2018年09月15日

【日記】勝手句帳、二年経ちました

記稿.2018/09/15

> ‥これ程にネタに詰まらないとは
> しかも、不思議と、魔法に掛かったように並ぶし


 無論、同じような着目もあるわけですが

 そこはマンガづくりのネタと言うことで、敢えて押さえています
 同じテーマで詠まざるを得ないのがマンガの場面として想定されるわけですから当然です
 「‥また似たようなのが出たぁ」と見た目での解釈は野暮だけですのであしからず

 ‥とはいえ
 時間が経つと、ちょっと判りにくい下手も出ているなぁという点は否めません

 まぁ、詠んだ風景の印象を覚えている程度で、片っ端から忘れています
 この忘れているというのが、量産化において幸いしているとしか思えません


> それにしても


 農業詠みだけで100首できちゃいそうな勢いです
 テーマで100首揃うと、やらかしたくなるのが心情でしょう

 (農家さんが多いという事なのでしょうけれど)

 読み込むほどに、適度に裕福そうな面々の空気が
 こちらとしては痛くてしょうがないんすけど


 句会=高齢&年配=適度に中流を維持の傾向(静岡県の傾向)


 ‥詠まれる程度が大ざっぱにも文学センスほどには近づかず
 とくに「買いくれし」という「くれし」の表現はどうにも方言なんだなぁと思うより他ありません


> その手の思い込み方言まんまというか、文法の勉強不足は否めず


 古典仮名遣いだけしかキッチリしていないのは、明らかに勘違いに思います
 古文法をしっかりさせてこそ当時の言い回しを想起できるのに、そこが疎かなのはどうかなと

 まぁ古文法と言っても、厳密の敷居は定かに無く(学者でさえ曖昧)

 時代ごとの移り変わりも激しいと言うことで、最近に思い始めたのは
 現代的にも、古文法よりの盛り方の模索や変化形もありに思われます


> 例えば、終止形に付く助動詞の場合、体言に付けても言いように思います
> 勿論、無制限に付けて似合う訳が無いのが、日本語の抑揚です


 ‥この抑揚で考えると言うことが特に欠かせないわけですが
 この抑揚にこだわると
 方言訛りの言い回しが好い場合もあれば、そうで無い場合もあるとの選択に迫られます

 それはそのままに、和歌にもなぜか標準形という感覚が潜んで居るという次第になってきます

 そこに垣間見えてくる照準的な言い回しを
 嫌っていては上達しないのは、如何なる言語とて同じことです

 また

 ‥述べるまでも無く
 普段の言い回しをそのままに使い込もうとしても、納まりきらないし
 捻りも無いのでは、見映えとして芯が通ってこないのもなぜか和歌の世界です

 そこの整いを見極めるにも、古文法の反芻は大事かと


> あと、主観で詠むのか客観で詠むのかです
> 主観で詠む場合の必要と、客観で詠む場合の必要には微差が付きまといます
> そこを捉えようとしないでいては、単に見たまま表現のいじり回しに陥るだけです
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:15 | Comment(0) | 名句にポン/2018後半 | 更新情報をチェックする
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