2018年06月07日

【勝手句帳】217 30-5-22,25,26 其の1静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2018/06/07

|いぬふぐり富士まだ白き衣着て       裾野市・寿大学俳句教室(5-25)

|いぬふぐり富士まだ白き衣着て 絶滅危惧に耐えつ堪えつ


 参考記事:http://tnt-lab.eco.coocan.jp/s/nat/inufuguri/inufuguri.htm

> 土着のイヌノフグリと西洋由来のオオイヌノフグリがあり
> 今や、土着のイヌノフグリは
> オオイヌノフグリに追いやられて、絶滅危惧の瀬戸際に立たされている
> その耐えつ堪(こら)えつの姿は
> 温暖化の影響で、富士山の冠雪がこの先どうなるのか定まらない危惧と同じだなぁ


 ‥今年(2018)の富士山は、春先より春に冠雪が濃くあった
 というのが、ネタの句の趣でーす
 季語のいぬふぐりとの相関が「危惧」という事のようですが
 ネタの句が、そこまで掘り下げられての詠みにあるかは、まったくわかりません




散るまでは花の姿で祈ります        袋井市・川柳吟社麦(5-26)

朽ちようと花の姿で祈ります 姫の誇りは正面目線


> 歴史の等身大での日本の姫様像を知る由もないが
> ドラマなんかで味付けされる現代好みの姫様像と言う奴は
> 至って‥随分と肝っ玉が据わっていて、男尊女卑さは欠片も無い

  まぁ中には自己中に偏った変わり種も居るようだけど

> 権限も無いのに、どうして、いざというときに存在感を増すんだろうね
> 権限なんかどこ吹く風だったのが、日本の姫様像なら‥
> 「権威側の家系には男尊女卑なんか無かった」‥というのが真相だろうね

  在ったのは、男女の役割を意識させる上での作法のみ

> ‥現代のそうでない教育と一般解釈だけが
> 無造作に、男尊女卑を思い込んだだけなんだろうなぁ
> それだけの格の差を思い込んでるんだろうね(きっと)

  残念なことだなぁ

> わざわざ自らの人権を放棄するように、心の中で振る舞ってしまっているのだから
> そして、上の立場を得られればさえ、わがまま勝手がまかり通るものだとも思い込んでいる
> 無造作に斯様な思い込みに晒されている人々ほど、言葉での自衛に無知だったりする

> ‥育ちが良くないと権利が無いとか、能力に評価が付かないと語るだけ無駄とか
> そう言った「諦めムード100%症候群」ってのが、そもそもの元凶だよ

 (野性動物の世界の自己防衛にしたって、剣幕次第のところは見られるからな)

> ‥才が無いんじゃ無くて、語るべき土壌に適った教養を経ているかどうかだけだよ
> それがまた資格があればの水準ありきにすり替わって、自分で判断せずにどうしようもない


  自らの心からして公平に据えおいていない人権なんか、人権の意に力なんかねぇ!


> まったく‥人様の命に暮らしを粗末にして、踏みにじりたい欲求を権力のあるべき姿とか
> 相当に思い込んじまってる口だよな
> (蹂躙されたから蹂躙し返してやりてぇの右から左だよ)

  そんな売られた喧嘩云々の見方では、一体全体、何を以て人権を指すんだろうね??

> 法律に明文化された範囲での自由権解釈だけを人権だとか思ってるんじゃ‥すでに終者だよ
> そこにあるのは、100%自衛しない自由権認知だから


  ‥ここまでをひっくり返して読み解くと
 「自衛意欲乏しき女子を『姫』とは呼ばない」
 「公平に平和を意識していない女子を『姫』とは呼ばない」
  ということなんだろうなぁ



1-5)1

|主なき裏の空地にすみれ濃し        裾野市・寿大学俳句教室(5-25)

|さくら濃き散る濃き不思議七日ほど 盛るまほろば吹ぶき惜しまず


> 桜が満開から咲き誇っている期間は、概ね七日間ほどだそうだ
> 桜がもう少しちびちびと散るべきだと思うなら十日間も有り得るだろう
> しかしそうではない
> なぜか景気良く、一気に散る方を好んで散り吹かすのだ

  そしてそれはなにも桜だけの話では無い

> 木枯しなんかもそんな趣なんだから、そのような散り際を演出したき好みがあるのだろう
> 私たちは自然体で其を受けとめざるを得ない

> お陰で私たち日本人は、「最後の力を振りしぼって」‥なんて性格になっている
> ‥そんなこんなで、根本的に、心に響く趣と情が、グローバルとは違うのだろうなぁ




|花のくづ寄せては返す湖岸かな       掛川市・句会あさかぜ(5-22)

|恋の告寄せては返す花夕日 始まるはずのすれ違うらむ


> ‥告白をしたのだが
> 始まるはずのあの子との青春ライフも‥どうしてこうも‥ものの見事にすれ違うのだろう

  (いつもいつもだ!‥いつもいつもだよッ)

> 今度はイケると思っていたのに、随分と残念な事だなぁ
> せめてもの慰めは、花と夕日の思い出だなぁ
> 否、そうじゃない
> 花と夕日の場面を見る度にこの苦い思い出をぶり返すのだ
> 世間じゃそれを「トラウマ」って言うんだよ‥(チクショウ!!!)


 ‥この手のトラウマをうすめる為に
 同じように告白を繰り返すようになったわけだが
 もはや、振られるのが前提だしな
 たかが恋の告白に演出なんか要らねぇよ、無理せずに雨の日で十分だ

 ‥で、断られ文句が「またの日にお願いできますか?」だな
 (‥晴れの日に告るのが似合うようになってからお願いします‥)チーン

 ‥OK寄りの返事なら
 「晴れの日にまたお願いできますか?」だな
 お馬鹿にもそこで失敗をやらかしたりして‥(それはそれで運と言うことかもな)
 先を越されたという展開も有り得るだろうな‥(それはそれで謀られたという印象だな)

 ‥こんなに冴えてる発想の俺が、どうしてフラれるのだろうか?
 ‥世間と俺の恋のセンスは、完全にすれ違っている!



1-5)2

|この雨に終わるさくら手の届く枝      浜松市・槇の会(5-25)

|手の届く頃にはたわわ散り乱れ 景気の波の激たる運否


 *運否(うんぷ)

> 経済の景気の指標は、工作機械が売れているかどうからしいが
> 新しい工作機械を買って、もうひと稼ぎしようと手を出しちゃったりすると
> 途端にバブルが弾け→景気低迷→借金だけが残ったりするのがオチなんだよなぁ




|行く春や箍のゆるびしことばかり    静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷ俳句のひろば」(5-25)

|行く春や箍のゆるびし羨まし カツカツ経営死に体ゆえに


 *箍(たが)、羨ましい(うらやましい)

> ‥余裕があって、少しぐらい箍が緩んだぐらいじゃビクともしない会社は好いなぁ
> こっちとら、老舗と言えど‥カツカツでもはや死に体だもんなぁ
> 斯様な次第にありまして、この春で、我が社は手仕舞いさせて頂きます



1-5)3

|どの部屋もほととぎす来て今日の宿     静岡市・あけぼの句会(5-25)

|どの部屋も鶯けらしラブホ街 人口減で過疎になりつつ


> ‥かつては、浮気の御用達から援交の御用達になり
> ついには、あれやこれやの法律が台頭し
> やんちゃな学生だろうと出入りしにくく成った時代だ

  今や未成年と連れ添っていたりするだけでアウトだからな

> そりゃ、利用者低減にも繋がるよ
> ただでさえ少子化で、その手の需要は確実に先細りだ
> ラブホ街が過疎化するのも時間の問題だろうよ


 ‥まさか、そんな事情から、成人年齢を下げたのか?‥





|かげろひや雑魚さつと退く潮だまり     沼津市・裸子駿河句会(5-26)

|影ろへば雑魚さつと退く潮だまり 満ち潮来るまで逃げ場無し


 *潮だまりとは、干潮で磯の凹みに海水が溜まった状態
 (雑魚(ざこ)が取り残されていたりする)

> ‥潮だまりへの置き去りは、市場が閉塞した経済に似ている
> 逃げ場なんか無いのに
> 少しでもリスクを察知すると手を退くのは、取り残された雑魚の動きそっくりだ

> 元から‥外洋から来た次第を理解していれば
> なにも潮だまりにこだわらずとも、脱出を検討するのが道理だろう
> しかし、内海の心地良さしか知らないなら
> 再びの好景気到来まで‥堪え忍ぶことしか思い浮かばないのが心理だろう

  ところが

> 好景気とは、演出されるものであり且つ焦点が常に全体に公平にあるとは限らない
> 一億総中流なんて時代の記憶が、無駄に思い込みとなり
> 「それこそ‥そもそもの前提だ」として、染みついてしまっている

  しかしながら

> そもそもの資本経済とは、黒船によりもたらされた外洋側の強奪ルールである
> 内海とは即ち植民地扱いであり、外洋たるグローバル側に主導権があるのは問うまでもない
> 内海には、通貨発行権利から創造した数字(カネ)を貸し付けて、その返済労意を吸い上げるのだ
> 文句を垂れて叛意を示せば、軍事や見せしめの餌食に晒される
> 強奪ルールにとって、軍事出動は正義であり、自らの懐の安寧を約束する為に振る舞われる

 (吸い上げた資本は、すべて軍事や諜報の投資に振られるのだから堪ったものではない)

  即ち

> グローバルに統制された貸付ルールとは、一般大衆を潮だまりに見立てた追い込み漁に他ならない


 ‥という話はさておき
 潮だまりに残る魚って、どの程度なんだろうね??
 適度に要るんなら、追い込み漁の簡易罠を被災時の食糧確保に備えておいても良いと思うが
 ただでさえ漁獲量が減っちまってるからなぁ

 そんなこんなに思いを巡らすと

 縄文時代の頃なんて、無理に舟をこしらえて漁に出ずとも
 潮だまりだけで間に合っていたのかも知れないなぁ
 もとい、干潮時の浜の距離間にわざと凹みや囲みをこしらえておいて、仕掛けるのもありだったかも
 ‥伝承されてる土地柄なら、当時からそうだった可能性は十分に考えられる


1-5)4

|風吹いて桜の名残と思へし蝶        静岡市・清風俳句会(5-26)

葉桜や惜しむてふてふ空見上ぐ 希望が死んで五月病


> ‥入学する選択支を誤っちまったかもな
> ‥就職上の選択支を誤っちまったかもな
> まだ選択の余地のあった頃が懐かしい
> せめてもの救いとしての人との出会いも無いし
> この先どうしたら良いんだろうか?(マジ詰んでるよ)





|隅っこに来てのんびりと自由旅       静岡市・サロン川柳句会(5-25)

|隅っこに寄ってのんびり勝手癖 口下手だし馬鹿にされるし


> ‥人生、頭から負け組だと、ついつい隅っこに寄る癖が付っちまっている
> そもそもの敗北感としては、「口下手」と「物覚えがダメ」の二つが筆頭だろう
> ダメダメでも生きていけるのが人権社会の理想のハズだが
> 世間の奪い合った日常にそんな理想なんかねぇ

> 理想は言葉にして見せているだけであって、実際に渦巻くのはストレス発散の重苦しさだ
> そんなこんなで
> 罵る空気ってのは、どうしようもなくあるわけで、理想なんか誰も育てちゃいねぇ


 (なんなんだろうな‥そういう人を馬鹿にしてまでのストレス発散って‥)



1-5)5

止まり日影ゆれるや蝶の羽化       静岡市・清風俳句会(5-26)

|息を呑み見守る日陰 蝶の羽化 羽ばたく影に支えもありき


> ‥蝶の羽化と言わず、羽化する姿に思うことがある
> どうしてあんな無防備に挑めるのだろうか?

  でも、そんな自分は何もしないけど「見守り」はする

> 餌にして襲う存在もいれば、応援する存在もいるのだ
> 考えて見れば、そういうバランスというのは確かに在る


  それだけでも、十分に勇ましくなれると言うことなんだろうなぁ


> それ以上の安全を与えようとしても
> 逆にどうしようもないくらいに自惚れるし、思考停止が関の山だからな

> 「挑戦」させるぐらいのバランスに据えおくのが知恵というものなんだろうなぁ
> でも‥それだけ「覚悟」を強要する宇宙だってことだよ

 (一体全体「覚悟」ってなんだろうなぁ)




朽ちるまで色残す椿のその色濡らす雨    浜松市・槇の会(5-25)

|雨に濡れ屍晒すも椿かな 人の覚悟は弔うものと


> ‥斬り合いの後の屍が転がっている
> ‥その屍が雨に打たれている
> 鴉も寄らず、その血を洗い流さんとしてか、雨が降っているかのようだなぁ

  どうにも、屍の人の覚悟を弔っているかのようだなぁ

> ‥なるほど
> 天に丁重に扱われたければ、覚悟を以て挑めというのが道理と言うことか

> 「覚悟の釣り合いにおいて、丁重に導かれる」
> 其が公平のあらましと言うことだろうか‥


> ‥だとすると
> 公平のそもそもにしても、自身から始まる理と言うことだなぁ
> 公平を得るにも、まずは、心の寄りを自らの姿勢の整いにて示すことが大事
> 外との比較に流されること無く、自らの「信」を積み重ねる姿勢ということだなぁ


> ‥討ち敗れて屍に至ったのは
> 単に相手の「信」を見切るところが無かったという事なのだろう
> 自らに「誠」が在ろうなら、自らの対峙に対しても公平さを慮る必要が生ずるのだろう
> 相手を慮らない姿勢こそが「討つ」という選択に奔るのだからな
> 敗れたのは、その重さに耐得る覚悟に釣り合わなかったという事なのだろう

  いずれにせよ、理不尽にしか思えないが
  覚悟の総量が肝なんだろうな‥

  悪意をするにも覚悟があり
  善意をするにも覚悟がある‥
  対峙において、対象の覚悟を上回るだけの思慮を得ていない場合のやらかしは
  しっぺ返しにしか成らない



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:26 | Comment(0) | 名句にポン/2018前半 | 更新情報をチェックする
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