2018年03月11日

【詩】美しさこそが癒やしなら

向宜詠吟.2018/03/11

美しさに癒やしが伴うと思うなら
そう思うままに、清く正しく生きれば善い

‥ならば、だだ衝動に駆り立てられて
美しきを貪りたいだけの者を「穢らわしい」と言うは当然の解釈だよ
貪ることを推奨するばかりの世の流行りに、癒やしなんかありゃしないさ

その証拠に

次から次に即席に「美」を披露するばかりに疲弊しきっている
癒やしの伴わぬ美しさなどなんの価値も無い

そこにあったにせよ、汝自身が清く正しくない‥まだまだとの鏡似性という事だろうよ

程ほどにしか克己せず、身を清く保つのもそこそこでは、安らぎも遠のこう
否、そこそこで満足出来るはずだよ
より目映き癒やしを求める必要もなかろう

‥そうで無いというのなら、汝には嘘がある(それだけだ)

斯様な嘘を積み重ねては、癒されることも程ほどで、程ほどの輝きだ
それでも感謝をしていれば多少はマシかも知れないが
己の清さ正しきの磨き上げを欠いたままに、汝の内側より安らいでくるなどとは、ほど遠きこと
ならば、どうして「人の為に」‥などと口にできるだろうか?
美しさこそが一番の癒やしにあるのだろうに‥

そうでないから、いつまで経っても「恥ずかしい」ままだ


お互いがお互いを当てにするだけで
一人一人の内側からは、一向に、癒やしのオーラの発せられる所が無い
なんと残念なお互い様だろうか
斯様な世間を見渡せば、常に生傷の絶えない毎日が在るばかりだよ

一人一人、清く正しくを自分なりに積み重ねないのでは、穏やかなる世など訪れようもないのだ!




> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:43 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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