2017年11月06日

【考察】「競争」×「使い捨て」のどうしようも無さ

↓3)向宜弁論.2017/11/06

> 近代以降の戦争には、使い捨ての兵が必要です
> 資本経済には、使い捨ての労働階層が必要です


 兵器が使い捨てであるように、消費財も益々使い捨てにされています
 在庫の確保にしても、新製品登場までの間に合わせにすぎません

 どちらも使い捨ての文化ですから、環境が犠牲になるのは時間の問題です

 使い捨ての文化に慣れ親しんだ人類の憧れは、使い捨てる側に取って代わる事です
 それは、使い捨てられることがまっぴら御免だとした裏返しです
 でも人類の大半は憧れているのです‥自由に使い捨てることのできる贅沢な暮らしに‥


> ‥つまりこういう事です


 大衆は使い捨てる側を罵りながらも、右に習えをしたくて仕方がないのです
 お陰で使い捨ててる側は、大衆のそしりに凹むことも無くこう思っています

 「そんなにも贅沢をしたいなら、君たちも大いに使い捨てたら良いじゃないか」
 「どこに躊躇する必要がある?‥この世の贅沢への第一歩は躊躇しないことだよ」
 「リーダーとはつまり‥どのような蹂躙にも、如何にして鈍感になりきれるかだよ」
 「資本に魅了された時点で、使い捨てられる次第と蹂躙し合う次第を受け入れたのだよ」
 「大手希望者ならまさにその通りだろう‥蹂躙せざるを得ない空気になじむ承諾の何物でもない」



1-3)1

> 近代以降の戦争には豊富な武器と弾薬と兵をその気にさせる見返りが欠かせません
> 資本経済には豊富な資源と資本と市民をその気にさせる正当性が欠かせません


 パンとサーカスには、奴隷階層が必要でした
 飴と鞭には、植民地が必要でした
 平等と自由には、安い労働力が求められています

 それらいずれにしても、差別意識が根底に有り続いています
 ‥そして、不平等なり格差を押し付けて「自由」を喚起し合うのです


 「じゃ、そこにある平等の形ってなに?」
 「ずばり、資本の特権性の下での参加平等うんぬんです」

 ‥奪い合いの競争には誰もが参加可能です
 そこで才覚を示せば、使い捨てる側にランクアップできるでしょう
 ただし、奪い合いですから、実のところ獲得した立場に保障なんてありません
 立場としての保障を求めるなら、絶対的に奪い討つことです


> それの勝率を上げる為の唯一の手段は党を組むことです


 ‥もうお判りでしょう
 民主主義にしろ、資本主義にしろ、党を組んでやりあうことの推奨だったと言うことです

 「自由」にほだされて、一匹狼がカッコイイだなんて頓珍漢の発想です
 「民主化」にほだされて、皆で話し合う‥それは妄想です

 ‥すでに話し合われた結果の蓄積をどうするかです
 ‥そこに理想は無用でした、既得権益の言い分がのさばるばかりだったからです
 ‥言ってしまえば、控え目と食い散らかしの散乱が実態でした

 ‥今の時代は、それらの後片付けが多少できるかどうかです(否、そうでもありません)
 むしろ、ゴミ屋敷の主の如く、汚臭を片付けるなと言わんばかりが
 既得権益側のどうしようも無さと言うことのようですからね‥



1-3)2

> どのような言い争いにせよ、半端な意見とそれら数を組み合わせれば
> 如何なる提案も概ね賛成50反対50と言うのが法則です


 ‥数学で考えて見れば一目瞭然です
 それ以上に割りきれない数を素数と言いますが
 意見の一致と不一致を素数の組み合わせに見立てても
 半分の数に「2」を含みます、考えの多くは似通っているのです

 ‥次に多いのが「3」その次が「5」
 70億の人口なら、素数の組み合わせに見立てても、たかが知れています
 少数の声なんて無視同然なわけですから、似かよるように誘導すれば簡単に組み合わさるのです


> 概ね「13」までの組み合わせを参考にすれば、十分に目くらましになるように思われます


 13までの間にある2を素数に持つ割合は≒46.15%
 13までの間にある3を素数に持つ割合は≒30.769%‥2とのダブりが2つ
 13までの間にある5を素数に持つ割合は≒15.38%‥2とのダブりが1つ
 13までの間にある7を素数に持つ割合は≒7.69%
 13までの間にある11を素数に持つ割合は≒7.69%
 13までの間にある13を素数に持つ割合は≒7.69%

 ‥2と3が組み合わされば61.538%
 ‥2と3と5が組み合わされば69.23%

 (どことなく‥日本の政党支持率の割合に近いかなと)


 ‥もうお判りでしょう
 「党制」×「議席数」による多数決とて、始めから不十分だったと言うことです

 ‥議題にしても、言いだした方が勝ちです
 通したい法案を思いついたら、言いだして誘導すれば良いんです
 その為の党政(統制)です

 通したい法案を先にいくつも並べれば、必ず一つは通るのが‥流れという事です

 どのような法案でも、賛成50反対50、決まるか決まらないかは党の思惑次第ですが
 通したい法案をいくつも並べてあれば、政党間での食いつきが少しずつ違うというだけなのです
 議員個人の細かい判断や気持ちなど、省略形で、尊重しないのが党対抗の世界と言うことです


> それでどうして、国民一人一人までの気配りに辿り着くでしょうや?‥(無理)


 ‥そして、党の思惑とて資本の影響に晒されるのです
 資本戦争の手法は、弾(商品・サービス)とカネ(投資)の使い捨てです
 下手な鉄砲数打ちゃ当たると同じで、すべてに賛成できる立場が成り立てば常時大当たりです
 そこで独禁法なんて概念がちらついています

 つまり、必ず片寄って主張をするべきに成っているのです

 (片寄りのバランスが半々程度になるように構成されるのです)
 (「能力主義」×「椅子取りゲーム」としてのけじめみたいなものです)

 ‥といっても

 わざわざ二つに分かれて誘導作戦(両建て)をしているようにも見えるのですから
 何を信じたら良いのか、何が正しさを導くのかなんて誰にも判別できません



1-3)3

> むしろ、そもそもの社会改革の考え方が、贅沢をするための競争なんですから悪党です


 皆で王様級の争いをするのが、平等と自由と言うことなんですから戦国下克上です
 何かを踏み台にして「使い捨ててやるッ」‥なんてことを人類の大半が思わざるを得ないのでは
 精神的にも疲弊するばかりのルールです


 「それのどこに、先進性があると言うのでしょうか?」


 ‥実に馬鹿げています
 脳足りんの体力馬鹿発想のままで何ら変革などされていません

 「そもそも西洋において、王様の手本とは誰を指すのでしょうか?」

 東洋と比べてみると、どうにも印象が、贅沢と支配のパレードです
 そんな西洋の学問の隅々まで怪しさが漂うのは当然でしょう
 資本経済ともなれば尚更の警戒心で望むのが正当防衛というものです


> ずるいことに長けて来たからこそ、その次の駆け引きに用意周到と言うことです


 ‥つまり
 ずるさに右に習えをするか、相対するそれを上回らない限り
 拾い上げて再活用する側の心向きなんて発露されないのです

 ‥まぁそれにしても
 できるかできないかより、するかしないかの判断の方が‥人間の生き方としての優勢ですけどね
 そういう側が至極少数だとの自覚が薄いところに、人類のどうしようも無さがあるように思われます
 (転職に次なんか有りません、脱サラ独立できなかったらそこまでです)


> 例えるなら、「ゴミを自ら進んで拾う数1に対して、拾わない数99」


 ‥それが世界の多数決以前の程度ということです
 そこに「科学」×「利権競争」を持ち込んでも、混乱の果てに環境不能をもたらすだけでしょう
 なぜなら、生産しないことには、おまんまの売り上げにはなりませんからね‥(ゴミになる一方です)

 ‥お金と交換できることを贅沢だと思い込んだままなのです
 交換できない何かを自らに掘り起こすとした幸福観からすれば、なんと鈍重な事でしょうや



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:34 | Comment(0) | 日記/2017 | 更新情報をチェックする
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