↓2)向宜弁論.2017/08/14
フランス革命以降、貴族に変わってブルジョアなる階層が台頭した
そして、ナポレオン、産業革命、アメリカ独立戦争‥と目白押しなのが近代西洋の有史だが
中でも画期的として、誰もが賞賛したのが「人権宣言から始まった基本的人権の精神」だろう
‥問うまでもない
戦争を仕掛け続ける上での大義をわざわざ設置したのだ
「誰が何の為に?」
ブルジョアにとって一番に儲かる投資先が戦争だった
戦争をするには、双方の勢力に投資しなければならない
そもそもにして、戦争するにも駒になるのは人民だった
その人民をその気にさせる為にも、それぞれの勢力に
衛らんとすべきお題目が欠かせないということでもあった
> 勢力の片方では「より自由を」、もう片方では「より平等を」
> 所謂、自由圏と共産圏との対立構図だった
> それらは始めからお題目が決まっていたという
‥自由圏から見た共産圏に植え付けられた印象とは
一つのデザイン、一様とした暮らしぶりだった
それは、等しく分けあうにはそれこそが理想だと言わんばかりをにおわせた
(でも実際は、軍統治を行う政府を頂点に、看板倒れの格差と腐敗が漫然としていた)
‥それに対して
皆一様のデザイン&人生などありえないとしたのが自由圏だった
しかし、それの自由の本質とは、概ね、結社の自由(商売の自由)だった
ゆえにそこには、人権保障と言えど、権力との対峙を余儀なくされていた
(それでも、一様に上からの指示に従わなければならない向きの共産圏よりはましに見えていた)
> それを的確に言い表すなら
‥権力は国民に対してとくに能動的に施すようなことは無い
施しが欲しくば、話し合いの場をまず設けて貰えるように権力側に申し出るべきであり
必要において合意が下されれば、それなりの行使がされるだろう
それの道筋としての宣言だけは用意しよう
人権宣言と言えど、国家が何かをしてくれるとしたお題目には無かったのである(その程度だ)
‥しかもそればかりか
ブルジョアの投資する兵器開発が、キリスト教文化圏の強さを見せつけんばかりだった事から
それら人権宣言が、キリストの為せる博愛精神の勝利の如く扱われた(思い込ませ)
ついでに確認し合うことになったのが、信教の自由だった
(ブルジョアにとって、教会は、無償の資本を掻き集めてくれるお得意さんだった)
1-2)1
> ブルジョアはどうして台頭できたのだろうか?
> ブルジョアはどこから戦争資本を用意できたのだろうか?
ぶっちゃけた言い方をすれば、それこそが発行権だった(兌換紙幣の認可権限)
世界的な国際通貨のすべてが25mプールサイズの金塊で裏付けられている
まぁそんな話で‥もう少し具体的な数値として、先進国一人辺り一億円程度での目算だそうだ‥
さらに言うと、数グラムの金片が一億円に化けるような取引が交わされてきた
金市場の価格推移と比べても、べらぼうに大ざっぱに見えてしまう程だ‥
(世界中の金塊を一手に集める為にも、二度の世界大戦を計画付けていた)
(ちなみに三度目の目的が、統一政府の樹立と宗教の抹消だったそうだ)
その発行(金塊を担保にした紙幣の承認)は、特定ブルジョアの商売の隠し種だった
‥例えるなら‥
川上で水を堰き止めた衆が、川下の村相手に使用料として年貢を納めさせるようなものだ
(もう少し姑息に言えば、その衆に投資している背景が絡む)
実際それは王様の権限だったわけだが、財務の一任権を一介の商人が獲得して以来
事情がすっかり変わったという
その商人は、税金を担保にした国債を考えた(近代戦争の幕開け)
戦争を企て、民衆を防衛投資に熱狂させ、償還分を部分的に敗戦国に負担させた
残りの負担がそれぞれの国民ということになった(戦利品‥発行権の取得による行使)
そんな国債からの配当を手にしだしたのがブルジョアだった
(当然、様々な思惑に取り憑かれ、地球規模の植民地化へと暴走した)
(戦争→その国の発行権の強奪完了→国家としての独立宣言の承認)
(国民に戦争投資させ、国民を戦争の駒にしたて、国民に戦争のツケを払わせる)
> 人権宣言より始まる人権精神が、そもそもにして戦争への不満の受け皿として登場したにせよ
> それも又、科学の為せる人類の覚醒の如く、大衆のだれもに擦り込まれたことだろう
(実に、大した詐欺だった)
そのような身勝手が、今後一切起こらないようにする為にも、まずは次の宣言が求められる‥
1-2)2
> すべて人民に平たく、ここに万民幣権を宣言する
経済という形の営みを人類が続ける限り、お金を創出する権利は
広く万民に公にされて、公平に機能するようでなければならない
そして
無償で得られるお金との消費対象を、ただ機械的に希望するばかりでなく
お互いに、人民として恥ずかしくない生産活動の健全たる継続に勤しむ次第が求められる
又、私たちは共に平たく、汗を担う便宜をも並びて創意工夫すべきである