2017年07月01日

【勝手句帳】121 29-6-27 其の2静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/07/01

|梅花藻の揺らぎやさしき柿田川緑すがしき日の盛りかな     伊豆の国市御門

|バイカモの揺らぎやさしく柿田川 緑すがしき川底命


 *ミシマバイカモ‥花期は6〜7月で、清い水の流れに白い花を付ける。

 1930年に、三島市楽寿園の小浜池にて発見(新種?)
 1950年代、地下水の大量消費や生活排水流入による環境汚染により一度は絶滅したと考えられた。
 現在、自然環境で現存するのは清水町の柿田川のみ。(他は柿田川より移植された)

 (外来性植物の排除に気を配らないでいると繁殖を奪われやすく、もっか絶滅危惧に晒されている)


 ‥う〜ん、なるほど
 「緑すがしき」はなかなか出てこんな
 上の句は、似たようなのを考えた気もするが、「梅花藻の」なんて思い切りは無かったな。

 ‥「日の盛りかな」では
 カメラが急にパーンしたみたいで違うかと。
 ここは、水底にカメラを沈めて撮るぐらいでないと映像としても不満でーす。
 実際、そういう植物なんだし、上の句とのマッチングを考えても当然の流れっす。


> ミシマバイカモの育成には、富士山の伏流水が欠かせない
> もとい柿田川流水とセットで生きている
> その清らかな湧き水の流れが有ってこそなのだ
> それが成り立って、あのように、ミシマバイカモだけの緑すがしき川底が成り立っているのだよ
> (私たちが、その命の脆さ儚さを理解せずに手を貸さないでどうする・・)
> (果ててしまっては、ふるさとへの富士山への裏切りに近き背徳感があとに募るばかりだろうよ)



1-7)1

|わらび摘む目のその先へその先へ     沼津市大岡

|わらび摘む目のその先へその先へ 縄文のまめたさ是に在り


 ‥着目がおもしろくも、どう引っぱろうかなとぼんやりだったが、どうにか整えました

 *「まめたさ」→「まめったい」静岡中部東部の方言。よく働くの意。
 (信州の「ずく」の惜しまず働くの意に近いかな)


> ‥考えて見るに


 日本人のまめったさは
 採って料理するだけの環境が縄文時代に有ったからだと思います。
 まさに、採って調理するだけ、栽培なんてする必要なし‥(まぁそんな感じだったかと)

 日々、食べられるよろこびの方に意識が振り切っている状態だったのでしょう。

 冬への備えの必要が、里の人口の少ないことでより一体感を醸しだし
 よりおいしい調理をして楽しむ暮らしをそこに培っていたのでしょう。(冬場は篭りだったろうし)


 ‥そして、弥生がやって来た


 食への貪欲さと村一体然の暮らしのスタイルが
 そのまま冬の備えに都合良く、田作りでも根気が培われていたように思われます。

 (手順としては、白い粒を得られるとどうなるかのイメージングが鮮明だったのでしょう)
 (稲作のリスクを端から味わうばかりの段取りなら、ずくなしばかりだったかも)
 (リスクなしで採る楽しみ、調理する楽しみ、これこそが神が仕込んだ食育の段取りだったとか)


 ‥どっこい、渡来文化がもたらしたのはそれだけで無く

 なまじ収穫が好いと調子に乗ってまぐわっちまうだろうし
 で、人口が増え、増えたら増えたで土地が必要になり
 (自分たちで開墾するより、隣村を襲った方が楽とか考える渡来人の血も雑じったわけだし)
 次第に、争いごとが定着し始め、そこに日照りやら水害やらが発生しては
 もはやパニック状態もセットだった事になります。

 おまけに、酒文化も来ていたでしょうから
 アルコール依存症みたいな奴も居て、収穫の取り分での不和も起こりだした頃合いの時代だったかも。

 ‥次第に、腕っ節の強い用心棒(王)が好まれるようになり
 弥生ながらの群雄割拠が見られていたことになります。
 (渡来人の血が濃いほど争うことに抵抗が薄く、縄文の血が濃いほど避ける地域差はあったでせう)


> ‥その辺の意識は


 戦時中の兵隊で戦地に行って不自由になったのと
 生まれつきの身体的不自由との間に多くの評価差(偏見)が見られたほどに
 意識下に定着していたように思われます。

 それってつまり、ネームバリューに弱いという民族性の裏返しになってるんでしょうね。

 (それにしたって、中国人なんてとくにそうなんですから渡来系の血に思われます)
 (ざっくりした見方なら、縄文系は地元思考?)


> ‥地球規模になぞらえれば


 ネアンデルタールVS.ホモサピエンス
 土着VS.渡来(縄文人VS.渡来人)
 パーフェクトマンの系列VS.アーリアンブルーの系列

 その中で起きうる事象は、適度な大きさの島の中でなら、ほぼ同じことが起こったと推理される。
 ただし、渡来の規模なり四季の度合いにより、融合し得る可能性だけが異なる様に思われる。



1-7)2

|雨上がり夕映へに染む西空を背にして眺む弧をえがく虹     富士市厚原


 ‥ネタの着目は、こちらでも以前、プレバト詠みの方で軽く詠んでいるが
 ネタのそれは随分とまわりくどいかなと。


> 「西空を背にして」とか、捻っているようで、捻りがなさすぎっす
> 風景だけしか見ようとしないからそうなるんす


|ママ社長 虹を東に日を西に 夢か支えか二択に追われ


 こうして生活感を絡めれて詠めば、同時に両方を見たい気持ちに伝わるのでーす。

 ‥それにしても、あれだな
 ‥まずは虹から拝むわけだ(理屈から言っても、虹の消える方が早いからな)
 で、夢もそれと同じと思って追っかけていると、うつつ世では、朝日が昇らないなんて次第に陥ると。


> 請求されてるわけでも無いのに、性急に夢を追いかけるしかない発想というのも
> 寿命が短いせいもあるだろうが、競争が好きだからだろうね‥


 (「競争意識」=「組織の都合が第一」の価値観だからな)

 人口の半分がそうなら、嫌でも巻き込まれるからな。
 巻き込まれる方はたまったもんじゃないのに、巻き込む側ほど反省なんてしねえからな。
 それを押してる政治からして、競争原理に関してはノンタッチだしな。


 「どうして、競争の有り様を改善しようとしないのかね??」


 ‥まぁ今更それの答えは決まっている
 上座に一旦座り慣れちまうと離れたくなくなるからだ。
 あの手この手のフェアーにほど遠い心理がもたげてくると‥まさに「権力の魔性」ってわけさ‥

 ‥信長の野望で遊ぶにしたって、状況の継続を知りえてこそだから、チートもするわけで
 降りようとしない人ばかりを非難しても始まらないにせよ、
 皆殺しでも結果は同じとしか見ないのなら、そりゃどうしたって非難囂々になるよね。

 「誰だって、望ましき未来が欲しいんだからさ」


> ‥つまり、ザックリ言えば


 女性は女性を見失ってる状況を、どうしてか女の時代と錯誤にも賞賛しているのが現代という事です。
 その母性そそらなさに、男が巻き込まれるのは当然でーす。

 で、女はというと、女を武器に、男より激しくチートを好む傾向を見せるばかりで、

 ちっとも、女だからこその視点からの競争を考えるに適さない文化色を見せるばかりでーす。
 そりゃ、詰まるところ、産む気もしおしおなら、
 知性の継続にもならねぇんだから、常時滅びる方に傾くって事だよね。

 ‥女からして、男社会で肩を並べんとして
 <資本ルールは公平な競争ルールだから、シェアを奪い合うのは先進的な在り方です>
 なーんてくっちゃべってたら、寄ってくるのはレイプ魔&殺人鬼だけだろうね。

 (実にそんな雰囲気満載の時代色だからな)

 (女子らしいことをその都度口にしようと、根っこは男社会を喰らわんとしてるだけだしな)
 (でも、女としての不利も実感しているわけだ‥)

 ‥で、多くは安定を求め
 太いパイプにありつきたいと男社会の上澄みにばかりぞっこんなんだから、中身は一緒だと
 冷静に考えれば理解できるはずなのに、女ほど、女の知性ほど、なぜかそこを素直に理解しねぇ。

 「気持ちわりぃったらありゃしねぇよ」
 「気持ちわりぃったらありゃしねぇよ」
 「気持ちわりぃったらありゃしねぇよ」


> 男が、人生萎えたって当然だよなッ、おい
> 公平を真っ先に唱えるのが女子ってもんだろうが
> 綺麗になりたいにほだされて、自由に媚びても、ろくな結果にならねえんだよ、解れよ



1-7)3

|一休みと言いつつ続く針仕事指貫きはずし空を見上げる     牧之原市大沢


 ‥昔のおなごは概ねこんな風だった
 しかし、まだまだ雰囲気が不足しておりまーす。


|一休み先伸ばしつつ針仕事 指貫はずす窓の外ぞ雪


 ‥こんな感じだったわけでーす。

 男女ともに教えることが同じになって男女差無くなった。
 豊かになって男女差無くなった。ご尤もにございますが、

 西洋かぶれの科学とて人間次第で、科学だからと万能に無いと気がついてる時代でもあります。

 ‥じゃ、教育の仕方だって怪しいよね
 なにゆえに、性急に才能を発掘する必要がある??‥(それは戦争色に置かれたままだ)
 興廃として追い詰められているのは、若者では無い、老いゆく側である。


 ‥老いの前線に立ち続けたい願望が、一直線でしか無いからそうなるのだ

 江戸時代を見てみい、家督を次代にさっさと譲って、好き勝手の隠居暮らしだった。
 そうして、隠居同士でつるんで地域が結託を見せていたのだ。

 (同じ競争せざるを得ないにしても、随分と気色が違っている)

 女の側からすると、それはいきなり台所での立場の格下げ同然だったろう。
 でもまぁ、肩の荷も下りるわけだから、そう悪いものでも無かったかも知れない。
 まぁ、それでも料理好きにはたまったものではなかっただろう。
 ‥それにしたって人手不足の時代でもあった。(家電なんて無かったからな)


> 結果的に、女は、心を込めてなにかをするとした気概を見失ったとも言える。


 ‥「心を込めてなにかをする」を重視した教育にも無い
 そこも又、個人的な資質の扱いと言わんばかりになっている。
 「必要なら買えば好い」とか、口にするのが日常の口ぶりなら尚更だろう。

 ぶっちゃけ

 自分たち向け仕様だったのが、他人様向け仕様にすり替わったって事だな。
 消費することしかアタマにねぇ人生に、何ら魅力を感じないのに男も女も無い。

 ‥会社経営も同じで、資本の都合で、外注するばかりは
 儲かる儲からない以前に、嘆かわしいだけなのだ。
 豊かさを得たとしても、どうにもその様は無様にも不自由‥否、無力に近いままなのだ。

 芸術にしたってそうだろ。昔のレベルには遠く及ばない器量の差というのがあるばかりだ。
 (顔料からして自分で作るぐらいの執念さに欠くわけだからな)


> その証拠に、モノに溢れたからって、幸福度が上がってる訳では無い
> 幸福とは、心を込めてする経験を、光景を、身近に感じられてきたかどうかの積み上げだよ




|朝まだき親父の海と歌いつつ若き漁師は舫いをはづす      静岡市清水区元城町

|朝まだき「親父の海」を口ずさみ 若き漁師は舫いをはづす


 

 *舫い(もやい)‥船を綱でつなぎ止めること。また、そのための綱。

 (参考:もやい結び


 ‥「と歌いつつ」では判りづらいので、「を口ずさみ」と手直ししました
 暁闇の漁に出る前の気力十分の趣と云った所でしょうか。


 ‥「朝まだき」をよく見かけますが、方言みたいな感じです
 文法的に解釈すると、副詞「まだ」+助動詞「き」です。(まだだった)の意。
 副詞+助動詞。こんなの有り得ない‥でも昔から使ってきたようです。


> ぶっちゃけ、日本語の助動詞は、如何なる品詞にも引っ付く可能性を秘めているのでしょう。


 ‥ところで、その昔の漁師が、毎日のように漁に出ていたのと
 今の漁師が毎日のように漁を求めるのとは質が違います。

 捕れる量も捕れ方も違いますが、一番の違いは目的と姿勢です。

 昔の日本の漁師は、その都度山に海に手を合わせつつの空気でしたが、今はどうでしょう。
 片手間でまずはくわえタバコですかね‥で、ひたすらにそんだけ‥そのぐらい違うはずです。
 捕れない舟からは去り、他に移るのが当たり前の日常です。そのぐらいに空気が違います。

 ‥海からしてみたら、かわいくないわけでーす。

 「海を愛してる」とか抜かしても、海には見透かされてるんだろうと思います。


> ‥捕れても捕れなくても
> 「ありがとうございました、又よろしくお願いします」の姿勢は見せるべきなのでーす。
> 其を海に向かって、どう表現するかこそが漁師に思いまーす。


 ‥男にしても、その点、欧米化ですっかり魂抜かれとるって事ですな
 「欧米化」=「搾取競争OK」でしかねえからな。(マジ糞以下だし)



1-7)4

|貌中に感嘆符立て蝸牛          伊豆の国市長岡
|振り向けば貌に怒り符カタツムリ     手直し



 ‥「でんでんむしむしカタツムリ■■だせ□□だせ■■■だせ」
 ということで、ネタは角を立ててる所を、人の表情で見立てた着目です。

 でも「感嘆符‼」では、攻めがあまいのです。
 ここは、「怒り符(いかりふ)💢」で好いと思います。

 ‥怒りを堪えようとしている様子が
 如何にもスローの蝸牛ということで、良い味出してまーす。(ナイス着目でーす)


|チラリ見てかなり激おこカタツムリ 飛び火が来そうな五秒前


 ‥「感嘆符」などという形にとらわれなければ
 バリエーションは色々有りそうでーす。


> 自分の着目(第一発想)から、もう一歩二歩と、
> ツッコんでみる批判精神を自身に向けないのでは、何事も自在を得るには至らないのでーす。




|夏色の探しあてたり試着室        富士宮市小泉

|夏色を見つけて乙女いざ勝負 「好いかも」倒れを問いもせず


 ‥ネタは、水着の試着でしょうかね?
 「試着室」と具体的な点が、判りやすくて良いのですが、どうにも旨みが足りてません。

 ここは、抽象的になっても、気分の方を押し出すのも有りかと。


> 「おや?」あっちでお気に入りを見つけた女子がワイワイやってんぞ
> さぞや夏気分やらを味わうつもりなんだろうな
> でもね、自分で良いと思ってみても、ハズすこともあるからね‥(それが色恋沙汰なら尚更だな)
> 流行りを似合うとか似合わねぇとか言ってる時点でガキっすっ
> 目的を持って、素顔を包み隠すのも品の有り様なのでーす
> (まぁどちらにせよ、対象の好みなり空気を知らんのでは、失敗も有り得ると)
> (そんな時は、飾らないのがベター、少なくとも最悪には至らない)
> (常にベストで決めてくる女子は、どこか息苦しいだけだからな)
> (少しぐらいボケを誘うぐらいでないと、会話の掴みなんて成立しないのだよチミィ)



1-7)5

さなぶりや添ひ寝の母のはや寝息     牧之原市大江

|さなぶりや添ひ寝の母のはや寝息 吾子もすやすやしじまを閉めつ


 *早苗饗(さなぶり)‥田植えを終えての祝い「早苗(さなえ)を振る舞う」→「さなぶり」とか。

 ‥田植始めに行うのを「さおり」
 「さ」は田植もしくは田の神のことも意味し田に降りてくる意。
 ‥「さなぶり」は神さまが昇天することを意味する「サノボリ」の転訛とも
 ‥「さなぶり」は東北や関東地方に多く、四国から九州では「さのぼり」
 ‥北陸や中国地方では「シロミテ」とも。(シロは植田でミテは完了の意)


 ‥農家の風習&日常感が飾り気無く盛られているのがナイスでーす。
 (御大層な句より、実は、こっちの方が好みなんですけどね)




|何もかも洗ひたくなり五月晴       静岡市駿河区中島

|何もかも洗ひたくなり五月晴 シーツの並ぶ午後の物干し


 ‥平凡な日常を飾ること無く、そのままを詠む
 これこそが、自然体と言えるでしょう。


> ぶっちゃけて言っちまえば、
> 特別に仕立てるのも人、平凡に輝きを見出すのも人なのです。もとい汝でーす。



1-7)6

|寒風に育みし甘い春キャベツ力をこめて採り選別す       富士市大野新田

|寒風に育って甘し春キャベツ どれもこれもおいしく仕上がり


 ‥「力をこめて採り選別す」
 たく、何を細かくなって盛ってんですか‥そこは大ざっぱに自信を以て盛るところっすよ。

 ‥じゃないと
 「今年の出来は、非常にまばらで当たり外れが見られます」って、言ってるようなものでーす。

 おいしそうと思わせないのでは、春キャベツの売れ行きにも繋がらないっすから。
 ‥大体、出来上がった奴の全部なんて味見できねーんだからさ
 ‥報告書にあるまいし、そこは大ざっぱで十分しょ


> ???


 ‥なるほど、こうして見ばえでしか物事を見ない慣習が出来上がったと
 昔の人の方が、それの意味では口達者だったわけだし。
 (和歌文化にも弊害があったと言うことになりますな)




|潮の香のほのかにありし心太       三島市つつじヶ丘


 ‥で、食べたんすかね??
 ネタのままですと、磯の香りが嫌いだとして、嗅いだだけの趣としての解釈も可能です。
 「ところてん」の苦手な人も居るようですし‥

 「ほのかにありし」では、そういう事です。(パンチ不足でーす)


|磯の香ほのかズズっと心太 よき海に佇つ潮騒のみぎわ


> この心太の余すところなく漂う磯の香りが食欲をそそる
> ずずっとすすり込むことのなんとよき海の広がりか‥
> 次々と頬ばりすすり込む音が、わたくしを、まさに潮騒の渚に誘わんばかりだwww
> (誠に結構、たいへんに美味しゅうございました。ご馳走さん)


 ‥心太の食材にしても、採る人が居なくなると一気に失われまーす。
 加工業で儲かってても、その利益を還元してねえなら、自分の首を絞めてるだけだからな。
 たしかあったな、長野県にそんな大胡坐の優良企業さんがよ。

 (お前らが産地の天草漁の海女さんに還元しねえで、誰がやるってんだよ)
 (跡継ぎが居ないそうですよ)
 (いいか、不公平なんてな、調子の良いところにほど転がってるのが日常だ、刮目しとけ)


> 足下に火が付いてるのに、海外調達で安堵にも見落としてんじゃ喝だぜ、喝ッ。



1-7)7

|いつ見ても人影のなき骨董屋軒の燕の出入りはげし       静岡市葵区南沼上

|いつ見ても人影のなき骨董屋 軒の燕の出入りは活況


 ‥ネタの着目も、整いもなかなかにありますが
 「出入りはげし」は考えどころです。

 ここは骨董屋との対比としても「出入りは活況」と盛るべきです。

 大きく字余りになりますが、字余りも技法の内と考えるか否かです。
 整いからしても、ここは敢えて大きくはみ出しておくのが、
 軒の燕の巣の育成を温かく見守っている感でもあるかと。


> いつも思うがここの骨董屋の経営はどうなってるのかね?
> 通る度に限って言えば、客足という奴にお目に掛かったことが無い
> 「ああ、そういう私ですか?」
> 私はほら、店の軒下にある燕の巣が目当ての通りすがりです
> 骨董屋の出入りとは違って、こちらは活況ですよ
> (ここらの人通りには、私のように見守ってる隠れファンも結構居ると思います)




|蛸壺の並ぶ島路地夏つばめ        浜松市南区本郷町

|蛸壺の並ぶ島路地夏つばめ 通りすがりか翼の季節


 ‥蛸壺漁の島を、グーグルマップからいくつかチェックしましたが
 漁で細々としたという表現通り、水源は見当たらず田んぼも見当たりません。
 せいぜいあって、こぢんまりと畑がうかがえれば良い方です。
 あとは、小さな山があるかどうか程度で、燕の餌場にできそうなポイントは見当たりません。

 つまり、この燕は、通りすがりにある可能性が高いかと‥

 でも、夏つばめですからね
 巣立った若燕の中に、冒険心の強いのが居たと思うしか無さそうです。


> ということで、今回は、平凡な日常の中の趣がテーマだったように思いました。




> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:01 | Comment(0) | 名句にポン/2017前半 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。