2018年09月14日

【勝手句帳】255 30-8-31,9-1,4 其の2静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2018/09/14

|赤富士や開耶姫の立衣裳          沼津市・万年青大学「俳句A教室」(9-4)

|赤富士や開闢の夢未だ秘め 放つ号砲語らむと


 *木花開耶姫(このはなさくやひめ)、開闢(かいびゃく)

> ‥富士山とて、古代富士の荒々しき活動を
> 人が若かりし頃に思いを馳せるように、内に秘めたる思いとして持ち続けるのだろう
> 赤富士の姿を見ていると、そう思わざるには居られない

  あの姿はどうにも

> 私たちに、開闢の心意気を宗とせよと語りかけているかのようでもある
> そして、必要があればその志を示すこともあるのだろう(くわばら、くわばら)




|四角張る蚊帳の異空に寝息発つ       静岡市・長田寿俳句同好会(8-31)

|兄ちゃんと異空に寝息 蚊帳蛍 なんで死にはる朝にたくさん

|サヨナラを拾う一つに母の顔 死にたる蛍に別れを重ね


> ‥穴ぐらの中が夜になると真っ暗なので、兄ちゃんが蚊帳の中に蛍を放つことを思いついたん
> やってみるとこれが夢のような光景になりよった
> 感動も束の間で、いつの間にか眠ってしまっておった

  朝に眼が覚めると
  動かんようになってた蛍がそこここに居ると思えば、みな死んでおった

> ‥どうせ片付けなきゃいけんからなぁと思って拾い始めたら
> だんだんお母ちゃんの顔を思い出してしまいよって、きちんとしたお別れがしたかったなって
> なんだか無性にかなしくなってしまったん

  めちゃ甘えとうなっても、兄ちゃん寝てはるし
  一人で泣いてもうたわ



1-7)1

の中心の開けてみる         静岡市・サロン川柳句会(8-31)

|闇覆うまずは鍵より灯りかな 光を得れば封印のまま

|大乗やまずは謎より救いとな 楽しくあれば禅を忘るる


> ‥私とは何か?自分とは何か?
> 不遇に遇えば遭うほどにそう思わざるを得ない

  しかしどうか

> 暗闇において鍵を得るにも、まずは灯りがないと始まらない
> 灯りを得たら得たで、そこが我が家と人が集まってくる
> 鍵を得て開けるべき「私」に思いを馳せるのは、そんな灯りが再び消えてからだ


  これを仏教に当てはめると分かりやすい

> 悟りという謎を残したまま仏陀は旅立っていった
> その後の流れがどうなったかと言えば、座禅より大乗だ
> 誰しも、仏頂面で座禅を組むよりは、楽しくあればそれでいいと謎解きのことなど忘れるのだ

  ‥不思議なモノで
  私たちは、自身の心の正体なんかより
  ナビゲーションがあれば、それで良いとして思考が停止するのだ

> まるで何かに似ているな(今やスマホ頼みの暮らし向きだよ)
> 同じように、スマホがどういう作りをしているかの原理や全容について知る者は少ない

  スマホの原理や全容を知らなくても、スマホを活用した暮らし向きはそこそこ成り立つ
  私たちの命や知性についても同じことが言えている


>  本当の我が家はどっちだろう?


 ‥己を識らぬ者は、ヒトの可能性も程度も本質もどれも疎かだ
 ゆえに、他人を推し量るなんて夢のまた夢だ

 そんなだから、後悔をやらかす確率も高いままだ
 あなたが劣等感を抱き続けているというのなら、そのままだろう
 あなたが日々の暮らしに不安ばかりで仕方がない口なら、そのままだろう


 自分を知らないということが、どれだけ損かを勘定してみれば良い


 ‥取りあえずそこには、人類の負の歴史がある(知らないままを積み上げたという記録だ)
 ヒトの程度を知ろうとして、歴史を参考にしても、ナビゲーションを見ているに過ぎない
 ナビゲーションが素晴らしく思えてそこで思考が停止したとて、そこにあるのは黒歴史だ

 黒歴史から得られるのは、ヒトの愚かさにまつわる性能だ
 (その他の可能性については、ほぼ何も示されていない)


> ‥あとの可能性を探すのは、むしろ私たちの好奇心次第ということになっている
> その為にも、誰もが、ヒトの基本と命の基本を欲するという次第だが
> 愚かさの可能性は、ほぼ共通しているのに
> それ以外と言うことになると、生命の種の分岐の如しだ(汝の先にせよ勿論誰も知らない)



1-7)2

|テレビより涼しさみせる風景が冷房かければ避暑地の気分       沼津市・椎の木短歌会(9-1)

|涼しさやテレビの向こう磯の風 冷房オンで気分バカンス


> ‥カネも無いが、旅する気もねぇ
> とは言ってもテレビを見ていると嫌でも外の世界が映し出されるのだ

  なんて忌々しい

> 見ろよ、テレビの向こうで涼しげに過ごしている様を
> しかしなんだ、冷房に手を伸ばせば同じことだゼぃ

  それにしても、向こうでも同じことをやらかすんだろうな(チッ、頭に来ちまうよなぁ)
  ‥ということで、冷房なんかオフで十分だ(もといテレビさ要らねぇか)




|この猛暑にわが伸びさまざまな寝姿を見す絵に描きみむ      富士市・富士川短歌会(9-1)

|猫ごろり酷暑に見せるぐたり工夫 じゃらし見せてもそっぽつつ


> ‥猫もくそ暑いのだろう
> さっきからゴロゴロとぐたり姿勢のままポーズだけ変えてやがる

  ‥そこらのオヤジと変わんねぇじゃねぇか
  なのに、オヤジが同じような様なら、途端に軽蔑の眼差しとか偏見過ぎる
  そう思うと、からかいたくなるというものだな

> まずは、猫じゃらしだ

  フフフ、なんだよあのツラ、遊びたそうに同様を見せてやがる
  (やっぱり、どうにも酷暑だよなぁ)

  しかし

  動揺を見せているそぶりが、かわいいじゃねぇか
  確かに、オヤジとは違うというわけか‥(チッ)



1-7)3

|平等に切るむづかしさ大西瓜        静岡市・虎渓俳壇(9-4)

|平等に切るむづかしさ大西瓜 失敗走るフルーツポンチ


> ‥カァチャンなにこれ!?
> なんで折角のでんすけをここまでぶつ切りにしちまったんだよ

> あんたたちがケンカしないようにってね
> お高級ほど平等にって‥思い立ったら、そうなっちまったんだよ

> ‥「ええ〜」折角のでんすけなのに、でんすけ食った気がしねぇ
> こんなんやるんだったら、スイカの皮の方も細工して演出とばかりに盛り付け直さねえと
> おれら日本人なんだぜ、分かってんの?



1-7)4

|責任を負う者こそが大将と逃がされ気づく生き恥の日々


> ‥戦において、由緒あるお家の大将は逃がされて当然と思っていた
> しかし、いざ逃がされてみても、生き恥を晒して生きざるを得ずの日々が待っていた

  思うに土壇場で、責任を放り出して身代わりを立てるなど言語道断だった

  (それではどうしたって、なんちゃってだよ)

> 土壇場で大将たる役どころを譲ってしまったという後悔しか残らない
> 大将という器を示す為にも、自らに責を果たすべきだった
> 日々後悔を刻んでしまうよりは、器こそを選ぶべきだったのだ



1-7)5

|自由など在るは敗北 天の川 這い上がるより寝そべろと瞬る


 *瞬る(ふる)

> ‥自由とは何だろうか?
> ヒトにおける自由とは‥幸せの形に通ずるかも知れない(誰しもがそう思い込んでいる)

  ところがどうか

> ‥ヒトの場合
> 所詮は、やり取りを抜きに自由を語ることなどできやしない
> やり取りの後には、誰かが不幸を請け負わざるを得ないだろう
> 斯様に勝ち取る自由を、自由と定義するにはどうにも怪しい

  どうして自由なのに、他人からの搾取を当てにしているのだろうか?
  それは単に「力」の見せつけだ、自由とは全く別の見方だよ

  では、克己ならどうだろうか?


> いやいや、己に勝つとか負けるとか、その段階ですでに不自由極まりない


  ‥なるほど
  そうなっては、自由とは
  全く以てそのままの有り様を受け入れている不動たる心という事になる

> ならば常日頃から、不満、不平、不足を思い描いて宣う「夢」など、不自由の極み
> 真に自由などとは、ほど遠いと言うことか‥


  どうにも、真に自由を欲すれば
  ヒトの前にあるのは敗北だけの様ということのようだ

 ‥そもそも、ヒトの語る自由なんて右と左を比べての事だけだ(なんとも不自由な)‥


  宇宙の移ろいが、輝きが、美しさが
  果てしなく微塵に動かざるに見えるのも、つまりはそういう事なのだろうなぁ‥

  ‥ありのままに受け入れて蕩蕩としている‥

  (お手上げとばかりに寝そべっている様だよ)



1-7)6

|戦いに理想などあるまじ刹那ざれ 克つ磨くより恐れの俯瞰


> ‥戦いとは即ち勝てば良い
> そう思えば思うほどに、ルール無用に恐れ入るばかりだろう

  そこに漂う恐れを緩和する為にも

  ヒトは備えとばかりに克己するわけだが
  それにしても、何かを想定してでしか頑張れないのがヒトの性能だ
  ‥狙いを外していては、無駄な努力に終わる羽目にも至る

 (ルール無用の相手に立ち向かうのに、克己などでは、平時の汗に過ぎない)

  それでは意味が無い


> ‥そこでまず、恐れに慣れておく必要ある
> 恐れの本質を見極められないのでは、肝心なときに臆病風にしてやられかねないのだ
> 如何なる恐怖であれ、俯瞰できるほどに落ち着きを放つことが最善だ

  そりゃ、まったくの大人に成っちまってからよりは
  適応力に富んだガキの頃だろうよ

  イジメの本質なんざ、社会的に見ても
  理想など誰も本気で構えちゃ居ないという現れだからナァ
  在るのはただ一つ、力尽くという傾向が顔を覗かせているというだけだ

> そこを俯瞰するにも、まずは悔しさを知らずに恐怖の俯瞰もクソもねぇという事だろうよ



1-7)7

|白南風やずんと輝く水平線         沼津市・万年青大学「俳句A教室」(9-4)
|鑑真の不屈の心苔茂る           浜松市・雄踏俳句会(9-4)

|戒律のずんと輝く渡来とて 骨までしゃぶり つと捨つる国

|残るのは内に秘したる日本ずく 断捨離にすら断捨離にけり


 *日本ずく(やまとずく)‥ここでの読み方。

> ‥鑑真がやって来たのは、戒律を教える為だった
> 今の自由の時代と比べてみると、随分とした隔たりがある

  なのに

> 鑑真の扱いは未だ丁重だ(低調だけどな)
> 戒律を担ぐのも時代の都合、自由を担ぐのも時代の都合だ
> それがこの国の底知れぬ断捨離力という事でもある

  さてさて、次に捨てられるのは何だろうなぁ?(もとい担ぐ方か)




|赤富士や病む身引きずる窓の傍       沼津市・万年青大学「俳句A教室」(9-4)

|これまでと病む身を起こし月明かり 無念新月されど新月


> ‥辞世(じせい)を残そうと思った(題材に月でもと思い)
> 身体を起こしてもらい
> 瀕死を押して、なんとか外に出た

  ‥なんと月が無いッ

> 叢雲に覆われているわけでも無さそうだった、どうにも新月だったらしい


  「‥‥無念新月されど新月」


  ‥なんという辞世だろうか
  天からして、生まれ変わってやり直せと言わんばかりだなぁ(ガクッ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:52 | Comment(0) | 名句にポン/2018後半 | 更新情報をチェックする
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