2017年08月23日

【勝手句帳】139 29-8-12/8-15 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/08/23

|縁側の声入れ替はる夜の秋         伊豆の国市・獺祭鹿の子句会(8-15)

|縁側の奏者替わる虫の秋 盆が過ぎれば秋と主張


> ‥盆を過ぎると秋と言うが、今年はついにそれを実感するに至った
> 虫の音がそんなタイミングで一斉に鳴きだしたのだ
> そりゃまぁフライングでも聴いたけどさ、盆を過ぎたら一斉だったよ
> まさに、自然が、私の疑問に答えてくれたかのようだなぁ



|ご先祖や秋を置き土産に帰られて「残暑見舞いありがとうございます」


> ‥まぁ考えて見れば‥
> 盆から秋が始まるってのは、ご先祖様の置き土産って事だろうね
> 本当に「残暑見舞いありがとうございます」



1-6)1

|夏燕改札抜ける矢の速さ          伊豆の国市・鹿の子サンズ句会(8-12)

|夏燕改札抜ける矢の如く なにゆえ駅舎を好むのか


> ツバメってのはどうして人混みに溢れる駅舎にわざわざ巣を構えるんだろうね?
> どうせなら、静かなところにすれば好いのに‥と思うのが人間なんだろうけど
> 「う〜ん、科学的に見て、そこに何かポイントでもあると言うことなのか?」‥って事だと思う




|里帰り可愛さ重さ抱っこする        袋井市・笠原川柳会(8-12)

|里帰り可愛さ重さ抱っこする 甥も姪も育つの早し


> 実家に里帰りすると、決まって親戚が集まっていたりするが
> まぁ甥も姪も育つのが早いというか、久しぶりに会う毎に見違えるものだ
> そんな抱っをする度に重さが増していくのは、そのかわいい盛りを物語っているのだなぁ



1-6)2

|青々と牛それぞれの雲の峰         伊豆の国市・獺祭鹿の子句会(8-15)

|「ああ、青春」それぞれや雲の峰 ときめきなんてすれ違う予感


> 青春と言えば、色恋沙汰がつきものだが
> 誰しもは夏を迎える度に、その想いを、雲の峰の如く膨らませるものだよ
> ‥でもなんだ‥
> 雲なんて、膨らめば膨らんだだけの雨を降らすのが相場なんだから
> ときめきなんてものはだね、すれ違う予感だろうぐらいに思っておくのが丁寧なことだよ
> 「もちろん、自分にな」お目当てに丁寧にする必要もあるまい
> よくよく観察していると、ツンデレ萌えなんて言っとるわい
> ‥ようするに‥
> すれ違い込みの勘違い歓迎(いつでも終わらせる準備もある)という事なんだろうね




|眠りこけ下車する駅は遠ざかり       静岡市・退福共川柳グリーンの会(8-12)

|眠りこけ下車する駅は遠ざかり またまた爆睡ここはどこ?


> うかつにも電車で爆睡してしまい、終点まで行ってしまった
> ‥(まだ間に合うと思い)折り返したんだけど、またまた爆睡してしまい‥
> 気がついたら、どこだか知らないところに車両が停車していたんだ
> (それにしても、こんなにも疲れていたんだな)



1-6)3

|逝く友やことば失う天の川         伊豆の国市・鹿の子サンズ句会(8-12)

|友果てたり言葉は途切れ流れ星 さよならまだぞ来世よ続け


> ‥今しがた、友が、何か言いかけのままに他界した‥
> 儂のしたたり落ちる涙が、流れ星そのままだ‥
> 「いいか、まだ、さよならは聞かずじまいなんだから
>  きちんと成仏しとけよ‥でないと‥来世があろうと再会できないからな」
> (何しろこいつ、死んだらそれまでって頑なに信じとったし‥)


 * 痛ぁぁ‥「さよなら」の使い方が‥ぁぁあああ
   ‥どう見ても永遠の別れとしての意味だよ‥
   冷静に問えば、両方の意味で、挨拶時に使い分けられていることにもなるが
   文意としてはそうだが、普段の会話での挨拶に、こちらの意味では使わない(よほどだ)
   使うとすれば、人間関係がこじれて、殺意の表れとして皮肉で用いるぐらいだろう‥

  (それだけ今時の若いのは、被害妄想の思い込みが強いと言うことか)
  (で、便所メシにもなると、言語感覚もズレる傾向にもあると)

  ‥こうして
  ある一定のタイプがまとまって同時代に生まれてきたり
  文学的な表現がされて知れ渡ると、言葉の意味が変わり出すわけだな(‥へー)




|定年後テレビ桟敷の席に飽き        焼津市・みなと柳社(8-15)

|定年やテレビ桟敷の席に飽く 話す相手の居らぬ足りなさ


 *桟敷(さじき)‥一段と高く設けた見物席。
 (ここでは‥大型画面&ソファー‥ということかい‥???)

> 定年して余暇を楽しみにしとったんだが
> それって、蓄えを端から使いたかねぇから、概ねテレビが友達の毎日って事だろ
> 実際やってみると、退屈でねぇ、仮にも文化人を自負して生きてきたんだよ
> それがなんでこうテレビ、テレビなんだよ
> テレビ番組の楽しさのそもそもは、次の日のおしゃべりのネタだけだったんだな
> 今やその手の会話をするに顔を合わせる毎日で無くなったんだよ、もはやTVの何が楽しんだよ
> 情報が欲しいだけなら、ネットの方が早いし
> 話すにしたって、サイトに書き込む方がずっと気が利いている
> そのネットでの会話自体がどうにも、テレビ番組うんぬん前提などに無いわけで‥
> (‥と言うことに気がついちゃったんだな)



1-6)4

|夏野菜土間にこんもりと座す        伊豆の国市・鹿の子サンズ句会(8-12)

|夏野菜土間にこんもり上座でも 戦に出れば戻ること無し


> おうおう、夏野菜どもが土間に、意気揚々とくつろいで居るのう
> ‥しかしじゃ‥
> どんなに血気盛んに強がって見せようと
> ひとたび、刃物振り交う戦場に出れば、誰も戻って来ることは叶わぬのじゃ
> だからとて、そのままくつろいで過ごしては、鮮度も落ちて腐るばかりよの
> 生きると言うことは飾り事では無いのじゃ、己を燃焼させてこそよ
> ‥ならばどうする‥
> 焼かれてみるかえ?、煮られてみるかえ?、漬けられてみるのもありよの
> ナマで齧られるなんてな、燃焼できぬままの人生そのものよ



1-6)5

|羽化の蝉万年青の葉裏モゾモゾと      千草句会(8-12)

|いよいよか葉裏モゾモゾ蝉の羽化 余所見をするな己に生きよ


 

 


> 命という奴はだな、ツボを押さえることが重要なんじゃよ
> 蝉の羽化にしたってそうだが、どこで羽化するかが大事なことで
> 自分のもっともデリケートな瞬間を、大ざっぱで好いなどと‥やっつけてるようではダメだ
> (人間で言えば、就職やら、将来設計ってことだな)
> 大事なことほど、じっくりと腰を据えてやらないのでは、何事も形になるまい
> 普段から周りばかりを気にしてそわそわする癖が付いてると
> ‥どうしたって、己を避けて通ろうとしてしまうのだ‥
> その己とは何かと言ったら、そりゃ「一番に弱い自分をさらけ出す」ってことだよ
> 其が覚束ないようなら、そもそも、思うように生まれ変わることからして叶わん
> じっくり腰を据えると言ったら、そりゃ、まずは産まれる場所とタイミングだ
> 何事もそうじゃ、すべては産まれるが如しよ
> ‥ならば‥
> 知恵や力が湧いてくるのでは無い、命が宿ってくるのよ
> それらを受け入れる心の余幅を、常日頃から開いているかどうかじゃな
> (命の訪れってのはね、すべからく弱さをさらけ出してそこに来たった‥てことだよ)




|山開き一打の太鼓雲を切り         伊豆の国市・鹿の子サンズ句会(8-12)

|山開き一打の太鼓雲払ひ 六根清浄先を行く


> ‥今年も山開きが始まったな‥
> まずは太鼓で解き放たれ、一路を行くに六根清浄の掛け声が先を行く
> まぁ雨の日に行われる事もあるまい、雲を払えないなんて、そりゃ縁起が悪いよ
> 何の為の山開きかって、そりゃ、厄を祓う為だよ


 ‥本来的には‥
 山神への挨拶行事にあるからして、厄払い込みというのは失礼に当たるわけですが
 神々も厄払いを普段から欠かさないので、まぁ、何を祓い清めているかってことです
 当然、山に対してではありません。私たちの山開き(行為)そのものと言うことです

 それって

 山からすると、穢さない約束という事なんですけどね



1-6)6

|過去未来通り過ぎてく風の中        富士宮市・川柳芙蓉会(8-15)

|過去未来通り過ぎてく今日この日 握りしめてる生きる喜び


> ああ、今日という一日は、過去と未来を駆け抜けて行く一陣の風だな
> 今、自分は、この今日という命の風に乗って、生きているんだって実感だよ
> この風に翼を広げんとしてこその今を生きる命だ、喜んで当然だッ




|寄り道も苦難の道もあって今        富士宮市・川柳芙蓉会(8-15)

|寄り道も苦難の道もあって今 生きずに生ききようやく死ねる


> 人生には、様々に誘惑もあれば拐(かどわ)かしもあって
> どこでつまずくかなんて分からない
> もし、つまずいてしまったのなら
> そりゃ、そのままずるずると望まない日々を過ごすハメにもなるだろうよ
> あたしゃそんなみじめに躓(つまず)いちまった口でね
> ‥嫌々で今日まで来たんだよ‥
> ようやく死ねるって時分に、未練を誘うように邪魔をしないでくれるかい
> この死ぬ時こそが、私の時間がようやくにして舞い戻ってきた瞬間なんだからさ


 (あたしゃね、自分の死に際だけは、どんなでも受け入れてそれを味わって死ぬって決めてたんだよ)
 (じゃないと‥嫌々が嫌々のままで終わっちまうじゃないか)
 (そんなのは、それこそミジメのままだよ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:14 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする
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