 若葉のひたむき苞として


 ‥水芭蕉の咲きっぷりを知りませんが
 葉の変形なら、その見映えの白さは‥只の花びらより長く保って咲くのでしょうか??

 ネタ1のニュアンスを噛み砕いて、
 ネタ2に添うように、若葉の強さ・ひたむきさを連想してみました。
 (チョロいような乙女ではそそりませんからな)


> ‥自分で引っぱった気が全くしませーん(ほぼ誘導され感あり)



1-9)4

諦め切れず未練の蛇口ポトポトと      浜松市・浜松川柳クラブ


 ‥目の付け所が面白いのですが
 言葉の余韻が醸し出す味わい(連想)を欠いています。

 これでは、賞味期限を押してコーヒーを勧めているようなものです。

 コーヒーを味わうにしても、豆は、明かしてこそなわけですから
 何に「未練」が向いたかをキチンと示すべきです。


返済や未練の蛇口ポトポトと 三年経てば古めかしくて


> あーあ、ローンを組んでの返済という奴は
> 手にした時点では、うれしさが込み上げてくるものの
> 毎月の支払いがいつまで続くのかを思うと
> どうにも、蛇口が漏れ出た台所の気分だよ
> それでいて、支払いを終える時分には、すっかり過去の産物だ
> これでは、いつまで経っても返済が終わらないじゃないか‥(また欲しくなるばかりだ)
> 三年で進化を遂げる技術革新は、ハッキリ言って、未練を曳くのに絶妙の蓄え知らずだな‥


 ‥経済学に「時間割引」というのがあります

 「今ならあなたに1万円あげます。もし1ヵ月後だったら1万500円あげます。」
 あなたはどちらを選択しますか?

 もとい

 「いま手に入る1万円? or 五年後に手に入る三万円?」


> 今から語ることは「時間割引」をひっくり返した物言いになります。


 群集心理は圧倒的に前者です。後者が得でもそうはなりません。
 群衆が、1万円引きで手にする最先端で満足する間に
 五年も経れば、三万円ぐらいの勢いで得をするのが「金貸し」です。


 ‥コストダウンされ、機能性もブラッシュアップされ、コンパクトにもなる‥

 待ちゃ好いんです。
 でも、群衆が束になって待つほどに、コストダウンに結びつくかは却って怪しい話でーす。
 (その代わりゴミは圧倒的に減るので、環境には優しいはずです)
 (俯瞰して眺めれば、お得に躍起になっても、誰もお得に成らないのが本質です)


> 何はともあれ、自己中にも‥出し抜くのが商いのスリルです


 (手を抜く効率にしてもそうですからね)

 ‥ローンは経済的にみて、創造のエンジンに見えますが、同時に環境破壊のエンジンです
 それは私たちの健康にも及びますから、科学が科学たり得るかは私たち次第です。
 科学が人を欺くのではありません、商う心の中に自分をも欺く魔物が棲み交うのです。

 ‥自分の心(信念)に敬意を払えぬ輩が富めるわけがありません
 ‥他者への配慮に疎いなら尚のことです
 これがおかしな発言に思えたなら、不公平があるということです。

 (それを打ち破るのもまた過ぎたる力ということになりますが、それは何の為でしょうかね?)
 (それこそが、競争ゆえの因果応報に嵌まってくるのです)
 (共倒れが嫌なら裏で手を組むばかりでしょう‥表向きにやると独禁法に触れてきますので)
 (もとい、勝ち誇っても同じと言うことです)


> センサーに検知されずとも、そこにも宇宙があるように‥もとい闇か‥




引き算が得意な貴女うまく生き       浜松市・浜松川柳クラブ
捨てきれぬ過去が足下絡みつく       浜松市・浜松川柳クラブ



 ‥ネタ1は、言い回しが面白そうに見えますが
 「引き算」の意図する想定が不明です。
 ‥ネタ2は、
 「捨てきれぬ過去」の想定が不明です。

 しかし、二つのネタが似た者同士に見えてきまして、合体です。


|足下で−算÷算まといつく うまく生きたつもりが‥手痛く‥


> 他人の事なんて知ったことかと‥がむしゃらに生きてきた
> でもどうか・・俺みたいのが大量発生していた時代でもあったらしく
> 世の中が以前より、相当に荒んだ感が拭えない
> ‥正直、俺の想定は‥ズルをして笑うのは、俺ばかりのはずだったのだ
> あとの大事は、誰かが請け負うだろうとの甘い考えだったさ‥
> 「でもどうだ、役人からしてあのザマだ」
> どうしようもあるまい、行きすぎた自由主義に、正義なんて居やしなかったのだ
> (正義はやはり‥日々、自分から率先して行うべきと学んだよ)



1-9)5

|連峰のふもと彩る桃の花          焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 ‥ネタの「彩る」は
 どうしたって「桃の花」の余韻を考えると余計です。
 「連峰」がどこを想定するのかが、ハッキリとしませんが
 桃の花の時期からすれば、まだまだ白き峰峰が拝める想定です。

 ということは

 それだけで、青・白・桃の三色が浮かんでいるのです。
 ‥「彩る」なんて盛るだけ野暮というものです。


|峰仰ぐふもとに暮らし桃の花 スローライフの謳歌を見たり


> 田舎暮らしに憧れて、もとい、アルプス連山を拝む暮らしに憧れて
> 今、こうして、桃の花に囲まれての春を味わうに至った(感無量とはこの事だ)
> 田舎暮らしにも慣れてきた頃だし‥スローとは言い難いけど‥
> のんびりとした味わいだけは、こうしてひしと感じられる(スローライフ最高ッ)




|とりどりの緑犇めく青嶺かな        焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 *犇めく(ひしめく)
 *青嶺(あおね)‥木が青々と茂っている山。(夏)

 ‥ネタは、所謂グリーン一色でーす
 それでは物足りないとばかりに、「犇めく」と、わざわざに放り込んである向きかと。

 ‥だったら
 牧場の風景で詠み直したくなるというものでーす。


|草原にひしめく牛べえ風薫る ごろごろモーモーそこかしこ


> 草原に風が心地よい‥でも何かニオウような‥
> 進んでいくとそこは牧場だった‥牛さんが沢山見えだした‥
> 相当な数が居るようだ
> ごろごろモーモーとそげな景色一色で、牛の存在感が大きいことに改めて気がつかされましたとさ



1-9)6

|一枚を着たり脱いだり春の風        浜松市・浜松川柳クラブ


 ‥ネタの「春の風」は、どこか変です
 普通、春陽気を意図して「春の風」を盛るのですが
 どうにもこの「春の風」は、リアルすぎるのです。

 そもそも

 肌寒くなる要因は、
 まだ風が冷たいからでは無く、陽が陰るからです。

 (そうじゃないなら、「北風」とはなんでございましょうや?)
 (明らかに、対比としての「春風」にございましょう)

 ‥ならばそれは、雲が絡んでのことなので「春の雲」と置くべきです。


|一枚を着たり脱いだり春の雲 お空が羽織ればこちらも羽織り


> 陽気が暖かくなってきたとは言え、雲が掛かると途端に一枚上着を羽織りたくなる
> でも、雲が過ぎると今度は逆で、着込んだ上着を早速に脱ぐのだ
> まるで、お空が春先の装いに細かく、その配慮を、雲を通して楽しんでいるかのようだ
> お陰で私たちも、春の装いを楽しむことができるのだろうよ




|葉桜やこぼれる日ありて休息所       静岡市・木蘭吟社


 ‥「こぼれる日ありて」って
 ずばり「木洩れ日」ですよね、しかも
 「木洩れ日ありき」と詠めば七音です。

 字余りにしてまで、風変わりにこだわるほどの言い回しでもないかと。


|葉桜や木洩れ日ありき休息所 見晴らしよろし富士見台


> 花は花で好かったけど、少し気温が上がってくると
> 途端に葉桜の木陰が有り難いわよね(ついでに椅子があるのって助かる〜)
> さらに言うと、そんな感じの富士見台からの富士山を眺めながら一休みするのが
> 初夏の良い天気冥利ってもんなのよね〜


 「丘の上」でも、「山の上」でも、「近隣の山の名称」でも良かったのですが
 敢えて「富士見台」にしてみました。
 ‥「休息所」に想定される幅広さが、あつらえ向きに思いましたので。



1-9)7

転瞬に返し水田を過るつばくらめ      焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 ‥「転瞬に返し(てんしゅんにかえし)」なかなかの表現です
 しかし、「水田(みずた)」はそれに釣り合っていません。
 さらに、「過る(よぎる)」の意と被ってしまうのも、そこから先がおぼろに思えます。

 「つばくらめ」と置いてあるのも、どうにも‥やっつけ感ありありです。


> そこで、植田と青田の間ぐらいを
> 「田叢(たむら)」と表現してみました。


 人の側から見ると何やら、「雑草扱いするな」でしょうけど
 謂わば肉食のツバメからすれば、只の草むら‥もとい「田叢」と言うことです。
 (‥多少なりと‥皮肉の意を添えて用いるのもありかなと)


|転瞬に返し田叢を去るツバメ 子沢山の目まぐるしけれ


> 田にツバメが現れたと思ったら、颯爽と翻して去って行く
> やっぱり、子沢山だとたいへんなんだろうね
> のんびりと大物狙いをすることも無いのが、ツバメらしさでもあると思うよ
> (今時の都会文化がツバメへの配慮を欠くようになったのも、一攫千金しか頭に無いからだろうね)




輝けるもの引き寄せて夏立ちぬ       焼津市・宇宙蕗の薹俳句会


 ‥「輝けるもの」の想定が、何ら示されていません
 これでは、「夏立ちぬ」の狙いもさっぱりでーす。

 と言うことで、具体的にリ着目してみました。


|輝きを引き連れおどる夏太鼓 応援団の汗交うアルプス


> 甲子園に行きたき夢を抱くのは、なにも球志ばかりでは無い
> 同じ学校に通う仲間然り、OB然り、地元民然りだ
> そんな夢を引き連れて、鳴り響くのが、応援団の太鼓である
> 誰も彼もが、おどるように声を張り上げている
> 高校野球のアルプス席からは、いつだって、汗を共にする友が居る
> ‥そこには敵も味方もなく、甲子園というドラマに満ちている‥(感慨深いことだなぁ)



1-9)8

|経験と記憶のに深い皺          牧之原市・細波川柳
|経験を刻むよろこび笑い皺         手直し



 ‥ネタは、「深い皺」に注目が注ぎますが
 「数」の意が繋ぎでは、何の深みにもなりゃしません。

 「数」なんていちいち覚えちゃいないほどに、何かが積もっているから
 その顔に深い皺が刻まれてあるのです。

 「それは何ですか?」

 ‥それこそが「よろこび」でーす
 じゃ、まずは「よろこび」を盛らないと言うのでは、何でそうなったかが見えてきません。

 (皺の印象からして、たとえそれが笑い皺にせよ、人それぞれに好き嫌いはあるのですから)


|よろこびや経験刻む笑い皺 好好爺こそ「愉快道」なり


 *好好爺(こうこうや)、愉快道(ゆかいどう)


> 人生、笑顔が最高なんて言うけどね
> 笑えば笑うほどに笑い皺になるってもんさ、所謂、笑いの経験値だよ
> それを理解しているなら、さぞや、笑い皺の濃いい顔が大好きなんだろうね
> 笑い皺ばっかりは、伊達や酔狂で身に付くもんじゃないからね
> 好好爺の深い深い笑い皺こそ、人としての愉快を心得た姿‥理想の歳の取り方さあね




|一人居に浮かぶ古里山と川         浜松市・浜松川柳クラブ


 ‥一人で居ると、何かと後悔気味の昔のことばかりを思い出したりする訳ですが
 (人によっては、楽しかったことでしょうけどね)
 それにしても、古里の山と川の印象だけというのでは、一人遊びしか知らないかのような
 どこか残念な古里だなぁと思わざるを得ず・・

 ‥今から五十年後‥もとい二十年後を‥妄想しちまいました。


|一人居に浮かぶ古里ビルと道 スマホにネットにカップ麺


 ‥これではやはり切なすぎるので、懐かしき顔を浮かべてこそだろうと‥


|一人居に浮かぶふるさと顔や顔 他は然したる気にもせぬのに


> もはや、一人暮らしなんて慣れてるはずなのに
> たまに、ホームシックに襲われるように、若かりし頃の昔を思い出す
> 昔馴染んだ顔に会いたいと思うも、不思議とそればかりだ
> 俺がしたかったアレとか、昔、自慢げに持っていたアレとか、
> そういうのは、もはや霞程度でどうでもいい感じだし‥
> つまり、これってどういうことだよ??
> 夢なんて、目の前のサイズで丁度好いってことだよな
> ‥誰だよ「天下天下」って、そういうムードは二の次ってことじゃんか‥



1-9)9

|夕薄暑猫呼ぶ声の勝手口          富士宮市・裸子玉藻句会


 ‥ネタの句を読んで、サザエさんのタマを連想するのが昭和ですが
 そういう意味では、良く整っているように思います。

 (猫の日常ぶりなんてよく知らねえけど)


|夕薄暑猫呼ぶ声の勝手口 まさかのアレを運んできており


 ‥でも、馴染んでいると、猫がアレを運んでくる話はよく耳にするよ。
 ドラえもんじゃねえけど、俺もアレ苦手だから、見かけたら即行始末したくなる口です。

 (そういう意味では、猫と仲良くなんて無理っす)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:09 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
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