2017年06月27日

【勝手句帳】119 29-6-23/6-24 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/06/27

さわやかな若葉の季節牧之原は新茶の香りに満ちあふれおり     掛川市・風の会短歌会(6-24)


 ‥なかなかの筋でーす
 課題は「季節」です。要らんです。
 もっと下の句が栄えるよう上の句を下ごしらえすべきです。

 ということで、手直しが↓です。


清新な若葉の風や牧之原 新葉の香りに満ちあふれおり


> 若葉の風が、清々しく生き生きと、牧之原の大地にそよいでいる
> 言うまでもない‥この時節の牧之原は、茶の新葉の香りで一杯だ


 ‥「さわやか」は、秋の季語で引っ掛かってくるので「清新な」に変更しました。
 (ネットの日本語シソーラス連想類語辞典は、実に便利で助かりまーす)


 ‥「清新な若葉の風」も、ぶっちゃけ「風薫る」っすけど
 下の句の「香りに満ち」と被ってきます。
 そこが是の着目でのやりくりのひと工夫の用でした。




|波音を聞きて昼顔咲き初むる        沼津市・きさらぎ句会(6-23)


 ‥筋はなかなかと思いきや
 (沖縄旅行などしたことのない俺は、ググっておったまげ‥)

 その辺で見かける昼顔の想定とは、まったく違ってました。(別世界じゃねぇか)


 *グンバイヒルガオ

 ‥沖縄のそれは「咲き初むる」などという
 たまに見かけるような風景ではない。それはまるで、浜を蹂躙している様だ。


|波音をねぐらに生きる昼顔の手をつないでる砂浜のまどか


> 沖縄特有のグンバイヒルガオは、波音をねぐらにして生きている
> しかも、砂浜にて、その手をつないで満面の笑みを並べ立ててる様は
> うみんちゅの平和を願う姿そのものだなぁ



1-5)1

何となく心満たされぬ今日にしてただひたすらに畑の草引く   静岡市・長田寿短歌同好会(6-24)


 ‥「何となく心満たされぬ」
 それは要するに、何か予感がよぎって不安な心持ちになったと言うことでしょうか?

 「ただひたすらに畑の草引く」という流れからすると

 思い当たる節を抱かずに、そのまま日常に戻っているわけですから
 「満たされぬ」のニュアンスが、どうにも不適切に見えてしまっています。


けふにして腑に落ちぬなにか‥気の迷い??‥判らぬままに畑の草引く


> うん??‥どうしちゃったのかな‥何か気になってるんだけど
> よくわからないなぁ、う〜ん、今日に限ってなんだろうな、この感じ
> ‥まぁいっか、仕事すんべ‥その内はっきりと思いあたるだろう


 ‥「え☆ッ」なんですか是?
 それを句に詠んだんですか?、「へぇ☆」ありえねぇ・・

 斬新すぎるというか‥青天の霹靂っすね。(盲点すぎる)




|耕耘機菜の花倒し整地する黄色の海の跡形も無く           三島市・銀杏樹の会(6-24)


 ‥「跡形も無く」って、あんたが計画的にやってるんでしょうが??
 それとも、あんたは、農作業を眺めていただけの暇人の側だったとか??

 (その辺で、誤解の生まれやすい詠みになっちまっております)

 ‥自分のしている農作業を詠まんとしてなら
 まず、「目的」を示して「気持ち」を示さないのでは、形に成ってきません。
 「状況」と「結果」を述べても、ちっとも同感なんて生じません。それは只の報告文でーす。


|耕耘機菜の花すき込む土作り 黄色の海に沙汰の訪れ


> 折角の菜の花畑も、実は、費用対効果なんだよね
> ということで、「本日、晴れて漉き込ませていただきまーす」
> 是が今風の環境を意識した農法って言っちゃ農法なんだけどさ
> こうして、耕耘機で一気に菜の花畑を潰すってのは、随分と派手というかなんというか
> 菜の花の群生にしてみりゃ、村を挙げての人生身につまされる思いだろうね



1-5)2

|天道虫指の先より飛び立ちぬ初夏の萌黄に勇気を借りて       掛川市・風の会短歌会(6-24)


 ‥上の句はなかなか良い味でてますが、下の句がさっぱりです

 どう考えたって、天道虫の方が勝手に飛んでいくのです。
 「勇気を借りて」ってて、どっちが飛んでいくって言うんですか??

 ここはどう考えても、自分が自分の側から見ての気持ちを綴るべきが、阿吽です。


|ナナホシは指の先より飛び立ちぬ 再び思うお前との出会い


> 捕まえた天道虫を指の先より飛ばせるのが
> 所謂、天道虫でのキャッチ&リリースってやつだな
> まぁ天道虫を見かける機会もそうそう無いけど
> また会えるだろう、それが生かし合う形ってやつさね




|旅枕遙か植田の水明かり          沼津市・きさらぎ句会(6-23)


 ‥上五に「旅枕」と置くと外で野宿の印象に誘われますが、概ね宿止まりでせう
 すると、「水明かり」は、宿のベランダから眺めている趣なのでせう。
 「植田の水明かり」と断定できるほどに、山里ということでせう。

 でも、「遙か」などと盛ってしまっては

 手前の風景がまったく以て怪しくなっております。
 普通それだったら、手前にも、田んぼの一つや二つありそうな印象なのです。

 ‥「遙か」と盛る意図に、僅かながらやっつけ感がもたげてしまっておりまーす。


|旅枕こよい植田の水鏡 見上げず拝む月百枚


 *水鏡(みずかがみ)


> ここしばらく乾いた野宿旅だったが、今宵は潤えそうな植田の眺めだな
> 田に水が張られてあると、随分と明るさが変わる‥おあつらえ向きにも満月だし‥
> 気分はすっかり「田毎の月」の趣だねぇ



1-5)3

|尾を振りて旧知に会うごとじゃれ来たる若き小犬は媼を引きて  静岡市・長田寿短歌同好会(6-24)
|嬉しげなお前の散歩についてゆく犬はうきうき俺はよたよた     掛川市・風の会短歌会(6-24)



 ‥花の季節にテーマが被るのは日常ですが
 犬の散歩で、その着目がほぼ同じというのは珍しく、取り上げてみました。


 ‥ネタ1は
 「旧知に会うごと」が突拍子すぎて、仔犬は一体誰のところの犬にあるのかと
 混乱を持ち込んでしまっております。そういうのは読む側に悩ましいので
 「久しく散歩と」という具合でよろしいかと。

|尾を振りて久しく散歩とじゃれ来たるうちの仔犬は婆を引きて     手直し


 ‥ネタ2は
 「お前の散歩についてゆく」の「お前」が第三者を想起させるのが気になります。
 まぁ一句目に「嬉しげな」とあるので「犬」と判断つきますが、
 ここはもう少し‥季節感を盛り付けた方が、犬のテンションにも説得感が伴うところです。

|嬉しそう初夏の散歩についてゆく犬はうきうき爺はよたよた      手直し


|お散歩と尾を振る仔犬ハイテンション 主と歩けば野良でなし


 ‥まぁこうして詠み並べてみますと
 犬は以外にも、人目を意識するだけでなく、自分の立場というのを意識しているように思いました。


 ‥どうにも
 散歩一つにしても建前が気になるのがイヌということで、ネコとはかなり違っておるようです。

 周りがしっかりした犬ばかりだと、逆に、チャッカリした犬が紛れるのも想定内で、
 それは犬が、お互いの立場や役どころを意識しているからに思われます。


 ‥一度思い込んだが最後
 ‥そこでの立場認識は、余程にないと改まらないのもイヌということになりそうです

 (イライラを見せて勝手を振るうのがネコだとしても)
 (イヌの場合は、意図的に賢くチャッカリして振る舞うので)
 (ネコのそれとは違って、つけ上がり出すと手に負えなく成るということのようです)

 それにしたって、飼い犬である弱みも自覚しているので、どう躾けるかでもあるのでしょうが
 概ね個体ごとの性格によるところが大きいのでしょう‥人間のそれとあまり変わらないような‥



1-5)4

|グリーンピース豆々しいと誉められて緑の色香で夏を招きぬ      三島市・銀杏樹の会(6-24)


 ‥ネタの上の句は私事でしょうから、どうでもいいのですが
 反対に、下の句には妄想を掻き立てる面白さがありまして、膨らませてみました。


@|蔽わるる屋敷の壁や蔦の闇 緑の色香の誘う鉄扉
A|緑蔭やアイビー蔽う佇まい 鉄扉は放つ緑の色香


 *蔽う(おおう)、誘う(いざなう)、鉄扉(てっぴ)
 *蔦の闇(つたのやみ)‥ここでは上の句十七音での季語の扱いです。(夏)


> マンガに出て来そうな壁一面緑の蔦で蔽われた屋敷を
> 実際に目にすると、どうにもその鉄扉の向こうがどうなっているのかが、余計に気になる
> さぞや夜な夜な妖しく灯されて、あんなことやこんなことをやっているのだろう
> 夏の妄想として事欠かないその異様は、まさに緑の色香なのだよ
> (是非、俺の秘密基地に一つ欲しくなる趣だな)


 ‥リ着目の二つの上の句の詠みを俳句で観ると、どうにも
 どちらも説明臭いのがくどいところですが、下の句「緑の色香」の雰囲気を
 ガッツリ醸し出すには、これでもか感は外せないかなと。


 ‥@とAの違いとしては
 @の方が、より一層の覆い尽くされ感が漂います。うがった見方をすれば、
 Aは主に鉄扉に注目が集まり、屋敷の壁がどうかまでは、さほど示されていないのです。
 塀がきっちりとした壁&蔦に囲まれ、入り口のみからで内側がよく見えていない雰囲気です。
 一方で、@は、スカスカの柵越しにも内側がよく見えている雰囲気です。




|再会は覚束なし夕焼雲          富士宮市・原茜富士句会(6-23)


 ‥ネタは、「思えば再会の無いままだなぁ」
 とした向きを、夕焼け雲を見ながら思い浮かべているところですが
 どうにも「や」で句切っては、オチが見えてこないのが落ち着きません。

 ‥あの時の夕焼け雲さながらだとしても、無理があるというものです
 ‥かといって、十七音でそれ以上を欲張ろうにも無理があるというものです


|再会は覚束なきまま夕焼けに 置き去りし浪の町を悼む


> 思えば今やすっかり再会のさの字も無いままだ
> 夕焼けを見る度にそればかり気になってしょうがない
> あの津波の日以来、否、フクシマ以来すっかりそのままだ
> せめてこのいたたまれなさを忘れないように胸に潜めるばかりか‥
> (え☆ッ、それって、以前の町に戻れない限り、生涯この残念さに苛まされるってことだべか‥)



1-5)5

アナログも見捨てたものじゃないんだよスピードメーター時計の針も  三島市・銀杏樹の会(6-24)
|アナログやメーターの針のいとをかし                手直し



 ‥どうにも読み切れていないネタを
 十七音に要約すると、手直しになります。

 句って奴は、いわば割り切り口調にあるので
 割り切りたくなかったら、詩で詠むべきに思います。

 でもネタは、普段の話し口調のまんまなので、詩情自体が希薄かと。
 このような場合は、デジタルの思わしく思えない点を整理することが欠かせません。


|デジタルで描けば誤差の悩ましく 美は揺らぎのままにとわに立つ


> デジタル画を描こうとすると、どうにも
> データの数値に示されてくる統一感が気になって、その辺をどう解釈すべきかが悩ましい
> (AIみたく割り切った数値設定があるように思うも、そんな単純に割り切れるものでもないし‥)
> そうだろそうだろ、美に究極の絶対なんて無いさ
> 美を見出さんとして、悩み苦しむのが美というものさ
> 悩み苦しまなくなったら、キミの美だって‥枯れ出すばかりさね
> (お約束の安寧に生きようだなんて、美として‥否、命としてすでに死んだも同然さね)




> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:41 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。