2018年08月07日

【宇宙な】神々から見た地上に関する正義則

↓2)記稿.2018/08/07

> 神にも色々と居て、正義にも色々とした見立てがある中の決定版


 ‥地球と人類の関係は、エネルギー創出の実験場である
 計画側が考えるエネルギーとは、創造する力だ

 ‥誰かが何とかしてくれるという発想のままでは、エネルギーを発生させるよすがに乏しいので
 計画側にしてみれば、欠陥品扱いとなる


  しかしまぁ
  実験段階程度の宇宙創造において、有り余るほどのエネルギーなど無いので
  たとえゴミ屑だろうと無駄にはできない


 ‥このような事情から
 すでに人類には、エネルギー増幅装置としての機能が組み込まれているという話だ(感情系エナジー)

  だったら、直にいじって改造すれば良いだろう?
  得られるエネルギーだけを搾ってもかなりイケるのではないのか?
  俺専用に人類の放つエネルギーを利用してしまうのも悪くない‥

  (などとした思惑が交錯する)

 ‥計画側が、このような懐疑から正義である為には
 それらを退けるだけのルールを自分たちに課しておく必要が伴う


> 創造エネルギー(感情)の活用は、各自の権利に基づいている
> 権限のある神ですら、勝手にその者の思考に干渉したり覗いたり除いたりするのは宜しくない


 勿論、そんなの関係ねぇとした立場を示して
 敵対する勢力も発生する(それはそれで、それも創造の内だろう)

 しかして

 対抗する上での備えも欠かせず、結果的に、計画側と言えどエネルギー不足になりがちだ
 目的を据えおいて、正面切って対抗するとした意図もまた無いので
 斯様なケースを折り込んだままに実験は続けられている

 ‥如何様に遺伝子が綻びようと、再生し、復活できてこそ完成品としているらしく
 地上が、苦行な有り様に陥りようとも、想定内という事である
 とはいえ、負荷が掛かりすぎて、完全崩壊してもお互いに意味が無いので
 小規模なメンテナンスが都度欠かせない


> 地上に失われた情報を、その都度もたらす為には、まず、地上に構成員を降ろす必要が伴う
> 神と言えど、非公開正義など有り得ないからだ(とはいえ)
> 神と言えど、図々しくも、汝の感情に土足で踏み入るわけにも行かないのである


 在るべき情報が失われたままでは
 勝手な勢力の為すがままにされ、人間の感情を用いた創造実験どころではない

 地上に降り立った構成員に繋がることで
 本来の人間の目的に目覚めてもらおうという話だが
 何かと、精神論に持ち込まれておシャカになりがちだ


 まず、なんら思考を熟していない者ほど未来が投影されないという現実がある


 未来(思熟)を持たぬがゆえに‥もとい、未来を持とうとの覇気に乏しいがゆえに
 その思考の云々は、ついつい善悪論に陥りがちだ
 しかも、何が善で悪かに深い哲学がされて居るわけでもない、その多くは受け売りである次第が多い

 まずは、己の言葉に、未来を紡ぐ気迫を得られるかどうかという事だろう
 そこに慣れが無いと、どうにもお得な響きにヨイショされがちだ



1-2)1

> ‥なんと言っても、正義に公平性は外せない
> 不公平で良いなら、救いを求める意味からして矛盾である


 なのに
 儲かる方が良い、お得が好いというのが人類の大半である

 ‥だから、頭ごなしに「これが真実です」という説き方はしない
 なぜなら、強制性に公平など無いからだ
 (ゆえにほぼ非公開風に陥りがちだ‥目に止まったならラッキーの世界だ)


 ‥テメエが絶対善で、民衆は全堕落とかの見解は有り得ない‥


 本音はどうかは別として(本音をぶつけるのも正義の内だけど)
 考えて頂ける状況に持ち込むことが主旨だから、信じ込ませる事に意味は無い

 考えられるように成って、思慮が積み上がっていく
 何が真実だったかは、その時に成って、その者らが振り返って決める事だ


> 行動に起こすにしても、今の時代は、お得という理念が第一だ


 自分の目的に適うことは一見お得に思えるが、実際の多くは受け売りなだけだ
 自分が前から望んでいた訳でも無く、得たいからと自ら進んで汗をしてきた訳でも無い
 足りなさの足下を見られて、ハッタリを仕掛けられていないとも限らない

 そもそも、それ程に親しいわけでもないのに、民主社会だからと言う空気だけで乗せられいるだけだ

 嘘を付いたら法律で捌かれるから、誰もやらかさないだろうなんて次第にも無い
 特権階級という空気が薄れているから有り得ないだろうと思い込もうと
 組織性という奴は昔も今もさほど変わらない

 (組織の利に適っていれば、やらかすのが組織性だよ)

 個の立場から反論できるぐらいなら、始めから組織に頼ることも無い
 頼る次第に嵌まっているから反論もせずに、トップダウンでやらかすのだ
 組織のトップほど、その手の何をやっても好い錯覚に満ちている
 ‥もとい、嗾けられてる意味合いも多い

 (同盟を組もうとも、対象と成り得る規格が様変わりを見せると、途端に反故になる)



1-2)2

> ところが、あの世の神の側におけるこの世への行動念(アプローチ)はかなり変わっている


 まずは、お互いに認知ができないと始まらない
 地上はその認知を得る上での出会いの場でもある

 エネルギーとしての場の発生を、現象化にて固定させるのだ

 ‥霊にも得手不手があり、お互いに尊厳もある
 そこにはそれなりの取引のような概念が発生する

 それを証文にするのではなく、誰かを介した人生に刻み込ませるのだ

 ‥なぜそうなのかというと
 魂を介してでしか、その証しを刻めないという事情があるらしい
 記録の及ばない口約束という訳にも行かないので、魂を介するのだろう

 自分たちの仲間を降ろして、降ろされた側同士で魂に刻むのだ
 (それは時には、各人だけの中で、運命的出会いや指導の形で起こり得るかも知れない)


 あの世に時間の概念は薄いので、いつそれが交わされたかなどどうにでもなる
 肝心なのは、お互いに、魂に刻んだかどうかだ
 その器に相応しいエネルギーが発動したかどうかだ

 土台(扉)ができて、漸くにして、発芽に向けた場が生ずる

 (そんな感じで、共同するという手順を踏むらしい)

 ‥勝手に、興味本位に、上の神が、上だからと言うどや顔指導に来るなどと言う介入は有り得ない
 ‥頭ごなしに俺の方が偉いからなどという、ヤクザな指導形式では「正義」とは言えないのだ
 ‥勝手に頭の中で喋りまくって良いのは、直の守護霊ぐらいなものだが
 ‥上の神と約束が決まっていると、上の都合で、ちょい下が指導やら守護に来る場合もある
 ‥それにしたって、顔合わせの挨拶も無しなんてのは怪しいだけだろう

 (地上の側が疲労困憊していると、うまく繋がらないなんてのはしょっちゅうだろうけど)


> このような背景があると言うことは


 ‥ヒトの側のカルマとは
 人付き合いの仕方に課題が伴っている以外のなにものでもない


 あの世でのお付き合いや話し合いがあってから「降ろされる」場合もあるだろうが
 それにしたって、地上において結実するかどうかは不明だ

 予定で降ろした多くが頓挫ばかりともなれば、何も決まって居らずとも同じことだ

 地上での成り行きだけでもどうにかなるように仕込むぐらいが相場だろう
 だから、すべての縁(えにし)に関して熟知しているのは、計画側でも一部だけだと言える
 そうであれば、多くは、後付けでの話の付け合い(葛藤)に迫られるのだろう
 その時の権限がどこにあるかと言えば、すでに地上に居る当人だ(守護霊とか指導霊とか関係ない)

 ‥そもそも

 あの世でのお付き合いを軸にしてしまうと
 この世で言う格差構造と変わらない次第をやらかしているに過ぎなくなる

 そんなのは、公平の理念からすればとんでもだ

 上にあればあるほど、下から始めないのでは、そのエネルギーの性質上
 思熟に乏しい者らと縁を交わすことなど無理な話だ(目覚めてからでは遅いのだ)
 ‥生まれた先が悪かったとか、程ほどくだらない物の見方だよ


 運悪く、どん底に暮らす羽目になるにしたって、嘆く必要などさほど無い
 思熟が伴うかどうかだよ(偏見に満ちているとなかなかに険しい)

 (生理的に肌の合わないことを、向こうも期待しちゃいないようだしな)


> 人生を楽しもうなんざプレイヤーの勝手
> この世の手入れを誰にさせるかは時と次第の流れ


 モチベーションを削ってまでの人生観を誰も望んではいないにせよ

 「公平を据えおきっぱの、大衆に、至福なんか訪れるわけが無い!」

 科学に踊らされて、大失敗にハマるのが精々だってのは
 すでに多量的に実証済みである
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:08 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする
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