2017年10月30日

【日常】格差とイライラと博打

記稿.2017/10/30

 ‥俺みたいにどう見ても特殊な才覚を有していると
 どこかで大逆転もあるだろうとの自惚れ的お気楽というのが有る

 これは或る意味で静止安定に持って来いの状況だが

 ‥そうで無い場合はどうしたって、博打に賭けたくもなる
 よくよく考えれば、そちらの需要の方が世の中の平均だ
 だから、その手の供給やら嘘が、世にはびこるのも当然と言えば当然の成り行きだ


> ‥だがしかし
> そもそもの一攫千金の夢の根底には
> 日常の細々とした人間としての清潔観が面倒くさいとした横柄さがある


 その横柄さを優先したいと思うがあまり
 奴隷にメイドにカネが、尽きること無く必要だとの文化色にほだされる

 (能力主義の根底でもある)

 その横柄さゆえに、一攫千金の後は
 日常の細々とした雑用から解放されたいと考えている
 人によりそれの度合いは様々だが、雑用に偏見を抱いているのが実際だ

 (これこそが、能力主義の根底だ!)


 ‥つまり
 雑用に偏見を抱いているがゆえに、雑用からの解放を贅として捉えている
 その程度の能力主義だからこそ、嘘と謀に絶えるところがない

 ‥だって、勝ちゃぁ贅沢(楽チン)のイスに座れるのだ
 ‥出し抜かずして明日の命令権にはありつけないのだ
 ‥ならば、手っ取り早くやるしかないだろう、嘘とインチキと虚構を

 (否、マージンのピンハネだよ‥俺が責任者で一番にえらいからってな)


> では、問おう
> 雑用から解放されたからとして、雑用に偏見を抱くのはなぜだね?


 ‥所詮、自分のことぐらい自分で面倒できないとストレスが溜まるのだ
 多少のずくぐらい出したらええ
 つまり、該当者の多くは、細かいことへの配慮ができない症候群だよ
 自分にはして貰えたら好いと思えても、人にはして上げようとは考えていない

 ‥だから、その手の人の「して上げよう」は、100%粧い文句だ
 もしくは、博打をあてにした皮算用からの自慢文句である

 (そのくせ、相手への何気ない注文絡みの雑談の本気度は100%だからな)とんでもねぇ


 ‥これ以上言わずとも、分かるだろう
 そんなだから、世の中はどうにも‥上からして乱雑のままだよ

 (それこそが脳力主義の実力だ!)
 (雑用に偏見を抱いている愚か者には、正しさも清さも維持できない)
 (維持できているとしたら、それは、退屈しのぎの博打と謀と八つ当たりぐらいだろうさ)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:28 | Comment(0) | 日記/2017 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。