2017年12月02日

【勝手句帳】170 29-11-28 其の1静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/12/02

|老若のそろひの法被秋祭り          函南町間宮

|老若のそろいの法被秋祭り 義務はないけど義を立てずんば


> ‥住まう土地柄にもよると思うが
> 自由度が高く、人口が多くなるほど‥近所付き合いは希薄になる
> そんなところでは、興行での催しも多く、昔ながらの村祭りのような一体感はなかなか登場しない
> 何はともあれ、運営には経費が嵩むのだ
> 同じ村のよしみによる祭り自体を目的とした共同行事にはなかなか及ばない


 そもそもそこに有ったのは、義務でもボランティア精神でも無かった


> ‥従来の認識とは幾分異なるが「義」だったように思われる
> 郷土愛に思われるかも知れないが、人口が増えれば移動せざるを得ない流れもあったことを思えば
> 共に切り開いていこうとの結束の方が欠かせない
> つまり、それは「義」である


 ‥同じ風雪に生き耐え、土地の味を同じくした
 知った顔同士だったからこそ培われた「義」だった
 「絆」と言えるほどの近しさがそこにあった


> お互いに、身勝手にも関係を捨てたり、諦めたり、奪ったりをしない空気に満ちていた



|日の本はさむらいの国 義の国ぞ 自由にほだされ中途の国に



> ‥明治維新以降、「自由」が日の本に蔓延りだした
> 村社会で培われてきた空気は、徐々に変質を始めた
> 否、村で完結していた生活思考に、異なる価値観が割って入ってきた
> 法律を皆で管理すれば、法律が皆を守ってくれるとした淡い思い込みと、当てのない期待感だった

  ところが

> それは瞬く間に、天皇を核とした軍隊が国を護るとした体制にすり替わった
> ‥それはそうだろう‥
> 国のトップからして、列強のルールに強制参加させられた暗中模索だった

  それから、少しずつ「義」は「自由」に置き換わった

> ‥考えても見た前
> 「義」は、そもそも自由だった
> 「義」は、仲間との絆の上に存在した最強の砦だった
> 如何なる物語であれ、そのようにのみ表現されている
> 其を解体したのは、西洋版のそれこそ勝手気ままで孤立をはらます自由だった



|お互いに恩を返せば公平ぞ 義と情こそまっすぐの芯


> ‥時代は、欧米主導のままだった
> そのせいかどうかは判断付かないが、世界は今や
> 「愛」×「自由」などと悦に浸った考えが跋扈した時代だ


 ‥そこでは、{自由}>{愛}と言うことなので
 何事も他人任せのままに人生観が立ち止まるのだ


> 「愛」を叫んでみたところで、結束なんて生まれやしない
> 上手く行かなきゃ、すぐに新品と交換することしか頭に無い(もしくは分裂だ)
> 共に歯を食いしばって乗り越えようなんて全くない
> そこでは、能力の有無が重要だと思い込んでいる

 ‥ぶっちゃけ、「義」に優るものなし‥


> 「義」が、恩着せがましくなるのは、他者を見下すからだ(とくによそ者)
> 確かに‥村社会ながらの負の側面としてそれは根深さを見せよう
> だからこそ、「情け」でバランスを保ってきた


 ‥まずは公平なのだ、そこに自由度なんてそう多くない‥

> その点、「愛」はどうか?
> まずは好き嫌いの比較アピールから始まる始末ゆえ‥お話にならない
> だってそうだろう‥出会い頭にまず「愛」を持ち上げて、他の価値観を見下げているのだからな
> 自分たちの好き嫌いを前提にして一歩も引くところがない
> そこでは、「愛」などと温厚そうな顔を見せながら、偏見を撒き散らすばかりだよ
> その偏見は、攻撃的な性格にある分、村社会にありがちなよそ者への偏見より悪質な面を見せる
> その上、勝利こそ愛の証し(皆の為)と思い込んでいる
> 物語にしてもそのざまだ‥だから常に敵が居ないと成立しない‥(その程度だよ)


 ‥始めから日の本には
 「義」×「情け」の受け皿に満ちていた
 それこそが、日の本の「和」の精神、人としてまっすぐの心構えと言えるだろうよ



1-7)1

|被爆国ノーと言えない核の傘         吉田町住吉

|被爆国ノーと言わずに核の傘 DV旦那と七十年


> ‥原発のそもそもは、核兵器の工場だ
> 始めから非核三原則に反した代物だった(核の平和利用なんざ詭弁だよ)
> そこを問いただした反対運動は見られない
> ‥そうこうしているうちに‥
> 非核三原則は骨を抜かれ、日米同盟の礎こそ核の傘に至っている
> (其に異を唱えようなら‥横田幕府に呼び出され、階段から落ちたとうそぶく流れになるという)




|白雲をすいと追ひ越す黒き雲空のせはしさ時雨来るかに     焼津市大村

|白雲をすいと追い越す黒き雲 賄賂の如き世襲パワー


> ‥血統を重んじるのが、暗黙のルールとして世界中に見られる
> その精神は、まったく以てアンフェアーにも偏見の源‥もとい非開示の伝承だ
> だが、民主主義とて実態は人気投票なので、常に、ご機嫌鳥の競争に巻き込まれている

  其をお家事に置き換えると、瞬く間に能力主義だ

> 能力主義は、如何なる組織であろうと存続を保つ上での選択支の一つだ
> しかし、争い事の火種を振り払う要素は何一つ無い
> (脳力主義と言えど、所詮その程度だよ)

> それでも、血統思考が不思議と上回る

  ‥それはそうだろう‥

> 自由と平等と言ったって、やらかしていることは
> 皆で勝ち組(貴族)に成り上がらんとの市場争奪戦なんだからな
> そこには、身内にしか打ち明けられない秘密の一つや二つ抱えているものだよ


 「それでどうして、お互いの尊重とか労りとか、等しく公開性を以て対処できるだろうか?」

 ‥隠しても良いとした黙秘性(一子相伝など)と
 ‥公開前提の民主化は相反するテーマだよ


 ‥公開性に公平な民主社会を叫ぶそもそもにせよ
 その理想は、徳治主義と言うことに行き着く
 それにしたって、「長にお任せします」のまんまだ

 ‥神様だって、必要ないと判断した事柄については非開示だ
 ツッコみ切れていない冴えない漫才が、うんざりするのと同じことで
 人間の側の成長が求められている

 周りの成長に沿って
 社会に変革がもたらされるべきだという視点こそ、本来の民主社会だよ

 されど

 周りの成長と言ったって、環境を搾取することが前提の経済ルールだからな
 「それのどこに成長なんてあるの?」‥あり続けてきたのは腐敗だぞ、おい!



1-7)2

書きなぐるペンは怒りを隠さない      静岡市・静岡川柳杜

|書き殴れこいつはホシとネット板 日々の鬱澱ここぞと燃やし


 *ホシ(犯人→銭犯、賤犯)、鬱澱(うっでい→うんでい、ストレス)
 *銭犯(せんぱん)‥カネにほだされた悪党。
 *賤犯(せんぱん)‥人にあるまじきをしでかした者。
 ‥2ちゃん用語の「戦犯」は、どうにもおかしいので指摘&提案しておきます。


> ‥人類にネット社会がもたらされての課題点と言えば
> 悪とばかりに締め上げて、名指しでリンチ沙汰に向かう趣向が好物だったことだ
> 技術的な悪用が好物とした向きも含めて
> 「攻撃大好き♪」ってのが、人類の趣向らしい


 親が、気分×鬱澱から、子に説教をするのと同じで、まさにその程度だったわけである




|人生にやり直しなし暮早し          藤枝市岡部町三輪

|人生にやりなおし無し世間の目 偏見の突き合い世のすがた


> ‥人間誰しもいろんな形で、偏見の一つや二つ抱えひそめているものだ
> だから、どこぞの誰かに迷惑が及ぼうなら
> 彼の者の偏見は、途端に倍増して眠気を振り払い
> 一生の怨み事としての禍根を残すことだってある
> それの迷惑の大きさ次第では、人生にやり直しなんて無いも同然と化する


 ‥他者の偏見の発動のツボを、一つ一つ見抜いておくことは世渡りの肝だ
 ‥とその前に、己に内在する偏見の意図を推し量れていないのではお話にならない
 必要だからそこに偏見もコンプレックスも存在するのだ
 そこにもまた、隠れた目的と都合がある

 ‥当人に、その辺りのパターン沙汰に自覚が得られていないようでは、前途多難だな

 自身の心の舵すら自身の特性を踏まえて切れないのでは、隣人の心ともなれば尚更だろうよ
 それはそのままに、人生のスタートラインに立つことすら用意できていないのだ
 もしそうなら、汝は損得でしか物事を推し量れないし、日々嫌われまいとびくびくしても居よう



1-7)3

敬老日しりとり遊び「る」で止まる      三島市青木

|しりとりは年の功でも「る」で暮るる 長続きせぬ世のあんじょう

 *あんじょう‥「ちゃんと、うまく、具合よく」といった意の大阪弁。

> ‥人間の考えの奥行きなんざ「しりとり」の行き詰まりの如しよ
> どんなに楽しく上手に人生を謳歌しようとも、「る」で詰まることになる
> なのにそれを隠して、もっともそうな顔で、市場競争を前提にして見せても同じだ

> ‥まぁ、いずれは限界の来る次第を嘆くより
> まずは、「る」攻めで勝ち抜けをしようなどと、相手を弄ばないことだな




ゴンドラの行き着く先渡る       沼津市・片浜松風句会

|ゴンドラの行き着く先も霧の中 競争だもの下克上だし


> ‥今や右肩上がりの経済成長は幻想だが
> エスカレーター式にも、安全なゴンドラに乗って上に運ばれたい欲求は後を絶たない
> しかし、ゴンドラに乗ったら乗ったで、景色の眺めが悪いと途端に愚痴をこぼし出す
> それがゴンドラだってことさえ忘れ始めるのが人の愚かさだ
> より上座に座りたいとか、格を上げたいとかな
> 結局のところ、如何なるゴンドラも霧の中に垂れ下がっているだけに陥る

 ‥それが競争、それが下克上‥

> 当てにしたはずの上座や格に保証なんてどこにもない、霧に漂うばかりさね



1-7)4

|銅鐸の狩猟の絵柄木の実落つ         浜松市東区常光町

|銅鐸の狩猟の絵柄木の実落つ 太古の恵みは大地が基本


> ‥銅鐸の絵には、その時代より以前の暮らしぶりが刻まれている
> 自分たちの繁栄(自慢)を示すのが通常だから、そう判断される
> そこには、大地の恵みに沿った工夫と暮らしぶりが確かにあったのだろう
> ‥されど‥
> それが今や行き過ぎて、中途な科学力に基づいた未経験領域にほだされている
> 自分たちの力だけで、豊かさをゼロから創り出したいんだそうだよ
> でもご覧よ、それにしたって地球を殺しては成り立たないのがオチさ




|秋空建前の餅降りしきる          浜松市中区富塚町

|建前の餅はどうにも煽りかな 上から目線に競えとばかり


> ‥新築を建てる時、「建前の餅」という風習が日本の地域で見られる
> 祝い事にも只でくれるってんだから、無造作に拾おうとしちゃう訳だけど
> 豆まきの風習の延長のノリで生じたんだろうけど
> ‥どう考えたって‥
> 今や随分と人を馬鹿にした鬼畜な状況を創出してしまっている

> 公平に分けようとすると地味にしか見えないから、威勢を重視したんだろうな
> 棟上げに合わせて、祝い事として「縁を上から下に撒く」

> 当時は、競争なんて社会性も薄かったから
> それにケチも偏見の妄想も立たなかったんだろうけど
> 今や格差社会、競争社会、絶対資本体制‥上から目線が跋扈して歩く時代色でもある


 ‥ということで
 共産思想よろしくに均等にやろうとすると地味にしか見えないと
 だから、競争にて、勝者の再分配をさらに競わせるのが、自由の醍醐味と言わんばかりか
 何はともあれ、吸い上げの大元からカネと土地を得て‥そこに建つんだからな‥
 (てめえの足取りに則った棟上げ祝いをしておこうと言うことだなぁ)



1-7)5

|玉入れのひとおつふたあつ秋高し       静岡市駿河区鎌田

|玉入れのひとおつふたあつ秋の問い こぼれ玉にて待ちたるような


> ‥玉入れ競争は、競技として単純におもしろい
> でも、自分の投げた玉が本当に入ったかなんて怪しい
> それは、数え上げられる玉の数を逆算すれば明らかだ
> その入る確率は1%以下なのだろう
> ‥と言うことはだよ‥
> 数え終わるのを待つ間は、等しくこぼれ玉の気分同然だよ

> ‥そもそもだ‥
> 入る確率が高すぎると、それはそれで数え終わる時間も長くなり
> それだけ退屈な時間を待たされるのがオチだ
> ならば、入らない方がうれしいに決まってる
> ‥だからこそ「常に二桁前半」それが神のさじ加減だよ
> (そう思うと、どうにも糞な競技と言うことだなぁ)




|寝静まる伊豆半島や銀河濃し         富士市森島

|寡黙たる伊豆半島や流れ星 変わりばえせず人口減


> ‥村おこしをしようにも、まずは道路整備である
> 今度は物流整備だ、箱物だ‥色々頑張ってみても人口増には繋がらない
> 人口雑にしか成らないんだよなぁ
> そもそもにして、以前からその土地で暮らす向きには、「そのままでも幸せ」があったわけだし
> ‥何を一生懸命にまでなって‥
> 故郷にある思い出深い姿をぶっ壊してるんだろうね(ほんとそう思うよ)
> (今の社会には、人工大好きキチガイばかりだからなぁ)



1-7)6

|鰯雲小さくなるばかり           沼津市大岡

|鰯雲 日本はどこに行くのかな 冬ぞ押したるアベノドンゾコ


> ‥秋解散、秋衆院選2017は自民党圧勝のままに終わった
> そしてやって来たのが、意外にも‥アベノドンゾコの幕開けだった
> 季節の突然の冬変わりからして、後押しされていたってことだよね
> 富士山では、突然の雪の後、農鳥が現れたってほどさ
> (ついに、時代にも春が訪れるってことかなぁ)




|平和への道の険しや歳暮るる         吉田町住吉

|平和への道の険しやミサイル報 どうして画質は日本並?


> ‥ミサイル報の映像が一変した
> 今までは静止画で、如何にも劇場臭かったのに
> 発射実験の時間帯が、常に夕刻に行われているのが判るほどだ
> 北朝鮮だから、冬時の夕刻ともなれば真っ暗なのだろう
> なのに、かなり鮮明に撮影されている
> 撮影機材からして、高級感ありありだ
> 「制裁してんじゃねぇのかよ??」‥中国とロシアから出入りできてそうだけどな



1-7)7

|古本のニーチェの匂ひ秋深し         静岡市葵区柳町

|古本のニーチェの匂い秋に死す ヒトだもの地味でも人生


> ‥誰かの「超人」願望なんざどうでもいい
> 人は人らしく地道に行くべきだ、超人も一歩からだよ
> そこを問わないのが、西洋哲学だよ(えせ学者特有の分かったつもりと言う奴だな)
> ニーチェにしたって、そこは変わらない
> (そんなことも分からずに西洋に傾れても糞)




|歩くこと日々心掛け新松子         沼津市・片浜松風句会

|歩くこと日々心掛け新松子 良い事なんてまぁこのくらい

 *新松子(しんちぢり)‥青い松ぼっくり

> ‥自分の健康を考えてする毎日の日課の散歩にしたって
> 積み上げていく形の一つだよ
> なにも大げさに考えずとも、誰にだってそのぐらいあるだろう
> ‥まぁ続けていると、散歩がてら珍しいものに出くわすこともある
> 新松子なんてまさに縁起の欠片の如きで
> (人生なんて)そんな僅かの縁を重ねるかどうかだよ、大事に思うかどうかだよ




> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:45 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする
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