2018年07月22日

【勝手句帳】229 30-6-29,30,7-3 静岡新聞掲載分から

↓9)向宜詠吟.2018/07/22

|つちふるや地球はまるくつながりて     三島市・東大場土筆句会(6-29)

|プラゴミや地球は丸く繋がりて 使い捨てほど悪の所業


 *土降る・霾(つちふる)‥黄砂。[春]

> ‥「使い捨て」といえば
> 野生動物にも見られる(木の上の猿がちょっと齧っちゃ)ぽいするアレだな
> あれはあれで循環の内なんだが
> それと同じ程度の感覚で、ヒトは何でもぽいをする
> その顛末が今どきのプラゴミ問題だ

  それにしたって、そもそもは

> ‥投資してきた側の責任だよ
> 「投資側の無知の集大成」=「釣られる人類の程度の証明」だよ
> 人類に叡智なんざゼロの証明だ(もとい投資家は科学的美意識ゼロの迷妄家だったって事だよ)


  誰にでも失敗はあるだろう

  しかし、人類の多くが死ぬほどの悪化を見ないと同意しかねるという次第では終間だ

  それの対策等で語られる「第三者管理」にしても妄想だ
 (単に、これ幸いのお席の設置案だから、予算的にもなんの解決を見出すこともない)

  ならば

  過半数の賛成発想だけで決める民主主義なんてのは、愚の骨頂!
  反対数四分の一程度で、案件却下するぐらいが、環境セキュリティなんだろうよ

 (ヒット商品の比率にしても、4人に1人が買えば大ブレークだからな)
 (‥その割合の数が反対するって、実は、ものスゲースケールだったって逆の発想)


>  反対意見の割合こそを重視する民主主義は、かつてない発想だ


  ‥過半数以上の反対を求めて、其に到達する頃には
  その多くが「地球滅亡の危機」&「地域にとっての最悪」を100%で招く

  ‥これぞ二十世紀からの(資本主義ゆえの)
  過半数賛成からなる合議制の多量的負の教訓だ!(修正してこそ人類の叡智&繁栄だよ諸君!)


  ‥何を以ての民主主義の理想だったかを問うても、其は、最悪を避ける為である‥


> ‥自分の本音でさえ伝えるのが、疎かにも不器用なのに(ゆえの政党制)
> そんな不器用集団がやらかす次第なんか相場が決まってる


  そこには「利害の一致性」があるだけで「責任を取る一致性」は無い

  (利害の一致性の多くは、犯罪紛いのツラを隠すばかりだからなぁ)
 
 「豊かさ×便利さ」優先が如何に大失敗だったかである(歯止めが利かない×自覚に疎い)
  ‥だから、碌でもない顛末ばかりを引き寄せる


|真の民主主義とは、四分の一の否決で案件却下だッ(賛成派こそ粘り強く誠実に説得すべし)
|真の幸福の追求とは、最悪を招かない確率の遠ざけにこそ在り




1-9)1

生き甲斐はなにと今さら聞かれても     伊豆市・川柳ともしび吟社(7-3)

|生き甲斐を問うほど詰まる生きる意味 哲学よりも本能ありき


> ‥「生き甲斐」を問われたところで、誰も唯なんとなくだよ
> 生きる意味からして、理由なんかあるわけない!
> そこは哲学よりも本能だ

 (されど、「本能」と「煩悩」は違うわけで‥そこは哲学ありきかな)



|本能に左右のありて揺らぐかな 選び貫きなんとなく私


> ‥自分(自分ら)に備わった本能・本質とは?

> 自分(自分ら)の独自性が判らないから迷うわけだが
> そこに期待されるような「秘められた潜在能力100%」なんてのは、じつは無い
> 先天的な何かを期待しても、世は超過密人口世界だ(もとい過当競争世界だよ)

  考えても見た前、そんな世界においての強みとは、後天的積み重ねだよ

  なにを積み重ねたいのか?
  なにを積み重ねたのか?‥それだけだ‥(積み重ねへの執念の強さだよ)


> 積み上げてようやく、「私らしき光」が見え始める


  ‥ぶっちゃけ、神視点での公平さなんてそんな所だよ
  他に運勢の因果律で優先されるべき事案があるとしたら、神の側の都合だな
  起こるべきに守護はあるからねぇ(それにしたって見切られもある)



|生きるほど私の癖を積み上げる 役に立たずも役に立とうとも


> ‥自分が自分にある証しとして、癖が蓄積されていく
> AIに人の区別を認識させようと思ったらそんな視点らしいよ

  そこには、何の変哲のない日常の所作から、利便を期待できる所作までピンキリだ

> ‥関連づけという事だろうけど
> ヒトの側から見て自覚の有る無しを問わず‥蓄積がすすんで行く
> AI視点から妄想すると、それぞれの項目別での発生比率がその人とする定義だ


  ならば、私らしさとは意識して創造されるという事になる


  ‥どんな味付けが最適かなんて誰も知らねぇ世界だ
  単に、気の向くままに形成されてる程度だろう(所謂、平凡)

  ‥非凡を目指すなら、それこそ意識して取り組むべきだが
  誰かを手本・憧れにしたり、アドバイスをアドバイスのままに応用でき兼ねるままなら
  テメエ自身と自身の関わりをなんら観察できちゃいねぇ

 (つまり、テメエを観察できない状態を積み上げちまうんだなぁ)

  テメエを活かしたいなら、其を避けて、活かし方を常に意識すべきだぜ

 (そこで100%‥なんてやらかすとカリカリしてる自分を積み上げちまうわけだ)
 (カリカリしたいなら大いに結構だが、それを見て暮らす側の蓄積というのもある訳よ)

  ‥うんざりだけは、蓄積したくないのがお互い様だからなぁ
  ‥見てても、見せられてもトラウマになるケースもあるからなぁ
  ‥自分の想定外での積み上げも勘定されて在るのも「私」のうちって奴よ



1-9)2

|まっとうな癖を目指せど適材適所 癖変えたれば立ち位置変わる


> ‥癖(思慮傾向)というやつの結局は、らしさ追求の適材適所だよ(俯瞰視)

> ‥「癖を変える」とは
> 視野を広げて、双方の立場から物を見る事であり、且つ、目的に沿えるかだ
> それだけでも、まずは空気が変わる


  必要であれば、目的を射るのに、普段に好みとしている汝のスタイルを末置く事でもある

  (その必要における己の許容を理解しているか?)
  (無理ならそれを望まないとした自覚があるか?)


> ‥私たちは平凡にも
> 「まっとう癖/平均癖」を付けるべき必要は無くも
> 「横並び意識の必要性」を、それなりに肌で理解する


  ‥平均から乖離しているほどに
  心理反応が他人と異なり、独自色が濃く映るわけだが
  それはそれで相手の真意を汲むのに困窮するタイプとの予想も立つ

  (解りたいと思うタイプかはその人次第だ) 
  (されど解らなくても好いと思う輩が大半では、健全な文化形成は覚束ない)


> ゆえに、「横並び意識の水準」を自らに刻むには
> 自らにオリジナルを問う前段階での水準認知が手順として欠かせない


  ‥一足飛びに天才などとは、クソ発想だ
  ‥始めから尖った特別では、いつもうわべだけにハマりがちだ
  ‥大人になっても、洗いざらいに他者を推し量ろうとする傾向に疎い(ただのお馬鹿もそうだけど)

  (現代教育のグローバル寄りは、明らかに勘違い)


> しかしながら
> 早い内から身に付いた癖ほど、後から脱皮するのに苦労する傾向を否めない


  ‥なぜそうかというと
  其は心の側の意識だけにとどまらず、脳や身体の側の意識が絡むからだ

  そこを知覚して克服しないと、癖を状況次第に慮り変え合わせて、対応するまでには至らない

  (細胞レベルから匂う程の切り替えだよ)
  (別人格に思うほどの切り替えだよ)
  (そこまでのチェンジを、多くは想定していまい‥混乱するからな)


> 下から上に出世するにせよ、上に行くほどに慣れぬ空気が漂うものだ
> 上から下を見下ろそうにも、もはや下に行くほどに好む上でのニュアンスが判らなくなるものだ


  判らないくせに、なんちゃっての能力を売りにしているのが、能力主義の程度でもある
  (‥そこで言葉を成果主義に置き換えだす)

  ‥能力だろうと成果だろうと
  互いの文化や事情に関心が及ばぬようでは、その辺は、白痴と化した同士だ
  (話し合いなど成り立つ訳が無い)

  ‥そこで研究テーマにもなるわけだが
  同じ釜の飯を食わずに、理解できるなどと有り得ない(プライドはゴミ)
  細胞レベルまでの理解に挑むなら、生まれ育ちから設定して誕生するに越したこたぁない

  (それぐらいに、自らを以て、相手の文化や癖に到るほどに、慮る気が有るか無いかだよ)

  ‥今時分の現地ならではのあれこれを尊重し出している空気は、その現れの一貫だろうよ
  (それにしたって適材適所で、無理が通ることは無い)



1-9)3

|好きな癖取り憑かれにける不自由かな 阿吽で変えれば変幻自在


> ‥ヒトは不器用にも、自分の癖(自分のイメージ)への愛着も多い
> それはもう‥取り憑かれていると言わんばかりだ

> 適材適所に生きやすさを求めて
> 癖(思慮傾向)も、好み(嗜好の同調)も変えられたら、そりゃ変幻自在だろうね
> 特定パターンなんか検知不能だよ(ヒトとしての匂いが変わると言うことだよ)

  しかしながら
  事象の善悪すら分別の覚束ない段階では、まず到達し得ない理解だ(認知&共有の不能)

> その点、自問自答も個人差ありきだし
> できる奴の頭を借りろって話にもなる
> そんなこんなで対話不足の苦手が培われるばかりだった

> 対話を面倒とするから、権威側が傲るのだ(法規の利便に胡坐)
> 大衆でそんな無知程度のうちは、どうしたって不器用を立ち回らざるを得ない


> それでなくても
> 分別からの各人への対応は
> 見た目、八方美人にも、依怙贔屓にも見えるケースが多い

  分別を問えないがゆえに
  誤解の発生も多くなり、マクロで見れば大問題

 (ここでの分別とする定義とは)

> 朧に述べれば、空気の昇華、お互いの係わりの昇華を意図した切り替え&行為
> マンガやドラマに例えると、即興による名演技×名場面引き寄せ×運勢の伏線


 (人生、だんまりの凸凹でも、くどくなくて好いんだけどね)

 ‥とはいえ
 分別を知らぬ己を蓄積するだけは、どうにも損と恥の間だからなぁ
 ただでさえ善悪の判断を他者に委ねる有り様は、「自覚がありません」と告白したような様だ
 そういう意味では、法規社会なんて‥下の段階そのものだからね
 エリートにしても、四苦八苦して法文を捻る段階だからなぁ

 「天網恢恢疎にして漏らさず」だって、そこでもピンキリだっていう話だよ


 ‥最終的には、自分&他に恥ずかしくないとした物差しを磨くしかないのだ‥



1-9)4

|よそ見して余計なものを求めてる      浜松市・川柳社いしころ会(6-29)

|よそ見させ余計を足してつもりとは 稚鈍を狙う押し売る自由


 *稚鈍(ちどん)‥考えが浅はかで手玉に取られるような鈍さ。

> ‥儲かればさえ好いとして
> 如何なる所業だろうと躊躇せずの輩の存在はとても信じ難いが
> 法律の拘束力がアバウトなのも事実だ

  そうでなくても

> 在庫処分のノウハウは、買う側にとってはババ抜きだ
> つまり、失敗でさえ売らざるを得ない商いの性格が悪を呼ぶ

  ‥それら禁断の手口が通じちゃうとばかりにやっちゃえば
  それも世間への甘えだよなぁ
  「自立してます」なんてどの口で叩けるんだよ(すねかじりと変わんねぇっての)



1-9)5

泣きべそが笑って見えた水溜まり      浜松市・川柳社いしころ会(6-29)

|うなだれがしたりに見えた過去の恥 うすれぬ恥の何と多かれ


> ‥旅の恥は掻きすて、人生の恥は死んだらお終い(ナワケねぇ)
> 自分&他人を許せないと思う恥ほど、なぜか思い出す度心に刺さってる

  にしても、それの度合いは人それぞれだ

> ‥未熟がゆえの顛末だろうと
> 何も考えずにポジティブなのと
> 理屈に置き換えてまで判断しきらないと納得できないのとでは
> 心への負荷はまったく異なる


  特に、哲学などと云う癖は、恥の大きさを誇大化させる


> ‥哲学に生きていると
> 自らに、哲学がのし掛かって恥も大きく見えるのだ

  されど、哲学ゆえに飛躍もある

> 飛躍できると、かつての恥が消し飛んでいたりする
> そんな時は軽くなれるわけだが、薄れていない恥なんざまだまだある


 ‥恥を見出す才覚とでも言えるのだろうな
 ‥恥としたバランスもしくは知覚が、心理法則的に作用していると思わざるを得ない

  つまりは、カルマ信仰なんて次第をふと思うわけだよ
  この恥が未来永劫続くのかと思うと、ほとほとにうんざりよ

 ‥少なくとも、タイムマシンで見に行けるなんて想像するとバレバレの世界だからなぁ
 ‥とどのつまり、己に恥ずかしく無いように生きざるを得ない
 ‥ここで語る恥とは、人目に恥ずかしいなどという次元では無い


> 恥を嫌うがあまり、先読みして摘んでしまいたい&摘んじまおう症候群だよ
> ‥斯様を他者に向けるとキチガイだし「絶句の恥」なのは申し述べるまでもない



1-9)6

ばらばらな味を一つにする匠        浜松市・川柳社いしころ会(6-29)
|言葉より視野の深さを問われてる      浜松市・川柳社いしころ会(6-29)

|バラバラな視野を一つに問うしじま 「繋がっている‥」が閃き正す


> ‥宇宙を一つに統べる法則は在るだろうか?

> ‥在ったにせよ、実用的には組み合わせだろう
> 都合から生まれるのが「書き換え」でもある

  ただし

> 物理的な作用までを書き換えできるという想定に地球人の科学は位置しない
> 数学の基本ルールを書き換えることは不可能だ‥だからそのように思い込む

  しかれども

> 宇宙の創造は意図的だ(偶然にしてはできすぎている‥否、偶然だけでは無理)
> そこに生じているバランスこそが意図的なのだ
> そりゃまぁ‥物理的連鎖の作用は概ねで法則的且つ自動的だろうけど‥
> 頃合いになって手を加えるというのが、創造ゆえ、意識ゆえだからなぁ


  宇宙には意図的に手を加えてある部分と、作用の成り行きの二つがある


> 宇宙自体に意識の存在を想定すれば、それの及ぼす思考ゆえの形は人間のそれとさほど変わらない


 ‥とまぁ、そんな次第を、フラクタルにも均一視し始めると
 意識の記憶をフィードバックしているのも、ほぼ当人の意識と定義せざるを得ない
 滅ぼせば好いなどと安易にやらかしていると、自分で積み上げていないテクノロジーほど
 きれいさっぱりに思い出せないなんて事にもなりそうだ‥
 (言葉からして失われるからなぁ)


 ‥他人の身体の部位を移植したら、食の好みが変わっていた
 と言うぐらいに、多勢の意識の消失は、残る側への記憶の退化も別人格化も有り得るって事だよ

 (そして、それの変化を認知できるかに、第三者視点は欠かせない)
 (何はともあれ、当の本人が気に留めなかったら、以前なんてそのままに廃れるし)


 ‥其を、翻して問えば
 大勢で一気に変化をやらかすから‥苦も倍々同調するという次第だろうよ
 (よろこびも倍々になるにせよ、すぐに摩耗する程度の日常に倦くのが相場)

 ‥なぜか、苦の方が色濃く記憶に刻まれる‥(セキュリティ性反応だからなぁ)



1-9)7

青空に白き半月見つけたりごろんと寝転ぶ茶刈機の脇      牧之原市・田沼塾短歌会(6-30)

|茶摘む午後 白き半月ごろ寝見る 未踏の風味夢見る半ば


> ‥ああ、茶摘みの時節になると、昼間でも白い月が見える
> 今日は半月のそれが目に止まった
> 休憩がてら、ごろ寝して眺めていると
> 自分が茶摘みをする意義が問われているような気がしてきたよ

  ああそうとも

> 未踏の風味を夢見ている(そこにブレなんてないさ)




爆音とまがう響きのシラス船早朝の床に活気伝わる       静岡市・長田寿短歌同好会(6-30)
|シラス漁急くやエンジン響く町      牧之原市・相良田沼塾俳句部(6-29)

|爆音や町を挙げてのシラス漁 もやいを外せ全旗発進


> ‥おらさの町はシラス漁が売りの港町だ
> シラス漁が解禁すると、漁師は先を競って朝早くにエンジンを掛ける
> それの時間が集中するから、爆音かと思うほどに町につんざく

  でもまぁ

> 全旗発進していく姿をわざわざ起きてまで見に行かないけどね(毎度朝早いし)
> イメージだけは嫌でも植え付くよ



1-9)8

|婚活の相手間近であらが見え        伊豆市・川柳ともしび吟社(7-3)

|婚活も積み上げずんば相手得ず 意識の放棄 積み上げたゆえ

|指摘する意識ばかりが達者では 誰彼となく距離置く也


> ‥婚活の事情も色々だろうけど
> 平凡な日常にて、相手を見いだせなかったという因果は共通している


  なぜそうなったのだろうか?


> そりゃ、自分の意識が、見合った時間軸空間軸に不一致だったからだ
> 他のことに意識が寄っていたからだ
> 人口過多だったから高を括っていたかも知れない

  それらを積み上げた蓄積と言うことだろうよ

  ‥残念と云うよりは
  むしろ必然なんだから、今度は積み上げるだけだよ
  まずは、希望するイメージを具体的に抱くところからやるべし

> しかしまぁ

  ‥そこに至った多くは
  ツラの好み等に、望みが多かったからでもある
 (自分の一番&二番の好みぐらいハッキリさせとけ)

  指摘意識が達者では、そりゃ、向こうからなんて近づいては来ないからねぇ
 (図星なら、まずは、その辺の癖から改めないと‥)





|早苗田見守る2羽のあおさぎ      藤枝市・新俳句人連盟県支部藤枝あざみ句会(7-3)
|朝もやの早苗の中で餌探す夫婦なりしか二羽の白鷺       牧之原市・田沼塾短歌会(6-30)

|朝乞いの二羽のシラサギ早苗景 寄り添いあれど分け合いを見ぬ


 *早苗景(さなえかげ)

> ‥鳥のつがいという奴は
> どうしたって一緒になんて食事しねぇ

> 腹が減ったら、見つけた獲物を啄むだけだ
> そのまま、口に放り込むだけだ

  放り込む瞬間に、一歩引いて
  パートナーを思い浮かべて、「はい、あーん♪」などと‥プレゼントをやらかさない

> ‥動物・昆虫のほとんど多くがその口だ
> ヒトだけが、恋の季節気分を年中煩いやらかしている


 (どう見たって、猿から進化したようには思えない差なんだよなぁ)
 (進化論者の多くは、不器用なタイプが多いんだろうね)



1-9)9

|うぐいすや良い声だねぇ九十九折り    牧之原市・相良田沼塾俳句部(6-29)

|うぐいすや良き声にける九十九折り 腰の痛うて車窓に酔うて


*九十九折り(つづらおり)

> ‥お婆ちゃん、どうしていつもそんなに満身創痍なんですか?
> 折角のドライブが楽しめませんよ

> ‥なーに言っとるん
> わしを誘った時点でこうなるんは明らかや
> そしたら、わしの小言こそウグイスの声なんやで
> 難所がてらのウグイスに思って、うっとりするぐらいでないとなぁ




|捕るをためらう紋白蝶菜園近く高くに命乞いめく         牧之原市・田沼塾短歌会(6-30)

|モンシロや畑の闇に埋もれしか 利用価値などあれば生かさむ


> ‥うちらも所詮はお花畑の蝶々願望だから
> できれば生かしてやりたいとは思うけどな
> モンシロチョウだろうと、アゲハチョウだろうと
> カネにならなぁ無理ってもんさね
> 畑に寄らば、駆除(か)らなぁならん

 (こげなうちらのことを鬼に思う前に、誰さ工夫さしてな)



> うた詠みおわります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:56 | Comment(0) | 名句にポン/2018前半 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。