2018年03月01日

【勝手句帳】196 30-2-23,24 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2018/03/01

|初日の出水平線に煌きて合わす両手も眩しく光る        静岡市・長田寿短歌同好会(2-24)

|海の先合掌来たる初日の出 水平線の扇ぞ眩し


> ‥海から昇る初日の出は、無駄に有り難く感じちゃうよな
> 何しろそのまんま扇だからな、文句なく扇だからな
> あおぎたくもなるってもんだよ




|大漁旗翻えており初御空          静岡市・わらしな渓流句会(2-23)

|大漁旗翻えており初御空 目出度き詣でや傾奇舟


 *初御空(はつみそら)、傾奇舟(かぶきぶね)

> ‥正月の目出度い青空の下
> 海の神様に詣でに行こうと言うのだ
> そりゃ去年の感謝を込めて大漁旗で舟を飾るのが男意気ってもんさね



1-7)1

夕日射す障子に揺るる庭影        沼津市・若草俳句会(2-23)

日永射す障子に揺るる庭影 されどまだまだ冷たき風よ


> ‥夕暮れの時分に、庭の影が障子に揺れている
> ‥漸くに日長になってきたと言うことだなぁ
> でもまだまだ、風が冷たいからな(春とは言いきれんなぁ)




|寒晴れや窓をぬけくるの力        沼津市・若草俳句会(2-23)

|寒晴れや窓を突きたる日の踊り 午後の足並み風ぞ遮る


> ‥曇りがちの寒い日が続いて、幾日ぶりかの晴れ
> もう春だと思うに十分な光りが窓に射している
> これなら、散歩の距離も伸びそうだと思いきや
> 「風がのう‥」嫌になるぐらいにまだまだ冷たいよ
> 誰かを誘ってとか‥そういう空気には遠いよ



1-7)2

底に紅葉彩る露天風呂          静岡市・わらしな渓流句会(2-23)

風呂底に紅葉寝そべる明け露天 立ち込む湯気の天晴れと消ゆ


> ‥夜明けの露天風呂を満喫してやろうとバイクを飛ばして来た
> 少し早かったが、真っ暗なところドボンと浸かったよ
> そしたら、足下が嫌にゴミゴミしているようで、気になったが
> 寒いしそのまま気にせず浸かっていたら
> ‥なんと‥
> 夜明けと共に、湯気が立ち消え出して驚いた
> 俺は、一人、紅葉びっしりの風呂底で寝そべっていたんだよ




|ガタゴトと鉄橋渡る音響き束の間旅の記憶を追えり       静岡市・長田寿短歌同好会(2-24)

|ガタゴトと鉄橋渡る惜しむ秋 紅葉を後に旅ぞ足早


> ‥秋の愁いとばかりに電車の旅に出た
> 帰路に就くと、ますますもの悲しさに誘われ、鉄橋越えの紅葉に別れを告げた
> (秋惜しむ旅なんて、あっという間で、哀愁倍増だけじゃねぇか!‥やはり秋の旅は‥)



1-7)3

|山茶花の見事に咲ける裏庭に水仙の花ほのと香れり       静岡市・長田寿短歌同好会(2-24)

|集まれば咲けり香れり恋の春 誰が誰をと知りたがるらむ


 *咲く[命令形]+り[完了・存続の助動詞]=咲けり
 (‥あれ?命令形だった‥已然形だと思ってたよ)
 (過去解説間違えてるかも知れません、あしからず)

 ‥で

 過去進行形で解釈するべきだろうか?
 現在進行形で解釈するべきだろうか?
 ネタの「咲けり」だと、どうにも「過去進行形」で説かないとちんぷんかんぷんだよ

 ‥咲いていた裏庭‥
 (どうして、「咲けり」を避けてたのかがやっと解ったぜ)

 で、後半の「香れり」は、現在進行形だよ
 (古文の問題には持って来いだが、詠みとしては、鬱陶しい限りだッ)


> ‥人が集まると、そこでは幾らかにも恋が生まれる
> そんなドツボにハマったように、春に魅入られた輩を横に見つけると
> そりゃそいつの本命が気になるところで
> 誰だって興味津々ということなのだろうなぁ

  (しかし)
  (それの関心事とは、結果だろうか?、釣り合いだろうか?、アクションだろうか?)

  ‥何も無いより、やらかしてくれた方がおもしろいけどな
  くだらなく冷やかす事にだけ生き甲斐の奴も居たりするからな(ああ、面倒くさい)




|ちぐれ雲あの一とひらに思い寄せ      焼津市・川柳わかくさ(2-23)

|ちぎれ雲あのひとかたに思い馳せ 寄り添いみればブチ切れる日々


> ‥雲のような人に孤独を見つけると、なぜかキュンとしちゃうのが私の恋心と言うことで
> その中でも、飛び抜けてちぎれ雲のような人に巡り会ったのよ
> ‥そういう事で‥
> チャンスを逃すまいと押し掛けてみたんだけど
> 本当にそれこそ‥ただの浮き雲でしかない優柔不断×甲斐性無しのどうでも良い奴だったのよね
> どうして、あんな糞なタイプにお熱を上げちゃうのかしら、ほんと不思議よね



1-7)4

|多数決疑惑も人も霧の中          静岡市・むなぎ川柳会(2-23)

煙に巻く疑惑の麻生 ナチ発言 尻尾出さずも舌は正直


> ‥麻生太郎の問題発言が、たまに発生する
> マンガのノリと混合した中二病の症状なんだろうけど
> キャラの立て方がまるでなってないというか
> 自分の立場すらすっ飛ばしているところが、どうにもぶっ飛んでいる
> それだけ、本音とも冗談とも判別できないというより
> 支配的立場としての憧れがあるような点だけは正直さが滲み出るのだろう

  (誰がどう見たって、ヤクザが背広着て渡り合う背中にしか見えないからなぁ)

> ‥それともなんだ
> 一部の閣僚&海外主要人との会話では、度々その手の言葉遣いがウケるのか?
> それはそれで怪しさ100倍だよなぁ




竹馬の上手と下手のあがる坂        沼津市・若草俳句会(2-23)

|勝ち組や竹馬の友で一番手 ドヤ顔こらえ格差を批判


 *竹馬の友(ちくばのとも)

> ‥同窓会に足を運ぶと、お互いのその後を語るのがお約束だ
> 友好意識でやって来たのに、そんなつもりもないのになにやら競争意識にすり替わっていたりする
> 自分が一番に出世してるとか‥高笑いしたいのを押さえるのも出世の器用と言うことなのだろうが

  そんな凸凹した集まりでうんちく垂れる世間話という奴は、一体、「誰が主役なの?」

> クラス会で本音を隠して頷いてるなんて、脇役か悪役の役どころだよ
> しかし、そんな自分に嫌気が差さないのも
> 竹馬の友を過ごしたという事情以外のなにものでも無いのだろうなぁ



1-7)5

|電飾ひかり華やぐ街の片陰にねぐら追われし椋鳥騒ぐ        静岡市・しおん短歌会(2-24)

|椋争鳴 華やぐ街の片端で 森ぞ恋しく野ざらしの声


> ‥椋鳥の群れが繁華街の闇にたむろしているのは、とにかくけたたましい
> あれはあれで、森を恋しく訴えているのだろうと思うけど
> どうして、ああなっちまうんだろうなぁ??
> (人間同士でも似たようなものだからなぁ)




|朝まだき鉢物全部霜柱           静岡市・わらしな渓流句会(2-23)

|朝まだき鉢物全部霜柱 頑張れとしか言いようが無く


> ‥お決まりの冬のお約束の霜柱
> 今年は酷いもんで、鉢物全部に霜柱が立っちまってましたよ
> どうしたらいいかなんて解らなくなると、大ざっぱにも見守るだけですな



1-7)6

|冬耕の返す土へと鳥の群れ         沼津市・若草俳句会(2-23)

|冬耕の返す土へと鳥寄りく チャンスと言えど空気読んどる


 *冬耕(とうこう)

> ‥餌づけになれた鶴が、片っ端から芽を啄んじまうほどのDQNぶりには呆れるが
> 大抵の鳥は、警戒心が強くチャンスと言えど、人との繋がりにおいて空気を読んでいる節がある

> ‥冬耕やら春耕の土の掘り返しともなると、頼みにしているところも有るのだろう
> 裏を返せば、ヒトの側の光景が変わり出すと
> 鳥の方だって、策を改めざるを得なかろう

> 放棄された面積が増え始めると言うことは
> 鳥の方だって、深刻なんだと思うよ


 (ということは)

 (鶴のDQNぶりを改善させるには、見せしめ猟を何度か行って、警戒心を植え付けさせれば良い)
 (生け捕りにして、さらに飼育してみるとした検討調査もある)
 (鶴がさらにDQN化するかしないかは、興味をそそるところだろう)
 (人間の暮らし向きを理解したなら、そのまま再放鳥も有りうる)

 ‥鶴の柵の前で、苗から育てて、稔って行くのを見せれば良い‥
 どんなに馬鹿でも、後で増えると解れば反応変わるだろう
 変わらないようなら、いよいよ天然記念物指定を解除せざるを得まい

 もしかしたら、「鶴」=「目先の利益しか判別できない代表格」という表現になるかもな



1-7)7

|時雨来て舟屋おぼろに遠ざかる       沼津市・若草俳句会(2-23)

|時雨落つ舟は岸へとおぼろ寄る 水路暮らしの無理せぬ櫓声


 *櫓声(ろせい)‥櫓をこぐ音。

> ‥人力中心だった頃の暮らしに
> 右肩上がりの利潤追求なんてのは、商人の願望ぐらいだった
> それにしたって、爆発的に人口の増えるよすがに無かった

 (だから、地域の顔としての画策を欠かさない方が得だった)

> 仕掛ける輩が居なければ、誰もがいつも通りのマイペースだよ

> ‥時雨が降り出せば、運休にも
> 舟を岸に寄せることに文句を言う筋合いも無かったろう
> 現代の狭間に見かける櫓声からは、そんな呟きが聞こえてくるようだなぁ




九十で逝きたる兄の生き甲斐の竹の箒に思ひは残る       静岡市・長田寿短歌同好会(2-24)

|兄逝くや竹の箒を残しつつ まだまだ寄進九十半ば


 ※参考:1-8)4

> ‥以前に取り上げた竹箒の寄進の方(手先器用の兄、九十歳)
> 亡くなったようです(はや☆)


 ‥三十一文字では想定できない部分もあったと言うことでしょうか
 経過を誰かに伝えるには、外せない文言があるわけですが
 同じテーマをツッコんでとことん詠んでみる事で、立体感×存在感に繋がるということです

 (句会も高齢化、詠み手が亡くなりだすと句会自体が頓挫しかねません)
 (こげな漉き歌を引っぱっていられるのも今のうちと言うことなのでしょう)
 (‥それにしてもあと一年半もやろうってのかい、色々と厳しいぜ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:21 | Comment(0) | 名句にポン/2018前半 | 更新情報をチェックする
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